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閑 話 休 題−104−
人の世界、誰もが全て同じ、そんなことは不可能です。顔も違えば性格も違います。不可能ゆえに時間の経過の中で夫々の生活に違いが出てきました。これを不公平、不平等と責めることは簡単ですが、それは事実を曲げることになるかもしれません。各人の生活の『違い』はあっても、そこに『格差』を求めると現実社会を歪めてしまいます。『違い』は色々なことが原因で起こるでしょうが、決して永遠不滅ではなく、常に変わり行くのもまた現実社会ではないでしょうか。その『違い』を際立たせるか、薄めるか、それは各人の努力で、その努力を否定すると進歩がなくなります。
富の平等、全ての人が平等だという考えで走った社会主義革命の結果何が起こったのでしょうか。富の不均衡と不平等、そして不満を抑圧する圧制でした。そうした社会でない状況でも恣意的な富の均一化は放恣と無気力と無秩序とをもたらし、人間の本質を否定する考えに、社会は混乱を来たします。
現実に世の中には『富める』人と『貧しい』人がいます。そして、これは過去からありました。ある人は生まれながらにして『富める』かもしれませんし、『貧しい』人がある日突然『富める』人になるかもしれません。大切なことは、努力という機会を消さず、誰にも同じように開かれたものとし、人としての心を保つことではないでしょうか。『富める』人が傲慢の気持ちを起こさず、『貧しい』人が嫉妬の気持ちを持たず、互いに人として対等に付き合うことが出来れば、決して不平等な社会ではないのかもしれません。全ての人に『富める』機会も『貧しい』人となる機会もある筈です。互いに仲間として、人間として対等な気持ちであれば、世の中は暖かい社会であり、人々は努力を怠らず、社会は発展していくのではないでしょうか。
とはいえ、そうした人間関係ばかりであれば、昔話というのは案外つまらないものかもしれません。現実社会には、『驕る』人『嫉妬する』人がいるものです。もしも『富を驕る』人と『貧しいが心清い』人がいれば、それは格好のお話となるでしょうし、昔の人はそうした組み合わせで様々な話を作るのかもしれません。
貧しい妹と裕福な姉
村の中に一組の姉妹がいました。既に両親もなく、二人しかいない姉妹は夫々に家庭を持っていますが、姉は村でも有数の金満家であったようです。逆に、妹は貧しさの中で授かった二人の子供を地を這うようにして汗水流して夫婦二人で働いて育てて来ましたが、夫が亡くなると、もう自分一人で母子三人の糊口を凌がねばなりませんでした。
ある日、彼女は、ひもじさに泣く子供を両腕に抱え、同じ村に住む姉の家で働かせてもらおうと考えました。吝嗇であるばかりか心悪しき姉の性格を知る彼女でしたが、二人の子供のことを考えると、背に腹は代えられませんでした。そんな妹の申し出でを受けた姉は、見下すように云いました。
「働かせてくれ、だって?おまえにやる金なんてないよ・・・」
「・・・せめて、姉さんたちの食べ残しでもいいの。うちの子供たちに食べさせたいだけなの」
「ふうん」
姉はせせら笑うように云いました。
「お金は要らなんだね。食べ残しでいいんだね」
こうして、裕福な姉家族の食べ残しを貰い受けることの代償として、妹は姉の家で朝から晩まで働くことになりました。
心悪しき人間とはこうまで人を苛めるものでしょうか。来る日も来る日も桶10杯の水汲みと7籠の米搗き、桶3杯の馬の草刈、朝昼夕3度の食事の支度全てが妹一人に課せられました。しかも、彼女の務めはこれだけに留まらず、姉一家の全てに奉仕することで、洗濯、掃除は勿論、姉の家で飼っている豚の世話、鶏の世話、庭の手入れ、疲れても輿を下ろして一息入れる時間などありませんでした。そこまで時間を惜しんで働いても、彼女が姉から叱責の言葉を吐かれない日は一日としてありませんでした。
どれほど働いても二人の子供の空腹を癒すことなど出来ず、細々と命を繋ぐことが精一杯でした。そんなある日、毎日搗く米が幾粒か地面に零れ落ちていることに気付いた彼女は、小さな竹の筒を拾ってくると、その中に一粒一粒、宝物を仕舞うかのように入れていきました。
連日の過労と食料不足に彼女の身体は限界に来ていたのか、立ち上がろうとすると腰は痛み、背中に激痛が走り、耳鳴りがし、眩暈すら覚え、辛うじて立ち上がった彼女の身体が一瞬フラッと傾きました。懸命に両足を踏ん張って耐え、拾い集めた米粒を入れた竹筒を抱えるようにして覚束ない足取りで家路につきながら、子供に食べさせることを思うだけで、彼女の身体を襲う激痛も和らぎます。
足を引き摺るように帰り着いた彼女は、早速お米をとぎ、炊事の支度に取り掛かりました。が、どうしたことか、このことが姉の耳に入ると、妹が米を盗んでいったと騒ぎ立て、家にまで押し掛けて来ました。吝嗇な姉は、証拠の品だとばかりに炊き上げようとしている小さな竹筒半分ほどの米を取り出すと、家に持って帰り、そのまま豚にくれてやりました。
どれほど懇願しても姉は聞く耳を持ちませんでした。それのみならず、二度と家に立ち入ることならんとまで厳命されると、彼女たち母子3人にはもう生きる術すら残されていませんでした。その夜、空腹を訴える子供を両腕に抱き締めた彼女は、ただ悲しさに涙を流すしかありませんでした。
夜明けまで悲しみに泣き暮れた妹は、夜が明けると泣き疲れて眠る二人の子供を床に寝かせ、その足で姉の家に向かいました。何とか働かせてくれるよう額を地に付け、両手を合わせて拝むように頼みましたが、蔑みの言葉以外姉の口からは漏れませんでした。
精根尽き果てて家に帰ってきた妹は、小さな竹篭を背に森に入りました。森の山菜、木の実、何か口に出来るものはないか、一縷の望みを森の中に求めましたが、生憎、あるだろう山菜も見えず、落ちているだろう木の実もなく、生っている果物はまだとても食べるまでに熟していませんでした。
日が西に傾き、森を出た彼女は天に祈るように赤く萌える夕日を見詰め《明日こそは・・・》かすかな望みを夕日に込めて家路につきました。
ところが、森を出た彼女を待っていたのは、巨大なニシキヘビでした。村に向かう一本道の真ん中に来る時にはいなかった見たこともない巨大なニシキヘビが通行を妨げるように横たわっています。家に帰るには巨大なニシキヘビを跨がねばなりませんが、そんなことが出来るはずもありません。
「ニシキヘビ様、どうか、哀れな私に思し召しを垂れて下さい。私には、未だ幼い二人の子供が家にいて、子供たちは、一日と一晩何も食べておりません。どうか道をあけて私を家に帰して下さい」
しかし、蛇はただじっと彼女の目を見詰めたままピクリとも動きません。丸く見開かれたニシキヘビの目は優しく澄み、彼女に何かを語りかけているかのようでした。
まさかとは思いながらも、命以外何もない彼女は、意を決して蛇の前で膝まつき、竹篭を横に置き両手を合わせました。
「ニシキヘビ様、もしもあなた様が私たち家族の命を助け、あなた様の肉を二人の子供に食べさせ様として来られたのであるならば、どうか、この竹籠の中に入って下さい」
彼女の言葉が終わると、巨大なニシキヘビは、ゆっくりと巨体を動かし、くねくねと大地を這いながら彼女の竹篭の中に入っていきました。
籠の中でとぐろを撒くニシキヘビ、覗き込む貧しい女性、見詰め合うそこに何か通うものがあったようです。竹篭を背負って家に帰った彼女は、蛇を切って調理し、蛇肉のスープを作りました。蛇の切り身以外何の調味料も薬草も入っていないにも拘らず、あばら家に絶えて久しい香ばしい匂いが漂うと、二人の子供は駆け寄ってきました。
「母ちゃん・・・早く食べさせてよ・・・」
「もうちょっとだよ」
彼女は、十分に火の通った蛇の切り身を取り出すと、千切って一切れずつ子供に食べさせました。
二人の子供が蛇の肉を口にした、その瞬間、どうしたことか二人の子供は忽ちにして、黄金に輝く二羽の孔雀に姿を変えました。そして、そのまま数度大きく羽ばたくと夜空に舞い上がって闇の中に消えていきました。
呆然と二人の子供が飛び去った夜空を見上げながら、彼女は言葉もありませんでした。翌朝、目覚めると、孔雀に姿を変えて飛び去っていった二人の子供が恋しくてなりません。思わず子供たちが飛んでいった方向に向かって子供の名前を呼ぶと、どこからともなく二羽の黄金の孔雀が飛んで来ました。一羽の孔雀の口には黄色く熟れたマンゴーが、そして、今一羽の孔雀の口には赤く熟したパパイアが咥えられていました。
母親の両の手にマンゴーとパパイヤを落とし、母が食べるのを見届けた二羽の黄金の孔雀は、傾いた母の住むあばら家を後に飛び立つと、真っ直ぐ吝嗇な伯母の家に向かい、彼女の頭に糞を落として飛び去りました。
その日以来、貧しい妹のもとには毎日美味しい果物が届けられ、もう空腹を感じることなど一日としてありませんでした。一方、裕福ながら吝嗇で意地悪な姉は、連日二羽の孔雀の糞を頭に受け、徐々に髪の毛が抜け落ちていくと、終には一本の産毛すら見えなくなったといいます。髪の毛が抜け落ちるに連れて、彼女の財産も次第に消えうせ、最後は頭同様何一つとして残らなかったといいます。
(了)
スチャート・プーミポリラック著「雲南省のタイ・ルーの伝承」に収蔵されている「貧しい妹と裕福な姉」より題材をお借りしました。
冒頭の画像は、『ドライ・チキン・カレー』にも似ていますが、『カーウ・モック・カイ(KHAAW MOK KAI)』といい、この料理は知りうる限り、回教徒、すなわち中国南部のイスラム教徒回族の人たちが扱っています。特徴としては、殆どが鶏を使い、一部羊を使います。そして何より作り方に様々な方法があって夫々秘伝のようですが、共通して隠し味的に使われているのがヨーグルトで、調理前に鶏はカレー粉などで下味が付けられます。通常これには甘いタレがつき、こうしたお店の近くにはイスラム教徒が多くいて、竹串に刺して焼いた牛肉を売っていることがよくあります。
チエンマイへ1
この動画は、タイ国最大のダムであるターク県のプーミポン・ダムよりチエンマイに向かってのボート・トリップの模様です。
チエンマイは、この重畳と連なる山のはるか北にあります。
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2011年03月01日
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