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天孫降臨物語(7)−ドーイ・トゥンのお話−
とにかく、ラワチャカを頭とする一団が現れて勢力を増して行った事は間違いないでしょう。降りて来た『ドーイ・ケートゥ・バンポット(DOOY KEETU BANPHOT)』と言うのは今の『ドーイ・トゥン(DOOY TUNG)』なんですよね。このお話に出てくる『ドーイ・ケートゥ・バンポット』も『ドーイ・ディンデーン』も今では余り使われなくて『ドーイ・トゥン』と言う名前が広まっているのね。
ここに出てくる『ドーイ・トゥン』と言うのは、チエンラーイとチエンセーンの間にある山の名前で、『ドーイ』と言うのは北部タイの言語で、現代タイ標準語で言う所の『プー・カウ(PHUU KHAU)』と言う言葉と同じく『山』を意味しますけど、一般的には方言のままで山の名前に冠して呼ばれています。チエンマイの郊外にある聖山ドーイ・ステープを知らないタイ人、もしくは当地在住の人はいないでしょう。北部タイでは、山の名前には必ずと言っていいほどこの『ドーイ』がついています。と言うか、ドーイ以外の言葉のついた山を寡聞にして知らないの。
『トゥン(TUNG)』もまた北部の方言で、現代タイ標準語では『トン(THONG)』となり、その意味は『旗』です。従ってこの『ドーイ・トゥン』と言うのは、無理に日本語に訳せば『旗山』の意味です…よね。
そこには二つの仏塔があることで有名で、寒さを求めて(?)バンコクからこの山に登る人たちがいるの、ご苦労様。
ドーイ・ステープよりも昔はここが聖山だったのでしょうか。ドーイ・ステープも古い伝承本に出てきますが、ドーイ・ステープが神聖である、と言うのはチエンマイ建国の話に出てきますが、それはずっと後のことです。
伝承を読むと、インドラ神の命を受けて天上世界から人間世界に降臨することになったラワチャカは、1000人の従者と共に16歳の若者になって『ドーイ・トゥン』の頂に降り立ち、そこから『ムアン・チャイウォーラ・ナコーン』と呼ばれる『ムアン・チエンラーウ』に来てイヌナツメの木陰に茣蓙を敷いて鎮座したことになっています。
そして、伝承本をそのまま信じると、ラワチャカの降臨は小暦元年、即ち、仏暦1182年となりますが、これは如何考えても早すぎるでしょう????
では、この『ドーイ・トゥン』はどのようにして神聖な山になったのでしょうか。
ちょっと寄り道してみましょう。
時に、遠くインドでは、摩訶迦葉尊者が自らの入滅の近いことを悟り、仏舎利をもって空中を飛翔し―ホラ、また出たでしょう―シンハナワットの孫である3代目王の『プラヤー・アチュッタラート(PHRAYAA ACHUTYRAACH)』の時代にヨーノックにやって来ました。アチュッタラート王は、仏舎利を金の壷、紅玉の壷に納めて、炒り米、金銀の花、旗、傘蓋で供養して行列を作り、『ドーイ・ディンデーン』に向かいました。
摩訶迦葉尊者はかつて釈尊が腰を下ろした―と北部の伝承は伝えています―岩の上に仏舎利を納めた壷を安置して岩の中に沈み込む様に願を掛けると、アラ不思議、ヨーノックの全員を照らし出すかのような不思議な光が満ち溢れて7日7晩にも及び、そうして岩の中16メートルの深さに沈み込み、摩訶迦葉尊者がその石の右に長さ14キロ、幅800メートルの旗を立てた、と言うのです。とてつもなく大きな旗―そうです、これが『トン(THONG)』、即ち、『トゥン(TUNG)』の謂れ―ですね。これによりこの山は『ドーイ・トゥン―旗山―』と呼ばれて今に至っている、と言うのが前掲の『ムアン・チエンセーン伝』のお話。
『ヨーノック王朝年代記』でも略同じ内容が伝えられているのだけど、『プーンムアン・チエンマイ伝』『十五代王朝伝』にはこの部分がないみたいなの。
これに対して、『ラーンナーの伝承集」の中に納められている『シンハナワット伝』では、シンハナワット王朝の『マンラーヤナ・ラートチャウ(MANGRAYNA RAACHCAU)』の時代にドーイ・トゥンの住人ラワチャカ夫婦から山を譲り受けて仏舎利塔を建立したことが記されており、ラワチャカ夫婦は、その後も仏舎利塔守護の為にそこに留まったと言うのです…
ラワチャカは仏舎利塔守なの???神の子なの???
一方『ヨーノック王朝年代記』では、大悟して仏陀となって20年といいますから、仏暦前25年のことになっちゃいますけど、釈尊がヨーノック国にやって来たらしいんです。この時に『プー・チャウ・ラーワチャカ』を祝福し、『ドーイ・ディンデーン』、即ち、『ドーイ・トゥン』は、将来、仏舎利を安置する大塔の建設場所となるであろう、と予見したと言うの。しかも、『クンパクーハー洞窟(THAM KUMPHKHUUHAA)』に聖水を飲みに行き、『プレーウプローンファー洞窟(THAM PLEEWPLOONGFAA)』に毛髪を安置したことになっています。これが『ドーイ・ケートゥ・バンポット(毛髪山)』の謂れかしら?
勝手に想像すれば、山の頂に仏塔を建立した際釈尊の予見話を作り出し、その霊験有らしめる為に誰もが見えるように大きな旗を山の上に立てたのではないかしら???そうした謂れがあるところに高貴は人たちが現れた、もしくは、突然出現した人々は自らの出自を高貴なものとする為に様々な伝説を作り出していったのかしら…
ただ、今山頂には二基の仏塔がありますが、当初は見て来たとおり一基で、二基目の建立についてはここでは関係ないので触れません…というか、資料が手元に見付からないの…どこか行っちゃった…
(続)
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