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マミア
落穂拾いー(16)
血の結び付きというのは、大変に強いもので、血の中には無限の過去より受け継いて来た歴史・文化が溶け込んでいるものです。同じ民族であっても地域により文化にも味覚にも言葉にも性格にも違いが出てくるものですが、そうした違いを乗り越えて新しい文化・歴史と紡いでいくのが家庭であるのかも知れません。夫婦夫々の文化・歴史の背景を背負いながらそれを調和させ、新しい血の流れを子供たちに繋いで行くのですが、誰もそんなことは意識しないのでしょう。
かつてタイのロミオとジュリエットともいえる悲恋の物語をご紹介しました。それは、女性側の祖母の怨念ともいえる怒りの果て、相愛の三人の男女は、その従者ともども全身に矢を浴びて抱き合うようにして斃れました。国同士の争いの果てに愛し合う若い男女が愛の成就を見なかった悲劇でした。
歴史の中に潜む美しくも儚い悲恋物語を知るタイの人も少ないのですが、
もしも、愛し合う男女が敵対関係にある異なる民族であればどうなるでしょうか…
もしも、互いに相手の民族を不倶戴天の敵と思っているとすればどうなるでしょうか…
もしも、愛し合う男女が天と地ほどに身分の差があればどうなるでしょうか…
チャラン・マノーペットという今は亡きラムプーンのシンガー・ソング・ライターが歌う、民族の壁を越え、貴賎の壁を打ち破った男女二人の激しくも悲しい愛の悲劇を通じて、多くの国民は改めてこの悲劇の話を思い起こしました。
許されざる愛
今から100年余り前のチエンマイは、ラーンナー王国の首都とはいえ、独立自治の権限を有するとは言え、バンコクシャム王朝の支配下にありました。しかも、西方の宿敵ビルマはすでに英国の支配下にあり、その英国は森林資源を求めてラーンナー王国にその魔の手を伸ばそうとしている時でした。当時チエンマイの副王であった後のチエンマイ王朝最後の王チャウ・ケーウナワラットは、嫡男のチャウ・ノーイスックカセームを英語収得の為ビルマのモールメインのカトリック系パトリック校に送りました。王子は、当時まだ15歳に過ぎませんでしたが、同校は全寮制であることに加えて、モールメインにはチーク材取引を通じて懇意にしているビルマ人富豪ウー・ポータンの家があり、チャウ・ケーウナワラットとしても安心だったのでしょう。時に西暦1898年のことであったと言います。
一人、異国の全寮制のキリスト教系学校で学ぶ王子も週に一度の外泊時には、この富豪ウー・ポータンの家で寛いでいました。そんな寛ぎの時間の中には、歩いて10分ほどの地にある地元市場見学があったでしょう。王子が19歳になった頃、この市場で運命の出会いがありました。一介の煙草売りながら、一点の穢れもない天から舞い降りた天女にも等しい美しい15歳の少女マミアに出会いました。
スックカセーム王子
当時の女性の15歳は、もう十分に成熟した大人であったのでしょう。若い二人は、一目見たその瞬間に心に激しい恋の炎が燃え上がり、二人の全身を包みました。まさに赤い運命の糸に操られての出会いのようでした。その日を境に二人は王子の休日ごとに愛を確かめ合い、終には人々の信仰心篤い仏塔の前で変わらぬ愛の誓いをたてました。
「我が命の尽きるまでこの愛を誓い、もしも誓いを破る者には危難が及びますように・・・」
当時の人々は神仏を心から信じ、誓いを立てることはまさに文字通り命を賭けることで、この誓いの言葉ほど我が身を縛るものはなかったでしょう。
誓いの言葉は愛の証でした。しかし、会者定離は世の常。王子が20歳、マミアが16歳の時、学業を終えた王子はチエンマイに帰らねばならなくなりました。しかし、マミアを連れて帰ることには大きな障壁が立塞がっています。二人が民族を異にすることに加えて、あまりにも大きい身分の差。そして、それにも増して両親の許しを得ずに夫婦の契りを交わす慣習を破った罪の意識。
苦悩の果て、王子はマミアを男装させてビルマ人の男友達としてチエンマイに連れて来ました。しかし、父のチャウ・ケーウナワラットと母君は、チエンマイ王朝の重鎮であるチャウ・スリヤウォンの王女チャウ・ジン・ブアチュムをチャウ・ノーイスックカセームの知らないうちに許嫁としていました。
自らに許嫁がいることに衝撃を受けながらも、マミアとの隠れた愛は続きましたが、マミアを隠し続けることに苦しんだ王子は、両親にマミアが最愛の人であることを告げました。しかし、その愛が叶うことは王子の立場が許しませんでした。当時、チエンマイの第8代王チャウ・インタワローロットスリヤウォンが亡くなった後の後継王が決まってなく、甥に当たるこの王子が第9代目を継ぐのではないか、と推測されていたこともあり、又もしも王子がビルマの女商人を妃とした場合、人々の気持ちは如何だったでしょうか。また、マミアの生地ビルマは英国の支配地にあり、いかなる理由をつけてラーンナー王国の領土に魔手を伸ばして来るかもしれない危険な政治状況の中でマミアをチエンマイの王室に入れることはできませんでした。
チャウ・ジン・ブアチュム・ナ・チエンマイ
チャウ・ケーウナワラットはチャウ・ノーイスックカセームを呼び寄せると、マミアとの縁を切るよう申し渡し、マミアに心を奪われた王子から邪念を払う聖水を頭に注ぐ儀式が執り行われました。そして、マミアを送り返す象の隊列準備が命ぜられました。その夜、マミアは、同じビルマ人男女の説得の言葉を受け入れ、自らの存在が誰かを傷つけることに忍びず、身を引くことを受け入れました。
その日の朝、チエンマイの南、ハーイヤー門には、マミアを送る象の隊列ができていました。マミアと王子の恋物語とマミアの美貌を伝え聞いた住人たちが鈴なりになってその美顔を目にしようとやって来ています。連なる人の波に漂う雰囲気は、マミアの美貌をも曇らせる沈鬱なものでした。そんな人々の中で、チャウ・ノーイスックカセームは、ビルマの言葉で幾口もなくマミアに告げると、マミアは悲しみの中で腕に抱かれて泣き濡れました。どれほどの時間が過ぎたのでしょうか、王子がマミアにはっきりと伝えました。
「あの誓いの言葉は今も忘れない。三月以内には必ず迎えに行くであろう。もしも自分が他の女性と結婚するようなことがあれば、わが命にいかなる危難をも与えよ、たとえ命永らえることなくとも…」
その王子の誓いの言葉に応え、マミアは王子の前に膝まつくと束ねた髪を解き、王子の足をその髪で拭きました。そうして人目も憚らず、命を賭けた二人の愛の告白の後、マミアは象の背に乗り、生まれ故郷のモールメインに向かいました。彼女の懐には、チャウ・ケーウナワラットと妃のチャウ・メー・チャーマリーより贈られた金銀がありました。故郷に帰り着いたマミアは、ひたすら王子の迎えを待ち続けましたが、何の便りもないまま時だけが空しく過ぎて行きました。そして、期限を過ぎると、マミアは王子に対する愛の証として、髪を切り、仏門に入りました。
一方、その後まもなくバンコクのチャウ・ダーラーラッサミーに呼び出されたチャウ・ノーイスックカセームは、王女の館で最も美しいとされ、芸能の才に恵まれたチャウ・ジン・ブアチョムとの結婚を取り決められました。チャウ・ノーイスックカセームとチャウ・ジン・ブアチュムの婚姻を風の噂に耳にすると、矢も楯も堪らず、生涯を仏に捧げる決意を固める前に、愛する人の幸せを願い、寿ぐ為、かつこの世で会う最後の機会と王子の館を訪れました。しかし、結婚後もマミアの面影を忘れることが出来ず、マミアに対する憐憫の情を抑えることもできず、楽しかるべき新婚生活においても一時として幸せを感じることもないままに、酒に溺れる日々を送る王子は、マミアの求めに応じることもなく、舘から出て来ようとはしませんでした。代わって近従の者を遣わし金80バーツ(一説では800バーツ、当時の庶民の月の収入が約4バーツ)と我が身に付けているルビーの指輪一個をマミアに差し下しました。
愛する人の顔を拝することも叶わず空しく引き返したマミアは、失意の中で生涯を仏門に捧げ、西暦1962年75歳の長寿を全うしました。
一方、チャウ・ノーイスックカセームは、わずか7年の結婚生活の末、悲しみの内に西暦1913年に30年の短い生涯を終えました。
この二人の悲恋の物語を世に広めたのは、ラーンナーの文化を歌で伝え続けたチャラン・マノーペットでした。
"มะเมียะ(マミア)"
มะเมียะเป็นสาวแม่ค้า คนพม่าเมืองมะละแหม่ง
マミアはビルマの人、年若いモールメインの女商人
งามล้ำเหมือนเดือนส่องแสง คนมาแย่งหลงรักสาว
月の光の様に美しく、誰もが愛を求めてやって来る
มะเมียะบ่ยอมรักไผ มอบใจหื้อหนุ่มเชื้อเจ้า เป็นลูกอุปราชท้าวเชียงใหม่
マミアは誰の愛をも受けず、チエンマイの副王の若君に心を捧げた
แต่เมื่อเจ้าชายจบการศึกษา จำต้องลาจากมะเมียะไป
学を終えた若君は心ならずもマミアから離れる時来たり
เหมือนโดนมีดสับดาบฟันหัวใจ ปลอมเป็นพ่อชายหนีตามมา
心を切り裂かれる思いにも似て男に身をやつして付いてきた
เจ้าชายเป็นราชบุตร แต่สุดที่รักเป็นพม่า ผิดประเพณีสืบมา ต้องร้างลาแยกทาง
若君は王子ながら愛する人は慣習に反してビルマの人、別れねばならない
โอโอก็เมื่อวันนั้น วันที่ต้องส่งคืนบ้านนาง
ああ…彼女を実家に送り届けるその日
เจ้าชายก็จัดขบวนช้างให้ไปส่งนางคืนทั้งน้ำตา
王子は、涙を湛えて象の行列を取り揃えた
มะเมียะตรอมใจอาลัยขื่นขม ถวายบังคมทูลลา สยายผมลงเช็ดบาทบาทา
言葉にならない悲しみに身も心もやつれ果て別れを告げて髪を解いて足を拭く
ขอลาไปก่อนแล้วชาตินี้เจ้าชายก็ตรอมใจตาย มะเมียะเลยไปบวชชี
この世の別れ告げ、王子もまたやつれ死に、マミアは仏門に入った
ความรักมักเป็นเช่นนี้ แลเฮย....
愛とはこのようなものでしょうか…
(了)
参照サイト:
ภาพเชียงใหม่ในอดีต 02チエンマイ古の画像
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2011年06月10日
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