|
パンシップ・トート
落穂拾いー(15)
権力者というのは、一般の人々以上に強力な力を持っています。それは政治力であるかも知れず、経済力であるかも知れず、又知名度によるものであるかもしれません。そんな力は時に殺生与奪の剣となることもありえます。
しかし、そうした力ある人の言動というのは、常に首尾一貫していなければ他の人たちからの信用を得ることが出来ません。『覆水盆の返らず』という諺がありますが、そうした力ある人、影響ある人たちの言葉というものは、零れ落ちた水が再び盆に返ることがないように、一度口から出た言葉は二度と取り消すことが出来ない筈のものです。取り消すことが出来ないが故に、その言葉には重みがあり、権威があり、力があります。もしも、力ある人、権力をもつ人、影響力をもつ人の言葉が朝令暮改、変転極まりないとすれば、人々は彼の言葉のどれを信じていいのか理解できません。
覆水盆に返らず
ある日、チエンマイの南に広がる広大な草原にカムピウという名前の一頭の雌象が、飼育係りの者に連れられて草を食みにやってきていました。遊びに来ていた近くの村娘たちは、巨大な体躯の象の姿を見て、気軽に声をかけました。彼女たちはその飼育係りの人とも幾度となくこうして出会っていたのでしょう。ところが、その日、このカムピウはどこか虫の居所が悪かったのか、若い女性の甲高い声を耳にすると、いきなり鼻を持ち上げ、大きく一声唸りを上げると、娘たちを目指すように駆け出しました。
象は、巨体に関わらず案外に足が速いもので、娘たちは顔面蒼白になり、蜘蛛の子を散らすように命の限り走って逃げました。しかし、足がもつれたのか一人の村娘が草に足を取られて倒れると、その背中をカムピウの巨大な足が力の限り踏みつけ、死なせました。それを聞いた村人たちが、逆に象への怒りを露わに追いかけると、カムピウは、近くに村に逃げ込み、米搗き臼、米倉を壊し、村は大騒ぎとなりました。
その頃、チエンマイの南ラムプーンの王子チャウ・ノーイプロームがその村にいました。王子は、王族の血を引くとは言いながら、世情にも長け、人々の信も篤かったのですが、この時、王子はブアトーンという名の美貌の誉れ高い村娘の所に来て恋を語らっていました。そんな甘い恋の語らいの中で、村人たちの騒ぎを知り、王子は、愛用の剣を手に駆け出すと凶暴な象を追い求めました。そして、見事一太刀浴びせると、カムピウは村の境界を越えて逃げていきましたが、傷口は思ったより深かったのか、ばったりと倒れるとそのまま息を引き取りました。
一段落した、と安心したのはチャウ・ノーイプローム一人でした。王子は、自らが斬り付け、死なせた象の持ち主が誰であるのかを知りませんでした。その持ち主こそ、ラーンナー王国でその名を聞けば誰もが恐れるチャウ・チーウィット・アーウの王女、チャウ・テーパヤケーソーンでした。この王女は、シャム王朝ラーマ五世の后であられるチャウ・ダーラーラッサミーの御母君でした。
象の飼育係は、カムピウの死を確認すると、王女の怒りを想像して体が震えたといいます。しかし、御召象殺害の下手人を知って更に驚いたのですが、急ぎ王女に対して正直に事の次第の一部始終を申し上げました。
自らの御召象が殺害されたと聞いた王女は、烈火の如く怒り、怒髪天を衝いて普段の理性はどこへやら消し飛び、夜間にも拘らず隣国ラムプーンの王宮に乗り込みました。ラムプーンの王宮では、チエンマイの王女が何の前触れもなく、しかも夜間の突然の来訪に上を下への大騒ぎとなりましたが、「折り入って二人だけで話したいことがある」という王女の言葉に、ラムプーンの王は、側近たちを室外に出しました。
「姫君に置かれましては、このような深夜のご訪問とは、どのような急の御用向きでありましょうか」
「あなたのお力をお借りしたくてやってきたのよ」
王女の声は、心中で滾る怒りを抑えてどこまでも感情を押し殺し、しかも顔には微笑みすら浮かべていました。
「姫君のご依頼とあれば、夜空の星を掴むことは出来ませんが、如何なることでも万難を排して成し遂げるでありましょう」
ラムプーンの王をこうして追い詰めながら、王女は嗜虐的に優しい声で続けました。
「何でもないことよ。実は、私の可愛がっていた雌の象カムピウを殺した者がこの国にいるの、そいつの首が欲しいのよ。只それだけ」
「何だ、それしきの事、何の難しいことがありましょうか。どこの村の何と言う名前の者でしょうか。仰って下さい」
「でもね、両国の関係に関わるかもしれないのよ。3日間の猶予を差し上げましょう」
「姫の御召象を殺めた奴です、一刻も早くその首を差し上げねば気が済みません。さあ、どうかそいつの名前を言って下さい」
王の確約を得ると、忽ちにして王女の全身から穏やかな様子が消え、その周りの空気が張り詰めると近寄りがたい威厳を漂わせ、毅然とした姿勢で重々しく有無を言わせぬ力を持って犯人の名前を告げました。
「チャウ・ルアン・ラムプーン、あなたのご子息チャウ・ノーイプロームがわたしの可愛いカムピウを殺めたのよ。3日の後の彼の首を待ってるわ」
その一言で王の顔色は生気を失い、全身から力抜けてその場に崩れ落ちそうになりながら、辛うじて堪えると、力なく小さく呟きました。
「そうでしたか。我がチャウ・ノーイプロームでしたか」
チャウ・テーパヤケーソーンが王子チャウ・ノーイプロームの首を求めてやってきた、という噂は忽ちにしてラムプーンの王宮を駆け巡りました。
役人たちは、若君の首をチエンマイの王女に差し出すことなど出来よう筈もなく、死を賭してチエンマイと戦おう、両軍兵士の代表を出して戦おう、兵の中で若君に似ている者を選び出してその首を差し出そう、果ては、牢内の罪人から年恰好の似た者の首を刎ねて差し出そう・・・そんな話をしている時、当の王子が弟君と一緒に入ってきました。
「皆・・・皆の気持ちは嬉しいが、罪人に我が罪を被せることは良くない」
「ならば、兄上に代わってわたしの首を差し出しては如何ですか」
弟君のチャウ・インタッが言いました。
「チャウ・インタッ・・・ありがとう。でも、おまえは父の命でチエンセーンを統治に行くではないか。公務こそ大事ぞ」
どこまでも心優しいチャウ・ノーイプロームにその場の誰もが涙しました。
「わが父上は、三日以内に御召象を殺めた者の首を差し出す、と御約束された。もしも我が首を差し出さねば、父上の言葉を打ち消すことになってしまう。人は生まれて来るも死んで行くも一度だ。自分の為に戦争など考えてくれるな、チエンマイとは兄弟ではないか」
ジャスミンの花輪
かくも確固たる信念で、自らの行動に責任を取り、なおかつ父の名誉を汚すことを恐れるチャウ・ノーイプロームは、弟、兵たちの厚意を謝し、自制を促すと、愛するブアトーンを訪ねていきました。といって、王家の血を引くチャウ・ノーイプロームに逃走という考えなど微塵もなく、愛するブアトーンに別れを告げにやってきたのです。
「ブアトーンよ。私たちの縁もこれまでとしよう。次の世では、きっと又お前と巡りあい、その時こそ共に暮らそう。それまで善を積み、巡り会う日を信じていておくれ』
「どうして一緒に逃げよう、と仰って頂けないのですか」
純真無垢のブアトーンは、初めて知った恋の甘美がこのような悲しい別れになって終わるとは信じられず、穢れなき真珠の涙を頬に伝わらせ、涙に霞む目で王子をじっと見詰めたまま子供のように縋り付きました。いくら理を尽くして諭してもブアトーンの悲しみを癒すことは出来ませんでした。
やがて別れの時が来ると、ブアトーンは、自ら糸を通したジャスミンの花輪を王子に手渡して言いました。
「愛しの君よ。これをブアトーンだと思って持って行って下さい」
涙で震える声は擦れながら、せめてもの別れの言葉でした。
約束のその日、チャウ・ノーイプロームは自らチャウ・テーパヤケーソーンの館に出向きました。そして、そこからトゥン・フアコン(人首草原)と呼ばれる処刑場に引き出されると、チャウ・テーパヤケーソーンが一言告げました。
「可愛い甥子よ。ご免ね。でも昔の人の言う言葉に『一度王が口にした言葉が再び返ることはない』というでしょ」
王子は、最後の望みに、と、ブアトーンより貰ったジャスミンの花輪を彼女に返すよう従者に託しました。そして、一言の言い訳をすることもなく素直に刑場の露と消えました。
一方、ジャスミンの花輪を受け取ったブアトーンは、悲しみの余り食事も喉を通らず、只泣き続けていました。
そんなブアトーンが綺麗に着飾り、やや干乾びかけたジャスミンの花輪を手首に通し、庭の木で首を吊って死んでいるのが見つかったのは、翌日のことでした。
(了)
タイ文部省推薦の中等教育用副読本の中に、北部タイの様々な物語を綴った本が三冊あります。夫々、人物編、場所編、行事編と主題ごとに分かれています。その中の一冊『北の町の物語りー重要人物の歴史編』の中の『高貴なる女性の絶対命令』より題をお借りしました。
เฮือนข้าเจ้า สาวสารภี ฟ้อนผางประทีป
我が町サーラピーの乙女たち、パーン・ダンス(灯明踊り)
踊り子の掌に小さな燭台と蝋燭が乗っています。
冒頭の写真のお菓子は「パン・シップ・トート」と呼ばれるもので、路上で揚げて売っている姿を良く見かけます。小さなクロワッサンに餡を詰め、餃子のように口を閉じて油で揚げたお菓子です。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2011年05月28日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]






