チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

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ダンチョネ節

ダンチョネ節
月島丸
 
古くは高田浩吉という俳優兼歌手がいましたが、嘗て日本における映画スターというのは多くが歌手としての面も持っていたようです。小唄を基礎とする股旅物で甘いマスクと歌声で一世を風靡した高田浩吉の弟子、鶴田浩二はどちらかというとどこか重い雰囲気があり、時として涙を誘い、時として深く考えさせられ、そして、時として背筋を伸ばして聞くことがありました。そして、兄慎太郎の小説の映画化に伴い意図せずして映画界に入った石原裕次郎は、太陽族の明るい現代的青年として時代の寵児となり、甘い歌声は自ら歌の素人と言いながら多くのファンを魅了しました。そんな二人とは違って大変軽快なリズムと透き通るような高音の歌声で人気を博したのが小林旭だったかもしれません。この三人は三者三様夫々に持ち味が違います。そして、重く悲しみを湛えた軍歌を語りかけるように歌う鶴田浩二とは対照的に、小林旭が歌う歌には、悲壮感はなく、颯爽と流離う旅人が似合うかもしれません。
そんな小林旭の歌に『ダンチョネ節』があります。これは昭和35年西沢爽作詞、遠藤実作曲の戦後の曲です。
 
ダンチョネ節 小林旭
 
この『ダンチョネ』というのはどのような意味でしょうか。カタカナで書かれている為意味を理解し難いですが、漢字で書けば『断腸ネ』でしょうか。そして、断腸とは腸が絶たれるほど悲しい思いをさしますが、これの元になった話を見るとそれが良く理解できます。昔、中国にこんな話があったそうです。西暦4世紀から5世紀はじめに掛けて中国に東晋という国があり、その東晋の政治家に桓温という人物がいました。どうも可なりの権勢欲の持ち主であったようですが、そんな彼が蜀への旅の途中で三峡を渡る時のこと、部下が小猿を捕まえて来たそうです。すると、母猿が、連れ去られた子猿を追って三百里に渡って三峡に沿った岸辺の道を子猿を求めて走り続け、桓温たちの船が岸辺に近づくと飛び移るや息絶えたといいます。その母猿の腹を切り裂くと腸はズタズタに切れていたというのです。何故母猿の腹を切り裂かねばならなかったか、などと答えのないことを聞かないようにしてください。とにかくこの故事から『断腸』という言葉が生まれたといわれます。
しかし、そんな中国の昔話を例に引かなくても、日本にも同じようなまさに腸を引き裂き、五臓六腑をズタズタにしてしまうほどに悲しい耐え難い出来事は決して少なくなかったでしょう。そして、今から100年余り前のことですが、こんな悲しい話があります。
日清戦争に勝利しながらも、露独仏の三国干渉を涙を呑んで受け入れ臥薪嘗胆の思いを胸に秘めていた明治31年、海洋国家日本の最初の本格的帆船実習船として三菱長崎造船所で月島丸が建造されました。しかし、月島丸は明治33年11月17日、襲い来る台風、暴風雨に波間に漂う木の葉のように翻弄され、終には駿河湾沖で沈没してしまいました。この海難事故により現東京商船大学の前身である、東京高等商船学校の練習生79人を含む122人の乗員全てが海に沈みました。
この時22歳の詩人横瀬夜雨(よこせやう)は、『石廊崎にたちて(月島丸を思う)』という詩を捧げて122人を弔っています。
 
八重立つ雲の流れては
紅匂ふ暁(あけ)の空
夜すがら海に輝きし
鹹(しほ)の光も薄れけり
南に渡る鴻の
聲は岬に落つれども
島根ゆるがす朝潮の
瀬に翻る秋の海
牡蠣殻曝れし荒磯の
巌の高きに佇みて
沖に沈みし溺れ船
悲しみあとを眺めれば
七十五里の灘の上
浪は白く騒げども
玉藻の下に埋れし
船は浮ばずなりぬかな
 
福島県広野町議会議員遠藤智氏は、そのホームページにおいてこの時の殉難訓練生の一人、遠野出身の櫛引勝次郎氏の墓所を尋ねた『月島丸を偲ぶ会』の代表世話人である藤枝盈(みつる)氏の言葉として、次の言葉を紹介しています。
「彼らの大志を、今の若者に伝えたい。本に託し、後世に残したいのです。彼らの死は、国家的損失であった…。」
月島丸の訓練生を失ったことは、全ての人々にとってまさに『断腸』の思いであったと思います。
『ダンチョ』がこうしたズタズタに腸が切り裂けるほどの深い悲しみを秘めた思いだとすれば、小林旭が歌って有名になった同名の歌は、たとえそれが同じ海の男を歌っていてもどこか男女の別れを歌い、『断腸』の思いまでは行かないのかもしれません。
又、八代亜紀の名曲『舟唄』の中にもダンチョネ節の一説が歌われていますが、歌詞の中に
沖の鴎に 深酒させてヨ
愛しあの娘とヨ 朝寝する
ダンチョネ
とあり、これは、阿久悠の作詞で、小林旭のものよりも更に色っぽく、『断腸』とは更に離れて行くようです。
舟唄
では、本来の『ダンチョネ節』とは、どんなものなのでしょうか。どうやら、神奈川県の民謡であるようで、作詞も作曲も作者不明とされています。それも大正時代に流行ったもので、花柳界で歌われていたものが、そうした性格ゆえにか、口ずさみ易かったのでしょう。後に様々な替え歌が出てくると、その中からいわゆる『兵隊ソング』と呼ばれるものの一つとして、兵士たちの口に上るようになったのではないでしょうか。それが戦後になってレコーディングされて今一般に知られている『ダンチョネ節』が全国に広がったようです。父母を残し、若い兵士が妻と、恋人と遠く離れ、幼い子供を残しながらも後顧の憂いを絶ち、祖国への愛を全身に燃え上がらせて明日をも知れぬ戦地へ旅立つ時、その胸中はまさに『断腸』の思いだったのではないでしょうか。
 
ダンチョネ節(断腸ネ)
作詞・作曲:不詳 神奈川県民謡
 
沖のカモメと 飛行機乗りはよ
どこで散るやらね 果てるやら
ダンチョネ
 
俺が死ぬとき ハンカチ振って
友よ彼女よね さようなら
ダンチョネ
 
弾は飛び来る マストは折れる
ここが命のね 捨て所
ダンチョネ
 
俺が死んだら 三途の川で
鬼を集めてね 相撲取る
ダンチョネ
 
飛行気乗りには 娘はやれぬ
やれぬ娘がね いきたがる
ダンチョネ
 
この唄は、『兵隊ソング』に分類され、いわゆる戦時歌謡とは又別物のようです。ここに英語が使われていることからも分かる通り、この言葉自体は戦後になって作られたもので、この分類に入る歌の多くは、兵士たちに親しく歌われても録音して広く国民に知られることはなかったのでしょうか。ちなみにこの『兵隊ソング』に分類される歌の中でも最も有名なものが同期の桜です。
こうした断腸の思いを押してでも祖国の為に飛び立つ兵士にとって、こうした花柳界の粋筋の唄を替え歌にして口にすることで辛い日々に耐えていたのでしょうか。又、その元唄となった神奈川県民謡が座敷での唄であったことから様々な歌詞が作られたようですが、下にその一部を拾ってみました。
 
作詞: 神奈川県民謡
作曲: 神奈川県民謡

三浦岬でネ どんと打つ波はネ
可愛いお方のサ 度胸試し
ダンチョネー
 
泣いてくれるなょ 出船の時に
沖で櫓櫂もサ 手につかぬ
ダンチョネー
 
たとえ三年 遭わずにいてもネ
心変わりがサ ないならば
ダンチョネー
 
遭いはせなんだかヨ 館山沖で
二本マストのサ 大成丸
ダンチョネー
 
雪の達磨さんを 口説いてみたがネ
物もいわずにサ 解けていく
ダンチョネー
 
只、こうして元歌を見ると、『ダンチョ』が本当に『断腸』なのかとも思います。花柳界での唄ということを考えれば、『ダンチョ』に真に命懸けということを期待することも出来ないのかもしれません。それを示すかのように、『ダンチョ』とは三浦岬という場所柄『漁師の掛け声』なのだという説もあり、『団長さんも』という意味だとも言われ、様々にいわれますが、もともと座敷でも端唄のようなものですから、正式に歌詞として記されることもないまま歌い継がれ、『ダンチョネ』とカタカナ書きにされたのかもしれません。そして、カタカナ書き故にその意味が曖昧になってしまったのでしょうか。
 
断腸の思いで戦地に向かった父祖の時代
今我々は何に命を懸けているのでしょうか
 
藤枝盈氏の若者に送る言葉を良く噛みしめたいです。
 
夢と希望に満ちて
気迫、気合いを持って生きよ

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