チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

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お山の杉の子

お山の杉の子
 
お山の杉の子
 
尊敬する『道後』さんよりご自身が兵隊ソングとして良く歌う曲として紹介されたのがこの『お山の杉の子』です。
この歌は、もともと昭和19年に作られたものが始めです。昭和19年といえば、既に日本が戦争状態に入って久しく、銃後を守るのは単に夫を戦地に送り出す家庭だけではなく、父を夫を失った家庭もありました。小さな子供たちは小国民と呼ばれましたが、そんな子供たちを励ますための歌が公募され、それに第一位となったのがこの『お山の杉の子』でした。
作詞は、徳島の小学校教員吉田テフ子でした。その後、彼女は作家を目指しますが、歌となった詩は、この詩一つだけでした。彼女の生家の裏山には立派な杉山があったといわれますので、彼女はそうした山を見ながら、幼い子供たちの成長と国の隆盛を重ね合わせたのでしょうか。又この杉という木は日本特産の常緑針葉樹であり、そうした意味からも日本の子供たちには似合っているのかもしれません。吉田テフ子は、この歌を通して戦争孤児となった子供たちにも夢と希望を持って成長し、立派な国民となるよう願っているのです。そして、この歌に曲を付けたのが日本コロムビア専属の作曲家である佐々木すぐるですが、彼は校歌も含めて2000曲に及ぶ曲を手がけたといわれますが、代表作が『月の砂漠』であり、この『お山の杉の子』です。これを歌ったのが安西愛子、加賀美一郎とコロムビア児童合唱団でした。発表と同時にこの軽快な歌は忽ち全国に広がったといいます。
 
お山の杉の子記念碑  
 
お山の杉の子 - 真理ヨシコ
 
今私たちが知っている『お山の杉の子』は、上のものでしょう。この動画には4番までしか歌われていませんが、6番までの完全な歌詞が次のものです。
 
1.
昔々の その昔

椎(しい)の木林(ばやし)の すぐそばに
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主の 禿山(はげやま)は
いつでもみんなの 笑いもの
「これこれ杉の子 起きなさい」
お日さま にこにこ 声かけた 声かけた

2.
一(ひい)二(ふう)三(みい)四(よう)
五(いい)六(むう)七(なあ)
八日(ようか)九日(ここのか)
十日(とおか)たち
にょっきり芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子顔出して
「はいはいお陽(ひ)さま 今日は」
これを眺(なが)めた椎の木は
あっははのあっははと 大笑い 大笑い

3.
「こんなチビ助 何になる」
びっくり仰天(ぎょうてん) 杉の子は
思わずお首を ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも 考えた
「何の負けるか いまにみろ」
大きくなって 皆のため
お役に立って みせまする みせまする

4.
ラジオ体操 ほがらかに
子供は元気に 伸びてゆく
昔々の 禿山は 禿山は
今では立派な 杉山だ
誰でも感心するような
強く 大きく 逞(たくま)しく
椎の木見下ろす 大杉だ 大杉だ

5.
大きな杉は 何になる
お舟の帆柱(ほばしら) 梯子段(はしごだん)
とんとん大工さん たてる家(うち) たてる家
本箱 お机 下駄 足駄(あしだ)
おいしいお弁当 食べる箸(はし)
鉛筆 筆入(ふでいれ) そのほかに
たのしや まだまだ 役に立つ 役に立つ

6.
さあさ 負けるな 杉の木に
すくすく伸びろよ みな伸びろ
スポーツ忘れず 頑張(がんば)って 頑張って
すべてに立派な 人となり
正しい生活 ひとすじに
明るい楽しい このお国
わが日本を 作りましょう 作りましょう
 
しかし、残念ながらこの歌詞は吉田テフ子の本来のものではなく、彼女の元歌に詩人サトウハチロウが手を加えたもので、そこには本来の響き、意味合いが消されて、可愛い子供の歌になっています。サトウハチロウの補作によって出来た歌詞は、戦後の日本復興を願っているようです。荒廃した国土開発、森作りと言う国家事業を植林という事業から始めようとでもしたのでしょうか。たまたまそれに選ばれた木が杉であり檜でした。確かに戦後の日本の植林事業で全国に杉の木が広がったようです。とはいえ、元歌の意味合いを殺し、可愛い少年に日本国の再建を託すかのような歌詞にサトウハチロウが手を加えなければならなかった所にこの歌の悲劇と時代相を感じます。
吉田テフ子の『お山の杉の子』が世に出てわずか9ヶ月、昭和20年8月15日を境に日本のすべてが180度転換してしまいました。白が黒となり、善が悪となり、人々は価値観の逆転を強いられました。進駐してきたGHQは、日本の社会のあらゆる部門を統制と検閲という網の目で捉え、目と耳を塞ぎ、口を閉じさせたのみならず、この『お山の杉の子』もまた戦時色濃い歌であり、軍国主義を感じさせる、ということで発売禁止の憂き目を見ました。それでも心ある人々は、何とか世に出そうとしての改定も試みられたようですが、GHQの許しを得るまでには至らず、結果的に許されて今に至るのが今われわれが良く耳にするサトウハチロウ補作の上記のものです。サトウハチロウは、歌の中から終戦以前の色を消し去ることを目指したようで、特に3番以降にサトウハチロウの手が入っています。特に6番に至っては、補作というより書き換えという方が相応しいほど殆どが消され、原文は始めの一行だけという淋しいものです。
 
では、戦時中の孤児を励まそうとして作った吉田テフ子作の本来の『お山の杉の子』は、どのような歌詞だったのでしょうか。次の動画に残っています。
 
お山の杉の子(元歌)
作詞:吉田テフ子(ちょうこ)作曲:佐々木すぐる
歌唱:安西愛子、加賀美一郎(他)

(一)
昔 昔の その昔
椎の木林の すぐそばに
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主の はげやまは
いつでもみんなの 笑いもの
これこれ杉の子 おきなさい
お日さまニコニコ 声かけた 声かけた

(二)
一、二、三、四、五、六、七
八日 九日 十日たち
によっきり芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子 顔出して
はいはいお日さま 今日は
これを眺めた 椎の木は
あっははの あっははと大笑い 大笑い

(三)
こんなちび助 なんになる
びっくり仰天 杉の子は
思わずおくびを ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも かんがえた
なんの負けるか いまにみろ
大きくなって のため
お役に立って 見せまする 見せまする
 
(四)
 ラジオ体操 一二三(いちにっさん)
 子供は元気で 伸びていく
 昔々の はげ山は はげ山は
 今では立派な 杉山だ
 誉れの家の 子の様に
 強く大きく たくましい
 椎の木見おろす 大杉だ 大杉だ
 
(五)
 大きな杉は 何になる
 兵隊さんを 運ぶ船
 傷痍の勇士の 寝るお家 寝るお家
 本箱 お机 下駄 足駄(あしだ)
 おいしいおべんと 食べるはし
 鉛筆ふで入れ そのほかに
 たのしや まだまだ役に立つ 役に立つ
 
(六)
 さあさあ負けるな 杉の木に
 勇士の遺児なら なお強い
 体を鍛え 頑張って 頑張って
 今に立派な 兵隊さん
 忠義孝行 ひとすじに
 お日様出る国 神の国
 この日本を 守りましょう 守りましょう
 
上の詩が吉田テフ子が懸賞文で一等賞を受賞したものです。そして、赤字で記した部分が今われわれの眼からかき消されているところです。
 
さあさあ負けるな 杉の木に
 勇士の遺児なら なお強い
 体を鍛え 頑張って 頑張って
 今に立派な 兵隊さん
 忠義孝行 ひとすじに
 お日様出る国 神の国
 この日本を 守りましょう 守りましょう
 
6番のこの歌詞は、確かにGHQの占領政策から見れば不適当かもしれません。しかし、国の将来を担う子供たちに
身体強健にして忍耐力あり、神州日ノ本の国を守る兵となり、忠義孝行に励みましょう
という歌詞は、独立国日本の子供たちが歌うとすれば決して不適切ではないと思います。むしろ、この歌詞にこそ日本の国体が現れ、日本人たる意識を持つのではないでしょうか。そして、GHQの思惑とは別に、戦後の日本人はこの歌の通り脇目もふらず、忍耐を共に荒れた山野を緑に変え、廃墟の町を復興させてきました。
しかし、その果実を摘み取るや否や、次の植林を忘れたかのように、無気力と利己主義が蔓延り、『はい』と大きな明るい声で返事することを忘れ、『国のため』に尽くすことを時代遅れと罵り、社会の『役にたつ』ことを二の次にし、家の『誉』を忘れ、『国を守る』ことを口にしなくなって久しく、わずか65年にして社会は歪に歪んでしまいました。
 
ひっこめながらも かんがえた
なんの負けるか いまにみろ
 
今この文句を読むと、これこそわれわれ日本人が先祖代々営々と受け継いできた『刻苦』『精励』『勤勉』『努力』という徳目に合致し、いつの時代でも通用するものであり、今の時代にこそ思い出すべき言葉だと思います。わが父母が戦後にこの精神を持って常に一番を目指し、廃墟の国の再建を目指して努力し続けてきたお陰で世界に冠たる経済力をもった日本を再考させたのです。しかし、それを忘れた今、日本人は盲た民ででもあるかのように国を忘れ、自己の繁栄をのみ追い求め、国家の衰退に一顧だにしようとはしなくなりました。
もう一度、初心に戻って頑張ることが求められているのではないでしょうか。
 
亡霊の様なGHQの検閲の手枷足枷を外し
この日本を再建させましょう

覆水盆に返らず

パンシップ・トート
 
落穂拾いー(15
権力者というのは、一般の人々以上に強力な力を持っています。それは政治力であるかも知れず、経済力であるかも知れず、又知名度によるものであるかもしれません。そんな力は時に殺生与奪の剣となることもありえます。
しかし、そうした力ある人の言動というのは、常に首尾一貫していなければ他の人たちからの信用を得ることが出来ません。『覆水盆の返らず』という諺がありますが、そうした力ある人、影響ある人たちの言葉というものは、零れ落ちた水が再び盆に返ることがないように、一度口から出た言葉は二度と取り消すことが出来ない筈のものです。取り消すことが出来ないが故に、その言葉には重みがあり、権威があり、力があります。もしも、力ある人、権力をもつ人、影響力をもつ人の言葉が朝令暮改、変転極まりないとすれば、人々は彼の言葉のどれを信じていいのか理解できません。
 
覆水盆に返らず
ある日、チエンマイの南に広がる広大な草原にカムピウという名前の一頭の雌象が、飼育係りの者に連れられて草を食みにやってきていました。遊びに来ていた近くの村娘たちは、巨大な体躯の象の姿を見て、気軽に声をかけました。彼女たちはその飼育係りの人とも幾度となくこうして出会っていたのでしょう。ところが、その日、このカムピウはどこか虫の居所が悪かったのか、若い女性の甲高い声を耳にすると、いきなり鼻を持ち上げ、大きく一声唸りを上げると、娘たちを目指すように駆け出しました。
象は、巨体に関わらず案外に足が速いもので、娘たちは顔面蒼白になり、蜘蛛の子を散らすように命の限り走って逃げました。しかし、足がもつれたのか一人の村娘が草に足を取られて倒れると、その背中をカムピウの巨大な足が力の限り踏みつけ、死なせました。それを聞いた村人たちが、逆に象への怒りを露わに追いかけると、カムピウは、近くに村に逃げ込み、米搗き臼、米倉を壊し、村は大騒ぎとなりました。
その頃、チエンマイの南ラムプーンの王子チャウ・ノーイプロームがその村にいました。王子は、王族の血を引くとは言いながら、世情にも長け、人々の信も篤かったのですが、この時、王子はブアトーンという名の美貌の誉れ高い村娘の所に来て恋を語らっていました。そんな甘い恋の語らいの中で、村人たちの騒ぎを知り、王子は、愛用の剣を手に駆け出すと凶暴な象を追い求めました。そして、見事一太刀浴びせると、カムピウは村の境界を越えて逃げていきましたが、傷口は思ったより深かったのか、ばったりと倒れるとそのまま息を引き取りました。
一段落した、と安心したのはチャウ・ノーイプローム一人でした。王子は、自らが斬り付け、死なせた象の持ち主が誰であるのかを知りませんでした。その持ち主こそ、ラーンナー王国でその名を聞けば誰もが恐れるチャウ・チーウィット・アーウの王女、チャウ・テーパヤケーソーンでした。この王女は、シャム王朝ラーマ五世の后であられるチャウ・ダーラーラッサミーの御母君でした。
象の飼育係は、カムピウの死を確認すると、王女の怒りを想像して体が震えたといいます。しかし、御召象殺害の下手人を知って更に驚いたのですが、急ぎ王女に対して正直に事の次第の一部始終を申し上げました。
自らの御召象が殺害されたと聞いた王女は、烈火の如く怒り、怒髪天を衝いて普段の理性はどこへやら消し飛び、夜間にも拘らず隣国ラムプーンの王宮に乗り込みました。ラムプーンの王宮では、チエンマイの王女が何の前触れもなく、しかも夜間の突然の来訪に上を下への大騒ぎとなりましたが、「折り入って二人だけで話したいことがある」という王女の言葉に、ラムプーンの王は、側近たちを室外に出しました。
「姫君に置かれましては、このような深夜のご訪問とは、どのような急の御用向きでありましょうか」
「あなたのお力をお借りしたくてやってきたのよ」
王女の声は、心中で滾る怒りを抑えてどこまでも感情を押し殺し、しかも顔には微笑みすら浮かべていました。
「姫君のご依頼とあれば、夜空の星を掴むことは出来ませんが、如何なることでも万難を排して成し遂げるでありましょう」
ラムプーンの王をこうして追い詰めながら、王女は嗜虐的に優しい声で続けました。
「何でもないことよ。実は、私の可愛がっていた雌の象カムピウを殺した者がこの国にいるの、そいつの首が欲しいのよ。只それだけ」
「何だ、それしきの事、何の難しいことがありましょうか。どこの村の何と言う名前の者でしょうか。仰って下さい」
「でもね、両国の関係に関わるかもしれないのよ。3日間の猶予を差し上げましょう」
「姫の御召象を殺めた奴です、一刻も早くその首を差し上げねば気が済みません。さあ、どうかそいつの名前を言って下さい」
王の確約を得ると、忽ちにして王女の全身から穏やかな様子が消え、その周りの空気が張り詰めると近寄りがたい威厳を漂わせ、毅然とした姿勢で重々しく有無を言わせぬ力を持って犯人の名前を告げました。
「チャウ・ルアン・ラムプーン、あなたのご子息チャウ・ノーイプロームがわたしの可愛いカムピウを殺めたのよ。3日の後の彼の首を待ってるわ」
その一言で王の顔色は生気を失い、全身から力抜けてその場に崩れ落ちそうになりながら、辛うじて堪えると、力なく小さく呟きました。
「そうでしたか。我がチャウ・ノーイプロームでしたか」
チャウ・テーパヤケーソーンが王子チャウ・ノーイプロームの首を求めてやってきた、という噂は忽ちにしてラムプーンの王宮を駆け巡りました。
役人たちは、若君の首をチエンマイの王女に差し出すことなど出来よう筈もなく、死を賭してチエンマイと戦おう、両軍兵士の代表を出して戦おう、兵の中で若君に似ている者を選び出してその首を差し出そう、果ては、牢内の罪人から年恰好の似た者の首を刎ねて差し出そう・・・そんな話をしている時、当の王子が弟君と一緒に入ってきました。
「皆・・・皆の気持ちは嬉しいが、罪人に我が罪を被せることは良くない」
「ならば、兄上に代わってわたしの首を差し出しては如何ですか」
弟君のチャウ・インタッが言いました。
「チャウ・インタッ・・・ありがとう。でも、おまえは父の命でチエンセーンを統治に行くではないか。公務こそ大事ぞ」
どこまでも心優しいチャウ・ノーイプロームにその場の誰もが涙しました。
「わが父上は、三日以内に御召象を殺めた者の首を差し出す、と御約束された。もしも我が首を差し出さねば、父上の言葉を打ち消すことになってしまう。人は生まれて来るも死んで行くも一度だ。自分の為に戦争など考えてくれるな、チエンマイとは兄弟ではないか」
ジャスミンの花輪
 
かくも確固たる信念で、自らの行動に責任を取り、なおかつ父の名誉を汚すことを恐れるチャウ・ノーイプロームは、弟、兵たちの厚意を謝し、自制を促すと、愛するブアトーンを訪ねていきました。といって、王家の血を引くチャウ・ノーイプロームに逃走という考えなど微塵もなく、愛するブアトーンに別れを告げにやってきたのです。
「ブアトーンよ。私たちの縁もこれまでとしよう。次の世では、きっと又お前と巡りあい、その時こそ共に暮らそう。それまで善を積み、巡り会う日を信じていておくれ』
「どうして一緒に逃げよう、と仰って頂けないのですか」
純真無垢のブアトーンは、初めて知った恋の甘美がこのような悲しい別れになって終わるとは信じられず、穢れなき真珠の涙を頬に伝わらせ、涙に霞む目で王子をじっと見詰めたまま子供のように縋り付きました。いくら理を尽くして諭してもブアトーンの悲しみを癒すことは出来ませんでした。
やがて別れの時が来ると、ブアトーンは、自ら糸を通したジャスミンの花輪を王子に手渡して言いました。
「愛しの君よ。これをブアトーンだと思って持って行って下さい」
涙で震える声は擦れながら、せめてもの別れの言葉でした。
約束のその日、チャウ・ノーイプロームは自らチャウ・テーパヤケーソーンの館に出向きました。そして、そこからトゥン・フアコン(人首草原)と呼ばれる処刑場に引き出されると、チャウ・テーパヤケーソーンが一言告げました。
「可愛い甥子よ。ご免ね。でも昔の人の言う言葉に『一度王が口にした言葉が再び返ることはない』というでしょ」
王子は、最後の望みに、と、ブアトーンより貰ったジャスミンの花輪を彼女に返すよう従者に託しました。そして、一言の言い訳をすることもなく素直に刑場の露と消えました。
一方、ジャスミンの花輪を受け取ったブアトーンは、悲しみの余り食事も喉を通らず、只泣き続けていました。
そんなブアトーンが綺麗に着飾り、やや干乾びかけたジャスミンの花輪を手首に通し、庭の木で首を吊って死んでいるのが見つかったのは、翌日のことでした。
 
(了)
タイ文部省推薦の中等教育用副読本の中に、北部タイの様々な物語を綴った本が三冊あります。夫々、人物編、場所編、行事編と主題ごとに分かれています。その中の一冊『北の町の物語りー重要人物の歴史編』の中の高貴なる女性の絶対命令より題をお借りしました。
เฮือนข้าเจ้า สาวสารภี ฟ้อนผางประทีป
我が町サーラピーの乙女たち、パーン・ダンス(灯明踊り)
踊り子の掌に小さな燭台と蝋燭が乗っています。
 
冒頭の写真のお菓子は「パン・シップ・トート」と呼ばれるもので、路上で揚げて売っている姿を良く見かけます。小さなクロワッサンに餡を詰め、餃子のように口を閉じて油で揚げたお菓子です。

岳父と婿殿

パッ(ト)・タイ(phad thai
閑 話 休 題−105−
 
結婚して男性の家に入る、これは男性側の姓を名乗ることで男性側の家系の中に入ることになり、同時に、それは自らの出自である旧姓の家系からは出ることになるのかもしれません。こういえば大変大袈裟ですが、日本の社会では、こうしたことが何の疑いもなく繰り返され、それにより社会はスムーズに動いてきました。
そうした際に、世上面白おかしく取り沙汰されるのが嫁姑の問題です。姑もまた他姓から入ってきたのであれば,同じ境遇の嫁に殊更に親切であってもいいのでしょうが、話しの種になるのはおよそそうした微笑ましい風景とは逆の事態のようです。一家の主婦として家庭内の家事一切を取り仕切ることをその役目とする立場からすれば、味付け一つ、仕事のかかり方一つ、言葉使い、身の処し方に至るまで、重箱の隅を突付くようにして『家』の習いを嫁に教えることが、又自らの義務のようにも思うのでしょうか。それとも、かつて自分自身も受けてきた姑からの虐めを今嫁にして気分を晴らすのでしょうか。案外冷たい関係でしたが、かつてはそれでも嫁の立場は常に従順で、家庭内に波風を立てないようにしてきたものです。
一方、時たま妻の実家に立ち寄る婿というのは、大変丁重な扱いをされていたのでしょうか。また、男子のいない家庭で婿養子を取ると、これまた『家』の家風を諄々と教育されるのでしょうが、決して嫁ほどには陰湿な印象はありません。
男性は、外で働いて家族を養うに必要な経済を支え、女性は、男性の留守を預かり、子供を育て、年老いた両親の世話をしながら、家事一切の責任を持つ古きよき日本の社会とは違い、結婚後も女性が男性の姓を名乗りながらも尚生活は実の両親家族と共にし、男性が入ってくる社会。女性の家族と同居しながら、仕事は女性、家事も畑仕事も、小さな日曜大工仕事も女性がこなしながら、男性は昼間から酒を飲み、博打を打ち、時に他村で色事の遊びに出かける・・・そんな社会ではどうでしょうか。
 
岳父と婿殿
昔のタイでは、結婚後も男性が女性の家に入ります。依然、あるタイ人同士(タイ族という意味)の結婚式に参加したことがあります。新婚初夜のその夜、披露宴を終えた後、新婦の待つ部屋に新郎が入るのですが、家の玄関から建物の入り口、全ての戸口という戸口に関が設けられ、新婦を寝室に隠した新婦の友人が、関に立ちふさがり、付き人役の友人を伴った男性側から通行料をせしめます。その通行料の手数料を巡っての駆け引きも男性が女性の家に入る名残でしょうが面白いものです。翌日からは、男性も大きな顔をしてその屋の主のような態度を取りながら、女性は甲斐甲斐しく男性に尽くし、それを又両親が進めます。
しかし、この物語はタイ人の昔話に残る家庭でのものですから、決してまともではありません。勿論、昔のことですから、貨幣経済にまみれて預金通帳を眺めたり、借金返済に苦悩したりすることはありません。40度を越える真夏でも、高床式の適当に隙間の開いた板壁、板敷の床、天井板なしの高い屋根であれば、熱気は籠りません。冷房も暖房もさして必要とは思わず、自然環境としては、洪水と獣害を恐れるくらいでしょうか。
人々は、少し離れた所に水田を持ち、田畑を持ち、それとは別に、敷地内、家屋の周りにも幾種類もの果物を植えています。多く見られるのは、マンゴー、パパイヤ、バナナ、などの他、チエンマイでは竜眼、楊貴妃も好んだと言われる冷枝などが植えられます。これらは,おやつにもなれば,マンゴーなどは,熟れたものを蒸しあげたもち米に乗せて、ココナッツミルクをかけると食事にもなります。そこには貨幣経済など無縁の世界です。
そんな暇つぶしにも似た果樹の植樹は、その家の婿殿と岳父の仕事のようですが、真剣に仕事をする男たちではありません。博打の仲間の誰もが別の用でいないか、元手をなくしたか、賭場が開帳されていないか、なすこともないまま暇つぶしなのでしょう。
『おうい、バナナを掘り返して、別の場所に植え替えるぞ』
『今からかい・・・』
朝から、バナナの根を掘っていた岳父は、もう幾本ものバナナを植え替える場所に置いていました。このバナナというもの、一本の木にバナナの実がなると、その木はもう枯れて行きますが、同じ根からは既に別の幹が伸びており、それは果てしなく広がって行きます。バナナは、実はもちろん様々な形で食用になり、葉は包装にも使え、幹は灯篭流しの台にもなれば、スープにも使われます。 その一方で、大変に繁殖力が強く、球根が前後左右に広がり次々と芽を出して行きます。その力は恐ろしく気をつけないと塀なども簡単に壊されてしまいます。そんな危険よりも、人々にとってはその利用のほうが楽しみで、拡大は、根を掘り起こして対応するなど生活の知恵があります。
岳父の命令にも婿殿はどこまでもズルを決めたいようです。
『そうだよ・・・まあ、バナナはおれが持ってくるから』
岳父が出て行くと、婿殿は物憂そうにゆっくりと立ち上がると床下に下りていきました。ノソノソと一度は手にしたチョープと呼ばれる鍬を元の通りに置くと、横にあるシアムと呼ばれる突き棒を手に出て行きました。
庭先の岳父が言っていたバナナを植える予定の場所に行くと、早速日陰を探しましたが、バナナは豊富な日照と水が欠かせませんので、さすがの怠け者の婿殿も涼しい日陰に穴を掘ろうとはしませんでした。カンカン照りの場所に突き棒をおくと、再び床下に帰り、麦藁帽子を被って出てきました。
やっと一突き、二突きすると、岳父がバナナを肩に担いで帰ってきました。
『何だ・・・まだ穴を掘ってないのか・・・』
『義父さん、一生懸命に掘ってるじゃないか・・・』
『早く掘ってバナナを埋めよう・・・早くしないと日が暮れるぞ』
そういうと、岳父は、素早く穴を掘り始めました。それでも何とかバナナを植えると、婿殿待望の昼休みです。
『休んでる時間などないぞ。仕事はまだだからな』
水を浴びてもう昼寝を決め込んでいた婿殿に岳父の声は容赦ありません。次いで家の回りに垣根をめぐらせることにして、穴を掘り始めました。
しかし、相変わらずのんびりした婿殿です。力なくだらだらと突き棒を突立てては手で掻き出し、何とか柱を一本穴に突き立てると、掻き出した土を手で戻してパンパンと叩いていきます。叩いては土を戻し又パンパンと叩いていきます。
岳父から見れば、そんな婿殿がどうしようもないほどのろまに思えて仕方ありません。
『あーあ、家の婿は何をしてるんじゃろう・・・これで生活できるのかいのう・・・』
そんな岳父のぼやきも何のその。相変わらずマイ・ペースです。
『婿殿よ・・・娘のアソコを撫でるみたいに手で土を掴み出していては、どうやって柱を突き入れるんじゃい。このわしを見本にして見な』
そう言うと、岳父は鍬を振り上げると力いっぱい打ち下ろし、グサッと土に食い込ませると、ゴボッと土を掘り起こし、忽ちにして孔を開けて行きます。瞬く間に岳父はいくつもの穴をあけては柱を突き立てて土を固めていきます。日が暮れるまでには、何とか垣根が出来ましたが、疲労困憊して全身に汗を滴らせる岳父を尻目に、婿殿は早々を水浴びして気持ちよさそうに女房と戯れています。
『あの垣根、あんたが作ったの』
『そうさ・・・ちょっと義父さんに手伝ってもらったけどな』
そんな婿殿を見ながら、岳父は只黙って力なく首を振るしかありませんでした。
その夜、季節外れの雨が降りました。バケツをひっくり返したような激しい雨が数時間降り続くと、嘘のように止みます。
そして、一夜明けた翌日朝、起き出した岳父は、庭の垣根を見てびっくりしました。昨日突き刺した垣根の柱のうちで、婿殿のものは昨夜の雨でぬかるんだ地面にもしっかりと突き立ったまま、ビクともしていませんでしたが、自分のものはあっちに傾き、こっちに傾き、どれ一つとして真っ直ぐ立っているものはありませんでした。
 
昔の人が言うことには『馬鹿にするなよ・・・互いの考えをな。何も確かなものはないぞอย่าไปดูถูก...ความนึกคิดของกันและกัน   มันบ่แน่หรอกนาย)=人は見かけによらない?』と教えているそうです。
 
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著『ラーンナーの民間伝承物語』に収蔵されている「怠け者の婿どの」より題材をお借りしました。
冒頭の写真は、『パッ(ト)・タイ(PHAD THAI)』と呼ばれるもので、外国人にも好評なようで、この作り方を習いに料理教室に通う旅行者も多々いるようです。
動画は、タイの剣舞です。
 
Ram Dab - sword danceタイ剣舞
 
 
 
Ban Rachan UTube
 
この動画は、タイとビルマの死闘をショーとしたものです。これは史実で、今でもこの勇士の戦いがタイでは映画になったりしますが、ビルマ軍を迎えうった村人は壮絶な討ち死にをしました。
頭に布を巻いているのがビルマ兵役です。
 
 

愛国の花

愛国の花
  
イメージ 1
富士山(裾野氏観光協会公式ブログより)
 
戦後の日本人は、『愛国』と言う言葉に拒否反応がある、というか、持たされているように感じます。『愛国』という言葉を聴いただけで眉を顰め、軍国主義だ、帝国主義だと理由もなく決め付け、大きな声で批難轟々となる傾向があります。ところが『愛』という言葉は好きなようで、兜に『愛』を記した武将が人気者になったりもします。妻を愛し、家庭を愛し、子供を愛し、家族を愛することは微笑ましく、推奨されるのですが、『会社を愛し』『地域を愛し』『国を愛し』となると途端に雰囲気が一変します。そして、国を飛び越えて『地球を愛し』となると又推奨されるのですが、どうも理解し難いですね。何故に『国を愛する』ことだけが排斥されなければならないのでしょうか。妻子を愛し、夫や子供を愛し、父母に孝行を尽くし、家庭を愛し、兄弟相和し、友人相助け、勧善懲悪・誠実・質素・勤勉を旨とする人が、地域社会を愛し、所属する組織・会社を愛し、国を愛することは自然な人の気持ちで、自らが生まれ育った国、父母の国を愛するが故に、他国をも愛することが出来るのではないかと思います。
それはともかく、戦後の日本社会に見られる『愛国』という言葉に対する偏見からでしょうか、この『愛国の花』という歌もどうやら日陰者にされているようです。元歌は渡辺はま子ですが、動画で見る限り淀かおる、有山麻衣子、森昌子なども歌っているようです。それほどこの歌は素晴らしい、世代、年代を超えて歌い継がれていくべきものだということは認められるようですが、惜しむらくは、そこにやはり戦後の社会の歪が反映されているようです。動画で探しうる限り、淀かおるは4番を省略し、有山麻衣子は3番を省略し、森昌子に至っては1番しか歌っていません。
 
渡辺はま子といえば、この『愛国の花』の前年、昭和11年日本ビクターより出された忘れちゃ嫌よという歌の中で甘える様な阿る様な『ネエ』の部分が、「娼婦の媚態を眼前で見るが如き歌唱。エロを満喫させる」とステージでの上演禁止とレコードの販売を禁止する統制指令が内務省より出され、このことからレコード会社では『月が鏡であったなら』と題を変更して売り出したといわれます。これも後年昭和51年になると歌手西川峰子により忘れちゃ嫌よの題名で復活しました。
内務省の禁止にも拘らず、『忘れちゃ嫌よ』のヒットに触発されて世上では様々な『ネエ小唄』が流れると、それに対抗するかのように歌謡界の浄化を目的に国民歌謡が作り出されました。そして、日本コロムビアに移籍した渡辺はま子の移籍後最初のヒット曲こそ、この国民歌謡『愛国の花』だったのです。戦地の兵たちを慰問する渡辺はま子は、いつとはなしに『チャイナ・メロディーの女王』と呼ばれました。しかし、彼女自身決して戦争を美化・賛美したわけではなく、『愛国の花』は、歌詞を見れば分かるように、この中に戦争賛美も、戦争支持も感じられません。只、愛しい国を花にたとえ『桜』『梅』『橘』そして『菊』としているのです。そして、そこには大和撫子の気高さ凛々しさ雄雄しさ美しさを表しています。
 
 
愛国の花
作詞:福田正夫   作曲:古関裕而   歌:渡辺はま子
1
真白き富士の けだかさを
こころの強い 楯(たて)として
御国につくす 女等(おみなら)は
かがやく御代の 山さくら
地に咲き匂う  国の花
 
2
老いたる若き もろともに
国難しのぐ 冬の梅
かよわい力 よくあわせ
銃後にはげむ 凛々(りり)しさは
ゆかしく匂う  国の花
 
3
勇士のあとを 雄雄しくも
家おば子をば 守りゆく
優しい母や また妻は
まごころ燃ゆる 紅椿
うれしく匂う  国の花
 
4
御稜威(みいつ)のしるし 菊の花
ゆたかに香る 日の本の
女といえど 生命がけ
こぞりて咲いて 美しく
光りて匂う  国の花
 
この歌は、昭和12年に福田正夫作詞、古関裕而作曲で国民歌謡として作られました。この昭和12年といえば、広田内閣、林内閣、近衛内閣と目まぐるしく内閣が変わり、内外共に慌しい時代でした。外国では、4月にビルマが英国の準自治州になり、8月には中ソ間で不可侵条約が結ばれます。しかし、我々がこの昭和12年で忘れてならないのは、今も濡れ衣を着せられている7月7日の盧溝橋事件、歴史から消されている8月9日の大山海軍中尉と斉藤水兵が上海で狙撃された大山中尉殺害事件。7月25日は廊坊事件が発生し、そして何より同月29日には、大陸各地で繰り広げられた中国人による我が同胞惨殺陵辱事件の数々の代表とも言える通州事件が起きています。
こうした世相の中でこの美しい歌が発表されました。ですから、既に夫、父は大陸にいて命をかけて同胞、日本の権益を犯す中国国民党軍と戦っていました。そんな戦地の父や夫に銃後の憂いをかけまいと、国内の女性たちの健気さ、凛々しさ、美しさを歌にし、国内の女性たちには自分たち大和撫子としての誇りを持ち、戦地の夫や、父に心配をかけまいとしたのでしょうか。ですから、これは兵士の歌、戦意高揚を目的とした歌というよりも銃後の妻たちの『心の歌』といえるかもしれません。昭和12年に作られたこの歌が翌年日本コロムビアからレコードになって売り出されると、渡辺はま子の歌声が日本中に響きました。
歌がヒットすると、それに便乗するかのように松竹により昭和17年に映画化されました。小暮実千代、佐野周二主演の映画は、時節柄最後にヒロインが従軍看護婦となるとはいえ、全体的に恋愛物語といえるでしょう。
 
そして、それが時代を追って、新たに歌い継がれてきたことは既に記した歌手の名前からも分かります。
それ以上に、この歌は、インドネシアでも愛唱されていたのです。『桜の花』を意味するインドネシア語bungasakuraという題で歌われていたといいます。その歌詞を作ったのは初代インドネシア大統領故スカルノだったのです。しかも、今上陛下がまだ皇太子であらせられた昭和37年(西暦1962年)2月に美智子妃殿下と共にインドネシアを御訪問あそばされた砌、当時のスカルノ大統領は、インドネシアの青年たちを使ってこのbungasakuraを歌わせ、両殿下をお迎えしました。日本のこうした戦前の歌は案外東南アジア諸国では歌われていたのでしょう。
 
Bunga Sakura
 
このスカルノは、ハッタと共にインドネシア独立の立役者で、インドネシア初代大統領です。これほどまでに当時の皇太子殿下同妃殿下を温かく迎えたのは、スカルノが日本軍の支援の下でインドネシア独立を勝ち取り、その軍内に多数の元日本兵が名も命も捨ててインドネシアの独立の為に戦った事実があるからでした。インドネシアは、こうした元日本軍兵士の気持ちを十分に受け入れ、温かく報い、そして永久に残したのです。MERDEKA17805とは、皇紀2605年8月17日に始まった独立闘争を意味するのです。即ち、日本が終戦を迎えた2日後、インドネシアは再支配を目指すオランダ軍との壮絶な独立戦争に突入したのです。その中に祖国への帰還を断念してインドネシア独立に命を賭けた日本兵の姿がありました。
 
merdeka 17805 trailer
 
国を愛することが罪悪のように言われる現代、インドネシア独立のために戦った元日本兵は道化でしょうか。彼らは日本を愛することが出来たが故に、自らの国を愛するインドネシアの人々の気持ちが理解できたのではないでしょうか。愛国心を削り取られようとする現代においてこそ、この『愛国の花』は歌われるべきではないでしょうか。
 
日本国は我々日本人のものです。
日本人が愛さずして誰が愛するでしょう
 
今日本は日本人だけのものではない、という考えの政治家が作った政党が政権を担っています。日本国は日本人以外の誰のものでもありません。日本国に住することが出来るのは日本国を愛する人だけで、日本国を愛する日本人がこの国土の防衛に責任を持ちます。その日本人は、菊の御紋を守る桜、凛々しい梅、雄々しい椿ではないでしょうか。
 
桜が日本の誇りなら
誇りある日本を愛するのが日本人です
 
日本人は心優しき侍/世界から感謝される日本【独立アジアの光】
 



被災地復旧には遅く、売国・反日政策に早い民主党。とにかく潰さないと日本は滅びます。との警告からの転載です。
http://ameblo.jp/lisa-w-paz/entry-10894636203.html

このドサクサは許せませんし。

やはり基地外民主党は潰れなければなりません。

そうしなければ富士山が大爆発するのではとも思えてきます。






https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/f9/6f/motok0485/folder/934708/img_934708_25192054_0?20110518100729

転載元転載元: 初詣は靖国神社のブログ


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