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愛国の花
富士山(裾野氏観光協会公式ブログより)
戦後の日本人は、『愛国』と言う言葉に拒否反応がある、というか、持たされているように感じます。『愛国』という言葉を聴いただけで眉を顰め、軍国主義だ、帝国主義だと理由もなく決め付け、大きな声で批難轟々となる傾向があります。ところが『愛』という言葉は好きなようで、兜に『愛』を記した武将が人気者になったりもします。妻を愛し、家庭を愛し、子供を愛し、家族を愛することは微笑ましく、推奨されるのですが、『会社を愛し』『地域を愛し』『国を愛し』となると途端に雰囲気が一変します。そして、国を飛び越えて『地球を愛し』となると又推奨されるのですが、どうも理解し難いですね。何故に『国を愛する』ことだけが排斥されなければならないのでしょうか。妻子を愛し、夫や子供を愛し、父母に孝行を尽くし、家庭を愛し、兄弟相和し、友人相助け、勧善懲悪・誠実・質素・勤勉を旨とする人が、地域社会を愛し、所属する組織・会社を愛し、国を愛することは自然な人の気持ちで、自らが生まれ育った国、父母の国を愛するが故に、他国をも愛することが出来るのではないかと思います。
それはともかく、戦後の日本社会に見られる『愛国』という言葉に対する偏見からでしょうか、この『愛国の花』という歌もどうやら日陰者にされているようです。元歌は渡辺はま子ですが、動画で見る限り淀かおる、有山麻衣子、森昌子なども歌っているようです。それほどこの歌は素晴らしい、世代、年代を超えて歌い継がれていくべきものだということは認められるようですが、惜しむらくは、そこにやはり戦後の社会の歪が反映されているようです。動画で探しうる限り、淀かおるは4番を省略し、有山麻衣子は3番を省略し、森昌子に至っては1番しか歌っていません。
渡辺はま子といえば、この『愛国の花』の前年、昭和11年日本ビクターより出された『忘れちゃ嫌よ』という歌の中で甘える様な阿る様な『ネエ』の部分が、「娼婦の媚態を眼前で見るが如き歌唱。エロを満喫させる」とステージでの上演禁止とレコードの販売を禁止する統制指令が内務省より出され、このことからレコード会社では『月が鏡であったなら』と題を変更して売り出したといわれます。これも後年昭和51年になると歌手西川峰子により『忘れちゃ嫌よ』の題名で復活しました。
内務省の禁止にも拘らず、『忘れちゃ嫌よ』のヒットに触発されて世上では様々な『ネエ小唄』が流れると、それに対抗するかのように歌謡界の浄化を目的に国民歌謡が作り出されました。そして、日本コロムビアに移籍した渡辺はま子の移籍後最初のヒット曲こそ、この国民歌謡『愛国の花』だったのです。戦地の兵たちを慰問する渡辺はま子は、いつとはなしに『チャイナ・メロディーの女王』と呼ばれました。しかし、彼女自身決して戦争を美化・賛美したわけではなく、『愛国の花』は、歌詞を見れば分かるように、この中に戦争賛美も、戦争支持も感じられません。只、愛しい国を花にたとえ『桜』『梅』『橘』そして『菊』としているのです。そして、そこには大和撫子の気高さ、凛々しさ、雄雄しさ、美しさを表しています。
愛国の花
作詞:福田正夫 作曲:古関裕而 歌:渡辺はま子
1
真白き富士の けだかさを
こころの強い 楯(たて)として
御国につくす 女等(おみなら)は
かがやく御代の 山さくら
地に咲き匂う 国の花
2
老いたる若き もろともに
国難しのぐ 冬の梅
かよわい力 よくあわせ
銃後にはげむ 凛々(りり)しさは
ゆかしく匂う 国の花
3
勇士のあとを 雄雄しくも
家おば子をば 守りゆく
優しい母や また妻は
まごころ燃ゆる 紅椿
うれしく匂う 国の花
4
御稜威(みいつ)のしるし 菊の花
ゆたかに香る 日の本の
女といえど 生命がけ
こぞりて咲いて 美しく
光りて匂う 国の花
この歌は、昭和12年に福田正夫作詞、古関裕而作曲で国民歌謡として作られました。この昭和12年といえば、広田内閣、林内閣、近衛内閣と目まぐるしく内閣が変わり、内外共に慌しい時代でした。外国では、4月にビルマが英国の準自治州になり、8月には中ソ間で不可侵条約が結ばれます。しかし、我々がこの昭和12年で忘れてならないのは、今も濡れ衣を着せられている7月7日の『盧溝橋事件』、歴史から消されている8月9日の大山海軍中尉と斉藤水兵が上海で狙撃された『大山中尉殺害事件』。7月25日は廊坊事件が発生し、そして何より同月29日には、大陸各地で繰り広げられた中国人による我が同胞惨殺陵辱事件の数々の代表とも言える『通州事件』が起きています。
こうした世相の中でこの美しい歌が発表されました。ですから、既に夫、父は大陸にいて命をかけて同胞、日本の権益を犯す中国国民党軍と戦っていました。そんな戦地の父や夫に銃後の憂いをかけまいと、国内の女性たちの健気さ、凛々しさ、美しさを歌にし、国内の女性たちには自分たち大和撫子としての誇りを持ち、戦地の夫や、父に心配をかけまいとしたのでしょうか。ですから、これは兵士の歌、戦意高揚を目的とした歌というよりも銃後の妻たちの『心の歌』といえるかもしれません。昭和12年に作られたこの歌が翌年日本コロムビアからレコードになって売り出されると、渡辺はま子の歌声が日本中に響きました。
歌がヒットすると、それに便乗するかのように松竹により昭和17年に映画化されました。小暮実千代、佐野周二主演の映画は、時節柄最後にヒロインが従軍看護婦となるとはいえ、全体的に恋愛物語といえるでしょう。
そして、それが時代を追って、新たに歌い継がれてきたことは既に記した歌手の名前からも分かります。
それ以上に、この歌は、インドネシアでも愛唱されていたのです。『桜の花』を意味するインドネシア語『bunga・sakura』という題で歌われていたといいます。その歌詞を作ったのは初代インドネシア大統領故スカルノだったのです。しかも、今上陛下がまだ皇太子であらせられた昭和37年(西暦1962年)2月に美智子妃殿下と共にインドネシアを御訪問あそばされた砌、当時のスカルノ大統領は、インドネシアの青年たちを使ってこの『bunga・sakura』を歌わせ、両殿下をお迎えしました。日本のこうした戦前の歌は案外東南アジア諸国では歌われていたのでしょう。
Bunga Sakura
このスカルノは、ハッタと共にインドネシア独立の立役者で、インドネシア初代大統領です。これほどまでに当時の皇太子殿下同妃殿下を温かく迎えたのは、スカルノが日本軍の支援の下でインドネシア独立を勝ち取り、その軍内に多数の元日本兵が名も命も捨ててインドネシアの独立の為に戦った事実があるからでした。インドネシアは、こうした元日本軍兵士の気持ちを十分に受け入れ、温かく報い、そして永久に残したのです。MERDEKA17805とは、皇紀2605年8月17日に始まった独立闘争を意味するのです。即ち、日本が終戦を迎えた2日後、インドネシアは再支配を目指すオランダ軍との壮絶な独立戦争に突入したのです。その中に祖国への帰還を断念してインドネシア独立に命を賭けた日本兵の姿がありました。
merdeka 17805 trailer
国を愛することが罪悪のように言われる現代、インドネシア独立のために戦った元日本兵は道化でしょうか。彼らは日本を愛することが出来たが故に、自らの国を愛するインドネシアの人々の気持ちが理解できたのではないでしょうか。愛国心を削り取られようとする現代においてこそ、この『愛国の花』は歌われるべきではないでしょうか。
日本国は我々日本人のものです。
日本人が愛さずして誰が愛するでしょう
今日本は日本人だけのものではない、という考えの政治家が作った政党が政権を担っています。日本国は日本人以外の誰のものでもありません。日本国に住することが出来るのは日本国を愛する人だけで、日本国を愛する日本人がこの国土の防衛に責任を持ちます。その日本人は、菊の御紋を守る桜、凛々しい梅、雄々しい椿ではないでしょうか。
桜が日本の誇りなら
誇りある日本を愛するのが日本人です
日本人は心優しき侍/世界から感謝される日本【独立アジアの光】
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2011年05月21日
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