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閑 話 休 題−93−
タイでは、ここ数年、国王陛下の提案ということで、身の丈に合った生活をすれば不況の中でも生き抜いていける、というものがしばしば論じられます。背伸びして、無い物強請りすることなく、身の回りにあるものを最大限に有効利用すれば、コスト削減にも繋がり、無駄な支出もなくなり、浪費生活を改善することができるであろう、というものです。
思えば、タイでもつい最近までの高度経済成長時には、誰もが銀行借入で家をたて、車を買い、バイクを買い、携帯電話を買い、豪華な食事に高価な衣装、華やかな生活は、バブル崩壊とともに崩れ去りました。残ったのは、返しきれない借財のみでした。
ついで、政府主導の下でカード時代とも言える意図的インフレ政策と、消費拡大政策が、弾けた筈のバブルを再び膨らまして消費を高めようとしましたが、これもまた所詮はカード地獄の始まりで身の回りのものが次々と消えていきました。
こうした社会背景の中で国王陛下から国民に示されたのが上の新たな考え方です。
しかし、こうした考えは、わが国にも昔からありました。
昔から民族を問わず、人の性格というものには共通する点があるようです。分不相応に振舞ったり、分不相応なことを考えたりするのですが、地に足がついた地道な生活を、タイの国王陛下も、われわれの先人も教えているのだと思います。
分相応
日本の乞食は、かつては橋の下が生活の基地として定着していましたが、いつの間にか、公園に変わり、地下街に変わり、商店街のアーケードの中に変わっていったようですが、タイの乞食はどこがねぐらでしょうか。
バンコクでは、王宮前広場が彼らの場所のようにも言われていますが、ラーンナーでは、そうした広大な空き地はありませんので、思い思いに人のいそうにない場所にいるのでしょうか。村中では村人の飼っている犬に吼えられて彼らも安眠はできないでしょう。
中には、砂浜に掘っ立て小屋とも言えない、ありあわせの竹、木切れとバナナの葉を利用して作った日除けのような場所に暮らし、雨と炎熱を避けている乞食もいたようです。
この乞食は、来日も来る日も、どんなに強烈な南国の灼熱の太陽の光が降り注ごうとも、日差しを避けるものもないまま、掘っ立て小屋を出ては村に物乞いに出て行きました。
こうして、日々物乞いを続けるうちに、手にするお米を竹編みの器に入れて溜めていましたが、いつとはなしに籠一杯になりました。
僅かばかりの食事で空腹を癒した彼は、目の前の竹網の籠一杯になった米を見詰めながら、これ以上にない喜びを感じていました。空腹の癒えた体に睡魔が襲うと、南国の男たちの例に漏れず、彼もまた上半身裸のまま部屋の中で横になると、見えない竹網の籠を確かめるかのように足で触れていました。それは、生まれてはじめて自分で溜めた白いお米です。白いお米はまるで宝石のように輝いているかのようでした。
横になって目を閉じると自然に笑みが浮かんできます。
湿気の少ない南国では、日陰に入ると案外涼しいようで、流れ込んでくる外気が、裸の上半身に心地よく触れてきます。足に触れる米一杯飲み込んだ竹網の籠。
《さあ・・・これをどうしようか・・・》
乞食は、白いお米を炊いてお腹一杯食べる、そんな常識を持ち合わせていませんでした。乞食は、乞食なりに、籠一杯の白いお米の最大限の利用効果を考えました。
ああでもない、こうでもない・・・思いはちぢに乱れます。やがて睡魔が彼の全身を包み込むと、次第に意識が薄れていきます。
変わって、彼の脳裏に別の光景が浮かんできました。
そこには、乞食らしい男が何やら考え事をしています。ぶつぶつと小さな呟きが眠っている乞食の口から漏れてきます。
「そうだ、この米を売ればいいんだ」
どうやら、乞食は自分が商人になった夢でも見ているようです。足に触れる竹網の籠の存在を確かめるように、竹網の籠を彼の汚れた足が撫でていきます。
「米を売れば十分な金を手にすることが出来るではないか。その金で鶏を買って飼うことにしよう。そうすれば卵が毎日只で食える・・・」
乞食は眠りながらも気持ち悪いほどにニヤニヤし始めました。
「でもよ・・・卵ばっかり食うわけにもいかないから、これを売ろう。ついでに、鶏も売って金にしてしまおう・・・うんうん・・・それがよかろう」
一人合点の末に掘っ立て小屋が沈黙に包まれましたが、それもすぐに乞食の独り言に破られました。
「そうだ、鶏を売れば金が手に入る、それで豚を買おう。利益は利益を生むとはこのことよ。もらい物の米粒も貯まれば大きなものに変わるものさ・・・米粒が豚になるんだから、商売とは面白いものよ・・・」
丸で取らぬ狸の皮算用で、夢の中で乞食は一人前の商人に変わっていました。
「せっかく豚を手にしたんだから、隣町に持っていって売り飛ばし、牛市で牛を買おう。でも牛とか水牛を買ってもおらには田んぼがないから、これを次の牛市で売り飛ばして、その金を持って象を買いに行こう」
鶏とか豚なら何とか掘っ立て小屋でも大丈夫ですが、さすがに牛とか水牛になると、育てるための草探しが容易ではありません。しかし、夢の中の乞食にはそんな現実など無用の世界です。夢に酔いしれる乞食は、牛と水牛を売ったそのお金で終には象を買ってしまいました。
今でこそ、象はその生息数が減少し、心ある人の心配を呼んでいますが、かつては森に入れば野生の象の鳴き声が不気味なほど響いていたようですし、かつての軍隊に象は不可欠でした。象の背中に輿を乗せ、その上に腰を下ろすと、視線は3メートルの高さを超えるでしょう。そんな高いところから見渡す光景は大地を歩く人々の想像を超えて広く開けた世界を教えてくれます。
そんな象は、戦争では王の乗り物となり、王侯貴族の乗り物です。しかし、一般市民もまた象を使うことがあります。象は森林資源の引き出し作業用には欠かせません。切り倒した大木を引き出すのに象以上に力ある動物はいません。
「そうさ・・・俺は象を使って木の引き出しを請け負えばいいんだ。これは儲かる筈だ・・・」
乞食とはいえ、まともなことも考えるようです。
「こうして大儲けをすれば、次には総チークの大きな館を建てるんだ・・・それから村一番の美人を女房にするんだが、さて、どこの娘が村一番の器量よしだろうか・・・」
夢は際限なく広がります。
「村中のものを集めて盛大に結婚式を挙げると、その後で子供を作ろう・・・何人でもいいぞ、多いほど賑やかでいいな、でも初めはやはり男の子が欲しいな・・・そうだ、長男だ」
もう乞食の表情にニヤついたところはなく、不思議と夢の中でも分限者になると、寝ている表情まで変わるようです。その呟きにもどこか威厳が出てきました。
「子供が出来ると、女房が面倒を見るんだな。おれは、命令するだけだ。・・・女房が何をしていようと関係ない、俺が呼び付けると、子供を抱いたまま飛んできて膝まつくさ・・・」
「・・・でも・・・呼んでもこなければどうしよう・・・」
「こなけりゃ、足蹴にしてやるさ。そして、散々に踏みつけて男の権威を思い知らせてやるんだ」
同時に、乞食の右足が大きな音を立てて足元にある米粒が一杯入った竹網の籠を力いっぱい蹴飛ばしました。
ザザザ・・・竹網の籠が倒れて砂浜に転がると米粒が撒き散らかされました。同時に乞食が夢から覚めました。
アアアア・・・・・
目の前の米粒は砂、泥と区別がつかないまでになっていました。乞食は呆然とそれを見ているしか出来ませんでした。どれほど拾い上げて見ても泥砂の入り混じった米はもう食用にはなりません。
恨めしそうに乞食のお腹の虫がグーと泣きますが、掘っ立て小屋には食べ物は一切れとしてありません。
仕方なく、乞食はいつもと同じように頭陀袋を肩に掛け、物乞いに村に向かって歩いていかねばなりませんでした。
この物語は、「何をするにも己を鑑み、身分以上のことを夢想するな(จะทำอะไรจงดูตัวเอง อย่าคิดใฝ่ฝันให้เกินตัว=何をしようとも分相応にせよ)ということを教えている」そうです。
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著「ラーンナーの民間伝承物語」に収蔵されている「夢想する乞食」より題材をお借りしました。
冒頭の写真は、北部タイ農村の田にある、見張り小屋を兼ねた掘っ立て小屋です。屋根に見える合唱した形が「カーレー」と呼ばれる、北部タイ独特のものです。
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閑話休題
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オウチョウ
閑 話 休 題−92−
世の中には、嫉妬・羨望にその心を汚した人もいるようですが、他人の物が羨ましい余りに、何としてでもそれを手に入れようとする。時には、詭弁を弄することもあれば、自分の物を盗んで行ったと他人に吹聴して回って罪を被せる人もいるかも知れません。
自他の区別がつかない人は、自分の中にあるであろう優れた点に気付かないか、認めようとしないのでしょう。嫉妬し、羨望して他人の物を手に入れようと努力するその力で自分の道を切り開くことが出来れば素晴らしい人生になるのでしょうが、案外既に出来ている他人の物に魅力を感じるのでしょうか。
また、同じ物でありながら、他人の物がよく見えるというのもまた人間の悲しい性かも知れません。自分の中にある素晴らしい物を見捨てることに何の未練もないのでしょうが、捨てた後で案外その価値を知るものです。
タイ・ルー族は、そんな羨望と老獪な詐欺の様子を動物をもって教えています。
詐欺師
オウチョウというのは、写真で見る限りとても美しい鳥で、特にその尻尾の形は他の鳥とは異なっています。ツバメのように左右に割れているようですが、見ようによれば魚の尾鰭にも似ていますし、ある種のオウチョウは、尻尾の先に長い飾りをつけているものもあります。タイ・ルー族の昔話に寄れば、冒頭の写真に見られる通り、今は黒いオウチョウも、昔は美しく白い羽根を持っていたようです。
オウチョウは、白く美しい羽根を優雅に広げて森の中を飛び回っていました。誰からも一目置かれるほどに勤勉なオウチョウは、朝から日暮れまで大空を舞っては自由を満喫し、餌を探し、日々の生活に生き甲斐を感じていました。そして、同時に綺麗好きなオウチョウは、より美しくなる努力を惜しまず、毛づくろいにも余念がありません。
オウチョウは、常々今以上に美しい羽根を持ちたい、他の鳥の眼を惹き付けるに十分な艶ある羽根を持ちたいと考えていましたが、ある日、オウチョウはリュウキュウアイの木と白石灰を見つけました。そこで、リュウキュウアイの木の葉を一枚銜えて帰って来ると、水瓶に落とし入れ、白石灰を銜えて来ては同じ様に水瓶の中に落としていました。幾度かそうした行為を繰り返しているうちに、水瓶の中の水は立派な染料に変わりました。
染料が出来上がると、オウチョウは嬉しくて仕方ありません。
毎日、その水瓶の縁に止まっては自ら作った染料で白い羽根を染めていきました。そうした日々が続くと、白い羽根もやがて黒い艶のある羽根に変わり始めます。オウチョウは嬉しくて来る日も来る日も染色に余念がありませんでした。
オウチョウが、一人気持ちよく水瓶の縁に止まって染色に励んでいる時、どこからともなく1羽のカラスが飛んできました。髪はカラスの濡れ羽色と言われるほどに艶のある黒い毛が見事なカラスも、かつてはこのオウチョウと同じように見事な真っ白い羽を持っていたといいます。綺麗な無垢の白い羽根の持ち主にも拘らず、カラスが口に銜えている肉は腐り果てて悪臭を放っていました。それはオウチョウに吐き気を催させるほどに酷いものでした。
カラスは、オウチョウの水瓶の縁に止まると、中を覗きこみました。口には腐った肉を銜えたままです。カラスの身体から発する異様な臭気だけでもオウチョウは吐き気を催すほどであるにも拘わらず、カラスはそんなオウチョウの様子を無視して更に水瓶の中を覗き込んでは、オウチョウと見比べています。
水瓶の口の上でユラユラと揺れる腐った肉片がいつ貴重な染料の中に落ちるのか心配でなりません。すぐ横で臭気を放つカラスを追い払うことも気持ちの優しいオウチョウには出来ず、かといってこのまま放置することも出来ず、オウチョウは、吐き気に堪え、臭気に耐えて水瓶の蓋を口に銜えると、そんなカラスの行為からせっかくの染料が汚れるのではないかと恐れてあわてて水瓶に蓋をしました。
一方、カラスは、目の前の鳥が不思議でなりません。これほどまでに黒く艶々とした羽根を持った鳥をこの森で見たことがありません。姿形はどう見てもオウチョウですが、オウチョウは自分と同じ白い羽根の持ち主です。
しばらく水瓶の中の色のついた液と目の前のオウチョウらしい鳥を見ているうちに、ふとカラスの心に閃くものがありました。
《そうだ、オウチョウは、この色の付いた水で羽の色を変えたに違いない。もしもこの色の付いた水で羽の色を黒く染め変えることが出来るならば、どれほど素晴らしいことだろうか。村に出て鶏の卵を盗んでも、鶏の子を捕まえても、人間は、白いカラスを追いかけて、黒く変身した自分は安全であろう》
カラスの狡賢い思考が一つの結論に達すると、腐った肉片を口から放し、足でしっかりと掴むと、オウチョウに向かって猫撫で声で言いました。
「オウチョウさん、あなたは私たち鳥の中でも有名で、心は果てしなく広く、言葉は美しく正直で、しかも誰よりも勤勉であり、且、賢く、そして何より有能です。生活手段も多く、この森の中の誰もがあなたを褒めています・・・」
これまで一度としてこれほど優しい言葉をカラスの口から聴いたことのないオウチョウはどう返事していいのか分かりませんでした。
「・・・今まで、ずっと私はあなたの素晴らしさを見習おうとしながらなかなかお近付きの機会もないまま今日まで至りました。今日、私は何はさて置き、あなたと姉妹の契りを結ぼうと意を決してやって来ました・・・」
「なにか・・・」
臭気に耐えて、辛うじてオウチョウが口を利きました。
「今後、私たちは、同じ森の住人としてお互いに助け合いましょう。あなたの染料は、とてもいい色をしていますね。少し私に分けて頂けませんか。私は、あなたと同じ様に羽を黒く染めましょう。これにより単に私達が精神的に姉と妹の契りだけではなく、私達の羽も又、全く同じになります」
かつて一度としてカラスと付き合ったことがないオウチョウは、こうしたカラスの言葉を聴いて不思議な気持ちになりました。誰もが言うには、カラスは怠け者で、食いしん坊で、他の人より優位に立つことを常に心掛けています。ところが、今、こうして甘い声で染料を要求して来ていますが、用心しなければならない、オウチョウは一人心の中で感じていました。
「この染料は、私が自分で使う為に作ったもので、量も少なく、一人分しかありません。もしもあなたが毛を染めるのに使えば、私の分がなくなってしまうでしょう。ですから、この話は後日改めてしようではないですか」
オウチョウは、勤めて言葉柔らかく、それでいて断固とした気持ちでカラスの要求を撥ね付けました。しかし、狡賢さにかけてはオウチョウなど足元にも及ばないカラスは、悲しみの声音で泣き落としにかかりました。
「いままで、森の誰もが言うことは間違っていたようだわ。誰もがオウチョウさんは、度量が大きく、心根が優しいというけれど、わざわざ遠くからやって来た私がほんの少しの染料を求めたにも拘らず、物惜しみして、くれようとしないとは。評判の心広いあなたが、急に今日は吝嗇家になってしまったようね。これで心根が広く心優しいなんて言えるのかしら」
カラスは、わざと涙を拭うかの様な悲しみの仕草までして見せました。
「カラスさん、そう悲しまないで下さい。決して物惜しみしているわけではありません。あなたも私と同じように羽を持ち、口を持っている鳥ではないですか。私が原料を拾ってきて自分の力で染料を作ることが出来るならば、あなたも又同じ様に材料を探してきて染料を作ることが出来るではないですか。それなのに、どうして自分では作ろうとせずに、他の人の物を使おうとするのですか」
カラスの要求に煩さすら感じたオウチョウの口調には、どこかイライラしたものが含まれていました。そんなオウチョウの気持ちなど無視して、カラスは更に要求し続けました。しかも、今度は自らを卑下して、自分が無能であるかの様に言いました。
「でもね、オウチョウさん。私は、あなたの様に上手に色を作る技術を持っていないのよ。分かるわよ、あなたが自分用にしか作っていないことは。だから、こうしましょうよ。もしもあなたが私にたくさんくれることが出来ないなら、少し羽の先を染めさせて下さいな」
見事にカラスのこの作戦が功を奏しました。
「分かったわ。羽の先を染めてもいいわよ。でも注意してね、決して染料の瓶を汚さない様にしてね」
オウチョウは、カラスの言葉をうっかりと信じてしまい、水瓶の蓋を取って開けました。
カラスは、この機を逃しませんでした。水瓶の蓋が開くや否や、染料の中にザブンと飛び込みました。言葉もなく呆然と佇むオウチョウの前で、カラスは身体全体を染め、真っ黒にしました。そして、思い通りに全身を黒く染め終わると、激しく羽ばたいて急いで飛び出して行きました。水瓶の周りには染料が飛び散り、二度と使えないほどに染料は汚れてしまいました。
次の瞬間、オウチョウの心の中に非常な怒りが込み上げると、カラスに対する憎しみが心の中に沸き起こり、カラスを追って飛び立ちました。カラスを追い掛け回しつつ罵倒しては「私の染料を返せ、恥知らずの嘘つきカラス」と叫び、追い付いて、激しくカラスを突きました。カラスは、首を呻だれた状態で何も言うことが出来ず、顔を強張らせ痛さに耐え、オウチョウが突くに任せるしかありませんでした。
その日以来、オウチョウは、カラスを宿敵と見做し、カラスが飛んで来るのを見ると、常に「私の色を返せ、私の色を返せ、羞恥心のない嘘つきカラス」と罵倒して止みませんでした。オウチョウが罵倒する言葉を聞いた他のオウチョウもまた、寄って集ってカラスを取り囲んで突きました。あの鳥が一突き、この鳥が一叩きと、カラスに抵抗する手段を与えませんでした。反撃など言わずもがなでした。
かくして、オウチョウを言葉巧みに騙して色を黒く変えたカラスは、非常なる苦痛を受け「カー、カー」と泣き続けねばならず、今も止むことがありません。・・・とさ
(了)
スチャート・プーミポリラック訳「雲南省内のタイ・ルーの伝承』に収蔵されている『カラスとオウチョウ』より題材をお借りしました。
冒頭の写真が、本稿の主役の一羽『オウチョウ』の写真です。
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モー魚
閑 話 休 題−91−
人は多かれ少なかれ秘密を持つのが常のようです。それが外から見れば秘密にするようなことでなくても、本人はそれを知られることに羞恥することがあるようです。芸能人であれば、小さい頃の秘話、写真を公開されたり、身体的特徴を知られたりすることを恐れ、そうした身体的特徴に劣等感を持つと、真剣にそうした点を隠そうとします。たとえ、それが身体的欠点ではなく、後天的なことからであっても羞恥心を起こすと劣等感となってそれを隠そうとします。
親しい間での些細な秘密であれば、笑い事で済むかもしれませんが、夫婦の間の隠し事は時として喧嘩の元にもなりかねません。しかし、もしも上司の秘密であればどうでしょうか。上司が、部下に知られることに死ぬほどの恐怖を抱いた秘密を持ってしまったとすれば、どんなことをしてでも秘密の保持に腐心するのではないでしょうか。逆に上司の秘密を知った部下は、秘密を口外することを憚りながらも誰かにこっそりと教えたい誘惑に駆られるのではないでしょうか。
口は災いの元
遥かな昔の話です。余りの恥ずかしさからか、国の名前すら残されておりません。その国は、広大な領土と肥沃な国土を持ち、誰もが十分に豊かな生活を送っていました。しかし、その国の城主は、いつの頃からか外出を控えるようになり、恒例の様々な国の祭りにも顔を出しません。
住人たちの間に様々な噂が実しやかに流れてくるようになると、不思議なことに城内で国王の側近くに使えている奴隷が一人、二人と姿を消すようになりました。
従来とても心優しい城主の良からぬ噂に住人の誰もが首を傾げるばかりでした。そんなある日、城主は側用人に命じて、優秀な理髪師を探してくるよう申し付けました。これまで王宮にも数人のお抱え理髪師がいたのですが、どうしたことか、情趣の怒りを買ったのか無残にも殺害され、今では王宮に一人として残っていません。
「探し出して参りました」
「よし、下がっておれ」
城主は、長く伸びた髪を自己流に束ね、黄金の輪で髷を作っていました。
「この部屋で見たことは調度品一つといえども一切他言無用である」
「はい、心得ております」
理髪師は、顧客の秘密を他言することなど自らの信用問題ですから、極力部屋の調度にも視線を走らせることは慎んでいました。
「では、失礼いたします」
理髪師は、城主の頭頂を髷に結っている黄金の輪を取り外しました。乱暴にまとめているだけの長い髪の毛がばらばらと無造作に流れ落ちてきます。流れる髪を手に取り、櫛で梳いていきます
ウッ・・・
一瞬理髪師の動きが止まりました。思わず漏れる笑いを辛うじて抑えた理髪師ですが、城主は瞬時に理髪師の心の中を読み取り、厳しい声で言い放ちました。
「今お前が目にしたことを誰にも言ってはならん」
「は・・・はい・・・」
笑いを堪えてこれだけ言うのが精一杯でした。
実は、城主は、ここ数年頭部にシラクモが原因で円形脱毛症のように、頭髪が抜けていました。城主には、頭部に発生する痒みよりも髪の毛が抜け落ちた後に出来た丸い地肌が恥ずかしくてなりませんでした。
これまで王宮のお抱え理髪師も、この城主の秘密を仲間に漏らしたが故に、それだけの理由で殺されたのです。まさか城主がそこまで秘密に固守するとは想像もしていなかったが故の悲劇でした。
「もしも、今お前が目にしたことを口に出して誰かにしゃべると、お前の命はないものと思え」
「も・・・勿論、誰にも言いません」
城主の髪を梳き、言われるままに髪を刈りながらも、理髪師は可笑しさを堪えるのに必死でした。これまで数限りない人の頭を刈ってきましたが、地位ある人の中でこうしたシラクモの脱毛の痕を見たことがありませんでした。
何とか笑いを堪え、脱毛の痕を隠すように髪を梳いて髷を作り、元通り黄金の輪で城主の頭頂を飾りました。
鏡に映る我が頭を見て、城主の顔に久々に笑みが浮かびました。自己流とは違って綺麗に梳かれた髪は艶があり、いまさらのように威厳に満ちていました。
無事笑いを堪え、城主の望みのままに散髪を済ませると多額の報償を手に王宮を出ました。しかし、彼の記憶の中では城主の頭に出来た数箇所の脱毛のことがどうしても忘れられません。
『秘密にしろ』そう言われれば尚更に誰かに喋りたい気持ちになるのは、人の常でしょうか。
「おうい、どうしたんだい。よほど王宮でいい思いをしたようだな」
何も知らない知り合いは、自然とこぼれる彼の笑みを見て、嫉妬心を込めて言いました。
「何もないさ・・・」
走るようにその場を立ち去るしかありませんでした。
「ハハハハ・・・・」
走りながらも思わず笑い出してしまいました。
しまった・・・
一瞬、彼は立ち止まると、周囲を見渡し、誰もいないことを確認してホッと胸を撫で下ろしました。
「何を急いでるんだい・・・そんなに慌てて」
「いや・・・別に・・・」
「王宮に呼ばれたと誰かが言ってたけど、王宮で床屋の仕事か」
「まあな・・・」
「変な言い方だな・・・何か面白いことでもあったのか」
「あるわけないさ・・・」
人に会う都度、彼は城主の秘密を口にしたくて溜まりませんでしたが、自分の首を賭けるほどの勇気は勿論ありません。しかし、このまま黙っていると気が狂いそうです。
そこで、彼は目の前に広がる森の中に入っていきました。しばらく歩いていると、大きな蟻塚を目にしました。周りに人影はありません。彼は蟻塚の穴に口を近づけ、更に両手で口を囲うようにして大声で言いました。
「シラクモ頭の城主様・・・シラクモ頭の城主様・・・シラクモに間違いなしじゃ・・・」
一度叫ぶと胸の痞えが降りたようで何故かすっきりとしました。
しかし、運の悪いことはあるもので、理髪師は慎重に周りに視線を配って人の気配がないことを確かめた上で叫んだのでしたが、その蟻塚の近くには大ヤモリが住んでいました。そして、不幸にも、理髪師の大声が大ヤモリの記憶の中にしっかりと刻み込まれてしまったのです。
理髪師が晴れやかな気分で森を出た後、森の中には大ヤモリの鳴き声が響いていました。
「シラクモ頭・・・城主・・・シラクモ頭・・・城主・・・」
翌日、城主は久しぶりに森に出ました。たくさんの従者を引き連れての遠出で、その姿には今までにも増して威厳に満ちていました。
森に入り、蟻塚に近付くと、何も知らない大ヤモリは覚えたばかりの言葉を飽きもせずひがな繰り返し喋っていました。
城主の耳にその言葉が入ると、羞恥以上に怒りがこみ上げ、直ちに行幸を取りやめると同時に理髪師を取り押さえさせました。
「お前は約束を破ったな・・・」
眦を決して怒りを全面に表した城主の声に、理髪師は体を震わせて言いました。
「決して約束は破っておりません。誰にも一言の喋ってはおりません。ただ・・・」
「ただ、何じゃ」
「ただ、森の中の蟻塚の穴に向かって喋りましたが、まさか、そこに大ヤモリがいるとは気が付きませんでした」
いかなる言い訳も城主には通用しません。
城主は、兵に命じて理髪師を引き出し、首を刎ねてしまいました。
昔の人は、「モー魚は真に口故に死んだ(ปลาหมอตายเพราะปากแท้ ๆ )=口は災いの元)」という諺を残しています。
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著「ラーンナーの民間伝承」に収蔵されている「口は災いの元」より題材をお借りしました。
諺に言う「モー魚」とは冒頭の写真のものですが、鯉の一種でしょうか?、水面に出て口をパクパクさせることが余りにも頻繁故にすぐに人間に居所が知られ捕まるそうです。そうした習性から出来た諺のようですね。
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閑 話 休 題−91−
自然界においては、大が小を餌とすることはしばしば見られます。魚が一度口を開けるとどれほどのプランクトンを口の中に入れ、鯨が一度海水を口の中に入れるとどれほどの魚、微生物が入るでしょうか。
人間は、無意識のうちに呼吸をしながら空中の無数の微生物を体内に取り込んでいます。その中には無害なものもあれば有害なものもあるのでしょう。無害なものでも体内に入ればその命を絶ちますが、我々はそのことを意識しません。有害であれば、薬剤によって駆除しようとします。道を歩けば蟻を踏みつけているかも知れません。道路舗装でその下に住むミミズの生命を奪っているかも知れません。
自然界にはそうしたある種命の循環があるようで、ある種の生物を絶滅させるとその連鎖の輪が壊れて思わぬ弊害が起きることに我々人間は気付き始めました。生き物の世界では、誰もがそうした自然の摂理を無条件で受け入れています。しかし、もしもそうした当然といえる摂理に疑問を抱くとどうなるのでしょうか。
自業自得
森の中の生き物は等しくトラを恐れ、ライオンを恐れます。巨体を有する象も、子供を守るか自らの生命に危害が及ばない限りライオンと正面切って戦おうとはしません。ライオンも象の巨体と強靭な鼻は脅威です。
性質としては大人しく、人間の友人にもなりうる象は近付いて見ると、可愛い目に睫毛があり、どこか漫画的なものさえ感じます。今では、その糞は紙にもなって観光地では売られています。
そんな巨体を有する象は、時に木を倒しながら進み、大地を踏みつける足の力から逃れられる動物は数少ないでしょう。かつて、タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道のルート選定にこの象の巨体が利用されました。巨体を守る為に軟弱な地は通らぬ性格と、小さな木はへし折り、踏みつけ、ルート選定は通路開拓をも兼ね、しかも2メートルに及ぶ巨体の上に乗ると、前方遥かかなたまで見渡せます。地形調査すらをも兼ねていたのです。
象の歩んだ後には、無数の死骸が折り重なっているかも知れません。そこには、季節を告げるカエルもいれば餌を求めて出てきたネズミ、トカゲ、ありとあらゆる森の動物が象の動きに敏感になります。それが草原に出てくるとまた草花を踏み倒し、へし折り、引き抜き、伸びようとする若木は押しつぶされたことでしょう。
そんな数え切れない被害者の中には、象の無意識の危害に命を賭けて復讐心を燃やす小動物が出てきたとしても不思議ではありません。勿論一対一では象に敵いません。しかし、復讐を遂げる為にはその為の戦略を練ります。
正に象が森を出て広々とした草原に出てくると、大きく吼え、南国の太陽の光を全身に浴びます。森を抜け、草原を渡った先には満々と水をたたえた川があります。
その川に巨体を浸し、全身の汚れを落とすと、全身に溜まった炎熱も冷やされ、余りの心地よさにうっとりとします。チエンマイの外れの観光地でもは、象に乗ってのショート・トレッキング、象の様々な演技の他に、こうした水浴びの様子もまた重要な見せ場のひとつです。
象はいつものように森を出、草原を歩いて行きますが、草原の中に小さな鳥の巣があることに気付きませんでした。鳥の巣にはまだ飛び立つことなど知らない目も見えない孵ったばかりの雛が数羽いました。チーチーチー・・・小さな甲高い声で母鳥を呼ぶ雛の声が耳に入らないのか、象は真っ直ぐ歩を進めると、いとも簡単に巣を踏み潰してしまいました。
足の裏に感じる感触は、象に危険を知らせるものではありませんので、そのまま川に向かって歩みを止めることがありません。
しかし、その全てを巣へ急ぐ母鳥が上空で見てました。母鳥にとって、象がわざと巣を踏み潰したのか、知らずに踏み潰したのかは関係ありません。愛する我が子を無残にも踏み潰された母鳥は、自らの心臓を引き裂かれるほどの痛みを感じると、我が子に代わって象への復讐を誓いました。
復讐といっても、小さな鳥一羽が象を相手に成し遂げることが出来る筈もありません。象の尻尾に弾かれるだけで鳥は命を落とすことでしょう。上空から急降下して鋭い嘴で突付いたとしても、象の頑丈な皮膚を突き破る自信はありません。突いた瞬間象の尻尾が鳥の全身を打ち据えて絶命させるでしょう。
鳥はあふれ出る涙に目がかすみますが、それでも復讐を考え続けます。
一人で出来なければ仲間を集めよう・・・
それから数日、母鳥は仲間探しに明け暮れました。
鷲に相談しても、鷲は象とは接触することのない遥か高いところに巣を作りますから、わざわざ敵を作る気などありません。
トラに相談しましたが、トラは、我が子を象に踏みつけられたこともなければ、出来るだけ象とは関わりを持ちたくありませんので、これまた相談になりません。鹿も蛇も、鰐さえも象と戦う気持ちなど微塵もありません。
「ネズミさん、あなたは象に子供を踏み殺されたでしょう・・・」
「でも、象に復讐などは、とてもとても・・・それより死んだ子供の数以上に子供を作りましょう・・・」
ネズミも逃げていきます。
意気消沈している母鳥が水を飲みに沼に下りてくると、そこに棲むカエルが出てきました。
「鳥さん・・・象に復讐するらしいが、本当かね」
「勿論よ、どんなことをしてでも子供の敵討ちをするのよ」
「実は、わしも子供と女房がやつに踏み殺されたよ」
「じゃあ、一緒に何とかあの憎い象に復讐しましょう」
「じゃが、わしらだけでは何とも出来んじゃろう・・・」
カエルは、自らも復讐心に燃えていますので、鳥の気持ちがよく分かります。そこで、互いに更なる仲間探しを始めました。
こうして、広い森の中で象に対して戦いを挑むものが揃いました。しかし、それは余りにも戦力としては小さいものでした。
母鳥が一番体格があり、ついでカエル、そしてメーン・ヌーンという虫が仲間に入り、最後に仲間になったのが何と虱さんでした。象の目にも止まらないような小さな四つの命であのトラをも恐れさせ、鰐をも尻込みさせた象を倒そうというのです。
彼らは幾日も幾日も秘策を練りましたが、どれほど考えても自分たちに出来ることはそれほどありません。結局各自が夫々の習性に従って象に立ち向かおうというのです。
まず、母鳥が象に襲い掛かります。
「象さん・・・背中の虱を取ってあげるわ」
「そうか・・・悪いな・・・丁度水浴びに行こうかと思ってたところなんだ、助かるよ」
うまく象を騙して背中に飛び降りた母鳥は、象の背中を突付きながら徐々に背中から首に回り、そして頭に乗りました。
「チクチクとして気持ちいいぞ」
象は鳥の奉仕に喜びます。その時、母鳥が大きく羽ばたくと象の頭を離れ、次いで象の睫毛の根元を突付くと見せてつぶらな目玉を突付きました。
「痛い・・・」
とっさに象が巨大な鼻を振り上げ、巨体が踊りました。それより一瞬早く母鳥は無事象の長大な鼻の届かない先に飛び去っていました。象の揺れる身体にしっかりと捕まったヌーンは、鳥がつけた瞳の傷に卵を産み付けました。全身に染み渡る激痛に、象は流れ出る涙を止めることが出来ず、周りの風景もぼやけて何も見えません。
しかし、復讐の鬼と化した小さな命は、更に攻勢をかけます。
虱が飛び跳ねると、同じように傷ついた瞳に有毒の菌を振りまきます。睫毛の根元に小さな傷を作った虱はそこにも菌を撒くと、象はますます痛みに気も狂わんばかりにのたうちます。
目から発する激痛・・・鳥の突付いた傷の痛みを和らげようといつもの水飲み場に向かいますが、見えない目では方向も定まりません。
ゲロッ・・・ゲロッ・・・ゲロッ・・・
象の耳にカエルの鳴き声が聞こえて来ます。
《あっちだ・・・》
カエルのいるところに水がある、森の生き物は誰もが知っています。
象は目は見えなくても耳に響くカエルの声で方向を知ります。カエルの声がいつまでも近付きませんが、遠くなることもありません。草原を渡っていることは足が教えています。
《もう直ぐだ・・・》
カエルの鳴き声がすぐ間近に聞こえるようになりました。象は激痛を堪えてカエルの鳴き声を求めて歩いて行きます。
しばらく歩くと、突然足元がやわらかくなっていました。
《危ない・・・》
そう思ったとき、巨体が大きく傾くと、象は足を踏み外して谷底深くに落ちて行きました。
他人を苦しめる者には必ず罪の報いが訪れるものであるという、自業自得を教えているのでしょう。
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著「ラーンナーの民間伝承」に収蔵されている「巨象と母鳥」より題材をお借りしました。
冒頭の写真は、「マレーン・ヌーン」と呼ばれる虫ですが、原本に使われている「メーン・ヌーン」はこれではないかと思います。
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閑 話 休 題−90−
タイのバンコク中心部はともかく、地方に出れば、道は舗装されていても路肩はまだ土が露出しています。チエンマイも中心部を離れると正に路肩という名前が相応しいほどに、道の左右の端は緩やかなカーブを描いて溝に落ち込んでいきます。
そんな田舎では、夏が近付くと蝉が煩いほどに泣き、蛙が出てくるとそれを追って蛇が出てきます。人々は家の近くの雑木林に入っては山刀で木を伐って薪にしたり、様々な行事に使ったりします。そして、そこに出てくる虫たちは貴重な食料でもあります。
さすがにチエンマイでは聞きませんが、一部地方ではネズミすら食料になりますが、田舎に行けばネズミは珍しくもありませんし、よく肥えています。そして、野生のリスもモグラもいて他人事であれば面白いのでしょうが、自分の敷地内に入ってくると厄介ですね。
噛み合わぬ話?
トームおじさん夫婦には、子供がいません。夫婦二人だけの小さな家に住み、猫の額ほどの小さな田んぼを持ち、裏庭には形ばかりの果樹園があってマンゴーだとかバナナ、パパイア、竜眼などが野生のままに生っています。
浮気など知らないトームおじさんは、若い頃より勤勉で、村でも珍しく酒を飲まず、博打も打たず、夜遊びなど全く別世界の話でした。貧しいながらも夫婦二人の生活は不自由を知りませんでした。そんな働き者のトームおじさんですから、じっとしていることが出来ません。
今日も朝起き、一通りの日課を終えると、古女房の作ってくれる食事を頂き、休憩するよりも早く、床下に下りていきます。
高床式のタイ族の家屋は、床下が作業場をも兼ねています。ところによっては、そこに機を置いて嫁と姑が機を織っていることもありますが、トームおじさんの家の床下には、細く切った竹がいくつも束ねられています。
「あんた、何してるんだい」
上で女房の声がします。
「タクレーンを作ってるのさ」
タクレーンというのは、川で魚を掬い取る時に使ったりするもので、さしずめ昔の日本の泥鰌救いの笊とでも言いましょうか。
今では、こうした笊類もプラスチック製になったりしますが、昔は全て竹を細く切り裂いて、それを編み上げていたものです。今も地方の地場産業として中には優れものもあり、日本へ輸出されるものもあるようです。
朝食を終えると、トームおじさんが時間を惜しむように、細く切り揃えた竹を取り出しては、細く切った竹の一本一本を丁寧に仕上げては、横に積み重ねていきます。指先には布を巻いて竹が刺さるのを防ぎます。
十分なだけの本数を削り終えると、茣蓙の上に胡坐になって座り、器用に編み始めて行きます。
トームおじさんの家の竹篭は、勿論、魚をとるために川底に沈めておく竹篭も、田んぼで取れた米を入れておく竹篭も、蒸した糯米を入れて弁当箱のようにして持ち運ぶ竹篭も全てはトームおじさんがこうして自分の手で好きな大きさに編み上げたものばかりです。
「タクレーンもいいけどよ、あんた。またネズミが出て来てるんだが、ネズミを獲る何かを作っておくれよ」
「じゃあ、後でナー・マイの矢でも削るか」
トームおじさんは力なく答えると、そのままタクレーンを編み続けていきます。
ナー・マイというのは、ボウガンと同じようなもので、これは何百年も前からタイ族の間で使われていた武器のようです。
700年ほど前に、パヤー・マンラーイが部下に唆されて謀反を企てている後継者ともみなしていた長男をやむなく処刑するのですが、その時に使われたのがこのナー・マイで、長男が通る道にナー・マイの名手を伏せさせ、矢には毒を塗って必殺の一撃を放ちました。西洋の銃などまだない時代、これが戦場にしばしば登場します。
そして、その名残を今にとどめて、山岳民族の中にもこれを使用している部族もありますが、平地のタイ族は、現在川魚を撃つのにこれを用いているようです。
周りをうろついてトームおじさんと遊ぼうとする犬を邪険に追い払いながらも、何とかタクレーンを編み上げると、もう日は中天に上がっていました。
階段横の水甕の中の水を汲んで足にかけ、汚れを落として家にあがっていきます。
「ちょっと待ってな。すぐ飯を作るから」
「ああ」
縁側に置いた小さな甕から椰子の殻で作った柄杓で水を掬い取ると、そのまま口に運びます。
お昼を摂り終えると、トームおじさんは、また仕事です。村の男たちはだらしなく床下のハンモックで横になりますが、トームおじさんにはそうしたことは出来ません。
今度は女房に頼まれている仕事をしなければなりません。
トームおじさんの手には、ナー・マイが握られています。全て手作りです。トームおじさん自慢の銃で、使い慣れていることを示すかのように全体が黒く鈍く光っています。
これまでに、これで鳥を撃ったこともあります。魚を撃ったこともありますが、魚を撃つ時には矢羽のところに糸のついた矢を使います。
トームおじさんは、愛用のナー・マイに使うネズミ退治の矢の製作に取り掛からねばなりません。しっかりとした竹を選び出し、茣蓙の上に腰を下ろします。ダブダブの半ズボンを履いて、右膝を立て、いそいそ矢の製作に取り掛かります。
竹の節を削り、真っ直ぐな一本の竹にすると、続いて丸く削って行きます。右手には大きな刀が握られていますが、左手に持った竹を引くようにしながら器用に削っていくと、四角い竹が徐々に丸くなっていきます。
「どうだい、父ちゃん・・・できたかい」
「もうちょっとだ」
一通り家の中の仕事を終えたのか女房が床下に下りてきました。
削られた竹屑がトームおじさんの膝の上に、茣蓙の上に積もっています。
トームおじさんの前に腰を下ろした女房が一瞬目を細めました。
タイでは、昔の日本と同じように下着という観念がありませんでした。少し前までは、小さい子供がズボンを履いていてもパンツを履いていないことがしばしばでしたが、トームおじさんの時代は、大人でも同じようなものでした。
女性は、パー・シンという筒状の布で腰から下を包むだけで下着はありませんでした。そして、そのパー・シンに様々な模様を織り込まれていてそれが部族の特徴ともなっていたのですが、男性には、パー・カ・マーという一枚の大きな布があるだけで、こうしてズボンを履いても下着は履いていませんでした。
古女房の視線は、トームおじさんのダブダブのズボンの裾から股間に向かうと、そこに亭主の男根の先が覗いて見えました。
頬を綻ばせて女房が言いました。
「ええ……そんなに尖ってもいないのにね・・・どうして突き刺さって入って来るんだろうかねえ・・・不思議なもんだ」
女房の言葉を聞いてトームおじさんも心の中で思いました。
《これだからなあ・・・女は何も知らないんだ・・・ナー・マイの矢というものはそんなに先を尖らせているもんじゃなんだよ》
「よおく、覚えて置け・・・先が尖っているから突き刺さるってもんじゃないんだ」
「へえ・・・そうなのかい」
「そうよ。もともと尖ってないもんだよ……正確さ、力強さ、これが大事で、真っ直ぐ進んで当った所に刺さるもんだ」
ただ、これだけのお話です。・・・お粗末さまでした。
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著「ラーンナーの民間伝承」に収蔵されている「夫々別の話」より題材をお借りしました。
冒頭の写真は、「ナー・マイ」と呼ばれるボウガンの一種ですが、古くからタイ人の武器の一つですが、今では川魚を撃つのに田舎の人たちが時として使っています。
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