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閑話休題−108−
仏教においては欲望は毒であると教えています。物欲であろうと色欲であろうと名誉欲であろうと、欲望は等しく毒であることに変わりはありません。そうした欲望はついには終わることがなく、果てしない欲望、叶うことのない果てない欲望に身を焦がし、欲望を満足させることが出来ない苦しみに悶え、苦しみの内にこの世を終えることになります。ですから釈尊は欲望を毒だと喝破し、欲望を捨てろ、と教えるのです。一方で慈悲の心を持つよう説いています。小我を排し大我を奨めているのでしょうか。しかし、浅はかな凡夫は、欲望を捨てることが出来ません。むしろ欲望を膨らましさえします。欲望を捨てることの難しさを知るが故に、欲望に身を焦がす凡夫の愚かさが物語の種になります。こうした話では、何故か裕福な人間に欲が多く、貧しい人間に欲が少ないかのような表現が使われます。それは、貧しい人たちにせめてもの慰めを与えようとするのでしょうか。
タイ族の中のタイ・ルー族というのは、現在中国雲南省を中心に広範囲に住んでいますが、彼らは広大な大地に広がる森を友として来ましたので、物語にも森がたくさん登場し、そこに棲む動物たちとの関係が伝えられます。
因果応報
いつのことでしょうか、物語の常でいつの時代のどの場所とも分かりませんが、三人の仲良し商人が商用に出ていました。タイ族の間では商人が幾人か連れ立って旅を続ける事は普通であったのでしょうか。チエンマイの古い歴史書の中にも旅の商人一行が登場し、夢の中に亡き国王の霊が出てきて供養の塔建立に繋がったことは、このブログの別の項で述べた通りです。仲良しとは言え、このうちの一人は商売の駆け引きが上手ではないのか、余りにも優し過ぎるのか、利益を得ることが下手なのか、商売をしながらも決して財を蓄えるまでには至りません。対して二人は駆け引き上手の上に口がたち、言葉巧みに安価な商品を高価に売りつけて利益を上げていました。
そんな三人が、揃って旅を続けていると、途中で一つの壷を見つけました。どこかの商売人の荷駄から転げ落ちたのでしょうか、それとも、野獣に襲われ、逃げるに必死の主人に忘れられたのでしょうか。壷は一人では持ちきれないほどに重く、中にはたくさんの硬貨が入っていました。三人は幸運を喜び、壷を担いでの旅を続けました。その夜、貧しい商人は旅の疲れからか木陰に体を横たえるとぐっすりと眠り込んでしまいました。淡い月の光が降り注ぐ深夜、遠くで獣のほえる声が微かに聞こえます。申し合わせたかのように二人の商人がノソリと起き出すと、銭壷を挟んで考え込みました。
《これだけあると良馬が買えるな・・・》
二人は裕福とはいえ、まだ馬を使って大きな商いをするほどではありませんでしたから、良馬を使っての荷駄隊を形成して商売の旅を続けることを考えると、どうしてもこの壷の中のお金が欲しくてたまりません。しかし、三人で分けると馬を買う資金には足りても大量の商品を仕入れたり当座の運転資金にまでは回せそうもありませんでした。
「あいつにも同じように分けてやるなんて、悔しいな・・・」
どちらからともなくつい口をついて出た言葉に二人の本音が伺えます。ハッと自らの言葉を後悔して視線を上げると今一人の商人と目が合いました。その目は互いに心の内が同じであることを伝えています。一度心の内を晒してしまうと、同じ思いの二人の間で何の躊躇いもなく瞬くうちに話が決まりました。
翌朝、食事を終えると、一人が言いました。
「おい、この壷の中のお金だが、ここで分けるのは危険だと思わないかい。後を付けて来る者はいないようだが、この先の深い森の中で誰に見られる心配もない場所を見つけて分けようじゃないか」
「それもそうだな」
一緒に旅を続ける仲間を疑う気持ちなど微塵もない貧しい商人は、素直に同意すると、二人の勧めのまま、二人に銭壷担ぎを任せ、先に立って森の中に入って行きました。どの位歩いたのでしょうか、深い森の中を歩く三人は、渓谷に掛る一本の木を目にして立ち止まりました。
「この木を渡った先で分けようと思うが、木の橋が丈夫かどうか、身軽なお前が先に渡ってみてくれないか」
「いいよ」
貧しい商人は、疑うことを知らず、《二人は重い壷を担いでいるので、身軽な自分が安全を確かめるのは当然であろう》と思いました。貧しい商人が、用心深く木の上に足を置き、一歩一歩と慎重に歩を進めていきます。下を見ると靄が掛っているのか底が見えません。足を踏み外さないようにだけ心がける彼は、後ろの二人が壷を吊り下げた竹を肩から下ろしたことに気付きませんでした。二人の商人は、木の橋に両手を掛けると、力の限り回すように動かしました。空中に横たわる一本の木の上に立つ商人に掴まるべき何物もありませんでしたので、足元の木の微かな揺れに体のバランスを失うと、次の瞬間には真っ逆さまに千尋の谷底目掛けて落ちて行きました。それを目にした二人は、仲間の安否を確かめることなく、その場で壷の中の硬貨を二分しました。村に帰ってきた二人は、谷底に落ちた商人の家族に森の中の不幸な出来事を告げると、雀の涙ほどの見舞金を渡し、良馬を買いました。
一方、千尋の谷底に落ちて死んだ筈の商人は、途中の大きな木の枝に体が引っかかり、九死に一生を得ていました。一時のショックから意識を失いましたが、微かな鳥の声に意識を取り戻すと、慎重に枝から降りると、辛うじて大地に足をつけることが出来ました。
しかし、運の悪いとはこういうのでしょうか。そんな彼の前に一匹の大きな虎が蹲っていました。しかも背中に突き刺さった矢が痛々しそうです。手負いの獣の恐ろしさを知らない旅人はいません。《一度は拾った命だがこれまでか》見知らぬ森で一っ飛びで掴み掛かられるほど獣に近接した商人は、心の中で念仏を唱えました。が、そんな彼に、虎が声を掛けました。
「旅のお方とお見受けします」
苦しそうに、それでも掠れる声で虎が話しかけました。
「私には、まだ幼い子供がいて、私の帰りを待っています。どうかお助けください」
商人は、怖くもありましたが、涙を流して哀願する虎を見るに忍びませんでした。
「背中の矢を抜いてあげるが、ちょっと痛いかもしれないよ。我慢しておくれよ」
近寄ると注意深く背中の矢を抜き取ってやり、腰に巻いた布を解くと中から袋に入った傷薬を取り出し、鏃を抜き取った後の傷口に塗ってやりました。一瞬傷口から広がった冷たい感触が一瞬にして体を燃やすかと思うほどに熱を帯びると、ムムム・・・ッと商人をじっと見据えたまま歯を食いしばって耐えました。次の瞬間、それまでの激痛が嘘のように引いていきました。
激痛が和らぐと、目の前の人間がまるで天上世界から舞い降りた神の使者ででもあるかのように思われ、自分に矢を射た悪しき猟師と同じ人間とは思えませんでした。空腹の我が子の為に獲物を探してこれまで数日、何の獲物もないまま過ごしてきましたが、今朝どこか油断があったのか、猟師の存在に気付かず、背中に矢を射られ、ほうほうの体でこの谷間に逃げて隠れていました。子供への餌を探さなければなりませんが、それにも増して受けた恩を如何に返そうかを考えた虎は、言いました。
「心優しき人よ。あなたは私たち母子の命の恩人です。子供たちが待つ洞窟には私と主人が食べた人間から奪った財宝があります。恩返しとまでは行きませんが、せめてものお礼の印にしたいと思いますので、どうかお受け取り下さい」
商人は、元気を取り戻した虎を目の前にすると今更ながら恐怖心が沸き起こりました。しかし、ここで逆らうほどの勇気もなく、震える足取りで虎の後を付いていきました。洞窟に入ると、たくさんの宝石が金銀の指輪、腕輪、ネックレスと共に無造作に投げ込まれた木箱がありました。
木箱を背中にくくりつけ、虎の先導で安全な道に出た商人は、二人の商人に一日遅れて無事村に帰り着きました。谷底に落ちた商人が傷一つなく帰ってきたばかりか、背負ってきた木箱の中には眩いばかりの金銀財宝が満ちていた、という噂はたちまち近隣の村にまで広がりました。心悪しき裕福な二人の商人は、そんな噂を耳にすると、打ち合わせて、商人を谷底に突き落とした場所に掛け戻りました。
目の前にはあの時と寸分違わない光景が広がっていました。上体を屈めて下を覗くと靄に霞んで底が見えず、一本の木だけが向こう側に渡る道です。恐怖よりも欲望に燃える二人は、大きく深呼吸をすると、木の橋を渡り始め、中ほどに来ると、目を閉じて身を翻しました。噂通り、二人の体は大きな木の枝に引っかかり不思議なことに体には傷一つありませんでした。ゆっくりと枝から地上に降り立った二人は、暫く動くことが出来ませんでした。どの方向に歩くのか見当がつかなかったのです。
その時、前方の茂みが揺れると二頭の虎が姿を現しました。二人の商人は、噂通りの事の成り行きに恐怖よりもどこか嬉しさすら覚えていました。
「あなた、私に矢を射たのも二人の人間よ」
背中に傷跡を残す雌虎が隣の一回り大きな雄虎に言いました。
「この二人か」
「たぶんそうだと思うわ。だって腰に大きな袋をぶら下げているじゃないですか。私たちを殺して肉と皮を詰める為に用意しているのよ。きっと」
二頭の虎の話を聞きながら、二人の証人は、虎から貰うつもりの宝石類を入れる袋を腰にぶら下げていることを後悔しましたが、もうどうにも間に合いません。ガタガタと震える足、口は言葉を発することも忘れ、ただなすすべもなく金縛りにあったようにその場に立ち竦んでいました。
一瞬虎の咆哮が森に響き渡ると、言葉にならない異様な叫び声が続き、二人の商人の体は無残に噛み裂かれました。その日、虎の洞窟には。金の指輪と腕輪が増え、虎の子供たちも十分に人間の肉を口にすることが出来たのでした。
二人が姿を消した村では、誰も二人の噂をする者はいませんでした。ただ、生還した正直者の商人が虎の庇護を受けて安全な旅を続け、ますます裕福になっていく噂だけが広まりました・・・とさ。
(了)
このお話は、その題材をスチャート・プーミボリラック訳「雲南省内タイ・ルー族の伝承」の中に収蔵されている「貧しい商人と裕福な商人」より拝借しました。
冒頭の写真は「サイ・ウア」と呼ばれ、日本語で「チエンマイ・ソーセージ」とも呼ばれますが、チエンマイを初めとする北部タイ地方の郷土料理の一つです。街中で七輪を使い、網の上に輪のように丸めて焼かれ、売られます。食する時には適当に切って食べますが、ピリッとした辛味が特徴で、美味しいもので、今では家庭で作れるようにセットにしてスーパ−等で売っています。
動画は、チエンマイの代表的な踊りである爪踊り「フォーン・レップ」ですが、これはラームチャーン寺院奉納用に踊られているもので、この踊り手は村人のようです。
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閑話休題
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カントーク・ディナー
閑話休題−107−
人と動物の結び付きは、有史以来深いものですが、そこに出てくる動物はその民族の周りに通常見られるものなのでしょう。共通するものもあれば、まったく日本の昔話には出てこない動物もあります。人々は、そうした動物を観察してその特徴を覚え、日常生活ではそれが生活の知恵となり、物語の中では、それぞれの動物の役割・性格に反映されます。
猿蟹合戦、狐のお話、かちかち山の狸、わが郷里讃岐の禿狸、それぞれに面白いものですが、ここには象が出てくることはありません。ところが、日本人は案外に早く象を目にしていたのでしょうが、鳥獣人物戯画の中に象らしい動物の絵があると言われ、その後もいわゆる献上品として幾度か東南アジアより日本に送られてきているようです。しかし、何といっても象といえば「群盲象を評す」という諺でしょうか。象の実態を知らない盲人三人が、それぞれに象の鼻、脚、胴に触れてそれぞれ象とは…と評するのですが、正しくはありませんが、すべて間違いでもないですね。
そんな動物たちを観察しながら、夫々の性格を表すのですが、そこに民族性が感じられるようです。
日本にははるかな昔、因幡の白ウサギがいました。このウサギは和邇を騙して皮を剥がれ、八百神に罰せられ、最後に大穴牟遲神に助けられます。では、タイの昔話の中の白ウサギはどれほどうまく騙すのでしょうか。
ウサギ・・・あんたは偉い?
タイの昔話に出てくる動物も日本の動物と同じように言葉を話します。しかも種族を超えて通用する共通の言語をもっていたようです。そんな彼らは仲良く、互いに喧嘩などすることなく平和に暮らしていたといいます。それが釈尊の時代であれば尚更でしょう。
大きな動物は、小さな動物をいたわり、小さな動物は大きな動物を敬していたのでしょう。ある日のことです。森の中の猛者ともいえる虎と象が仲良く揃って歩いていました。どうやらこの二頭は気が合うらしく、しばしばこうして森の中を散策していたようです。その頃、森の中にはコオロギ、キリギリスなど小さな虫たちの鳴き声が響き渡って煩いほどでした。そんな仲のいい二頭ですが、煩いほどの虫の鳴き声に辟易した二頭は、どちらが大きな声を出して、あの煩い虫たちを黙らせるか、ということの言い合いになり、互いに自分こそがこの森の中で一倍大きな声を出すと言って譲りません。
そこで、二頭は吠え比べをして、煩い虫たちを黙らせた方を勝ちとすることにし、負けた者は勝者の餌になる、そんな途方もない賭けをしました。まず、虎が両脚を力の限り踏ん張り「ウォー…ウォー…」と天に向かって叫ぶと、森中の生き物という生き物は息を潜め、広大な森が一瞬にして沈黙の世界に変わりました。そして、しばらくの後、森にはまた同じような虫たちの喧騒な鳴き声が満ちました。虎は、意気揚々と数歩横に移って象を促します。象もまた渾身の力を振り絞り、長い鼻を上に上げて「ウァーン…」とやや甲高い声で叫びましたが、虫たちの泣き声が鎮まることはありませんでした。
象の負けです。今にも虎が約束通り象に飛び掛かろうとしますと、「虎さん…7日だけ心の準備の時間をくれ」と7日の猶予を求め、虎も了承しました。7日の後にはない命です。象はそれを如何に解決するのか昼夜を分かたず考えても虎の餌になることから逃れる術を見出し得ませんでした。好物のバナナを見ても食欲もなく、水辺で遊ぶ仲間を見ても一緒に遊ぶ気力もなく、日々生気を失っていくばかりでした。
かくして5日が経過しましたが、どうにも考えつきません。
そんな時です。旧知の小さなウサギが飛び出してきました。ウサギは、いつも堂々としている象が力なく、心なしか痩せてさえ見えると、つい心配のあまり聞いてしまいました。
「象さん…どうしたんだい。しょんぼりして、元気ないじゃないか」
「困っているんだ」
象の声はもう話す力さえないほどにか弱いものでした。ますます心配になったウサギが重ねて尋ねました。
「何を悩んでいるんだい、もしも俺で出来ることなら何でも手助けするよ」
そこで、象は虎との賭け事を話しました。
「実は、5日ほど前に虎さんと吠え比べをしてね。負けたんだよ」
「5日ほど前…そういえば、森中の木々が揺れる事件があって虫たちが驚いていたっけ」
「そうさ、あれは虎さんとの吠え比べだったんだが、負けたんだよ」
「…」
「それで、虎さんに食べられることになったのさ。虎さんは、明後日にはおれを食いにやってくるのさ。だから怖くて何もできないし、生きる力さえないのさ。」
「なんだ…そんなことだったのか」
ウサギの声は思いのほか明るく、象の心配など全く意に介していませんでした。明るく象にいいました。
「簡単なことだよ…象さん、あんたは、何とか100キロの石灰を用意できるかい」
「まあ、出来ないことはないけど…」
半信半疑で答える象に「明後日ここで会おう」それだけ言うとどこへともなく森の中に消えました。
約束の時間、象が用意した100キロの石灰を象の全身に塗りつけて真っ白にしてしまったウサギは。象の首の上にチョコンと飛び乗ると、虎さんが出てくるのを持ちました。
「象さん、絶対に動いちゃダメだよ」
象の背から眺める森の様子は驚くほど広いものでした。そんな広い視野の中に虎の姿を捉えました。悠々と近寄る虎さんを見ながら、威儀を正した白ウサギが一言誰にともなく告げて言いました。
「象を食べてみたが、今一つ腹が膨れない。一つ次に虎でも食ってみるか…」
それを聞き、全身真っ白の巨大な壁のように立ちはだかるウサギを見た虎は、その異様に膨らんだ腹の形が象にそっくりであることから、ウサギの言葉をそのまま信じました。全身に恐怖が走ると、「こうしちゃおれん…逃げるにしかず」一目散に駈け出しました。
森の中を疾駆する虎を木の上から見ていた猿が驚いて聞きました。
「どうしたんだい、虎さん…そんなに慌てて」
「奴は象を食っても食い足りず、虎を食いたいんだと」
象を食って尚虎を食べたい動物などこの森にいた試しがありません。猿がそこで虎さんに聞きました。
「奴って誰のことだい…良かったら話してくれないか」
「小さな奴なんだ。村の飯炊き用の鍋みたいなんだが、象と虎を丸呑みできるんだと」
そう聞いても、猿は信じられませんでした。猿の長老たちの話の中にそんな生き物がいまだかつて現れたことがないからです。
「試しに奴を見せてくれないか」
虎の背中に飛び乗った猿が言いました。それを聞いただけで既に虎の全身がワナワナと震え出し、背中から振り落とされそうになった猿は、思わず両手で虎にしがみつきました。
「猿よ、お前は危険になれば木に飛び移れば安全だが、俺は食われるんだぞ」
「大丈夫さ…逃げたりしないから…虎さんの背中にわしの体を縛りつけよう」
猿は、近くの木から一本の細い蔓を千切ってくると、自分の体を虎さんの背中に縛り付けました。
そこまでされるとさすがの虎さんも逃げることもならず、恐る恐るあの白い化け物に出会った場所に向かって行きました。森の中に響く虫たちの泣き声すら、虎さんを憐れんでいるように聞こえると、虎は生きた心地がしませんでした。
やがて、先ほどの場所に来ると、あの化け物がまだいました。
「象を食っても食い足りん。あそこにいるのは、虎と猿か。よし、今度は虎と猿を食ってみよう」
その声を聞くと、虎は背中の猿のことなど忘れ、心臓が減り避けるかと思うほどただ只管その場を離れようと駆け出しました。トラの背中では縛られて自由を失った猿の体が前後左右上下に激しく揺れると、あちこちの木々に頭を打ちつけ続け、ボコボコ、ゴツゴツという異様な音だけが虎の後を追ってきました。
どれほど駆けたのでしょうか、風景すら一変して森を出ていました。
背中では、猿がぐったりして背中にもたれかかり、その目は大きく見開かれ、牙を剥き出してさえいました。
猿がすでに死んでいるとも気付かず、虎が言いました。
「こいつめ。笑ってる場合か…俺はクタクタで死にそうなんだぞ」
この物語は、虎さえコウトンモンの言葉を知っている、ということを言っている。そういうのですが、ならば、この話はずいぶん新しいものです。
早い話が、その場の雰囲気を一瞬に和める、ということでしょうか…???????
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著「ラーンナーの民間伝承物語」に収蔵されている「虎、象、兎、猿」より題材をお借りしました。
冒頭の写真は、カントーク・ディナーという北部タイ・ダンスを見ながらの食事に供されるものですが、写真にある御膳?をカントークと呼びます。
動画は、チエンマイの某カントークディナー・レストランで演じられているクジャクの舞です。
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チエンマイの原風景
市場?に向かうチエンマイの女性たち
閑 話 休 題−106−
乞食というものは三日やったら辞められないそうですが、本当のところは如何でしょうか。以前チエンマイ市の隣町にあるある村での乞食村の様子をお伝えしました。どれほど殖産事業を推奨しても、懸命に乞食に精出し、飼育用に与えた鶏も豚も食べてしまい、先祖代々乞食を『正業』としている彼らの『誇り』を突き崩すことは出来なかったようです。先祖代々の『家業』としての乞食ではなく、『副業』としての乞食がいるとすれば如何理解すれば良いでしょうか。乞食に身をやつし、何を隠すのでしょうか。チエンマイの零れ話を集めた本には、そんな乞食とは思えない乞食の話が紹介されています。そこには、その人の人間としての資質、根っこのようなものが窺えてある意味人間の恐ろしい一面を見ます。
十年ほど前からタイでは乞食ビジネス対策が進み、隣国からやってきた乞食出稼ぎ人を追い返すこと、隣国人を乞食にして稼ぐ組織を撲滅することが政府の目的のようでした。乞食への「お恵」を控えるように、との政府の指導の甲斐あったのか、街中から乞食が減ってきているようです。一定の効果があったのか、子供を攫って来て乞食に育てたりするニュースも最近では聞かれません。
それはともかく、一度手にしたものに異常な執着を覚えるのは人の常かも知れませんが、乞食ならともかく、『手にした首相の座』は『石に噛り付いても放さない』といったり、駄目元から味をしめ、叩けば出てくる打ち出の小槌とでも思っているのか、ありもしないことを作り出して隣国を脅しつけ、怒鳴り付けたりしながら『経済支援』を『強請る』国は、その時だけ『襤褸』を纏い、内実は黄金に満ちた金蔵を持っているのかもしれません。又、『強請った』お金をこれ見よがしに国民に見せて『強請りの腕前』を自慢する、とすれば、これまた精神的乞食かもしれませんし、『職業としての乞食』が『国家政策としての乞食』にまで昇格したのでしょうか。
襤褸布で黄金を包む
タイに『襤褸布で黄金を包む(ผ้าขี้ริ้วห่อทอง)』という言葉がありますが、『金持ちが貧乏人の振りをする』という意味で、金持ちの吝嗇家というのは安楽に暮らす代わりに、返って倹しく暮らすもののようです。
チエンマイはもともと四方を城壁に囲まれたほぼ正方形の四角い町で、まさに中国式の『城郭都市』ですが、その東門を今ではターペー門と呼んでいます。この名前が正しいかどうかは、ここではひとまず置いて置きます。
このターペー通りの半ばを過ぎると左手にセーンファーン寺院がありますが、この交差点にかつては城門がありました。かつての商人の道の名残か今も両側には商店が並んでいますが、城門の跡はどこを探しても欠片すら見出せません。この道の北側、ピン河に接してラムヤイ市場がありますが、この市場こそ何百年と延々と続いてきた昔の人たちの市場です。十数年前に旧来の姿を一掃してしまいましたが、今も地元の人たちにとって欠かせない市場となっています。
そんな商人たちの町ターペー通りに建つセーンファーン寺院横を曲がった所に蜂蜜を売るお店がありました。昔の旅行案内書には、チエンマイは北方のバラとも紹介されるほど気候に恵まれた土地です。バンコクなどとは違っていわゆる季節が三つあり、寒い冬がありますので、その冬の期間、10度前後から25度前後という一日の温度差が草花の生育には大変都合が良いそうで、毎年この冬の時期になると花が咲き乱れます。そんな花を目当てに養峰業者が集まるのですが、タイ族が蜂蜜をどのようにして食していたのでしょうか。寡聞にして確たるものを持ち合わせんので何ともいえません。ただ、台湾の養蜂業者などが田舎の農家を借り切り、そこにしばらく住み着いて養蜂に励んだりすることもあるようですので、当地に住む華人相手、もしくは時にやってくる外国人旅行者を相手にしていたのでしょうか。
そんな蜂蜜を販売する小さなお店に、いつも一人の女性がポツネンといつ来るとも知れない客を待って腰掛ています。この店の後ろにはチエンマイの外濠とも呼べるカー河が流れ、その昔にはその河の手前に城壁があったのでしょうが、今はその跡形もなく見事なまでに地上から消えて、商店、民家が立ち並んでいます。店の前を通る人たちは、お寺に参る人たちもいれば、近くの市場に向かう人もいます。市場の中で売る場所を持たない資力の乏しい農婦は、天秤棒に吊るした籠に野菜を入れて、市場近くの路端に腰を下ろします。
そんな人々の中で、一人の老女がお店にやってきました。みすぼらしい服装に身を包んだ老女は、店の中の女性に腰を曲げて両手を合わせて拝む格好をすると、ついでその両手を前に出しました。言葉を発しなくても老女が『物乞い』に来ていることは一目瞭然です。こうした恵まれない人々に何がしかの施しを与えることを『善』と考え、『来世のよりよい生活が保障される』と信じるタイの人々の常識に従って、お店の女性も机の引き出しを開け、その中から大きいコインを一つ抓み出すと老女にあげました。大きいコインは5バーツでした。昔のことですから、5バーツというのは決して少ない金額ではありません。20数年前チエンマイのこのターペー通りの横道に入った食堂で食べた焼き飯が10バーツ(当時1バーツが約11円)弱だった記憶がありますし、少し郊外に出ればラーメンが5バーツでしたから、5バーツというのは決して少ない金額ではなかったでしょう。そんな大金を渡した女性は、時間潰しか、老女に何か気になることがあったのか、呼び止めて話をすることにしました。勿論老女に仕事などありませんから、大金を頂いたお礼と思うのか、聞かれるままに話し始めました。
76歳になるという彼女は結婚歴があるが、夫は既になく、二人の男の子がいるというのです。子どもは夫々正業を持ち,チエンマイ大学付属病院の事務に勤めている長男と、電力公社に勤める次男で、彼女はその次男と同居しているそうです。
「じゃあ、子供さんはまだ一人身なの」
「だから、あたしが食事の世話から洗濯までまだ世話しているのよ」
「電力公社だと電気代は只みたいでしょうけど、お給料が安いのでしょうね」
だから、母親がこうして乞食しているのだろう、と思ったのですが、老女の返事はそんな同情をあざ笑うかのようでした。
「何、確か5000バーツ余り貰ってるんじゃないかね。家も自分の物だし、あたしだって毎月お小遣いを貰ってるしね」
その頃の5000バーツといえば、高給取りとは言えなくても決して少ない金額ではありません。20数年前の大卒初任給が4000バーツ弱でしたから、そんな時代に5000バーツであれば、十分に余裕ある生活が出来るはずです。ここまで聞いて蜂蜜店の女性は理解に苦しみました。
「じゃあ・・・どうして・・・」
乞食をしているのか聞こうとする自分の娘ほども年下の女性に、老婆は、ニコニコしながらそれとなく言うには、こうして乞食を初めて8年ほどになるけど、結構いい稼ぎになるそうです。
「普段は、平均して一日100バーツほどかね。でも、ソンクラーンなどには結構な実入りだよ。皆『善行』を積みたがっているじゃないか。だからそんな時にはたくさん貰えるのさ」
呆然とする蜂蜜店の女性に対して老女は誇らしそうに言いました。
「これまでの最高は一日867バーツだったかな」
今でもタイの労働者の1日の最低賃金は、170バーツ(現在1バーツが約3円)前後に過ぎません。それを思うと何十年も前に乞食をして一日でその何倍も稼ぐとなれば、「美味しい商売」かもしれません。
「そんなに溜めて、どうするの」
「どうもしないけど、お金を持っているのは愉しいじゃないかい」
老女は、スカートの腰の部分に巻き込んだ布を解すと、そこから銀行の定期預金通帳を取り出しました。それは、すぐ近くの銀行発行のものでした。
「ほうら、もう231,976バーツ貯まったよ」
「このことを同居している子供さんは知っているの」
「とんでもない。分かったら、大変だよ。言わないでおくれよ」
急に老女の顔に緊張が走りました。
「さあ、盗まれないように大切にしまっておきなさいよ」
呆れてこれ以上話をするのさえ物憂くなりました。
「大丈夫さ」
「それで泥棒に盗まれることを考えたことはないの」
「まさか、誰もあたしが貯金しているなんて思うものかね。息子にだって内緒なんだから」
そういうと、老女は急いで通帳を元のようにしまうと、「すっかり無駄な時間を使ってしまった。あんた、このことは内緒だよ」愚痴を零すように呟くと、又真昼の路上に出て行きました。
事実は小説よりも奇なり、といいますが、実際の社会には、あり得ない様な事が本当にあるものです。
そういえば、今も車一台家一軒と言われるほどに自動車価格が高額なタイで、不思議とベンツ、ボルボ、BMWなど高級車、日本製の新車が極普通に走っていますが、それでこの国は開発途上国なのでしょうか・・・
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著「ラーンナーの民間伝承物語」に収蔵されている「襤褸布で黄金を包む」より題材をお借りしました。
動画は、バンコクに暮らすラーンナーの人たちが、自分たちの文化を守る運動を続けていることの紹介です。
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パッ(ト)・タイ(phad thai)
閑 話 休 題−105−
結婚して男性の家に入る、これは男性側の姓を名乗ることで男性側の家系の中に入ることになり、同時に、それは自らの出自である旧姓の家系からは出ることになるのかもしれません。こういえば大変大袈裟ですが、日本の社会では、こうしたことが何の疑いもなく繰り返され、それにより社会はスムーズに動いてきました。
そうした際に、世上面白おかしく取り沙汰されるのが嫁姑の問題です。姑もまた他姓から入ってきたのであれば,同じ境遇の嫁に殊更に親切であってもいいのでしょうが、話しの種になるのはおよそそうした微笑ましい風景とは逆の事態のようです。一家の主婦として家庭内の家事一切を取り仕切ることをその役目とする立場からすれば、味付け一つ、仕事のかかり方一つ、言葉使い、身の処し方に至るまで、重箱の隅を突付くようにして『家』の習いを嫁に教えることが、又自らの義務のようにも思うのでしょうか。それとも、かつて自分自身も受けてきた姑からの虐めを今嫁にして気分を晴らすのでしょうか。案外冷たい関係でしたが、かつてはそれでも嫁の立場は常に従順で、家庭内に波風を立てないようにしてきたものです。
一方、時たま妻の実家に立ち寄る婿というのは、大変丁重な扱いをされていたのでしょうか。また、男子のいない家庭で婿養子を取ると、これまた『家』の家風を諄々と教育されるのでしょうが、決して嫁ほどには陰湿な印象はありません。
男性は、外で働いて家族を養うに必要な経済を支え、女性は、男性の留守を預かり、子供を育て、年老いた両親の世話をしながら、家事一切の責任を持つ古きよき日本の社会とは違い、結婚後も女性が男性の姓を名乗りながらも尚生活は実の両親家族と共にし、男性が入ってくる社会。女性の家族と同居しながら、仕事は女性、家事も畑仕事も、小さな日曜大工仕事も女性がこなしながら、男性は昼間から酒を飲み、博打を打ち、時に他村で色事の遊びに出かける・・・そんな社会ではどうでしょうか。
岳父と婿殿
昔のタイでは、結婚後も男性が女性の家に入ります。依然、あるタイ人同士(タイ族という意味)の結婚式に参加したことがあります。新婚初夜のその夜、披露宴を終えた後、新婦の待つ部屋に新郎が入るのですが、家の玄関から建物の入り口、全ての戸口という戸口に関が設けられ、新婦を寝室に隠した新婦の友人が、関に立ちふさがり、付き人役の友人を伴った男性側から通行料をせしめます。その通行料の手数料を巡っての駆け引きも男性が女性の家に入る名残でしょうが面白いものです。翌日からは、男性も大きな顔をしてその屋の主のような態度を取りながら、女性は甲斐甲斐しく男性に尽くし、それを又両親が進めます。
しかし、この物語はタイ人の昔話に残る家庭でのものですから、決してまともではありません。勿論、昔のことですから、貨幣経済にまみれて預金通帳を眺めたり、借金返済に苦悩したりすることはありません。40度を越える真夏でも、高床式の適当に隙間の開いた板壁、板敷の床、天井板なしの高い屋根であれば、熱気は籠りません。冷房も暖房もさして必要とは思わず、自然環境としては、洪水と獣害を恐れるくらいでしょうか。
人々は、少し離れた所に水田を持ち、田畑を持ち、それとは別に、敷地内、家屋の周りにも幾種類もの果物を植えています。多く見られるのは、マンゴー、パパイヤ、バナナ、などの他、チエンマイでは竜眼、楊貴妃も好んだと言われる冷枝などが植えられます。これらは,おやつにもなれば,マンゴーなどは,熟れたものを蒸しあげたもち米に乗せて、ココナッツミルクをかけると食事にもなります。そこには貨幣経済など無縁の世界です。
そんな暇つぶしにも似た果樹の植樹は、その家の婿殿と岳父の仕事のようですが、真剣に仕事をする男たちではありません。博打の仲間の誰もが別の用でいないか、元手をなくしたか、賭場が開帳されていないか、なすこともないまま暇つぶしなのでしょう。
『おうい、バナナを掘り返して、別の場所に植え替えるぞ』
『今からかい・・・』
朝から、バナナの根を掘っていた岳父は、もう幾本ものバナナを植え替える場所に置いていました。このバナナというもの、一本の木にバナナの実がなると、その木はもう枯れて行きますが、同じ根からは既に別の幹が伸びており、それは果てしなく広がって行きます。バナナは、実はもちろん様々な形で食用になり、葉は包装にも使え、幹は灯篭流しの台にもなれば、スープにも使われます。 その一方で、大変に繁殖力が強く、球根が前後左右に広がり次々と芽を出して行きます。その力は恐ろしく気をつけないと塀なども簡単に壊されてしまいます。そんな危険よりも、人々にとってはその利用のほうが楽しみで、拡大は、根を掘り起こして対応するなど生活の知恵があります。
岳父の命令にも婿殿はどこまでもズルを決めたいようです。
『そうだよ・・・まあ、バナナはおれが持ってくるから』
岳父が出て行くと、婿殿は物憂そうにゆっくりと立ち上がると床下に下りていきました。ノソノソと一度は手にしたチョープと呼ばれる鍬を元の通りに置くと、横にあるシアムと呼ばれる突き棒を手に出て行きました。
庭先の岳父が言っていたバナナを植える予定の場所に行くと、早速日陰を探しましたが、バナナは豊富な日照と水が欠かせませんので、さすがの怠け者の婿殿も涼しい日陰に穴を掘ろうとはしませんでした。カンカン照りの場所に突き棒をおくと、再び床下に帰り、麦藁帽子を被って出てきました。
やっと一突き、二突きすると、岳父がバナナを肩に担いで帰ってきました。
『何だ・・・まだ穴を掘ってないのか・・・』
『義父さん、一生懸命に掘ってるじゃないか・・・』
『早く掘ってバナナを埋めよう・・・早くしないと日が暮れるぞ』
そういうと、岳父は、素早く穴を掘り始めました。それでも何とかバナナを植えると、婿殿待望の昼休みです。
『休んでる時間などないぞ。仕事はまだだからな』
水を浴びてもう昼寝を決め込んでいた婿殿に岳父の声は容赦ありません。次いで家の回りに垣根をめぐらせることにして、穴を掘り始めました。
しかし、相変わらずのんびりした婿殿です。力なくだらだらと突き棒を突立てては手で掻き出し、何とか柱を一本穴に突き立てると、掻き出した土を手で戻してパンパンと叩いていきます。叩いては土を戻し又パンパンと叩いていきます。
岳父から見れば、そんな婿殿がどうしようもないほどのろまに思えて仕方ありません。
『あーあ、家の婿は何をしてるんじゃろう・・・これで生活できるのかいのう・・・』
そんな岳父のぼやきも何のその。相変わらずマイ・ペースです。
『婿殿よ・・・娘のアソコを撫でるみたいに手で土を掴み出していては、どうやって柱を突き入れるんじゃい。このわしを見本にして見な』
そう言うと、岳父は鍬を振り上げると力いっぱい打ち下ろし、グサッと土に食い込ませると、ゴボッと土を掘り起こし、忽ちにして孔を開けて行きます。瞬く間に岳父はいくつもの穴をあけては柱を突き立てて土を固めていきます。日が暮れるまでには、何とか垣根が出来ましたが、疲労困憊して全身に汗を滴らせる岳父を尻目に、婿殿は早々を水浴びして気持ちよさそうに女房と戯れています。
『あの垣根、あんたが作ったの』
『そうさ・・・ちょっと義父さんに手伝ってもらったけどな』
そんな婿殿を見ながら、岳父は只黙って力なく首を振るしかありませんでした。
その夜、季節外れの雨が降りました。バケツをひっくり返したような激しい雨が数時間降り続くと、嘘のように止みます。
そして、一夜明けた翌日朝、起き出した岳父は、庭の垣根を見てびっくりしました。昨日突き刺した垣根の柱のうちで、婿殿のものは昨夜の雨でぬかるんだ地面にもしっかりと突き立ったまま、ビクともしていませんでしたが、自分のものはあっちに傾き、こっちに傾き、どれ一つとして真っ直ぐ立っているものはありませんでした。
昔の人が言うことには『馬鹿にするなよ・・・互いの考えをな。何も確かなものはないぞ(อย่าไปดูถูก...ความนึกคิดของกันและกัน มันบ่แน่หรอกนาย)=人は見かけによらない?』と教えているそうです。
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著『ラーンナーの民間伝承物語』に収蔵されている「怠け者の婿どの」より題材をお借りしました。
冒頭の写真は、『パッ(ト)・タイ(PHAD THAI)』と呼ばれるもので、外国人にも好評なようで、この作り方を習いに料理教室に通う旅行者も多々いるようです。
動画は、タイの剣舞です。
Ram Dab - sword danceタイ剣舞
Ban Rachan UTube
この動画は、タイとビルマの死闘をショーとしたものです。これは史実で、今でもこの勇士の戦いがタイでは映画になったりしますが、ビルマ軍を迎えうった村人は壮絶な討ち死にをしました。
頭に布を巻いているのがビルマ兵役です。
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閑 話 休 題−104−
人の世界、誰もが全て同じ、そんなことは不可能です。顔も違えば性格も違います。不可能ゆえに時間の経過の中で夫々の生活に違いが出てきました。これを不公平、不平等と責めることは簡単ですが、それは事実を曲げることになるかもしれません。各人の生活の『違い』はあっても、そこに『格差』を求めると現実社会を歪めてしまいます。『違い』は色々なことが原因で起こるでしょうが、決して永遠不滅ではなく、常に変わり行くのもまた現実社会ではないでしょうか。その『違い』を際立たせるか、薄めるか、それは各人の努力で、その努力を否定すると進歩がなくなります。
富の平等、全ての人が平等だという考えで走った社会主義革命の結果何が起こったのでしょうか。富の不均衡と不平等、そして不満を抑圧する圧制でした。そうした社会でない状況でも恣意的な富の均一化は放恣と無気力と無秩序とをもたらし、人間の本質を否定する考えに、社会は混乱を来たします。
現実に世の中には『富める』人と『貧しい』人がいます。そして、これは過去からありました。ある人は生まれながらにして『富める』かもしれませんし、『貧しい』人がある日突然『富める』人になるかもしれません。大切なことは、努力という機会を消さず、誰にも同じように開かれたものとし、人としての心を保つことではないでしょうか。『富める』人が傲慢の気持ちを起こさず、『貧しい』人が嫉妬の気持ちを持たず、互いに人として対等に付き合うことが出来れば、決して不平等な社会ではないのかもしれません。全ての人に『富める』機会も『貧しい』人となる機会もある筈です。互いに仲間として、人間として対等な気持ちであれば、世の中は暖かい社会であり、人々は努力を怠らず、社会は発展していくのではないでしょうか。
とはいえ、そうした人間関係ばかりであれば、昔話というのは案外つまらないものかもしれません。現実社会には、『驕る』人『嫉妬する』人がいるものです。もしも『富を驕る』人と『貧しいが心清い』人がいれば、それは格好のお話となるでしょうし、昔の人はそうした組み合わせで様々な話を作るのかもしれません。
貧しい妹と裕福な姉
村の中に一組の姉妹がいました。既に両親もなく、二人しかいない姉妹は夫々に家庭を持っていますが、姉は村でも有数の金満家であったようです。逆に、妹は貧しさの中で授かった二人の子供を地を這うようにして汗水流して夫婦二人で働いて育てて来ましたが、夫が亡くなると、もう自分一人で母子三人の糊口を凌がねばなりませんでした。
ある日、彼女は、ひもじさに泣く子供を両腕に抱え、同じ村に住む姉の家で働かせてもらおうと考えました。吝嗇であるばかりか心悪しき姉の性格を知る彼女でしたが、二人の子供のことを考えると、背に腹は代えられませんでした。そんな妹の申し出でを受けた姉は、見下すように云いました。
「働かせてくれ、だって?おまえにやる金なんてないよ・・・」
「・・・せめて、姉さんたちの食べ残しでもいいの。うちの子供たちに食べさせたいだけなの」
「ふうん」
姉はせせら笑うように云いました。
「お金は要らなんだね。食べ残しでいいんだね」
こうして、裕福な姉家族の食べ残しを貰い受けることの代償として、妹は姉の家で朝から晩まで働くことになりました。
心悪しき人間とはこうまで人を苛めるものでしょうか。来る日も来る日も桶10杯の水汲みと7籠の米搗き、桶3杯の馬の草刈、朝昼夕3度の食事の支度全てが妹一人に課せられました。しかも、彼女の務めはこれだけに留まらず、姉一家の全てに奉仕することで、洗濯、掃除は勿論、姉の家で飼っている豚の世話、鶏の世話、庭の手入れ、疲れても輿を下ろして一息入れる時間などありませんでした。そこまで時間を惜しんで働いても、彼女が姉から叱責の言葉を吐かれない日は一日としてありませんでした。
どれほど働いても二人の子供の空腹を癒すことなど出来ず、細々と命を繋ぐことが精一杯でした。そんなある日、毎日搗く米が幾粒か地面に零れ落ちていることに気付いた彼女は、小さな竹の筒を拾ってくると、その中に一粒一粒、宝物を仕舞うかのように入れていきました。
連日の過労と食料不足に彼女の身体は限界に来ていたのか、立ち上がろうとすると腰は痛み、背中に激痛が走り、耳鳴りがし、眩暈すら覚え、辛うじて立ち上がった彼女の身体が一瞬フラッと傾きました。懸命に両足を踏ん張って耐え、拾い集めた米粒を入れた竹筒を抱えるようにして覚束ない足取りで家路につきながら、子供に食べさせることを思うだけで、彼女の身体を襲う激痛も和らぎます。
足を引き摺るように帰り着いた彼女は、早速お米をとぎ、炊事の支度に取り掛かりました。が、どうしたことか、このことが姉の耳に入ると、妹が米を盗んでいったと騒ぎ立て、家にまで押し掛けて来ました。吝嗇な姉は、証拠の品だとばかりに炊き上げようとしている小さな竹筒半分ほどの米を取り出すと、家に持って帰り、そのまま豚にくれてやりました。
どれほど懇願しても姉は聞く耳を持ちませんでした。それのみならず、二度と家に立ち入ることならんとまで厳命されると、彼女たち母子3人にはもう生きる術すら残されていませんでした。その夜、空腹を訴える子供を両腕に抱き締めた彼女は、ただ悲しさに涙を流すしかありませんでした。
夜明けまで悲しみに泣き暮れた妹は、夜が明けると泣き疲れて眠る二人の子供を床に寝かせ、その足で姉の家に向かいました。何とか働かせてくれるよう額を地に付け、両手を合わせて拝むように頼みましたが、蔑みの言葉以外姉の口からは漏れませんでした。
精根尽き果てて家に帰ってきた妹は、小さな竹篭を背に森に入りました。森の山菜、木の実、何か口に出来るものはないか、一縷の望みを森の中に求めましたが、生憎、あるだろう山菜も見えず、落ちているだろう木の実もなく、生っている果物はまだとても食べるまでに熟していませんでした。
日が西に傾き、森を出た彼女は天に祈るように赤く萌える夕日を見詰め《明日こそは・・・》かすかな望みを夕日に込めて家路につきました。
ところが、森を出た彼女を待っていたのは、巨大なニシキヘビでした。村に向かう一本道の真ん中に来る時にはいなかった見たこともない巨大なニシキヘビが通行を妨げるように横たわっています。家に帰るには巨大なニシキヘビを跨がねばなりませんが、そんなことが出来るはずもありません。
「ニシキヘビ様、どうか、哀れな私に思し召しを垂れて下さい。私には、未だ幼い二人の子供が家にいて、子供たちは、一日と一晩何も食べておりません。どうか道をあけて私を家に帰して下さい」
しかし、蛇はただじっと彼女の目を見詰めたままピクリとも動きません。丸く見開かれたニシキヘビの目は優しく澄み、彼女に何かを語りかけているかのようでした。
まさかとは思いながらも、命以外何もない彼女は、意を決して蛇の前で膝まつき、竹篭を横に置き両手を合わせました。
「ニシキヘビ様、もしもあなた様が私たち家族の命を助け、あなた様の肉を二人の子供に食べさせ様として来られたのであるならば、どうか、この竹籠の中に入って下さい」
彼女の言葉が終わると、巨大なニシキヘビは、ゆっくりと巨体を動かし、くねくねと大地を這いながら彼女の竹篭の中に入っていきました。
籠の中でとぐろを撒くニシキヘビ、覗き込む貧しい女性、見詰め合うそこに何か通うものがあったようです。竹篭を背負って家に帰った彼女は、蛇を切って調理し、蛇肉のスープを作りました。蛇の切り身以外何の調味料も薬草も入っていないにも拘らず、あばら家に絶えて久しい香ばしい匂いが漂うと、二人の子供は駆け寄ってきました。
「母ちゃん・・・早く食べさせてよ・・・」
「もうちょっとだよ」
彼女は、十分に火の通った蛇の切り身を取り出すと、千切って一切れずつ子供に食べさせました。
二人の子供が蛇の肉を口にした、その瞬間、どうしたことか二人の子供は忽ちにして、黄金に輝く二羽の孔雀に姿を変えました。そして、そのまま数度大きく羽ばたくと夜空に舞い上がって闇の中に消えていきました。
呆然と二人の子供が飛び去った夜空を見上げながら、彼女は言葉もありませんでした。翌朝、目覚めると、孔雀に姿を変えて飛び去っていった二人の子供が恋しくてなりません。思わず子供たちが飛んでいった方向に向かって子供の名前を呼ぶと、どこからともなく二羽の黄金の孔雀が飛んで来ました。一羽の孔雀の口には黄色く熟れたマンゴーが、そして、今一羽の孔雀の口には赤く熟したパパイアが咥えられていました。
母親の両の手にマンゴーとパパイヤを落とし、母が食べるのを見届けた二羽の黄金の孔雀は、傾いた母の住むあばら家を後に飛び立つと、真っ直ぐ吝嗇な伯母の家に向かい、彼女の頭に糞を落として飛び去りました。
その日以来、貧しい妹のもとには毎日美味しい果物が届けられ、もう空腹を感じることなど一日としてありませんでした。一方、裕福ながら吝嗇で意地悪な姉は、連日二羽の孔雀の糞を頭に受け、徐々に髪の毛が抜け落ちていくと、終には一本の産毛すら見えなくなったといいます。髪の毛が抜け落ちるに連れて、彼女の財産も次第に消えうせ、最後は頭同様何一つとして残らなかったといいます。
(了)
スチャート・プーミポリラック著「雲南省のタイ・ルーの伝承」に収蔵されている「貧しい妹と裕福な姉」より題材をお借りしました。
冒頭の画像は、『ドライ・チキン・カレー』にも似ていますが、『カーウ・モック・カイ(KHAAW MOK KAI)』といい、この料理は知りうる限り、回教徒、すなわち中国南部のイスラム教徒回族の人たちが扱っています。特徴としては、殆どが鶏を使い、一部羊を使います。そして何より作り方に様々な方法があって夫々秘伝のようですが、共通して隠し味的に使われているのがヨーグルトで、調理前に鶏はカレー粉などで下味が付けられます。通常これには甘いタレがつき、こうしたお店の近くにはイスラム教徒が多くいて、竹串に刺して焼いた牛肉を売っていることがよくあります。
チエンマイへ1
この動画は、タイ国最大のダムであるターク県のプーミポン・ダムよりチエンマイに向かってのボート・トリップの模様です。
チエンマイは、この重畳と連なる山のはるか北にあります。
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