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カントーク・ディナー
閑話休題−107−
人と動物の結び付きは、有史以来深いものですが、そこに出てくる動物はその民族の周りに通常見られるものなのでしょう。共通するものもあれば、まったく日本の昔話には出てこない動物もあります。人々は、そうした動物を観察してその特徴を覚え、日常生活ではそれが生活の知恵となり、物語の中では、それぞれの動物の役割・性格に反映されます。
猿蟹合戦、狐のお話、かちかち山の狸、わが郷里讃岐の禿狸、それぞれに面白いものですが、ここには象が出てくることはありません。ところが、日本人は案外に早く象を目にしていたのでしょうが、鳥獣人物戯画の中に象らしい動物の絵があると言われ、その後もいわゆる献上品として幾度か東南アジアより日本に送られてきているようです。しかし、何といっても象といえば「群盲象を評す」という諺でしょうか。象の実態を知らない盲人三人が、それぞれに象の鼻、脚、胴に触れてそれぞれ象とは…と評するのですが、正しくはありませんが、すべて間違いでもないですね。
そんな動物たちを観察しながら、夫々の性格を表すのですが、そこに民族性が感じられるようです。
日本にははるかな昔、因幡の白ウサギがいました。このウサギは和邇を騙して皮を剥がれ、八百神に罰せられ、最後に大穴牟遲神に助けられます。では、タイの昔話の中の白ウサギはどれほどうまく騙すのでしょうか。
ウサギ・・・あんたは偉い?
タイの昔話に出てくる動物も日本の動物と同じように言葉を話します。しかも種族を超えて通用する共通の言語をもっていたようです。そんな彼らは仲良く、互いに喧嘩などすることなく平和に暮らしていたといいます。それが釈尊の時代であれば尚更でしょう。
大きな動物は、小さな動物をいたわり、小さな動物は大きな動物を敬していたのでしょう。ある日のことです。森の中の猛者ともいえる虎と象が仲良く揃って歩いていました。どうやらこの二頭は気が合うらしく、しばしばこうして森の中を散策していたようです。その頃、森の中にはコオロギ、キリギリスなど小さな虫たちの鳴き声が響き渡って煩いほどでした。そんな仲のいい二頭ですが、煩いほどの虫の鳴き声に辟易した二頭は、どちらが大きな声を出して、あの煩い虫たちを黙らせるか、ということの言い合いになり、互いに自分こそがこの森の中で一倍大きな声を出すと言って譲りません。
そこで、二頭は吠え比べをして、煩い虫たちを黙らせた方を勝ちとすることにし、負けた者は勝者の餌になる、そんな途方もない賭けをしました。まず、虎が両脚を力の限り踏ん張り「ウォー…ウォー…」と天に向かって叫ぶと、森中の生き物という生き物は息を潜め、広大な森が一瞬にして沈黙の世界に変わりました。そして、しばらくの後、森にはまた同じような虫たちの喧騒な鳴き声が満ちました。虎は、意気揚々と数歩横に移って象を促します。象もまた渾身の力を振り絞り、長い鼻を上に上げて「ウァーン…」とやや甲高い声で叫びましたが、虫たちの泣き声が鎮まることはありませんでした。
象の負けです。今にも虎が約束通り象に飛び掛かろうとしますと、「虎さん…7日だけ心の準備の時間をくれ」と7日の猶予を求め、虎も了承しました。7日の後にはない命です。象はそれを如何に解決するのか昼夜を分かたず考えても虎の餌になることから逃れる術を見出し得ませんでした。好物のバナナを見ても食欲もなく、水辺で遊ぶ仲間を見ても一緒に遊ぶ気力もなく、日々生気を失っていくばかりでした。
かくして5日が経過しましたが、どうにも考えつきません。
そんな時です。旧知の小さなウサギが飛び出してきました。ウサギは、いつも堂々としている象が力なく、心なしか痩せてさえ見えると、つい心配のあまり聞いてしまいました。
「象さん…どうしたんだい。しょんぼりして、元気ないじゃないか」
「困っているんだ」
象の声はもう話す力さえないほどにか弱いものでした。ますます心配になったウサギが重ねて尋ねました。
「何を悩んでいるんだい、もしも俺で出来ることなら何でも手助けするよ」
そこで、象は虎との賭け事を話しました。
「実は、5日ほど前に虎さんと吠え比べをしてね。負けたんだよ」
「5日ほど前…そういえば、森中の木々が揺れる事件があって虫たちが驚いていたっけ」
「そうさ、あれは虎さんとの吠え比べだったんだが、負けたんだよ」
「…」
「それで、虎さんに食べられることになったのさ。虎さんは、明後日にはおれを食いにやってくるのさ。だから怖くて何もできないし、生きる力さえないのさ。」
「なんだ…そんなことだったのか」
ウサギの声は思いのほか明るく、象の心配など全く意に介していませんでした。明るく象にいいました。
「簡単なことだよ…象さん、あんたは、何とか100キロの石灰を用意できるかい」
「まあ、出来ないことはないけど…」
半信半疑で答える象に「明後日ここで会おう」それだけ言うとどこへともなく森の中に消えました。
約束の時間、象が用意した100キロの石灰を象の全身に塗りつけて真っ白にしてしまったウサギは。象の首の上にチョコンと飛び乗ると、虎さんが出てくるのを持ちました。
「象さん、絶対に動いちゃダメだよ」
象の背から眺める森の様子は驚くほど広いものでした。そんな広い視野の中に虎の姿を捉えました。悠々と近寄る虎さんを見ながら、威儀を正した白ウサギが一言誰にともなく告げて言いました。
「象を食べてみたが、今一つ腹が膨れない。一つ次に虎でも食ってみるか…」
それを聞き、全身真っ白の巨大な壁のように立ちはだかるウサギを見た虎は、その異様に膨らんだ腹の形が象にそっくりであることから、ウサギの言葉をそのまま信じました。全身に恐怖が走ると、「こうしちゃおれん…逃げるにしかず」一目散に駈け出しました。
森の中を疾駆する虎を木の上から見ていた猿が驚いて聞きました。
「どうしたんだい、虎さん…そんなに慌てて」
「奴は象を食っても食い足りず、虎を食いたいんだと」
象を食って尚虎を食べたい動物などこの森にいた試しがありません。猿がそこで虎さんに聞きました。
「奴って誰のことだい…良かったら話してくれないか」
「小さな奴なんだ。村の飯炊き用の鍋みたいなんだが、象と虎を丸呑みできるんだと」
そう聞いても、猿は信じられませんでした。猿の長老たちの話の中にそんな生き物がいまだかつて現れたことがないからです。
「試しに奴を見せてくれないか」
虎の背中に飛び乗った猿が言いました。それを聞いただけで既に虎の全身がワナワナと震え出し、背中から振り落とされそうになった猿は、思わず両手で虎にしがみつきました。
「猿よ、お前は危険になれば木に飛び移れば安全だが、俺は食われるんだぞ」
「大丈夫さ…逃げたりしないから…虎さんの背中にわしの体を縛りつけよう」
猿は、近くの木から一本の細い蔓を千切ってくると、自分の体を虎さんの背中に縛り付けました。
そこまでされるとさすがの虎さんも逃げることもならず、恐る恐るあの白い化け物に出会った場所に向かって行きました。森の中に響く虫たちの泣き声すら、虎さんを憐れんでいるように聞こえると、虎は生きた心地がしませんでした。
やがて、先ほどの場所に来ると、あの化け物がまだいました。
「象を食っても食い足りん。あそこにいるのは、虎と猿か。よし、今度は虎と猿を食ってみよう」
その声を聞くと、虎は背中の猿のことなど忘れ、心臓が減り避けるかと思うほどただ只管その場を離れようと駆け出しました。トラの背中では縛られて自由を失った猿の体が前後左右上下に激しく揺れると、あちこちの木々に頭を打ちつけ続け、ボコボコ、ゴツゴツという異様な音だけが虎の後を追ってきました。
どれほど駆けたのでしょうか、風景すら一変して森を出ていました。
背中では、猿がぐったりして背中にもたれかかり、その目は大きく見開かれ、牙を剥き出してさえいました。
猿がすでに死んでいるとも気付かず、虎が言いました。
「こいつめ。笑ってる場合か…俺はクタクタで死にそうなんだぞ」
この物語は、虎さえコウトンモンの言葉を知っている、ということを言っている。そういうのですが、ならば、この話はずいぶん新しいものです。
早い話が、その場の雰囲気を一瞬に和める、ということでしょうか…???????
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著「ラーンナーの民間伝承物語」に収蔵されている「虎、象、兎、猿」より題材をお借りしました。
冒頭の写真は、カントーク・ディナーという北部タイ・ダンスを見ながらの食事に供されるものですが、写真にある御膳?をカントークと呼びます。
動画は、チエンマイの某カントークディナー・レストランで演じられているクジャクの舞です。
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マミア
落穂拾いー(16)
血の結び付きというのは、大変に強いもので、血の中には無限の過去より受け継いて来た歴史・文化が溶け込んでいるものです。同じ民族であっても地域により文化にも味覚にも言葉にも性格にも違いが出てくるものですが、そうした違いを乗り越えて新しい文化・歴史と紡いでいくのが家庭であるのかも知れません。夫婦夫々の文化・歴史の背景を背負いながらそれを調和させ、新しい血の流れを子供たちに繋いで行くのですが、誰もそんなことは意識しないのでしょう。
かつてタイのロミオとジュリエットともいえる悲恋の物語をご紹介しました。それは、女性側の祖母の怨念ともいえる怒りの果て、相愛の三人の男女は、その従者ともども全身に矢を浴びて抱き合うようにして斃れました。国同士の争いの果てに愛し合う若い男女が愛の成就を見なかった悲劇でした。
歴史の中に潜む美しくも儚い悲恋物語を知るタイの人も少ないのですが、
もしも、愛し合う男女が敵対関係にある異なる民族であればどうなるでしょうか…
もしも、互いに相手の民族を不倶戴天の敵と思っているとすればどうなるでしょうか…
もしも、愛し合う男女が天と地ほどに身分の差があればどうなるでしょうか…
チャラン・マノーペットという今は亡きラムプーンのシンガー・ソング・ライターが歌う、民族の壁を越え、貴賎の壁を打ち破った男女二人の激しくも悲しい愛の悲劇を通じて、多くの国民は改めてこの悲劇の話を思い起こしました。
許されざる愛
今から100年余り前のチエンマイは、ラーンナー王国の首都とはいえ、独立自治の権限を有するとは言え、バンコクシャム王朝の支配下にありました。しかも、西方の宿敵ビルマはすでに英国の支配下にあり、その英国は森林資源を求めてラーンナー王国にその魔の手を伸ばそうとしている時でした。当時チエンマイの副王であった後のチエンマイ王朝最後の王チャウ・ケーウナワラットは、嫡男のチャウ・ノーイスックカセームを英語収得の為ビルマのモールメインのカトリック系パトリック校に送りました。王子は、当時まだ15歳に過ぎませんでしたが、同校は全寮制であることに加えて、モールメインにはチーク材取引を通じて懇意にしているビルマ人富豪ウー・ポータンの家があり、チャウ・ケーウナワラットとしても安心だったのでしょう。時に西暦1898年のことであったと言います。
一人、異国の全寮制のキリスト教系学校で学ぶ王子も週に一度の外泊時には、この富豪ウー・ポータンの家で寛いでいました。そんな寛ぎの時間の中には、歩いて10分ほどの地にある地元市場見学があったでしょう。王子が19歳になった頃、この市場で運命の出会いがありました。一介の煙草売りながら、一点の穢れもない天から舞い降りた天女にも等しい美しい15歳の少女マミアに出会いました。
スックカセーム王子
当時の女性の15歳は、もう十分に成熟した大人であったのでしょう。若い二人は、一目見たその瞬間に心に激しい恋の炎が燃え上がり、二人の全身を包みました。まさに赤い運命の糸に操られての出会いのようでした。その日を境に二人は王子の休日ごとに愛を確かめ合い、終には人々の信仰心篤い仏塔の前で変わらぬ愛の誓いをたてました。
「我が命の尽きるまでこの愛を誓い、もしも誓いを破る者には危難が及びますように・・・」
当時の人々は神仏を心から信じ、誓いを立てることはまさに文字通り命を賭けることで、この誓いの言葉ほど我が身を縛るものはなかったでしょう。
誓いの言葉は愛の証でした。しかし、会者定離は世の常。王子が20歳、マミアが16歳の時、学業を終えた王子はチエンマイに帰らねばならなくなりました。しかし、マミアを連れて帰ることには大きな障壁が立塞がっています。二人が民族を異にすることに加えて、あまりにも大きい身分の差。そして、それにも増して両親の許しを得ずに夫婦の契りを交わす慣習を破った罪の意識。
苦悩の果て、王子はマミアを男装させてビルマ人の男友達としてチエンマイに連れて来ました。しかし、父のチャウ・ケーウナワラットと母君は、チエンマイ王朝の重鎮であるチャウ・スリヤウォンの王女チャウ・ジン・ブアチュムをチャウ・ノーイスックカセームの知らないうちに許嫁としていました。
自らに許嫁がいることに衝撃を受けながらも、マミアとの隠れた愛は続きましたが、マミアを隠し続けることに苦しんだ王子は、両親にマミアが最愛の人であることを告げました。しかし、その愛が叶うことは王子の立場が許しませんでした。当時、チエンマイの第8代王チャウ・インタワローロットスリヤウォンが亡くなった後の後継王が決まってなく、甥に当たるこの王子が第9代目を継ぐのではないか、と推測されていたこともあり、又もしも王子がビルマの女商人を妃とした場合、人々の気持ちは如何だったでしょうか。また、マミアの生地ビルマは英国の支配地にあり、いかなる理由をつけてラーンナー王国の領土に魔手を伸ばして来るかもしれない危険な政治状況の中でマミアをチエンマイの王室に入れることはできませんでした。
チャウ・ジン・ブアチュム・ナ・チエンマイ
チャウ・ケーウナワラットはチャウ・ノーイスックカセームを呼び寄せると、マミアとの縁を切るよう申し渡し、マミアに心を奪われた王子から邪念を払う聖水を頭に注ぐ儀式が執り行われました。そして、マミアを送り返す象の隊列準備が命ぜられました。その夜、マミアは、同じビルマ人男女の説得の言葉を受け入れ、自らの存在が誰かを傷つけることに忍びず、身を引くことを受け入れました。
その日の朝、チエンマイの南、ハーイヤー門には、マミアを送る象の隊列ができていました。マミアと王子の恋物語とマミアの美貌を伝え聞いた住人たちが鈴なりになってその美顔を目にしようとやって来ています。連なる人の波に漂う雰囲気は、マミアの美貌をも曇らせる沈鬱なものでした。そんな人々の中で、チャウ・ノーイスックカセームは、ビルマの言葉で幾口もなくマミアに告げると、マミアは悲しみの中で腕に抱かれて泣き濡れました。どれほどの時間が過ぎたのでしょうか、王子がマミアにはっきりと伝えました。
「あの誓いの言葉は今も忘れない。三月以内には必ず迎えに行くであろう。もしも自分が他の女性と結婚するようなことがあれば、わが命にいかなる危難をも与えよ、たとえ命永らえることなくとも…」
その王子の誓いの言葉に応え、マミアは王子の前に膝まつくと束ねた髪を解き、王子の足をその髪で拭きました。そうして人目も憚らず、命を賭けた二人の愛の告白の後、マミアは象の背に乗り、生まれ故郷のモールメインに向かいました。彼女の懐には、チャウ・ケーウナワラットと妃のチャウ・メー・チャーマリーより贈られた金銀がありました。故郷に帰り着いたマミアは、ひたすら王子の迎えを待ち続けましたが、何の便りもないまま時だけが空しく過ぎて行きました。そして、期限を過ぎると、マミアは王子に対する愛の証として、髪を切り、仏門に入りました。
一方、その後まもなくバンコクのチャウ・ダーラーラッサミーに呼び出されたチャウ・ノーイスックカセームは、王女の館で最も美しいとされ、芸能の才に恵まれたチャウ・ジン・ブアチョムとの結婚を取り決められました。チャウ・ノーイスックカセームとチャウ・ジン・ブアチュムの婚姻を風の噂に耳にすると、矢も楯も堪らず、生涯を仏に捧げる決意を固める前に、愛する人の幸せを願い、寿ぐ為、かつこの世で会う最後の機会と王子の館を訪れました。しかし、結婚後もマミアの面影を忘れることが出来ず、マミアに対する憐憫の情を抑えることもできず、楽しかるべき新婚生活においても一時として幸せを感じることもないままに、酒に溺れる日々を送る王子は、マミアの求めに応じることもなく、舘から出て来ようとはしませんでした。代わって近従の者を遣わし金80バーツ(一説では800バーツ、当時の庶民の月の収入が約4バーツ)と我が身に付けているルビーの指輪一個をマミアに差し下しました。
愛する人の顔を拝することも叶わず空しく引き返したマミアは、失意の中で生涯を仏門に捧げ、西暦1962年75歳の長寿を全うしました。
一方、チャウ・ノーイスックカセームは、わずか7年の結婚生活の末、悲しみの内に西暦1913年に30年の短い生涯を終えました。
この二人の悲恋の物語を世に広めたのは、ラーンナーの文化を歌で伝え続けたチャラン・マノーペットでした。
"มะเมียะ(マミア)"
มะเมียะเป็นสาวแม่ค้า คนพม่าเมืองมะละแหม่ง
マミアはビルマの人、年若いモールメインの女商人
งามล้ำเหมือนเดือนส่องแสง คนมาแย่งหลงรักสาว
月の光の様に美しく、誰もが愛を求めてやって来る
มะเมียะบ่ยอมรักไผ มอบใจหื้อหนุ่มเชื้อเจ้า เป็นลูกอุปราชท้าวเชียงใหม่
マミアは誰の愛をも受けず、チエンマイの副王の若君に心を捧げた
แต่เมื่อเจ้าชายจบการศึกษา จำต้องลาจากมะเมียะไป
学を終えた若君は心ならずもマミアから離れる時来たり
เหมือนโดนมีดสับดาบฟันหัวใจ ปลอมเป็นพ่อชายหนีตามมา
心を切り裂かれる思いにも似て男に身をやつして付いてきた
เจ้าชายเป็นราชบุตร แต่สุดที่รักเป็นพม่า ผิดประเพณีสืบมา ต้องร้างลาแยกทาง
若君は王子ながら愛する人は慣習に反してビルマの人、別れねばならない
โอโอก็เมื่อวันนั้น วันที่ต้องส่งคืนบ้านนาง
ああ…彼女を実家に送り届けるその日
เจ้าชายก็จัดขบวนช้างให้ไปส่งนางคืนทั้งน้ำตา
王子は、涙を湛えて象の行列を取り揃えた
มะเมียะตรอมใจอาลัยขื่นขม ถวายบังคมทูลลา สยายผมลงเช็ดบาทบาทา
言葉にならない悲しみに身も心もやつれ果て別れを告げて髪を解いて足を拭く
ขอลาไปก่อนแล้วชาตินี้เจ้าชายก็ตรอมใจตาย มะเมียะเลยไปบวชชี
この世の別れ告げ、王子もまたやつれ死に、マミアは仏門に入った
ความรักมักเป็นเช่นนี้ แลเฮย....
愛とはこのようなものでしょうか…
(了)
参照サイト:
ภาพเชียงใหม่ในอดีต 02チエンマイ古の画像
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何とか修理完了?
先週末、突然PCに変調が起き、そのまま使用を中止しておりましたが、月曜日に販売店に持ち込めば、「預けておけ」とのつれない返事。怒りを抑えて「明日一番に再度持ち込む」と宣言して持ち帰り、火曜日に約束通り持ち込みました。この間なすこともなく、イライラしながらひたすら不貞寝の日々…
火曜日朝にPCを受け取ったセールスエンジニアは、PCを起動させてすぐに「ウィールス感染です。WINDOWのロードし直しです」。そこで気がついたのは、昨年も同じようにウィルス感染と言われてロードしなおした経験があり思い出して言うと、なんと、その時ロードしていたアンチ・ウィルスのソフトが期限切れのままUPDATEされていませんでした。しかも、日付を見ると、ロードして間もなくの事のようです。つまりウィルス対策なしでインターネットに関わっていたことになります。
かくてWINDOWのロードしなおしを終えて受け取ったのが夕方。ウィルスが77個あったそうです。ところが、それまでのソフトをすべて消していますので、日本語フォントまで消えていてさあ大変。「日本人の客など一人もいない」と嘯く彼は、日本語ソフトを探すのに時間を取られ、悪戦苦闘。ほかのエンジニアに聞きながら、不十分ながら使用頻度の高いフォントは見つけ出しましたので、何とか使えそうになって帰ってきました。
そして、今朝から使い始めましたが、ワードが2003から2007に変わっていて何か慣れず、プリンターの接続を始めたりしながら、IT音痴のあたしは悪戦苦闘。一応それも終わり、これからブログに戻りたいと思います。
これからの途中、デジカメ関係のロードもしなければならず、どこでどう事故が起こるかわかりませんが、壊れることも覚悟で悪戦苦闘の日々が続きます。
これまでの数日間、皆様方のブログへのご訪問もできず、頂いた湖面にご返事をすることもできず、申し訳ありませんでした。
これから、少しずつ元に戻るようにしますので、これからもよろしくお願いします。
MANA拝
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チエンマイの原風景
市場?に向かうチエンマイの女性たち
閑 話 休 題−106−
乞食というものは三日やったら辞められないそうですが、本当のところは如何でしょうか。以前チエンマイ市の隣町にあるある村での乞食村の様子をお伝えしました。どれほど殖産事業を推奨しても、懸命に乞食に精出し、飼育用に与えた鶏も豚も食べてしまい、先祖代々乞食を『正業』としている彼らの『誇り』を突き崩すことは出来なかったようです。先祖代々の『家業』としての乞食ではなく、『副業』としての乞食がいるとすれば如何理解すれば良いでしょうか。乞食に身をやつし、何を隠すのでしょうか。チエンマイの零れ話を集めた本には、そんな乞食とは思えない乞食の話が紹介されています。そこには、その人の人間としての資質、根っこのようなものが窺えてある意味人間の恐ろしい一面を見ます。
十年ほど前からタイでは乞食ビジネス対策が進み、隣国からやってきた乞食出稼ぎ人を追い返すこと、隣国人を乞食にして稼ぐ組織を撲滅することが政府の目的のようでした。乞食への「お恵」を控えるように、との政府の指導の甲斐あったのか、街中から乞食が減ってきているようです。一定の効果があったのか、子供を攫って来て乞食に育てたりするニュースも最近では聞かれません。
それはともかく、一度手にしたものに異常な執着を覚えるのは人の常かも知れませんが、乞食ならともかく、『手にした首相の座』は『石に噛り付いても放さない』といったり、駄目元から味をしめ、叩けば出てくる打ち出の小槌とでも思っているのか、ありもしないことを作り出して隣国を脅しつけ、怒鳴り付けたりしながら『経済支援』を『強請る』国は、その時だけ『襤褸』を纏い、内実は黄金に満ちた金蔵を持っているのかもしれません。又、『強請った』お金をこれ見よがしに国民に見せて『強請りの腕前』を自慢する、とすれば、これまた精神的乞食かもしれませんし、『職業としての乞食』が『国家政策としての乞食』にまで昇格したのでしょうか。
襤褸布で黄金を包む
タイに『襤褸布で黄金を包む(ผ้าขี้ริ้วห่อทอง)』という言葉がありますが、『金持ちが貧乏人の振りをする』という意味で、金持ちの吝嗇家というのは安楽に暮らす代わりに、返って倹しく暮らすもののようです。
チエンマイはもともと四方を城壁に囲まれたほぼ正方形の四角い町で、まさに中国式の『城郭都市』ですが、その東門を今ではターペー門と呼んでいます。この名前が正しいかどうかは、ここではひとまず置いて置きます。
このターペー通りの半ばを過ぎると左手にセーンファーン寺院がありますが、この交差点にかつては城門がありました。かつての商人の道の名残か今も両側には商店が並んでいますが、城門の跡はどこを探しても欠片すら見出せません。この道の北側、ピン河に接してラムヤイ市場がありますが、この市場こそ何百年と延々と続いてきた昔の人たちの市場です。十数年前に旧来の姿を一掃してしまいましたが、今も地元の人たちにとって欠かせない市場となっています。
そんな商人たちの町ターペー通りに建つセーンファーン寺院横を曲がった所に蜂蜜を売るお店がありました。昔の旅行案内書には、チエンマイは北方のバラとも紹介されるほど気候に恵まれた土地です。バンコクなどとは違っていわゆる季節が三つあり、寒い冬がありますので、その冬の期間、10度前後から25度前後という一日の温度差が草花の生育には大変都合が良いそうで、毎年この冬の時期になると花が咲き乱れます。そんな花を目当てに養峰業者が集まるのですが、タイ族が蜂蜜をどのようにして食していたのでしょうか。寡聞にして確たるものを持ち合わせんので何ともいえません。ただ、台湾の養蜂業者などが田舎の農家を借り切り、そこにしばらく住み着いて養蜂に励んだりすることもあるようですので、当地に住む華人相手、もしくは時にやってくる外国人旅行者を相手にしていたのでしょうか。
そんな蜂蜜を販売する小さなお店に、いつも一人の女性がポツネンといつ来るとも知れない客を待って腰掛ています。この店の後ろにはチエンマイの外濠とも呼べるカー河が流れ、その昔にはその河の手前に城壁があったのでしょうが、今はその跡形もなく見事なまでに地上から消えて、商店、民家が立ち並んでいます。店の前を通る人たちは、お寺に参る人たちもいれば、近くの市場に向かう人もいます。市場の中で売る場所を持たない資力の乏しい農婦は、天秤棒に吊るした籠に野菜を入れて、市場近くの路端に腰を下ろします。
そんな人々の中で、一人の老女がお店にやってきました。みすぼらしい服装に身を包んだ老女は、店の中の女性に腰を曲げて両手を合わせて拝む格好をすると、ついでその両手を前に出しました。言葉を発しなくても老女が『物乞い』に来ていることは一目瞭然です。こうした恵まれない人々に何がしかの施しを与えることを『善』と考え、『来世のよりよい生活が保障される』と信じるタイの人々の常識に従って、お店の女性も机の引き出しを開け、その中から大きいコインを一つ抓み出すと老女にあげました。大きいコインは5バーツでした。昔のことですから、5バーツというのは決して少ない金額ではありません。20数年前チエンマイのこのターペー通りの横道に入った食堂で食べた焼き飯が10バーツ(当時1バーツが約11円)弱だった記憶がありますし、少し郊外に出ればラーメンが5バーツでしたから、5バーツというのは決して少ない金額ではなかったでしょう。そんな大金を渡した女性は、時間潰しか、老女に何か気になることがあったのか、呼び止めて話をすることにしました。勿論老女に仕事などありませんから、大金を頂いたお礼と思うのか、聞かれるままに話し始めました。
76歳になるという彼女は結婚歴があるが、夫は既になく、二人の男の子がいるというのです。子どもは夫々正業を持ち,チエンマイ大学付属病院の事務に勤めている長男と、電力公社に勤める次男で、彼女はその次男と同居しているそうです。
「じゃあ、子供さんはまだ一人身なの」
「だから、あたしが食事の世話から洗濯までまだ世話しているのよ」
「電力公社だと電気代は只みたいでしょうけど、お給料が安いのでしょうね」
だから、母親がこうして乞食しているのだろう、と思ったのですが、老女の返事はそんな同情をあざ笑うかのようでした。
「何、確か5000バーツ余り貰ってるんじゃないかね。家も自分の物だし、あたしだって毎月お小遣いを貰ってるしね」
その頃の5000バーツといえば、高給取りとは言えなくても決して少ない金額ではありません。20数年前の大卒初任給が4000バーツ弱でしたから、そんな時代に5000バーツであれば、十分に余裕ある生活が出来るはずです。ここまで聞いて蜂蜜店の女性は理解に苦しみました。
「じゃあ・・・どうして・・・」
乞食をしているのか聞こうとする自分の娘ほども年下の女性に、老婆は、ニコニコしながらそれとなく言うには、こうして乞食を初めて8年ほどになるけど、結構いい稼ぎになるそうです。
「普段は、平均して一日100バーツほどかね。でも、ソンクラーンなどには結構な実入りだよ。皆『善行』を積みたがっているじゃないか。だからそんな時にはたくさん貰えるのさ」
呆然とする蜂蜜店の女性に対して老女は誇らしそうに言いました。
「これまでの最高は一日867バーツだったかな」
今でもタイの労働者の1日の最低賃金は、170バーツ(現在1バーツが約3円)前後に過ぎません。それを思うと何十年も前に乞食をして一日でその何倍も稼ぐとなれば、「美味しい商売」かもしれません。
「そんなに溜めて、どうするの」
「どうもしないけど、お金を持っているのは愉しいじゃないかい」
老女は、スカートの腰の部分に巻き込んだ布を解すと、そこから銀行の定期預金通帳を取り出しました。それは、すぐ近くの銀行発行のものでした。
「ほうら、もう231,976バーツ貯まったよ」
「このことを同居している子供さんは知っているの」
「とんでもない。分かったら、大変だよ。言わないでおくれよ」
急に老女の顔に緊張が走りました。
「さあ、盗まれないように大切にしまっておきなさいよ」
呆れてこれ以上話をするのさえ物憂くなりました。
「大丈夫さ」
「それで泥棒に盗まれることを考えたことはないの」
「まさか、誰もあたしが貯金しているなんて思うものかね。息子にだって内緒なんだから」
そういうと、老女は急いで通帳を元のようにしまうと、「すっかり無駄な時間を使ってしまった。あんた、このことは内緒だよ」愚痴を零すように呟くと、又真昼の路上に出て行きました。
事実は小説よりも奇なり、といいますが、実際の社会には、あり得ない様な事が本当にあるものです。
そういえば、今も車一台家一軒と言われるほどに自動車価格が高額なタイで、不思議とベンツ、ボルボ、BMWなど高級車、日本製の新車が極普通に走っていますが、それでこの国は開発途上国なのでしょうか・・・
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著「ラーンナーの民間伝承物語」に収蔵されている「襤褸布で黄金を包む」より題材をお借りしました。
動画は、バンコクに暮らすラーンナーの人たちが、自分たちの文化を守る運動を続けていることの紹介です。
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