チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

水底に消えた王国

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−伝説の王・シンハナワット−水底に消えた王国(1)

チエンマイの南に『ラムプーン(LAMPHUUN)』という名前の小さな街があるのをご存知かしら?小さい、なんて言ったら叱られる…かな…?
実際、さして大きな町でもないし、有名な観光地でもないけど、タイ人の間ではラムヤイ―中国名竜眼―の産地として有名…だそうです。
その町が未だ『ハリプンチャイ(HARIPUNCHAY)』と呼ばれていた頃のことです。ハリプンチャイの初代の王は『プラナーン・チャーマテーウィー(PHRA NAANG CAAMATHEEWII)』という名前の女王で、中々面白い伝説の持ち主なのですが、それはいつの日にかお話しすることがあるかもしれません…と思うけど…。
ここではそれはさておいて……

……話は、千数百年も前に遡ります……

遥かな昔のこと…遥か北の方に流浪の一団がやって来ました。伝説では、インドから来たといい、また彼らの指導者は仏教史に出てくる釈尊と同時代のインドの王ピムピサーンの弟であるといいます。
その一団の指導者の名前は、西暦1973年のプラヤー・プラキッチャコーンチャック版『ヨーノック王朝年代記』では『シンハナワット(SINGHANAWATI)』といい、パイトゥーン・プロムウィチット著『ムアン・チエンセーン伝』では『シンハナティ(SINGHANATI)』となっていて名前が若干違うのだけど、この位の違いは無視できるわ…ネ。いずれの伝承も彼の妻は実の妹である、と伝えているの。
父王テーワカーン(THEEWAKAAL)には、男女夫々30人ずつ計60人の子供がいたそうですが…伝説にしても子沢山なこと…、兄弟姉妹を夫婦として添わせ、財産を分けて各地に分散して国を作らせたというのです。近親婚だし、親が勝手に決めるなんて強引にも程がある、と思いませんか。でも伝承は王子王女の誰一人として異議を差し挟んでいないのよ。不思議にも。
60人の子供の長男がピムピサーン(PHIMPHISAAR)という名前だそうですが…偶然なのかしら??まさか…ネ。本当なら2500年以上も昔の話になってしまいます。そして、次男がこの地に長旅の末に辿り着いたシンハナワット(SINGHANAWATI)だというのです。

その生地は、釈尊生存時代のインドの大国の首都と同じ王舎城だといます。王舎城というのは、マガタ国の首都で、仏陀時代の王もここに出てくる王と同じ名前のピムピサーンなのよ。余談ながら…そのマガタ国の言語、マガタ語が南伝仏教の経典などにも多用され、タイ語の中にもたくさん紛れ込んでいるバーリー語なのよね…。方言なのにサンスクリット語のように聖語になっちゃったのね。
このシンハナワットがピムピサーンに継ぐ次男だったといいます。
彼ら兄妹夫婦は多数の従者と家財を携えて幾多の山を越え、川を渡っての長い旅の末にメコン川の辺のこの地に辿り着いたのです。そして、伝承は、彼らの出身国がタイ・テート(THAY THEES)、即ちタイ人の国であるといっているの。即ち、伝承では王舎城がタイ・テートであるといっています。ならばこのシンハナワットがタイ人である、ということなのかしら…?
だったら、タイ人は中国から南下して来たという従来の説は間違いで、インドから東進して来たのかしら???まさか…ね。なんでも御釈迦さんに関係つけようとする何百年も前の素朴な民衆の敬虔な仏教に対する信仰心が、強い憧れにもなって考えがこうした伝説を作り出したのでしょうね。きっと…

いくつもの山を越え、大小の河を渡り夥しい数の従者を引き連れた流浪の一団、シンハナワットの一団は、野営を繰り返しながらひたすら東に進み、メコーン河より14キロほど離れたラワーナティー河、即ち、現在のサーイ河の岸辺に居を構えました。ここで言うサーイ河とは現在のサイ河、即ち観光客には有名な最北の町メーサイに流れるあの小さな流れの早い川なのかしら…?
ある日宿営する彼らの前にこの地の主と称するバラモンに化身した『竜王』が現れました。どうやらタイ人はよほど『竜』が好きなようですね。それとも、タイ族そのものが『竜を象徴とする民族』なのでしょうかネェ。その竜王ことバラモンは、シンハナワットが王家の出であると知ると、この地に国を建設するが良い、と告げて彼らを自らの住居に案内しました。
竜王が自ら地を掘って濠となし出来上がった町は『パントゥ・ナーカパン(PHANTU NAAKHA PHAN)』という竜王の名前と『シンハナワット』の名前を併せて『ムアン・パントゥ・シンハナワット・ナコーン(MUANG PHANTU SINGHANAWATI NAKHOR)』と名付けられました…とさ。

(続)

閉じる コメント(2)

こんにちは。
チエンマイって、バンコクに次ぐタイ第二の都市なのですね。
(不勉強ですみません。今ネットで確認しました。)
日本列島にも様々な土地から人が集まり来たように、タイにも様々なルートで人がやって来たでしょうね。
>インドから東進して来た
そういう一族もいたかも知れません。

2009/7/12(日) 午後 1:36 さんちゃご

さんちゃごさん

ご訪問&コメントありがとうございます。
ここに出ているインドからの伝来は信じられませんが、現在インドのアッサム地方に住むアホーム族という一族はタイ族ですね。彼らの伝承および残した文献でそれが確かめられています。ですから、コチラにやってきたタイ族も中国を南下して、メコン川に沿って東に向ったと思います。そんな彼らの遠い記憶と、仏教を絡めて作り上げた伝説だと考えたほうがいいかもしれませんね。
何しろ、シンハナワットがピンピサーンの弟というのはありえない話ですから。

2009/7/12(日) 午後 7:27 [ mana ]


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