|
天孫降臨物語(2)−釈尊の予見−
そんな昔の御伽噺のような伝承本を読んでいるとね、出だしに分けの分からない(御免なさい…あたしにバーリー語、サンスクリット語の経文の知識がないから分からないだけなんですけど…)呪文・経文がしばしば出てくるんですよ。そして時として御釈迦さんの出自が始まり、その流れの中で本題が述べられていたりするんです。
そうなんです。伝承作者は敬虔な仏教徒で、その影響がこうした伝承本の中に流れ込んでくるんですね。英雄の出自を御釈迦さんに関連つけるのが好きなんです。当地では、公式の正確な歴史記録・王朝記録というのは寡聞にして見たことがないの…あったら誰か教えて…それとも世間でいう『伝承本』を正規の本だというのかしら?
伝承の中に様々な形で釈尊が出て来るの。
釈尊はこの地方の各地に足跡を残し、毛髪を残し、予見を残しているのね。それほど伝承作家の時代には仏教が人々の生活に入り込み、信じ込み、現実と伝説の区別がつかなくなっていたのでしょうかネェ。
伝承を創作した人々にとって釈尊は超人であり、はるかかなたのインドの王舎城とこのラーンナーの間を瞬時にして移動することが出来たのです。これは、知恵第一と呼ばれた釈尊十大弟子の筆頭摩訶迦葉尊者も同じで、釈尊の予見を伝えるという役目を負ってこの地に来ています。ともに中空を飛翔してくるんですよ。釈尊自身はそうした神秘の力を現すことに否定的だったと思うんですが…
まあ、そんなことは兎も角、釈尊は時には多数の阿羅漢たちを伴ってやって来ました、とさ。それは、今も各地に残る仏足跡の伝説にも伺えますね。時には朝来て夕方に帰る事もあったようですよ。
西暦1973年のプラヤー・プラキッチャコーンチャック版の『ヨーノック王朝年代記』では『タイ時代のヨーノック編』の中で『仏陀の予見について』という章を割いているのよ。
その中で『チャーンセーン』の由来を述べているの。面白いわよ…
そうよ、この『チャーンセーン』の名前の由来なのよね。だけど、釈尊の予見なしには語れないのよ…残念ながら。
大悟して17年目のある日、『ヨーノック王朝年代記』ではお釈迦さんは何を思ったのか、例によって多数の従者を伴って東方遥か彼方のヨーノックに飛翔して来たと言い、『ムアン・チエンセーン伝』では一人やって来て既に来ていた摩訶迦葉尊者たち弟子500人と再会したとも言われているんだけど、ウィアン・パントゥシンハナワット、即ち、ヨーノックの西方2キロの郊外に聳えるドーイ・ノーイという山にやって来たの。
またまた余談なんですが…書くことがないから余談ばっかりで紙面を潰すのがあたしの悪い癖なの…御免なさいね…お釈迦さんは托鉢とか信者から呼ばれたとか、特別のことがない限り山にいたのでしょうかね。インドでも王舎城郊外の霊鷲山の頂で瞑想に耽り、説法した、などと言われていますよね。
今のような立派な寺院なんてお釈迦さんが見たらびっくり???一切の所有欲を捨て自らの頭髪さえ切ったお釈迦さんが、これでもか…これでもか…と豪華絢爛な伽藍に住むことを考えたのかしら?
そんな現世のことには関わらず、昔のお話の中に浸りましょ。
釈尊の訪問を伝え聞いたシンハナワットは喜び勇んで釈尊をお供の阿羅漢たち共々自らの王宮にお迎えして、食事を調えて持て成したの。ということは、釈尊は朝食前だったようですね。何しろ、お釈迦さんは朝托鉢で得た食事を食するだけで、決して蓄えたりしなかったみたいだから…一日一食だったみたいね…この地の伝承本ではシンハナワットが釈尊と同時代であることは、彼の兄が当時の王舎城の城主ピムピサーンである、ということになってはいることからも分かるんですけどね…勿論仏伝にシンハナワットの話しは出てこないでしょうけどね。
偉大なる人は何か常人とは異なる異様な雰囲気・空気を周辺に放出するのでしょうか、それとも霊的な何かが自然とその身を包んでいるのでしょうか。釈尊がやってくると、シンハナワット王の御料象が釈尊の威光に驚いて大声を発して北に向かって駆けて行った、というのよ。これも『ムアン・チエンセーン伝』ではね、釈尊に驚いたシンハナワットの象が突然立ち上がると東北方向のカラナティー河、即ち、メコン河に向かって駆け出し、菩提樹の木陰で大きな声を発したというのね。
そして、そんな象の姿を目にした釈尊が口元を綻ばせるのを見た摩訶迦葉尊者がそのわけを尋ねると、釈尊は静かに答えたものよ。将来、一人の王が出現して、今象が大声を発した場所に国を建設するであろう、そしてその国は、象が啼いたことにちなんで『チャーンセーン』と名付けられるであろう、と予見しました…とさ。
この名前も『ムアン・チエンセーン伝』では『チャイブリー・シーチャーンセーン』と名付けられ、将来『チエンセーン』と名前を変えるであろう、と予見したようになっているのだけど、『ヨーノック王朝年代記』では単に『ムアン・チャーンセーン』となっているだけで、それが『チエンセーン』に代わるとまでは予見されていないのよ。
ちなみに、以前の書庫では述べていませんか…ネ。『プラヤー・シンハナワット』なんですが、彼はとても長命で、御年18歳より王位に就き、在位102年120歳の長命で崩御した、というのよ…すごいでしょ…
(続)
|
こんにちは。
私は特定の宗教を持たない者ですが、
聖書や神話に興味があり、この向くままに読んでます。
西洋の聖書やギリシャやローマ神話って世界中に知られているのに、
アジアの話ってそれほど知られていませんよね。
お釈迦さんも飛んだんだ〜!というのが今の感想です。
タイは今も仏教がが主なのですか?
何も知らないので・・・
2009/2/15(日) 午後 1:50
むうまさん。
コメントありがとうございました。
タイは表面的には95%の国民が仏教とだといわれていますね。
ただ大乗仏教といわれて菩薩道を目指す日本の仏教とは違って、僧はひたすら釈尊の後を追って自らの悟りを開くことを目指す、と言われていますから、大乗仏教からは『小乗(小さな乗り物=小さな器)』と批難されるんですが、最近では上座部仏教、南伝仏教とか言われますが、正しくはテーラヴァーダ仏教でしょうね。
コチラの古い伝承は全てといっていいほど釈尊の話から始まって、頭を撫でて髪の毛を一本とり、願いを掛けて岩の中に沈めるとかの釈尊の奇跡、その地での見聞を元に将来その地に国が出来るとかの予言をしたことにして地名の由来にしたりしますね。ですから、朝インドから飛来してきて朝食を摂り、その日の内にインドに飛んで帰るなんてこともしばしばです。
楽しいですよ。
2009/2/15(日) 午後 3:50 [ mana ]
それではインドとは精神的に近い国なのですね。
学校で大乗とか小乗の言葉は習いましたが
そういう意味だったんですね〜。
目から鱗です。ありがとうございました。
またおじゃまさせていただきますね。
2009/2/15(日) 午後 4:12
おうまさん。
ご理解いただけてうれしいです。
あたしもまだまだ勉強中ですので、宜しくお願いいたします。
2009/2/15(日) 午後 4:58 [ mana ]