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アセアン会議を潰した後、内務省内に乱入して国民への呼びかけを行う首相を襲撃する赤シャツ派
昨年4月のアセアン会議予定会場のパタヤー視察を終えて帰る途中の首相を襲撃する赤シャツ
タイ政変(2010)の総括−3−
赤シャツ派の出現
クーデター後の暫定内閣により恒久憲法の制定が急がれ、翌年には発布されました。これがいわゆる50年憲法(2550年=2007年憲法)と呼ばれるもので、タクシンを始め、タクシン支持派が最初に攻撃した目標でした。
外国にいるタクシンと国内支持党員との関係が続く中で、新憲法のもとでの下院議員総選挙実施によってもタクシン支持派の政党が圧勝します。
首相として選ばれた前バンコク知事サマックは、自らタクシンの代理であると公言するなどタクシン政治の再現を目指すかのような印象を与え、一時は集会を解散して様子を見ていた市民連合に集会の再開を決意させました。
こうした反サマック運動の中でカンボジアとの長年の国境紛争が政治問題として浮上してきます。これには、タクシンとカンボジア側との密約説まで流れ、海底油田の権利と引き換えに国境の寺院の所有権を放棄したというのです。一方、首相としての資格を裁判所が否定する判決が出て倒れると、次いで首相になったのが、タクシンの妹婿で元法務官僚のソムチャーイでした。この頃には市民連合は、首相府を占拠すると言う暴挙に出、いわゆる空港占拠事件というのがこれに続きます。
この空港占拠事件は、外遊から帰国するソムチャーイ首相に対する抗議と帰国阻止を狙っての空港前での抗議集会を目指していたものですが、民衆の動きを見た空港責任者が空港閉鎖を決め、滑走路で離陸準備完了状態の飛行機をすら引き返させ、空港内の乗客を放置し、空港機能の停止を命じて逃走してしまったのです。
そして、延々と続く黄色シャツ派の首相府占拠、空港占拠の中で、今回暗殺されたカッティヤ陸軍少将の黄色シャツ派の中で死傷者が出る、という不気味な予言があると、彼の言を実証するかのように、その夜集会の中にM79が打ち込まれます。
また、ソムチャーイ首相の元で、副首相として就任した元首相チャワリット陸軍大将の指揮下、警察は、殺傷能力が非常に高い中国製催涙ガス弾を水平発射して集会排除の実力行使に出、市民連合に多数の死傷者を出しました。若い女性は心臓にまで届く爆破の衝撃にも警察は彼女が爆弾を抱えていたと主張し、足を吹き飛ばされた集会参加者は始めから足がなかったとテレビで釈明し、集会派が手榴弾を持っている証拠として発表した写真は、キーホルダーのワッパである等、警察は明らかに集会派に悪意を持って望んでいました。
そのソムチャーイ首相の政党もまた党役員の選挙違反の責任を問われて解党判決が出ると、内閣は解散となりました。
ソムチャーイ内閣の解散を気に、多数の死傷者を出し、集会の名目を失った市民連合は集会を解散します。
一方、解党された政党の議員は速やかに自らの所属先を探さねばなりませんが、この時党内は分裂します。そして、なおタクシンに忠誠に誓う人たちが進んでいったのがプアタイ党で、これが現野党です。そして絶対的タクシン支持とされていたネーウィン派は、この時タクシンと分かれて独自の党を設立し、反タクシン色を鮮明にすると、新たな首相選出に絡んで政界再編が起こりました。即ち、第二党民主党を中心とする六党による現連立内閣の誕生です。
こうした民主党内閣に対して、タクシン支持者たちは、バンコクの王宮前広場で集会を開き、その際、これまで一部にしか見られなかった赤が集会の色となります。すなわち、黄色シャツ派に対抗して赤シャツで統一し、市民連合が用いた拍手用の手形の道具に対して足形を用い、市民連合に倣って集会の長期化を狙い、ASTVに対抗してPTVを開設し、地方の零細放送局網を使って自派情報機関とします。赤シャツ派および野党は、民主党政権を権力の横取り、軍およびアムマートに後押しされた反民主的行為であり、議会は解散の上総選挙せよ、と声高に叫みます。
アピシット首相は、連立内閣の不安定な状況の中でも、連日のように繰り返される南部タイでの暗殺、軍・警察に対する挑戦という不安定な状態を是正しながら、突然に襲ったリーマン・ショックに対応してタイ経済を立て直していきます。
若いアピシットの沈着な政権運営と巧妙な連立維持の手法による政権維持に危機感を抱いたタクシンは、アピシットがただ若く、自分のように経済を知らず、タイは沈没する、と訴えますが、何の効果もありませんでした。ついでアピシットは軍の支持で政権を民衆から奪い取った反民主主義者、そうした非難を繰り返し、自分こそが現在も首相であると主張し続けます。
野党、タクシンの反政府運動は、バンコク王宮前広場での集会の規模の大きさを世界に示すことで反政府、親タクシンの国民感情を世界に訴えますが、タクシンは、支持者に対して、またタイ国民に対していくつものサインを送っています。
1. 自分が不遇の間は、タイに平安はない。
2. もしも国王が望むならば帰国してもいい。
3. すべてをクーデター前に戻すならば話し合いの余地がある。
同時に、世界に対して民主党政権の統治能力の欠如を印象付けようとします。その表れが昨年のパッタヤーでのアセアン首脳会議とそれに関わる、+3、+6の会議でしたが、歌手のアリスマンを指導者とする赤シャツ派は、会場のホテルに乱入して会議を妨害したことは記憶に新しいことと思います。各国首脳は命辛々帰国する羽目になり、タイの面目丸潰れとなりました。
それを喜んだのはタクシンに他なりません。
こうした赤シャツ派の暴挙は、直後のバンコク市内での首相襲撃という事態にまで至り、通常の国営放送を使っての報道では危険であるして、内務省において国民に訴える首相放送を知った赤シャツ派は、大挙押しかけ、敷地内に乱入し、省内を首相の姿を求めて暴れまわります。しかも、それを扇動したのは野党政治家でした。血を求めていたのはタクシンだったのです。
それは正に殺人ゲームの世界そのものでした。国民に訴える首相を守るべき軍幹部、警察幹部はもとより、政治家、秘書たちまでもが画面から消えました。一人不安の面持ちで国民に訴える首相は、放送終了後直ちに建物を出ると、普段使用しているBMWから防弾装備の施されたベンツに乗り換えて暴徒の襲撃の中を非常口から脱出しました。こうした暴挙に対して警察は全く無関心にも近い状況で暴徒鎮圧の意欲はないかのようです。
こうした警察の黄色シャツへの殺人的催涙弾水平発射、M16の実弾発射に対して、赤シャツ派に対する無抵抗・無対策は何を示しているのでしょうか。人々はこうした警察の態度を自動車のギアになぞらえてニュートラルと評しました。
こうした警察権力の不可解な行動、沈黙を守り続ける陸軍司令官にどこからともなく聞こえてきたのが「スイカ」論です。すなわち、スイカは外側が緑=軍服、警察官制服の色ではあるが、その実態、心は真っ赤であり、軍も警察も赤シャツ派なのだという噂が意図的に指導部から流されると、赤シャツ参加者の意気あがります。それを証明するかのように、幾度となく陸軍司令官の執務室を狙ったと思われる、M79の発射にも警察の捜査は遅々として進まず、軍も沈黙を守り続け、枢密院議長宅への圧力、罵倒の声にも沈黙で応えます。
そんな中で、現役陸軍少将カッティヤは進んでタクシン派を支持を公言して憚らず、しばしば国外逃亡中のタクシンを訪問し、軍を非難し、集会では人民軍の組織を宣言し、訓練を始めます。そして、彼に同調するように地下から現れたのがタクシン政権時代の首相府相でもあり、不敬罪で国外逃亡中のチャッカポップが関わるデーン・サヤームという共産主義者の集団です。さまざまな挑発に対してアピシット首相は、全ての問題は、民主主義に則り、話し合いと議会制度を通じて解決するべきとの強い信念の元で赤シャツ派の路上占拠の集会を取り締まることがありませんでした。
バンコク王宮前広場で集会を開き、政府を挑発し続ける赤シャツ派、それに参加する人たちに配られる一日500バーツの日当。夜間にはタクシンのフォーン・イン、まるでショーのようになりました。
犯罪者であり、国外逃亡中のタクシンの反政府集会へのフォーン・インを許し、国外に逃げているタクシンに追捕の手を差し向けない政府に対し、反タクシン派のみならず、政治意識に目覚めている中間階層の市民のあいだに疑問・怒りの輪が徐々に広がっていきました。
そんな国民感情の中で、正に隣国カンボジアとの国境紛争で揺れる時期に、タクシンはカンボジア首相の政治顧問に就任しました。国民の中からは、タクシンに対して裏切り者の怨嗟の声が上がります。様々なタクシンの挑発にじっと耐えるアピシットは、直ちにカンボジアに対する経済援助・協力の見直しを発表します。貧弱なカンボジア経済を覆しかねない声明でした。タイ国内における反カンボジア感情の勃発を恐れたのかカンボジアはタクシンを国外に出します。
そして、カンボジア首相が兵士とともに国境未確定地域視察に来るという情報を得ると直ちに反応しました。カンボジアの首相が領内に来るならば、わが国は相応の礼を持って出迎えるであろうし、その旨当該県知事に指示し、決して礼を失しないよう指示している。ただし、カンボジア首相が兵を同伴することは決して許されない、とタイ国軍への警備を厳命しました。
軟弱なように見えても、こうした強硬路線もとるアピシットの頭にあるのは、民主主義を守りたい、国民を殺したくない、領土を死守する、というものでした。
一方一般民衆を扇動する人たちには、アピシット首相が赤シャツ派の民衆殺害の秘密指令を軍に出し、すでに何百人も殺されて死体は人知れず処理された、アピシットは赤シャツ最高指導者五人の暗殺命令を軍に発した、そんな噂を流して自国首相への憎悪を煽ります。
こうしたアピシット首相攻撃は北部、東北部で激しく吹き荒れ、北部では、チエンマイも含めて反アピシット、反民主党政府感情は民衆の意識洗脳という手段で危機的状況にまで至り、今もその動きに衰えはありません。
激しい赤シャツの反対運動の中でも綱渡りのように政局を乗り切り次々と解決していくアピシットに次第に赤シャツ派は危機感を募らせます。
こうして始まったのが、今年3月の最終戦と称する集会です。
そして、これがそれまでの集会と異なっていたのは、表面的な赤シャツの一般民衆とは別に、武装集団が本格的に政府、軍を挑発し、共産主義者のデーン・サヤームが不気味に地下に潜っています。しかし、この三つはすべて同じ根から出ているのです。
すなわち、タクシンです。
(続)
Arsonists Protester Burning Bangkok Bank (BBL) - see them closely who are they
見よ!バンコク銀行放火の瞬間(May.2010)を。動画は始めはタイ語(英語字幕)ですが、2分過ぎから英語の説明(音声が小さいですので注意してください)に変わります。
タクシンとウィーラの(秘密)会話
赤シャツ派何をしたか
タイ政変(2010)の総括−1−
タイ政変(2010)の総括−2−
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2010年06月11日
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