チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

天孫降臨物語

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天孫降臨物語(6)−ラワチャカって誰?−

以前のシンハナワット伝は、殆ど神話の世界、伝説の世界ですが、今見ているラワチャカに始まるお話は、そこに後世の史実に緊密に結び付いている何がしかの事実が潜んでいるからなおさら面白いけど、まただから難しいの。いくつもの系統の伝承が複雑に絡み合っているのではないかしら、と勝手に想像して苦しんでいます。本格的な考古学、歴史学、古文書学の手法を用いて一つずつ疑問点を解いて行かなければならないのですが、あたしには到底無理なことですから、幾冊かの『伝承本』を頼りにあたしなりに想像の世界を旅してみたい…と思います。

実は、かつて『水底に消えた王国』の中で言及した『ムアン・チエンセーン伝』の中では、思わぬ所で『ラワチャカ』と言う名前が出て来ていたんです。『シンハナワット』が王舎城より東に向かった長い旅の末にムアン・スワンナコームカムを対岸に見る地に到着すると、そこで『ドーイ・ディンデーン(DOOY DINDEENG)』にいる蛮人ミラックの上に立つ『プー・チャウ・ラーワチャックラ(PUU CAU LAAWACAKKULA)』と出会ったと言うのです。
同じ論調で『ヨーノック王朝年代記』では、『シンハナワット』がこの地にやってきた時、『ドーイ・ディンデーン』と呼ばれるところに『ラワチャカ』と言う未開の部族の長がいた、と言うのです。
そして、ヨーノックに来た釈尊は、『プー・チャウ・ラーワチャカと言う名前のクン・ルアッ』の村に托鉢に行ったと言います。
ついで、シンハナワットの孫『プラチャウ・アチュッタラート』の時代、仏舎利の安置場所としてラーワチャカ夫婦より黄金一万金でその地を譲り受けたと言います。この間約40年です。
しかも時代もずっと古い、釈尊と同時代もしくは、やや遅れた時代になります。
どうやら、『ラワチャカ』と言うのは何人もいるようですが、こうした話の基調には、この『ラワ(LAWA)』という言葉が『ルアッ(LUA)』から来たと考えることからこうした発想が出るのでしょうが、この両民族は別だと考える方が自然でしょうね。
むしろ『ラワ』『ラーワ(LAAWA 又は LAAW)』に変化したと考えるほうが楽しいですね。そうすると、現在の『ラオス(LAAW)人』の祖がここに見えてくるのではないかしら。

考証したわけでも、十分な資料を読んだわけでもありませんが、全くの愚見・暴論としては、かつてこの辺りに先住民がいたのでしょうが、文字のない時代のことですから、彼らの歴史は当然ながら残っていませんし、また歴史を語るほどの文化もなかったでしょう。ただタイ族の伝承の中で『ルアッ』として残っているのでしょう。そうした民族、部族はこの北部の山間盆地の至る所に居を構えて狩猟採集生活を続けていたでしょう。
後年何処からかこの地に移動してきた人々は、先住民の部落と共存しながらも少しずつ勢力を増し、終にはコームの一族を追放し、他所から入ってくる民族に先住民の『ルアッ』は抗する力を持っていなかったのかも。
あの水底に沈んだ民族と天孫降臨説話を持つ民族が共にタイ族であることを強調していますが、民族移動が一度ではなく、幾波にも亘ったとすればあり得ることではあります。そして降臨説話により自らの支配の正当性と種族の優越性を強調したのかもしれません。
『ラワチャンカラート』とも呼ばれるこの『ラワチャカ』は、決してルアッ族ではなく、移動してきた民であったのでしょう。
『ルアッ』と呼ばれる先住民は、今のラムプーンがハリプンチャイと呼ばれていた時代、その指導者が遥か南のロッブリーから招請されたとされる初代の統治者である女王のプラナーン・チャーマテーウィーに懸想して戦争を仕掛けて敗れた、と言う話が残っており、そこでは飽く迄も未開の民でチャーマテーウィーのハリプンチャイ軍に散々な目に遭わされています。チエンマイに伝わる伝承の口調の中には蔑みさえも見られます。もしもタイ族であるとすると、タイ人の歴史伝承の中でそんな不名誉な出来事は残さないでしょう。伝承・歴史は勝者が作るものでしょうから…
『ラワチャカ』は、今の北部に住むタイ人の祖であり、いわゆる『ヨーノック』とも『ユアン』とも呼ばれる『タイ族の一派』だったと考えるのは無理かしら。タイ人と言う場合には、十分に注意しなくてはならないみたいなの。
タイ人はいくつもの部族に分かれて夫々が独自の国、文化を形成して行ったらしいのね。そんな中で夫々が独自の文化を発展させていったのね。何しろ、かつては文字さえ異にしていたのだから。ただ、残念ながら昔ながらの地元言語を話す人が少なくなってしまったみたいで、古い伝承本の中に記された言葉を理解出来ないチエンマイ生まれ育ちのタイ族の人がいるのだもの…。
とはいえ、彼ら幾多の部族もその大昔は同じ地域に住し、同じ言語・文化を共有していたのでしょうけどね。
バンコク、アユッタヤー、スコータイのシャム族だけがタイ人ではなく、インドのアホーム、ビルマのタイ・ヤイ、北部タイのユアン、ラオスのラーウ、ベトナムのシップソンチュタイの人たち、誰もが等しくタイ人なのよ。
しかも、中国に『チュワン』と読むのでしょうか、壮族自治区があるそうですが、彼らこそタイ族の末裔なんですよネ〜。でも、そのあたりは古い昔には、呉越同舟と言う言葉で有名な呉国、越国があった場所じゃないのかしら。そういえば、三分の計で四川に拠ろうと南下して来た三国志で有名な諸葛孔明と戦闘した、と言う説話がタイ族の中に残っているんですって…。
今でも雲南の西双版納にも多くのタイ族がいるみたいね。彼らは『タイ・ルー(THAYLUU)』と呼ばれて今のタイ北部に連れて来られた人もたくさんいるんだけど、まだまだ多く人たちが中国国内に残っていて、面白い説話を持っているのよ。そんなタイ族の祖を尋ねて古い神話時代の中国にまで遡るのもまた楽しいのでしょうけど、それは余りにも霧の彼方を望むことになるので、あたしの能力を遥かに超えているの…

(続)


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