チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

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チエンマイ王朝への道

落穂拾いー(14
 
タイ将棋
 
いずれの国においても英雄はいますが、英雄は平時には出てこないようです。真の英雄は、平時、平穏無事、太平の世の中にあっては世間の規格外の人物として見られ、決して尊敬の眼差しで見られることはないのかもしれません。しかし、社会が如何様にも成り立たなくなった時、もしくは組織の存亡に関わる時、思わぬ所から出てくるのかもしれません。
平時においては平凡な行政能力を有する役人がいれば、国は何事もなく平常通り動くものでしょう。しかし、非常時において平安時と同じ考えで同じ手法で同じ決まりの中で同じことを繰り返すだけでは、非常の事態を処することは出来ません。非常時においては、行政もまた非常時体制を組まなければならず、通常の行政手続から外れることも覚悟のうえで非常時に対処しなければなりません。
そんな国の非常時には、非常時に相応しい人物が出てくるものでしょうが、案外にしてそれは極普通、もしくは変人にしか見えなかった人物かもしれません。幕末の英雄たちも太平の世にあれば世に出ることなく、むしろ畳の上で誰にも知られず歴史に名を残すこともなく生涯を終えていたでしょう。
 
チエンマイ王朝への道
アユッタヤー攻撃の前線基地、兵站基地としてしかチエンマイを捉えなかったビルマは、この地にしっかりとした支配体制を築くことなく、各地で発生する散発的反乱に対処しなければなりませんでした。チエンマイにおいて疾風の如く現れた英雄テーパシンがビルマを駆逐したまさにその頃、小暦1091年頃のことと伝承は伝えていますが、西暦で言えば1729年の頃のことです。チエンマイの南、ラムパーンに一人の奇僧が現れました。このナーヤーン寺院の住職は、かなり俗世間が気になるのか、目立ちたがりな性格なのか、梵天始め様々な神仏を祭り、胎児を宿したまま命を落とした女性の霊を操ることが出来る霊能者であると吹聴し、実際に様々な不思議な現象を起こしたようで、人々の信仰を集めていました。
 
そんな呪術師にも似た僧に篤い信仰心を抱いたのは何も熱心な信者だけではなかったようです。サームカー寺院とバーンフォーン寺院の僧侶までが帰依し、還俗してまでナーヤーン寺院の僧の付き人となりました。その頃、ラムパーンには王がなく、行政を司る貴族官僚にも住人の心をまとめ、国を治めるほどの力量はありませんでした。そんな統治者不在の時に現れた霊能者とその参謀としての元僧侶たち、異形ながら人々の心がこの僧の一団に集約されると、あたかも国の指導者の感を呈しました。
ビルマによって王国としての連帯感を断ち切られた不安定な情勢下、突如として現れた霊能者とそれを支持する住民。それに不気味なものを感じたのは政治的感覚でしょうか。ナーヤーン寺院の僧の霊能力が優れ、人々の心が一つになり始めたという噂が隣国ラムプーンにまで伝わると、ラムプーンの王マハー・ヨットルアンは、軍を差し向けました。國をまとめる者のないラムパーンにあっては、ラムプーンの正規軍を前にして戦う術もなく、辛うじてナーヤーン寺院の僧侶の呼びかけに応じて馳せ参じた住民が立ち上がっただけでした。しかし、如何せん正規軍を相手に訓練も出来ていない民衆が戦う術がある筈もなく、誰もが我が命大事と散り散になりました。件のナーヤーンの僧たちの一群も敗走してラムパーン・ルアン寺院に入りました。
ラムプーン軍が寺院を包囲すると、夜明けを待たずに僧たちの一団は逃走し、それをラムプーン軍が追跡する、なんとも惨めな闘争を繰り返しました。しかし、普段霊能力を豪語するナーヤーンの僧は、何を思ったのか、もしくは自らの能力を過信したのか、立ち止まると、棒切れ、竹などで防護壁を作り抵抗の姿勢を示しました。一瞬、ラムプーン軍の中に躊躇いが見られましたが、運悪くラムプーン軍の兵士の放った銃弾がナーヤーン寺院の僧の眉間に当たりました。続いてあわてて駆け寄る元バーンフォーン寺院の僧侶は目頭に、元サームカー寺院の僧侶は膝頭にともに銃弾を受け、その場で討ち取られました。
事態を収束したラムプーン軍は、ラムパーンルアン寺院に引き返すと、そこに陣を構え、郊外に避難している住民に各自自分の家に帰るよう布令を出しました。人々が帰ってくるとラムプーン軍による信賞必罰が行われ、人頭税を始め様々な課税が重くのしかかるのみならず、財宝の徴収が行われると人々の中に不満と怒りが膨らみ始めました。そんな中で、役人の中でもセーン・ナンスー、セーン・テープ、ナー・ルアン・チャレーノーイはラムプーン軍に忠誠の姿勢を誓いました。三人は、夫々地位を保証されたのみならず、新たに官位を受け、統治者として出てきました。ところが、ラムプーンの支配者と共に役所において協議している、まさにその場で、三人は、互いに目配せをして合図を送り、共にラムプーン軍の代表者を刺し殺したのです。
役所は、忽ちにして修羅の巷と化しましたが、ラムプーン側が援軍を差し向け、町に火を放つと、住居は火に包まれ、住む家を失った住人は、再び町を離れて森の中深くに身を潜め、町は再び無人の巷になりました。
その時、チョムプー寺院の僧は、ひそかに信者多数を集めた上で、逃走中の役人を呼び寄せて国の奪還を図りました。しかし役人にその気概がなく、憤慨してラムパーンの行政官たちに言いました。
『見よ、わずか一人の命を奪っただけに過ぎず、誰もが戦いを避けて逃げてしまった。わしは、今日この場で還俗して敵と戦おうと思う。もしも敵に勝利することがなければ我が首を切り落として川に流せ・・・』
これを聞いて人々は、慌てて還俗を諦めさせましたが、その交換条件として師が出したのは、
『しからば、國を失わずに済む我が意見を聞くか。我が国を奪還した勇士にラムパーンを子々孫々にまで渡って統治させることを認めるか』
というものでした。役人たちが、師の言を受け入れると、信者たちとこの困難に立ち向かう勇者の選出について話し合いました。そして、知恵あり、正直で、勇敢で、しかも、銃、弓の操作に長けているという、一人の猟師の名を挙げました。即ちナーイ・ティッパチャーンという人物ですが、どの伝承本にも本名について言及されていません。只、野性の象を追いかけ、その尻尾をすら断ち切る力を有しているところから誰言うとはなくナーイ・ティッパチャーンと呼ばれるようになっていました。
師は、この猟師の所に出向き、四分五裂して指導者を欠き、国としての態をなしていない今の現状について説明しました。すると、猟師が言いました。
『ラムプーンの兵といえども地に潜り、空を飛ぶわけでなし、我々と同じように大地を歩き、飯を食う。なんの恐れることがあろうか。』
大胆にも一猟師ながら、この申し出を受け入れました。そこで、ナーイ・ティッパチャーンの申し出を受けて300名の勇士を募り、いよいよラムプーン軍撃退に向かいました。夜陰に紛れてラムパーンルアン寺院を宿営とするラムプーン軍を包囲すると、兵たちに出てくる敵兵を一人残さず切り殺せ、と命じ、自らはムーン・ヨット、ムーン・チット、ノーイ・タの三人を伴って水路から侵入したようです。
しかし、彼らはラムプーンの王マハーヨットがどのような顔形の人物で、どの部屋にいるのか何の知識もありません。そこで、大胆にも夜警の兵でしょうか、ラムパーン軍の兵に堂々と尋ねました。
『ラムプーンからの使者であるが、ターウ・マハーヨットは何処におわす』
目指す敵将は、その時将棋を指していたといいます。王は、ナーイ・ティッパチャーンの声を耳にすると大きな声で自ら返事しました。
『わしはここにおる』
その声を合図に侵入者四人が銃を構えて声の主に発砲すると、王はよろめき躓きながら逃げ、周りの兵は右往左往して収拾がつきません。ナーイ・ティッパチャーンたちは、剣を引き抜くと斬りかかり、突き刺ししながらマハーヨットを追い詰め、殺害に成功しました。一方、ラムプーンの兵たちは夜襲に驚き仲間打ちしながら思い思いに逃走を始めましたが、寺院を包囲する300人の兵が待ち受けで迎撃し、尚逃げ延びた兵を追いかけ、領内より駆逐しました。
凱旋したナーイ・ティッパチャーンを迎えるラムパーンの人々は、揃って彼に灌頂をなしてムアン・ラムパーンの統治者として迎えました。この時に受けた名前がプラヤー・スラワルーチャイソンクラームでした。時に仏暦2275年、西暦1732年のことでした。后のピムマラーと共にラムパーンの統治者となって独立を維持すること27年、仏暦2302年、西暦1759年に亡くなりました。このナーイ・ティッパチャーンこそ、チエンマイをビルマの支配から解放し、チエンマイ王朝を起こしたチャウ・カーウィラの祖父に他なりません。
 
(了)
 
この文は、『十五代王朝伝』『プーンムアン・チエンマイ伝』『ヨーノック王朝年代記』『王朝物語伝』を参考にしました。
冒頭の絵は、タイ将棋とも呼ばれる『マークルック(MAAKRUK)』というもので、街中ではビール瓶の栓などで戯れている光景を良く目にします。基本的には西洋のチェスと同じものですが、インドから伝わったようで、従来のものはチェスのビショップに代わるものでしょうか、コーンと呼ばれる駒があり、これをかつては『象』で表したようですが、動きは斜め左右に前後一枡ずつと直前に一枡動けます。
ラムパーン・ルアン寺院
 

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さざんか さん

コメント&傑作ありがとうございます。
戦後民主主義は日本的なものを否定してきました。いわゆる西洋民主主義信奉者を作り出したのですが、その基本はGHQの押し付け憲法です。それを後生大事に守る人々は、左右同根と言わざるを得ません。しかし、真の日本はそうしたGHQ憲法が否定したものの中にあり、歴史の曇りを取り去った後にでます。現憲法を賛美する、もしくは戦前の日本を否定する人々の中からは日本を破壊する人は出ても再興する英雄は出ません。英雄を求めるためには、教育改革を進め、日の丸君が代教育から教育勅語の復活、国旗、国歌に対する忠誠、敬意の気持ちを子供たちに持たせることから始めなければならないのでしょう。そうした正しい教育を始める人たちが英雄かもしれません。

2011/5/16(月) 午前 7:15 [ mana ]

ATS さん

コメント&傑作ありがとうございます。
所詮占領統治の指針に過ぎないものを憲法として後生題字に持っている民族に、マッカーサー自身が驚いていることでしょう。この憲法がある限り日本の独立はありません。日本にもこの憲法を改定することを党是とする政党がありますが、結党以来それを目指してきたのでしょうか。
安定した生活を捨ててでも社会のために尽くす強い意思を持つ人とそれを助ける人がいて始めて英雄が出現します。英雄には、必ずその陰で人知れず援助する現実世界の勢力があります。そうした助けなく英雄は動けません。
しかし、今の日本に残されている時間は少ないかもしれません。

2011/5/16(月) 午前 7:25 [ mana ]

ジョウジ さん

コメント&傑作ありがとうございます。

日本の最大の欠点は、第四の権力と呼ばれる報道機関が、最大の権力にまでなってしまったことです。彼らは国民の意識を情報と言う『食事』によって操作し、『民主主義』『人権』『平和』と言う美名の下で正常化を拒み、『日本回帰』を拒みます。その報道機関の考えの基本がいわゆる戦後民主主義ですが、それがGHQの日本潰しである事を認めず、進んで日本潰しに加担することこそ護憲だと考えるいるのでしょう。
そうした報道機関と堂々と戦う強い意思を持つ政治家の出現を望みます。命を掛けてでも守るべきものを持つ人、彼は既に英雄なのかもしれませんが、戦いを避ける英雄はいません。大切なものを守るための戦いを避けるとすれば、その時点で英雄の資格はないのでしょうね。政治家にとって命を掛けて守るものは国であり、国民の生命と財産です。戦後の政治家で幾人国民の生命と財産を守ろうとしたのでしょうか。

2011/5/16(月) 午前 7:35 [ mana ]

レッド さん

コメント&傑作ありがとうございます。
幕末維新の英雄も太平の世にあれば、変人で終わり、歴史に名を残すことなく、むしろ反面教師として村人の口の端に上ったかもしれません。しかし、彼らが英雄たりえたのは、国全体を見る広い視野と、強い危機意識を持ったことからでしょう。その基本はやはり教育だと思います。彼らが革命に躍る烏合の衆でなかったのは、そうした教育の裏図家があったればこそだと思いますが、それは水戸朱子学であり、吉田松陰であり、そして何より『忠孝』の考えではなかったでしょうか。公の対象は、現実の幕府徳川家ではなく、『日本国』になっていたところが彼らが英雄になりえた所以だと思います。

2011/5/16(月) 午前 7:44 [ mana ]

道後 さん

コメントありがとうございます。
昔、椎名悦二郎がいまして、彼が日銀支店長時代。まだ20台の若さだったといいます。彼はひがな天井に貼っている板材の穴を数えていたといいます。彼にとって日銀支店長としての日常業務はそれほど意味がないものだったのですね。
我が郷里の三木武吉翁は、社会主義の慎重に危機感を抱き、日本の国を守るためにはなんとしてでも保守勢力をまとめなければならない、そんな使命感に燃えて保守合同をして自由民主党を立ち上げました。今、日本の政治家にどれほど国家の危機意識を持つ人がいるのでしょうか。

2011/5/16(月) 午前 7:52 [ mana ]

本当ですね。

本来は見る目が変るのが変ですが、日本は戦後見る目がなくなっています。

こちらこそ、ご来訪やランキング応援に感謝を申し上げます。

2011/5/16(月) 午前 9:13 近野滋之

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記事の書き方は流石です・・・独断場ですね。
振り返ってこの日本にも平成の世を正す英雄が欲しいです。
ブログ友の「こんの」さんも独断場の記事を書かれていますね。ポチッ

2011/5/16(月) 午後 2:04 よかもん人生

近野 さん

ご支援ありがとうございます。
英雄は懸命にどこかで出番を待っているのですが、そうした英雄を見抜く人物が出なければ駄目ですね。幕末においては海舟が最も西郷なり龍馬なりを理解し、正しく評価していたのかもしれません。それゆえ江戸が大火から免れたのではないでしょうか。又、西郷を可愛がった島津斉彬もまた大きい人物だと思います。
英雄が世に出るためには、英雄を見抜く人物眼を持つ人物が陰になり日向になり支援するものだと思います。そうした支援者の存在もまた英雄を世に出すためには必要だと思います。

2011/5/16(月) 午後 9:05 [ mana ]

よかもん人生 さん

コメント&傑作ありがとうございます。
お褒めに預かって恐縮です。
今の日本が正常だと思う人は世界で一人としていないと思います。日本および欧米では正すべき思い、反日国はもっと異常になることを望んでいるかもしれません。しかし、欧米にしろ、反日国にしろ、英雄の出現を望んでいない点では共通していると思います。日本国内においても日和見主義の一般国民、事なかれ主義の庶民・プチブル、そして何より『反日』左翼というものは特に英雄を望みません。
今の日本とラムパーンの無能・無気力な官僚政治がどこか同じように見えてなりません。今の日本は目に見えた脅威がないと誰も思っているのですが、静かに深く浸透している脅威を感じる人たちは既に多くいます。それは幕末の無数の志士と同じです。只、そうした志士たちを支え、援助し、保護する政治家が出ない所に日本の苦しみがあります。ラムパーンのように大きな影響力ある人物が、命を捨てる覚悟で世直しを名乗り出るか否か。もう日和見の時代ではないと思います。

2011/5/16(月) 午後 9:16 [ mana ]

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国が乱れると 英雄が出現したのは 歴史も証明してますね
ただ震災後の選挙で 現職が圧倒的に優位に立ったのも事実で
国民は安定を求めるようです
我が身を省みず 大義のために尽くすという
余程の決意が無ければ 英雄が出現するのは難しいですね

今の日本にも 必要と思いますけど・・・英雄はでるのか?

2011/5/17(火) 午前 2:28 [ コロン ]

コロン さん

コメントありがとうござます。

>震災後の選挙で 現職が圧倒的に優位に立ったのも事実

↑この前提となるのは、震災後の対策を適切に取ったことが前提ですが、現在の政治はどうでしょうか。
英雄は、国難に際して出てきます。
英雄が出てこないとすればそれは、
まだ国家存亡の淵に立ち至っていない
もしくは、既に英雄というものの出現を望む気力、祖国愛すら失われてしまい、英雄を潰そうとする。

喧嘩の日本社会を観るときに不安になるのは、誰もが小市民化して変化を望まず、他人の不幸より自分の幸せに汲々としていることです。そして何より、報道機関が国民に知らせるべきことを知らせず、誤った、もしくは偏った情報を流して人々をどこかへ誘導しようとしていることです。
英雄が出るためには、そうした社会状況をそろえる必要がありますが、最大の要素は歪んだ教育、偏向した報道を正すことでしょうか。

2011/5/17(火) 午前 6:21 [ mana ]

やっぱり英雄ってのは乱世にしか出てこないんでしょうか。志をもって物事を成し遂げる、そういうストーリーはいつでも素晴らしいです。

2011/5/17(火) 午前 8:52 yam*a*yuic*i

大いに同感です。

人を大きく育てるには支援者の力も必要です。

2011/5/17(火) 午後 2:42 近野滋之

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これほどまでに英雄待望論があっても日本には英雄の影も形も現れないのは日本の民主主義が本当に日本に合っているのか,というところまで一度掘り下げて考えたほうがいいのかもしれませんね…。
若し明日にもでもクーデターが起こってまったく無名の人物が権力を握って超法規的に国を動かそうとした場合、日本の国民や日本の警察アメリカはどう動くのだろうか、というシュミレーションを思い描くのも悪くはないですね…。

2011/5/17(火) 午後 4:33 madeinpuyuma

yam*a*yuic*i さん

コメントありがとうございます。
英雄というのは社会が必要としたときに現れるものでしょうが、社会が不安定、もしくは危機に陥るとどこからともなく現れ、社会の軸の揺れを直すのではないでしょうか。
問題は、乱世の捉え方です。乱世とはという言葉は、正常とはという状態を如何に捉えるかです。本来の日本の姿が如何なるものであるべきか、それを正しく捉え、その軸が余りにも大きく揺れ全体の安定が著しく損なわれたと捉えた時が乱世です。
したがって、日本社会を皇室を蔑ろにして社会主義化しようとする人たちにとっての正常と、皇室を中心とする日本というものを正常とする考えでは、社会の軸の位置が違っていますので、議論が噛み合わなくなります。
個人的には、今は皇室が大きくその権威を貶められようとしており、それが現実に閣僚クラスから徐々に出てきています。今回の震災に関して陛下の御心を無視して被災者救済・救援の遅れなどもっての他です。これは既に乱世の始まりだと思います。ならば、そうした動きを如何にして止めるか、そこに英雄の出現を望みます。

2011/5/17(火) 午後 7:03 [ mana ]

近野 さん

ご支援ありがとうございます。

2011/5/17(火) 午後 7:04 [ mana ]

puyuma さん

コメントありがとうございます。
個人的には、西洋民主主義というのは日本人にとっては衆愚政治への道だと思います。彼らの民主主義というの国民一人一人と神との契約の上に成り立ちます。しかし、日本には、そうしたキリスト教的神との契約は馴染みません。
日本に相応しい民主主義を探すとすれば、明治憲法下での政体ではないかと思います。勿論、女性の参政権もあっても結構、成人に等しく選挙権があるもの許されるでしょう。しかし、日本という国を天皇陛下を頂き、皇室を中心とする民族国家である、という認識を持たねばならないと思います。
しかし、戦後社会は、GHQがそうした日本『らしさ』を一切払拭し、歴史に墨を塗り、道徳を否定し、無政府主義者、社会主義者を牢獄から開放して社会の要職につけました。今そうしたかつての犯罪者の弟子たちが各界で蔓延っています。
(続)

2011/5/17(火) 午後 7:34 [ mana ]

puyuma さん

日本に出る英雄は、烏合の衆ではない、有知識者多数に支持され、しかもそうした十分に知識ある人たちの信望を一身に集め、かつ、『無私』の人が『国の為に』命を惜しまず危難を告げることです。そして、彼を支える多くの人たちが真の世論を形成した時、彼が英雄となるのかもしれません。したがって、政治家の中にそれを求めるのが最善なのですが、それが出来なければ『無私の人』を政界に送ることも必要かもしれません。
英雄が英雄である為には『無私』で、かつ『人望』と『知略』を備えていなければなりません。
若しも『私利』ある人が出れば結局は改革前と同じことになってしまうかもしれません。

2011/5/17(火) 午後 7:37 [ mana ]

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こんばんは
>世間の見る目が変わるのです
>英雄はどこにでもいる
成程そういう考え方納得します
チェンマイの名前は難しいですね(慣れないとむつかしい)

傑作☆

2011/5/19(木) 午前 0:55 あまのじゃく

あまのじゃく さん

コメント&傑作ありがとうございます。
英雄は家庭の中、地域の中、組織の中、そして国にと様々な場所で出現が求められ、そのどこにもいて、誰もがなりえると思います。只、英雄が現状に対する不満ではなく、違和感、本来あるべき姿から外れていると感じ、それを正さなければならない、と思った時に始まります。そして、同じ気持ちを持った人が援助し、補佐するように吸い寄せられ絵地来ますが、他人を引き寄せる大前提が『無私』であり『奉公』の気持ちだと思います。
誰も英雄になる要素を持っていますが、それに気付くかどうか、それを気付いた人が支援するかどうか。

いずれにしても英雄は一人ではことを成就させることは出来ません。多数の人の補佐・援助を要します。その意味では、英雄を補佐・援助する人もまた小英雄かもしれません。

2011/5/19(木) 午前 6:27 [ mana ]


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