チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

反タクシンのうねり

イメージ 1
タイ政変(2010)の総括−2−
反タクシンのうねり
 
2010年3月に始まった赤シャツ派の集会は、「勝利ない解散はない」という「最終戦争」という名前の集会でした。
勝利とは何か・・・勝利とは当然のこと、元首相タクシンの勝利を意味します。では、タクシンは何を持って勝利と考えるのでしょうか。
タクシン元首相にとっての勝利とは、4年前のクーデター以前に戻ることです。すなわち、タイ国内の政治権力のすべてを掌握し、批判的な言論機関を国家権力のみならず、自らの関係する企業の宣伝費を利用して圧殺し、警察、軍、官界のすべてに金銭汚職の網を張り巡らせてその中心に自らが『君臨』することです。
先月24日ごろまでチエンマイと隣県ラムプーンを結ぶ旧道の交差点には大きなタクシン支持の看板が出ており、そこには「今も将来も永遠の首相タクシン」と詠われていました。
こうした彼の個人的な欲望の為とはいえ、何故にこれほどまでに国を二分する争いになったのでしょうか。表面的には落ち着いたようなタイの政情を振り返ってみました。暴動の表面を見ているだけでは自体の本質を見失うでしょう。
 
そもそも携帯電話事業を通じて巨万の富を築いたタクシンが政界進出を考えた理由は、何なのでしょうか。こじつければいろいろあるのでしょうが、携帯電話機そのものの価格の低迷につれて浮上してきた通信事業の重要性・将来性、IT産業全体の中で携帯電話の占める割合が下がり、携帯電話機がインターネットの世界と繋がりを深めてPCとの境がなくなるであろうという予想のもとで、通信事業界の中で絶対的な地位を維持しようとすれば、将来的に亘って政府との緊密な関係が欠かせません。
そうした官界との密着の必要性は、彼の経済人として官僚と接触する中で、また自らも警察官僚として官僚世界に身を置いた経験から、官僚の性格を身に染みて知っていたのではないでしょうか。経済人として官界との接触の中で独占に近い状態で携帯電話事業を経営して夢のような人生を作り出した彼が、その甘い汁を吸い続ける為に、将来のIT事業での絶対的地位の保証を得る為にはどうしても官界とのより緊密な連携が必要と感じたでしょう。
政界に進出するに際して利用したのが、元バンコク市長であり、18年前の血の5月事件の中心人物であるチャムロン陸軍少将でした。バンコクの交通渋滞を半年で解消するという大見得を切って副首相の地位で内閣に参加しましたが、見事に失敗します。多分この時、彼は首相でなければ自分の思うことが思う通りに行えないと思い知らされたのではないでしょうか。
そこで、新憲法の下で自らの政党を作りますが、この時多くの政治家、学者、経済人が砂糖に集る蟻の如く彼の周りに集まります。
圧倒的な勝利を得て政権を掴んだタクシンですが、次々と暴かれるタクシン政権の汚職情報が次々と市民連合に集まり、情報源が賛同者となり、ケーブルテレビから、新聞から、地上波テレビから情報を得た中間層がタクシン政権の腐敗を責めながら、南部イスラムたちも反タクシンに立ち上がります。
タクシンの政治姿勢は、敵か見方か、単純にこれだけです。第三者はいません。新聞、テレビもタクシンを支持する論調であるか否か、賛美以外の批評、論評を彼は嫌いました。完全な民間テレビ局として始めて出現したITVもこうしたタクシンの政治的目的達成のために、ネーション・グル−プからタクシン関係企業が買収しました。こうした性格が敵を作り出していったのです。
通信衛星関係の部品輸入に関して、タクシン関係企業は、海路輸入したコンテナをなぜか空港で税関審査し、しかも書類偽造が行われ、それを実行した通関業者が勇気を出して証拠を提出して告発し、報償として受けた手数料の銀行入金票控えすらも出しました。ある筈のコンテナ番号が消され、税金額が異常に少ない理由を民主党の議員がこの一通関業者の書類をもとに追求しますが、最後にはこの通関業者は、バンコクから1000キロも離れたチエンラーイの町で射殺されます。しかし、警察は捜査以前に現場を見てすぐに女性関係の縺れとして捜査を打ち切りました。
しかし、本人は死ぬ前に通関に関して用いた一切の書類を手渡した旧知の民主党議員に相手側より告発内容が誤りであることを認める代わりの高額のオファーを受けている旨を告白しています。これに対し、民主党議員はお金を受け取って、もうこれ以上追求することは止めよう。自分もこれ以上あなたを守りきれない、と説得しましたが、彼は正義の為に戦うとしてお金を受け取りませんでした。その結果が彼の死です。
かくして市民連合が巨大なうねりとなってバンコクで巻き起こると、地方都市においてもそうした豊富な情報を持つ人々の間で反タクシンのうねりに賛同する土壌が出来上がり、バンコクでの集会に声援を送り、参加者を送り、資金を送ります。それは海を越えて海外の反タクシン的考えの人々からも集まるようになります。英国では、店に入ってきたタクシンを先客のタイ人がテーブルに指先で突付くようにして音を立てて抗議の意思表示をしタクシンを追い返したとも言われます。
市民連合には、社会の裏の事情を知る上流僧、経済界、経済学者、社会学者、法学者、退役軍人、商店主、というどちらかというと知識階層の人々がそれぞれの情報を持ち寄り、それぞれがステージの上で参加者にタクシンの実像を伝えます。それは深く鋭いものでした。
すべてタクシン一人に権力・決定権を集中し大臣といえども決定権を持たないお飾りの人形に過ぎない「タクシン政体」という言葉が生まれ、タクシンの横でタクシンの為に働く人たちが関わる企業が各種プロジェクトの恩恵を蒙り、そうした企業を潤す為のプロジェクト企画、政策的汚職構造に基づく富の偏在が起こるという「タクシン経済」という言葉が生まれたのもこの頃のことです。
時に、国王の在位60周年記念行事、国王80歳生誕記念と次々と祝い事が重なる中で、国王平価の賓客にもかかわらず、国王陛下を差し置いて外国王室を出迎えるというタクシンの不敬行為の噂も流れてきました。一方、市民連合が国王への忠誠を近い、タイ王政護持の意思を鮮明にする為に当時国民の間に広まっていった国王の色である黄色いシャツを着るようになります。ところが皮肉にも、後に反タクシンの象徴ともなるこの黄色のシャツを全国民に着るよう薦めたのは、実は、タクシンに他ならないのです。
この間も市民連合の反タクシンの舌鋒鋭い集会は収まるところを知らず、そうした市民レベルのうねりとは別に、汚職追求の動きは議会内では民主党が行いましたが、政府側の反応は鈍く、国民の間に苛立ちが出てきました。そして、2005年、タクシンはタイ政治史上初めて4年の任期を全うして、任期満了に伴う下院の解散総選挙となりました。そして、これに圧勝します。
支持基盤は、従来と変わりませんでした。市民連合の汚職摘発と全国的な反タクシンのうねりとは別に田舎の人たちはタクシンを選んだのです。
しかし、それでも反タクシンのうねりは収まることを知らず、この集会を如何とも処理することが出来ませんでした。そして、議会では、民主党を中心に、タクシン首相の汚職嫌疑、不正蓄財嫌疑、さまざまなプロジェクトに関わる黒い噂についての審議を求めますが、これまで施政方針演説のような法律で義務付けられている日以外登院せず、議会を無視し続けて来たタクシンは、翌年早々に突然議会を解散しました。
現首相アピシットを党首とする民主党は、ついに議会外での反政府運動に参加することはなく、これが黄色シャツ派の不満を呼びます。しかし、アピシットは飽く迄も議会内での改革に拘ります。それ故にタクシンに議会内での議論を求め続けたのです。
これに対してタクシンの議会解散、総選挙は大勝を確信してのもので、これは解散総選挙による大勝を国民の禊として一切の反対勢力を抑えようとしたのでしょうが、これが終に出口の見えない政治の混乱をもたらします。
2006年4月2日に行われた総選挙は、民主党党首アピシット主導の下で野党の総選挙ボイコットという前代未聞の事態でタクシンに対抗し、投票日には投票用紙を破ってタクシン政権に講義する学者も出ました。
そして、行われた野党不在の総選挙では、一党のみの立候補を避けるために、有名無実の諸政党に経済支援をして立候補させる作戦を取りますが、これが選挙違反への道を開き、単にタクシンの政党のみならず、中央選管の不正までをも誘発し、中央選管委員が懲役刑の実刑判決を受けて辞職し、先に行われた4月2日の総選挙の無効判決が出ました。しかし、中央選管不在の中で選挙は出来ません。中央選管を選ぶにも議会はすでに解散しています。事態は出口の見えない袋小路に入ってしまったのです。
この中央選管に有罪判決が下る前、裁判官認証式において、国王は、法律は全ての人に等しく行使されねばならず、法律を曲解して特定の人、団体に利をもたらしてはならない、旨の発言があったとも言われます。ここにもタクシンの反国王の感情の原因があるのかもしれません。
混沌とした出口の見えない中で、内閣総辞職と勅撰による臨時暫定内閣を求める声が巷にあふれます。軍の出動を求める声も巷に流れてきます。反タクシンの象徴的存在のソンティが、当時の陸軍司令官と面談したのはこうした時期でした。
こうした中でタクシンは9月に国連に出席します。その最中の9月19日、ニューヨークでタイ国軍の異常な動きを耳にしたタクシンが陸軍司令官ソンティの解任を発表するよりも早く、タイ陸軍を中心とするグループがクーデターを起こしました。
そして、クーデター部隊を迎えたバンコク都民は、これまでの鬱屈した気分が払拭されたかのような開放感を味わうと、手に手に花を持って感謝と激励の言葉をかけ、ある人は飲料水を差し出し、ある人は子供連れで兵士と記念撮影までして、誰の表情にも笑顔が浮かんでいました。
ここに最後には軍頼みのタイ人気質を見るようで、複雑な気持ちになります。
(続)
冒頭の写真は、クーデター部隊の戦車に群がる喜びの都民の群れです。

全1ページ

[1]


.
mana
mana
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(37)
  • 株式会社セロリの管理人
  • takachin
  • ishujin
  • 光の子
  • KABU
  • 建設環境は震災復興
友だち一覧
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事