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天孫降臨物語(5)−神の子ラワチャカの降誕−
インドラ神から人間世界に降臨してラーンナーの国を統治しなさい、という話を聞いた『ラワチャカ(LAWACAKA)』がいよいよお話に登場してきます。結論を言えば、チエンマイの町を建設したパヤー・マンラーイは、このラワチャカを始祖とするンガーンヤーン王国(AANAACAKR NGAAN YAANG)の第25代目の正当後継者と言うことになっています。お話ではね。だからチエンマイは神の子の子孫が作った町ということになります。
こうして神話世界から現実世界に降り立った神の化身が出現しましたよね。王族でないとはいえ、神の化身ですから立派に国を統治する資格がありますよね。むしろ、王族以上かも???
国の建国者、統治者の正当性を裏付ける為の伝説ですからね。
父母もなく過去世の業を因として生を受け、天上より降臨してきた神の名前は、『ラワチャカ(LAWACAKA)』といいますが『ラワチャンカラート(LAWACANGKRAACH)』という名前も出て来るし、『ラワチョン(LAWACONG)』なんてのも見たことがあります。もうタイヘン。タイ語読みか、サンスクリット語読みか、それともバーリー語読みか…
ラワチャカは、インドラ神の命を受けると、『佳き哉』と応えたそうです。横柄な態度ね。
でも天上世界からどうやって人間世界に…?
かつて、プロームマクマーンのお話の際に、ウィアン・シートゥアンの一人の沙彌がコームの王の態度に立腹して仏舎利塔に願掛けした話をしました。その時、沙彌はプラヤー・パンの后の胎内に生まれ変わることを祈願しました。
では、インドラ神に人間世界に生まれ変わるよう命じられた神の子はどのように生まれ変わったのでしょうか?神の子に父母はいません。父母なくして過去生の業を因として生まれ変わったのですね。所謂『化生』です。
そのラワチャカは千人もの従者を引き連れて天上より『ケートゥ・バンポット(KEETU BANPHOT)』の頂に降りて来た、と各種伝承は伝えています。しかし今ケートゥ・バンポットと言う名前を口にする人々は地元の古老の中にすらいないか、いたとしても極少ないのではないでしょうか。その山を現在では『ドーイ・トゥン(DOOY TUNG)』と呼んでいます。現在、その山にはタイ国王母の離宮があることでも有名で、今のタイ人でその名を知らない人々はいないくらいに有名です。そのドーイ・トゥンと言う山は、チエンラーイからビルマとの国境の町メーサーイに向かう途中にありますよね。そして、その頂には古い二つの仏塔があることでも有名です。この仏塔に関してはいつかお話できたら…と思います。
でも、天上の神の世界から下界にどうやって降りてきたのか?となると、伝承は一致していないようです。『十五代王朝伝』『プーンムアン・チエンマイ伝』そして『王朝物語伝』にあっては、銀の梯子を天より掛け渡して人間世界に化生した、となっています。一方『ヨーノック王朝年代記』にあっては、人間世界に降臨した手段を具体的には述べず、単に千人の従者を伴ってケートゥ・バンポットの頂に現れ、そして山の頂より銀の梯子を伝って麓に下りてきたとなっています。
ドーイ・トゥンの頂より降りてきた神の子達は、美々しい装飾品に身を飾り、麓の『ムアン・チャイウォーラ・ナコーン(MUANG CHAYWOORANAKHOR)』、即ち、『ムアン・チエンラーウ』のサーイ河の辺のナツメの木の木陰に茣蓙を敷いて鎮座した、と伝えられています。
突然出現した千人もの高貴な若者たちに、人々が如何に驚いたか容易に想像できますが、伝承の中にもその時の人々の驚きの様子が伝えられています。
『王朝物語伝』では、一点の非の打ち所もない若者たちの姿を目にした人々は、何処からやって来たのか、と不審に思い、銀の梯子を目にした人々は眩しそうに見上げ、中には不謹慎にも梯子を上ろうとしたものまで出たそうです。
そして、『ヨーノック王朝年代記』によれば、人々は、寄集って協議し、この不思議な16歳の若者を招請して王位に就け、聖水を頭に注いで灌頂をなしてチャイウォーラ・ナコーン・チエンラーウの王とし、ラーンナー57ムアンの王とし、『ラーワチャッカラ・テーワラート(LAAWACAKRA THEEWARAACH)』と名付けた、と言うのです。
しかし、『プーンムアン・チエンマイ伝』では、その名前が『ラワチャンカラ・エ−カラ−チャ(LAWACANGKARA EEKA RAACHA)』となり、『十五代王朝年』では『ラワチャンカ・エ−カラ−ト(LAWACANGKA EEKA RAACH)』に、そして、『王朝物語伝』では『ラワチャンカ・エ−カラ−ト(LAWACANGKA EEKA RAACH)』と呼んでいます。こうした僅かな違いは殆ど無視できそうだし、意味は全く同じです。
あたしは『ラワチャンカラート』と呼びたいわ。何となく。
そして、この頃から史実と伝説が複雑に絡み合い、時代考証が難しくなってきます。歴史学、考古学、古文書学(?)の手法を用い、あらゆる原資料を拾い集めて精細に解き明かし、克明に付き合わせ、そこに航空写真を駆使し、しかも、足蹴く現地を訪問してその場所を目で見、移動経路を確かめていけばそれなりの答えが出てくるのでしょうね。でも、所詮狭い部屋の隅に蹲り、古い本の埃に塗れて想像を逞しくするだけの書籍にこびり付いた虫、歴史素人のあたしにそんな大それたことなど出来ません。…ごめんなさい。
(続)
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*失礼します!
天然素材の装飾品 ,カバノアナタケの塊です~~
2009/4/17(金) 午前 11:22 [ 木皮のぬくもり ]