チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

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襤褸布で黄金を包む

チエンマイの原風景
市場?に向かうチエンマイの女性たち
 
閑 話 休 題−106−
 
乞食というものは三日やったら辞められないそうですが、本当のところは如何でしょうか。以前チエンマイ市の隣町にあるある村での乞食村の様子をお伝えしました。どれほど殖産事業を推奨しても、懸命に乞食に精出し、飼育用に与えた鶏も豚も食べてしまい、先祖代々乞食を『正業』としている彼らの『誇り』を突き崩すことは出来なかったようです。先祖代々の『家業』としての乞食ではなく、『副業』としての乞食がいるとすれば如何理解すれば良いでしょうか。乞食に身をやつし、何を隠すのでしょうか。チエンマイの零れ話を集めた本には、そんな乞食とは思えない乞食の話が紹介されています。そこには、その人の人間としての資質、根っこのようなものが窺えてある意味人間の恐ろしい一面を見ます。
十年ほど前からタイでは乞食ビジネス対策が進み、隣国からやってきた乞食出稼ぎ人を追い返すこと、隣国人を乞食にして稼ぐ組織を撲滅することが政府の目的のようでした。乞食への「お恵」を控えるように、との政府の指導の甲斐あったのか、街中から乞食が減ってきているようです。一定の効果があったのか、子供を攫って来て乞食に育てたりするニュースも最近では聞かれません。
それはともかく、一度手にしたものに異常な執着を覚えるのは人の常かも知れませんが、乞食ならともかく、『手にした首相の座』は『石に噛り付いても放さない』といったり、駄目元から味をしめ、叩けば出てくる打ち出の小槌とでも思っているのか、ありもしないことを作り出して隣国を脅しつけ、怒鳴り付けたりしながら『経済支援』を『強請る』国は、その時だけ『襤褸』を纏い、内実は黄金に満ちた金蔵を持っているのかもしれません。又、『強請った』お金をこれ見よがしに国民に見せて『強請りの腕前』を自慢する、とすれば、これまた精神的乞食かもしれませんし、『職業としての乞食』が『国家政策としての乞食』にまで昇格したのでしょうか。
 
襤褸布で黄金を包む
タイに『襤褸布で黄金を包む(ผ้าขี้ริ้วห่อทอง)』という言葉がありますが、『金持ちが貧乏人の振りをする』という意味で、金持ちの吝嗇家というのは安楽に暮らす代わりに、返って倹しく暮らすもののようです。
チエンマイはもともと四方を城壁に囲まれたほぼ正方形の四角い町で、まさに中国式の『城郭都市』ですが、その東門を今ではターペー門と呼んでいます。この名前が正しいかどうかは、ここではひとまず置いて置きます。
このターペー通りの半ばを過ぎると左手にセーンファーン寺院がありますが、この交差点にかつては城門がありました。かつての商人の道の名残か今も両側には商店が並んでいますが、城門の跡はどこを探しても欠片すら見出せません。この道の北側、ピン河に接してラムヤイ市場がありますが、この市場こそ何百年と延々と続いてきた昔の人たちの市場です。十数年前に旧来の姿を一掃してしまいましたが、今も地元の人たちにとって欠かせない市場となっています。
そんな商人たちの町ターペー通りに建つセーンファーン寺院横を曲がった所に蜂蜜を売るお店がありました。昔の旅行案内書には、チエンマイは北方のバラとも紹介されるほど気候に恵まれた土地です。バンコクなどとは違っていわゆる季節が三つあり、寒い冬がありますので、その冬の期間、10度前後から25度前後という一日の温度差が草花の生育には大変都合が良いそうで、毎年この冬の時期になると花が咲き乱れます。そんな花を目当てに養峰業者が集まるのですが、タイ族が蜂蜜をどのようにして食していたのでしょうか。寡聞にして確たるものを持ち合わせんので何ともいえません。ただ、台湾の養蜂業者などが田舎の農家を借り切り、そこにしばらく住み着いて養蜂に励んだりすることもあるようですので、当地に住む華人相手、もしくは時にやってくる外国人旅行者を相手にしていたのでしょうか。
そんな蜂蜜を販売する小さなお店に、いつも一人の女性がポツネンといつ来るとも知れない客を待って腰掛ています。この店の後ろにはチエンマイの外濠とも呼べるカー河が流れ、その昔にはその河の手前に城壁があったのでしょうが、今はその跡形もなく見事なまでに地上から消えて、商店、民家が立ち並んでいます。店の前を通る人たちは、お寺に参る人たちもいれば、近くの市場に向かう人もいます。市場の中で売る場所を持たない資力の乏しい農婦は、天秤棒に吊るした籠に野菜を入れて、市場近くの路端に腰を下ろします。
そんな人々の中で、一人の老女がお店にやってきました。みすぼらしい服装に身を包んだ老女は、店の中の女性に腰を曲げて両手を合わせて拝む格好をすると、ついでその両手を前に出しました。言葉を発しなくても老女が『物乞い』に来ていることは一目瞭然です。こうした恵まれない人々に何がしかの施しを与えることを『善』と考え、『来世のよりよい生活が保障される』と信じるタイの人々の常識に従って、お店の女性も机の引き出しを開け、その中から大きいコインを一つ抓み出すと老女にあげました。大きいコインは5バーツでした。昔のことですから、5バーツというのは決して少ない金額ではありません。20数年前チエンマイのこのターペー通りの横道に入った食堂で食べた焼き飯が10バーツ(当時1バーツが約11円)弱だった記憶がありますし、少し郊外に出ればラーメンが5バーツでしたから、5バーツというのは決して少ない金額ではなかったでしょう。そんな大金を渡した女性は、時間潰しか、老女に何か気になることがあったのか、呼び止めて話をすることにしました。勿論老女に仕事などありませんから、大金を頂いたお礼と思うのか、聞かれるままに話し始めました。
76歳になるという彼女は結婚歴があるが、夫は既になく、二人の男の子がいるというのです。子どもは夫々正業を持ち,チエンマイ大学付属病院の事務に勤めている長男と、電力公社に勤める次男で、彼女はその次男と同居しているそうです。
「じゃあ、子供さんはまだ一人身なの」
「だから、あたしが食事の世話から洗濯までまだ世話しているのよ」
「電力公社だと電気代は只みたいでしょうけど、お給料が安いのでしょうね」
だから、母親がこうして乞食しているのだろう、と思ったのですが、老女の返事はそんな同情をあざ笑うかのようでした。
「何、確か5000バーツ余り貰ってるんじゃないかね。家も自分の物だし、あたしだって毎月お小遣いを貰ってるしね」
その頃の5000バーツといえば、高給取りとは言えなくても決して少ない金額ではありません。20数年前の大卒初任給が4000バーツ弱でしたから、そんな時代に5000バーツであれば、十分に余裕ある生活が出来るはずです。ここまで聞いて蜂蜜店の女性は理解に苦しみました。
「じゃあ・・・どうして・・・」
乞食をしているのか聞こうとする自分の娘ほども年下の女性に、老婆は、ニコニコしながらそれとなく言うには、こうして乞食を初めて8年ほどになるけど、結構いい稼ぎになるそうです。
「普段は、平均して一日100バーツほどかね。でも、ソンクラーンなどには結構な実入りだよ。皆『善行』を積みたがっているじゃないか。だからそんな時にはたくさん貰えるのさ」
呆然とする蜂蜜店の女性に対して老女は誇らしそうに言いました。
「これまでの最高は一日867バーツだったかな」
今でもタイの労働者の1日の最低賃金は、170バーツ(現在1バーツが約3円)前後に過ぎません。それを思うと何十年も前に乞食をして一日でその何倍も稼ぐとなれば、「美味しい商売」かもしれません。
「そんなに溜めて、どうするの」
「どうもしないけど、お金を持っているのは愉しいじゃないかい」
老女は、スカートの腰の部分に巻き込んだ布を解すと、そこから銀行の定期預金通帳を取り出しました。それは、すぐ近くの銀行発行のものでした。
「ほうら、もう231,976バーツ貯まったよ」
「このことを同居している子供さんは知っているの」
「とんでもない。分かったら、大変だよ。言わないでおくれよ」
急に老女の顔に緊張が走りました。
「さあ、盗まれないように大切にしまっておきなさいよ」
呆れてこれ以上話をするのさえ物憂くなりました。
「大丈夫さ」
「それで泥棒に盗まれることを考えたことはないの」
「まさか、誰もあたしが貯金しているなんて思うものかね。息子にだって内緒なんだから」
そういうと、老女は急いで通帳を元のようにしまうと、「すっかり無駄な時間を使ってしまった。あんた、このことは内緒だよ」愚痴を零すように呟くと、又真昼の路上に出て行きました。

 
事実は小説よりも奇なり、といいますが、実際の社会には、あり得ない様な事が本当にあるものです。
そういえば、今も車一台家一軒と言われるほどに自動車価格が高額なタイで、不思議とベンツ、ボルボ、BMWなど高級車、日本製の新車が極普通に走っていますが、それでこの国は開発途上国なのでしょうか・・・
 
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著「ラーンナーの民間伝承物語」に収蔵されている「襤褸布で黄金を包む」より題材をお借りしました。
 
動画は、バンコクに暮らすラーンナーの人たちが、自分たちの文化を守る運動を続けていることの紹介です。
 

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株式会社セロリの管理人 さん

コメントありがとうございます。
一次は、わざと腕を切断したり・・・と映画モドキのことが現実にあったようですし、人攫いもありましたね。それに輪をかけたのが隣国からの出稼ぎ乞食で、そうした組織ですが、今でだいぶ影を潜め、乞食に代って交差点で花輪など売るようです。どうもそうした中にタイ人はいませんね。

2011/6/4(土) 午後 9:13 [ mana ]

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面白いですね
仕事が忙しい時には、こんな生活は楽だろうなぁ〜なんて思いますが、実際してみると3日も持たないでしょうね
やっぱり私には、一般的な日常が向いてそうです(笑)

2011/6/4(土) 午後 9:47 yuzupon

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日本には乞食は居ませんって言ってた人が居ましたが ホームレスに置き換えただけですね 増加しているとも聞きます それだけまともに住むことが難しくなってきているということの 現れでしょうね

2011/6/4(土) 午後 9:51 [ コロン ]

ジョウジ さん

コメント&傑作ありがとうございます。
餓死ということが殆どないタイにおいては、乞食にもそれほどの切迫感もありませんし、かつては孫の手を引いたおばあちゃんもいました。只、幼い子供を使ってこういうことをさせることに腹立たしい思いをしましたね。今は物を乞うよりも物を売らせますが、子供にさせることではないと思います。
山岳少数民族の中には、お金を出さないと悪態を吐く子供がいますが、心まで汚れていますね。

2011/6/5(日) 午前 6:10 [ mana ]

今野 さん

コメント&傑作ありがとうございます。
おっしゃるとおりお金は回さなければ価値がありません。
お金というものは持っているだけでは何の価値もありません。それを使ってこそ始めて生きてきますす。ですから誰もが生きた使い方を考えます。昨今のデフレは、明日が見えない不安の中で誰もがお金を使わなくなったのでしょうが、もしも人々に明るい情報を与えれば消費に回ると思います。大型公共事業、新産業としての軍需産業、最先端技術開発、日本各地の地場産業への補助、国内生産者に明るい希望を与えることでお金の死蔵が減ればデフレの改善に役立つのではないでしょうか。
今回の大災害の復興・復旧事業には、全て国内企業を選択するべきで、現地の人たちに職を与えることを第一に考えなければならないでしょう。安易に外部の人に依頼すると、お金が地元に回りません。

2011/6/5(日) 午前 6:18 [ mana ]

デバイス さん

コメントありがとうございます。
パンダが友好の使節だというのは詭弁ですね。
パンダは乞食外交です。中共はたぶんその国民性によるのでしょうが、自分のものは与えることなく、他人のものを我が物としようとします。世界の動物でパンダ以外の何が『貸与』されて有料で外国に送られるでしょうか、しかも『友好』の名の下で。
パンダはチベットのものですから、チベットを応援するべきで、パンダの借料を中共政府に支払うことはないです。

2011/6/5(日) 午前 6:22 [ mana ]

ふう さん

コメント&傑作ありがとうございます。
いわゆる『行商』というのがあります。わが郷里では、後醍醐帝の皇女いとより姫が始められた行商の形がつい最近までありました。祖母もそれを受け継いでいました。それは大原女にも似ていますが、売るのは魚です。そうした正業としての行商と、売ることよりも『金を毟り取る』ことを目的の押し売りは違いますし、乞食とも又違いますね。乞食も道行く人の『善意』を待つ乞食もいれば、お金を払うまで離れないゆすりにも似た乞食もいます。チエンマイでも今も時として食堂にそうした乞食が入ってきて、食事中の客の横にじっと立っていることがあります。はっきりとNOというと黙って立ち去りますが・・・

2011/6/5(日) 午前 6:31 [ mana ]

カマちゃん さん

コメント&傑作ありがとうございます。
戦後の教育は、人の価値を金で計ろうとする傾向があるようです。お金が主人になってしまったのですね。それは、戦後捨てて顧みられない道徳教育欠落の故でしょうか。
武士は食ねど高楊枝、
餓しても盗泉の水は飲まず
全て死語になってしまったのでしょうか。

お金に価値があるのではなく、お金を有効に使う知恵にこそ価値があるのでしょうが、今ではお金そのものに価値を置いてしまったようで、そうすると、お金の為には何でもする荒んだ心を育ててしまいます。

2011/6/5(日) 午前 6:37 [ mana ]

柚ポン瑠璃珊瑚晴パパ さん

コメントありがとうございます。
額に汗して働くからこそ、手にした収入に喜びを感じ、それの使い道を考える楽しみがあります。濡れ手に粟の泡銭は、所詮儚く消えていくのではないでしょうか。餓死することがない気候の中で育った人たちと,餓死との戦いの中で頑張る人たちの違いでしょうか。

2011/6/5(日) 午前 6:41 [ mana ]

コロン さん

コメントありがとうございます。
同時に、勤労意欲を無くした人たちが増えているのではないでしょうか。仕事をしたくても探せない人がいる反面、仕事をしなくても『お役所』を叩いて『福祉』で生きることも出来る。かつて『生活保護を受けることは恥』だと感じる国民性が日本人にはあったように思います。ところが、今ではそれを『当然の権利』だと考える人たちが出てきているようです。働く意思を放棄して、他の人が懸命に働いて納めた税金を『当然』の様に受け取って生活している人がいます。これはやはり『乞食』と同じかもしれません。真剣に仕事を探し、真剣に働きたい人たちと、こうした働くことを放棄して他人の税金を受け取って生活することを当然とする人を見分けることは難しいかも知れませんが、はっきりと区別する必要があると思います。

2011/6/5(日) 午前 6:49 [ mana ]

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確かに理解できませんね。まあ世の中には、お金を貯めて、その金額を数えるのを趣味のようにしている人もいますけど、ためているだけで使わないお金は、それこそ死に金ですよね。なにか目的があって、ためているのならともかく、そんな死に金をもっていて何がいいのかわかりませんね。まだ贅沢にふけるほうがマシかとも思います。善行を積みたい人も多いから、乞食もできるのでしょうが、これでは善行を積んでいるのかどうかわかりませんね。しかし乞食を誇りにするとは、理解出来ない誇りですね。
傑作

2011/6/5(日) 午後 3:12 [ さざんか ]

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どうもこの婆さんは 経済学的におかしいような・・・
経済は使わないと回らないのですが・・・
それにしても 金持ちは使いませんね

2011/6/5(日) 午後 10:30 [ 道後 ]

いい記事を読みました。
勉強になりました。
ありがとうこざいます。
傑作

2011/6/5(日) 午後 11:59 あゆみ

デフレ脱却には、政府紙幣でも発行すべきでしょう。

こちらこそ、ご来訪やランキング応援に感謝を申し上げます。

2011/6/6(月) 午後 1:21 近野滋之

よくフィリピンやインドネシアで純金のネックレスなんかをしてる『メイドさん』をみましたが、実はリッチなんじゃなくって、なけなしの財産でタンス預金みたいに『金』を買うんだとか。実はお金持ちで隣国を強請ってるのは、いまだにODAという名の朝貢をさせている中国でしょうね。

2011/6/8(水) 午前 9:13 yam*a*yuic*i

さざんか さん

コメント&傑作ありがとうございます。
日本では乞食をみると「可哀そう」ということですが、タイはじめ東南アジアでは、基本的には乞食を見て「何かをする」ことに意義を見出そうとするようです。したがって、震災などに対する寄付にしても、被災者に同情する以上に「寄付する」自分に多くの善が貯まる、ということを考えますので、被災者の惨状を見ても「被災者を救援して善を積みましょう」と呼びかけます。「被災者救援」が目的ではなく「膳を積む」目的達成のための「機会」に過ぎません。ですから乞食も「膳を積む機会」を与えている、という意識を持ちますね。これは、僧侶が托鉢しますが、これに応えることで「膳」を積むことができますので、僧侶は托鉢することで信者に「徳を積ませる」と考えると、謝礼など無用ですね。

2011/6/9(木) 午前 5:25 [ mana ]

道後 さん

コメントありがとうございます。
かつてこういう人がいました。あるラーメン店のオーナーは、毎日の収入のすべてを練る前に寝室に敷き詰め、その上に身体を横たえ、日々増えていく預金額を見ることにこの上ない喜びを感じていました。ある日、客数が減り、収入が減り始めたことに気付きましたが、どうすることもできず、貯金も全てなくし、店も手放し、別のラーメン店の店員になり下がったといいます。そして、その時、金が全てではないと悟ったというのですが、この話はキリスト教の宣伝として使われた実話です。
現実にはこうした華人は多々いると思います。経済よりも自分の懐が豊かになるのであればどんなことでもしますね。

2011/6/9(木) 午前 5:45 [ mana ]

あゆみ さん

コメント&傑作ありがとうございます。
お金はいかに使うか…これが大切ですね。
一生懸命働いて、無駄を省いて有効にお金を使う。
それがお金を貯めるコツかもしれません。

2011/6/9(木) 午前 5:49 [ mana ]

近野 さん

コメント&ご支援ありがとうございます。
デフレ日本はいかにしてお金を社会に回すかですが、国民が明日に希望が持てないから使わず、社会にお金が出回らないのだとすれば、まず、政府がお金を使って社会にお金を回すべきでしょう。その時大切なことは、政府の支出を受け取るのは日本国民であり、日本企業でなければ意味ありません。外国に出て幾政府予算を極力削減して国内に回し、公共事業などを通じて日本企業に仕事を与えれば、あすの収入という希望の光が見えた国民は質に踏み切るのではないでしょうか。安易に輸入に頼ると円が流出し、国内事業者は職を失い従業員は明日への不安から支出を控えることになり、これがデフレスパイラルとして社会を生気ないものにします。
増税などは逆効果でしょうし、IMFの言いなりになることも危険かもしれません。

2011/6/9(木) 午前 5:57 [ mana ]

yam*a*yuic*i さん

コメントありがとうございます。
東南アジアでは金は日本と違って純金に近いですね。日本で言う18Kというのは、金とは看做さないようですが、その基本は、常に金価格を気にし、現金化することを考えているからです。それは、自国政府を信用することなく、財産をこうしたカラチで身につけることで、どこででも生きていけると思っているからでしょう。すると、当然それに付け込む悪質業者が出て金の純度を誤魔化して利益を得ようとする人が出ます。また、経済が悪くなり不景気になると犯罪が増えるのはどこも同じで、金のネックレスなどは格好の標的ですね。要注意です。警察でも注意を呼び掛けています。

2011/6/9(木) 午前 6:07 [ mana ]


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