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−伝説の英雄・プロームマクマーン生誕−水底に消えた王国(3)
人は、移り行く時代の中で時として同じ話を繰り返して作り出し、語り継ぐのでしょうか。
民族の英雄を忘れることが出来ず、同じ話ながら時と場所を変え、名前を変えて幾度も幾度も伝承の中に登場させて語り継いできたようです。
シンハナワット以来400年余りの後―伝説ですよ―第43代目の王位に就いたのはプラオン・パン(PHRAONGKH PHANG)ともプラオン・パンカラート(PHRAONGKH PHANGKHARAACH)とも呼ばれる王でした。陸路4泊の距離にいるコームが息を吹き返したのはこの王の時で、パン王は、可愛そうに『ウィアン・シートゥアン(WIANG SIITUANG)』という町に追放され、王位すら奪われ、単なる村の指導者の地位に落されてしまいました。そうして1年が経過すると王子が生まれました。苦難の人生の中で生を受けた王子に付けられた名前は、ツッキッタ・クマーンでした。苦悩の王子という意味なんでしょうか…そして、更に2年が経過して今一人の王子を儲けました。ブラフマンの如く眉目秀麗で高貴な雰囲気を漂わせる王子にパン王は、『プロームマクマーン(PHOHMKUMAAR』)』という名前を付けました。すなわち、この物語の主人公の誕生でした。
この王子を胎内に宿した后は、むやみに武器を欲しがり、王に武器の調達を求め、生血を欲したそう…なんて怖いんでしょうね…
実は、これにも伝説があって、一人のウィアン・シートゥアンの沙弥―この頃この地に仏教がそれほど深く浸透していたのでしょうか−不思議な気がしますが−がコームの王プラヤー・コームダム(PHRAYAA KHOOMDAM)のもとに托鉢に行くと、王はそんな下賎なウィアン・シートゥアンの沙弥になど布施する物はなく、誰も布施してはならんと厳しく命じました。そこまでしなくても良かったのに…沙弥が可哀想。それとも当時からコームとタイ人は仲が良くなかった、と言いたかったのでしょうか。その沙弥は王の仕打ちに腹を立てると、托鉢の鉢を頭上に捧げて仏塔に願掛けしました…即ち、死後パン王の后の胎内に宿り、生まれ出た暁には、父母に愛され眉目秀麗で武芸に秀で、一人残らずコームを駆逐しますように、というものでした…恐るべき執念ね。そして、願を掛けるとその場で絶食に入り7日目に命絶えたのです。
こうした恐るべき願掛けの末に生まれ出た王子は、願いのままに眉目秀麗で武芸に秀で父母の愛を一身に受けて育ち…祈願の通り???そして、7歳にして武芸に習熟し、13歳にしてインドラ神の夢のお告げで『パーンチャーン(CHAANG PHAAN)』という名前の神霊の宿った白象を手に入れました。インドラ神がプロームマクマーンの夢枕に出て白象入手の方法を告げる場面とプロームマクマーンが手下の少年たちを連れて川に行き、その白象入手の場面も面白いのですが、長くなるので省略します…御免ね。
どうやらタイ族も聖なるものは白くなければならない、と考えていた見たいね。チエンマイ建設神話にも白い鹿が出てくるし、ラムプーンの伝説には白い鶏まで出てくるのよ…
そして、コーム駆逐の為に日々手下を集めて軍事教練に励み、自信がつく頃父にコームへの貢納を止めさせました。コームへの朝貢を一方的に停止してしまったの…エライヨ…僕。当然コームが怒ることが予想できましたが、プロームマクマーンは意に介しませんでした。
貢納停止が3年に及ぶプラオン・パンに怒りを覚えたコームは、終に征伐の軍を挙げました。時にプロームクマーンは僅か16歳の少年に過ぎませんでした。でも、昔の男の人は今の男性よりも逞しかったのね…。でも未だ子供のプロームマクマーンは意に介することなく、至玉の神霊が宿った白象に跨り、仲間を率いて迎撃に出てコームを蹴散らしてしまいました。
なんか日本の義経みたいだし、貢納を止めさせたのは、遥か後世のパヤー・クーナーがホーに対する貢納を止めたのに似ています。それほど自信に満ち溢れていたのでしょうね。その当時は。
敗れたコームは、占領していたムアン・ヨーノックを捨てて南に逃げて行きましたが、プロームマクマーンは追撃の手を緩めることなく容赦なく攻め続け、殺し続けて留まることを知りませんでした。彼に疲れはなく、休息もなく、ただコーム殲滅だけしか考えていなかったらしいの…まるで…鬼ね。
それを見たインドラ神が今度はびっくりしちゃって、このままだとコームが全滅してしまうと、建設の神様ヴィシュヴァカルマンに命じてプロームマクマーンの南下を妨げる壁を作らせました。その壁は神が創ったもので、さすがのプロームマクマーンもそこを超えて行くことは出来なかったといいます。伝説ではコームたちは遥か南の大海まで落ち延びたといいます。
それでコームは辛うじて全滅を免れた…とさ。良かった…良かった。
そのプロームマクマーンの南下を妨げた神様の壁?そこは、今では町となって残っています。
その町?決まってるでしょ、カムペーンペット―金剛の壁―よ…でも本気にしないで下さいね。カムペーンペットの皆さん。所詮は北の伝説なんですから…。
そこで、プロームマクマーンはやむを得ず引き返してきて、父を呼び寄せると元のムアン・ヨーノックの町を統治させ、自分はコームの逆襲に備える為に南に新しい町を作りました。それが今の『チャイプラーカーン(CHAYPRAAKAAN)』。チエンマイ県のずっと北、ビルマとの国境近くにあるでしょ。
こうして、古都を奪い返したタイ人は自由と独立を取り戻し、プロームマクマーンはタイ人初のコーム駆逐の栄誉を受け、タイ人の町に平和が訪れました。
現在、この北部タイがタイ人の国となっているのもこのプロームマクマーンの活躍のお陰…?…なのかしら…?
(続)
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