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ソムタム・プラーラー
閑 話 休 題−89−
照葉樹林文化という言葉は、今も使われているのでしょうか。照葉樹の茂る地域一帯には共通した文化的特長があるというのです。即ちモチ文化で、この地域では基本的にモチ種の食事を好むのではないかという仮説の元で発展して行ったものですが、ではこの照葉樹林帯というものをどのように捕えているのでしょうか。
当地チエンマイに初めて興味を抱いたときに出会った概念がこうしたものでした。中国雲南省からタイ北部チエンマイの地域から東にラオス北部ベトナム北部に伸び、海の道を通って台湾、沖縄、そして島伝いに日本列島に至り、そのまま中部地方にまで至るという帯状に広がる文化圏です。そうして市場などで見ていますと、粽もあれば第一人々の日常食は糯米です。そして、山の民は臼と杵で餅搗きをし、納豆もあります。
そして何より驚いたのは、日本にしかないのではないかと一人合点していた寿司がタイにもあるのではないか、ということです。勿論日本の寿司文化のように高度に発展し、美的にも優れ、ひとつの芸術品にまで進んだものではありません。寿司にも様々な種類がありますが、タイの東北部で今も盛んに作られている魚の保存方法のひとつ、プラー・ラーというのは、米糠と塩を用い、魚を醗酵させて作りますが、これは日本のなれ寿司に似ていないでしょうか。
無学で恥を承知で言えば、このプラー・ラーもまた寿司の原型に近いのではないでしょうか。
油断大敵
どうやら、タイ族というのはこのプラー・ラーというものが好きなようですが、これは魚を醗酵させたものですから、大変な臭いを持っています。この臭いを悪臭と感じるか、好ましいものと感じるかは夫々の好みでしょう。今これを大々的に作っているのはタイ東北部ですが、北部チエンマイの人たちも好きですね。
これをそのまま食べる人もいるようですが、さまざまな料理の中に入れる人もいます。
このプラー・ラーというのは、タイ東北部だけでなく、チエンマイにおいても大変に好まれる食材のひとつです。従ってそれを昔は各家庭で作っていたのでしょうし、味は夫々に微妙に異なり、秘訣もあったでしょう。
ペーンおじさんもまたそんな一人で、プラー・ラー作りが好きな村人でした。彼は、早くから妻と死別し、村の若者たちの誰もが狙うほどに美貌の誉れが高い一人娘と二人で慎ましく暮らしていました。
村の若者たちは時間があればペーンおじさんの家にやってきて、話し込むことを日課としていましたが、勿論目的は何とか一人娘に近づこうとする為の努力でした。連日入れ替わり立ち代り若者たちがやってきますが。どうにもうまく娘に近づくことが出来ません。
といって、どうやら、一人娘と結婚しようとする気もなさそうで、ペーンおじさんにそれほど村人に羨まれるほどの財産はありません。強いて自慢できる物を上げるとすればこのプラー・ラーと親孝行で働き者、そして何より器量よしの一人娘くらいでしょうか。
「あたしがここを出れば父が年取った時に田仕事を手伝う人間がいないでしょ」
これが彼女のいつもの断りの言葉でした。
そんなある日、昼間から何もすることがないのか、隣に住むソムがやってきました。
「おじさん・・・なんか手伝うことがあったら言ってくれよ」
そうペーンおじさんに言いながらもその目は娘の姿を探して狭い家の中を隈なく這っていました。
「ありがとよ・・・ソム・・・でも今のところはなんとかな・・・」
それでもソムは、ペーンおじさんの傍を離れることなく、あれこれと話し出し、あっちの村の話し、こっちの村の事件、知っている限りの話題を引っ張りだしてペーンおじさんを飽きさせませんでした。
そうするうちに中天にあった日も西に傾き、西日が部屋に差し込んできます。
「酒でも飲んで帰るか?」
「おおい・・・酒となんかつまみを持って来い、コップは二つだぞ。ソムが来てるからな」
ペーンおじさんは、大きな声で奥に呼びかけました。
やがて、まだ二十歳前の色の白い卵型の顔をした、瑞々しい肌の娘が、酒と二つのコップ、そして、丼には漬け魚であるプラー・ラーを入れてもって来ました。たちまちにして二人の周りにプラー・ラーの香りが漂います。
酒を飲み、プラー・ラーをつまみながらも、ソムの視線はチラチラと奥の台所で食事の支度をする娘のお尻を見ていました。ソムは、自分よりもむしろペーンおじさんに酒を注ぎ、仕切りとプラー・ラーの味を褒めていました。
「毎年、こんなに美味しいのを漬けてるのかい」
「勿論よ・・・これにはいろいろ秘伝があるんだがな、これだけは誰にも言っちゃあ、いけないんだ」
「秘伝の作り方を教えてくれ、とは言わないけどよ、プラー・ラーをちょっとばかし分けてくれないか」
「なあんんだ・・・そんなことか・・・そんなことなら好きなだけ持ってけ・・・奥に行って貰って来るがいい」
ペーンおじさんは酔いに目の縁を赤く染め、かすかに酔いすら覚えながら、縁側で壁に背を持たせかけ、物憂そうに言いました。
「そうかい・・・じゃあ、ちょっくら行って頼んでくるよ」
「そうしな」
けだるそうにしているペーンおじさんをその場において、ソムは台所に入っていきました。
「おい・・・ちょっと一緒に寝ないか・・・」
「何を言うのよ・・・誰があんたなんかと・・・」
「でもペーンおじさんはいいって言ってたぜ・・・」
ソムは、娘の肩に手をかけ、背中に手を回し、お尻にまで触れて来ますが、娘は逃げもせず食事を作り続けていました。
「なあ・・・一回だけじゃないかよ・・・」
「もう・・・あっちに行ってよ・・・」
娘は、お尻に触れて来るソムの手を邪険に払い、その声に怒気を含んではいるものの、大声を出してペーンおじさんを呼ぶ様子はありませんでした。
「ペーンおじさんよ・・・くれないぜ・・・」
ソムが大きな声で酔いの回ったペーンおじさんに訴え出ました。
「おうい・・・何をしみったれた事を言ってるんだ・・・奴にくれてやれ・・・」
「ほうらな・・・ペーンおじさんだって承知してるじゃないかよ・・・」
「・・・」
いくら娘が少し知恵遅れだとは言え、ソムが欲しがっているものをやっていいものかどうか考えました。まだ結婚もしていない身で、肌を許すことは罪なことであるということは、彼女も知っていました。しかし、今はっきりと父が承知している現実を知ると、うまい断りの言葉が見つかりません。
「さあ・・・すぐに終わるからよ・・・」
ソムは娘の手を掴んで台所横の部屋に入りました。
日が西の山の向こうに姿を隠し、空気が冷えてくると、ペーンおじさんも酔いから醒めました。
「父ちゃん・・・酔いから醒めたのかい・・・さあ、ご飯の用意が出来ているから、先に水を浴びて来てよ」
「ああ・・・」
立ち上がったペーンおじさんは、石鹸を手にして立ち止まると、向き直って聞きました。
「そうだ・・・思い出したぞ・・・お前、ソムにプラー・ラーをくれてやったか?」
「プラー・ラーって何の話よ・・・あいつはあたしのお初を食って逃げたよ・・・」
「なにお・・・」
ペーンおじさんの酔いは一瞬に醒め、その顔は怒りに赤く燃え上がりました。これまで見たこともないような怖い目で知恵遅れの我が娘を見据えると、その胸倉を鷲掴みにして大声で叱責しました。
「何ということをしやがるんだ、この尼・・・どこの誰が相手だ・・・」
「隣のソムだよ・・・父ちゃんがくれてやれって言ったじゃないか・・・」
ペーンおじさんは、娘の声を聞くと、ハッとして我が言葉を思い出しました。一生一代の不覚に、ペーンおじさんは言う言葉を失い、ワナワナと握り拳を震わせていました。
この物語は、「娘のいる者は……はっきりと伝え、兵隊のように反復させるべきである」ということを教えている・・・そうです。娘さんのいるご家庭ではくれぐれもご用心を・・・
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著「ラーンナーの民間伝承」に収蔵されている「漬け魚を所望する」より題材をお借りしました。
冒頭の写真は、ソムタムというタイの名物料理にこのプラー・ラーという魚の塩漬けを使った「ソムタム・プラーラー」です。味は・・・どうぞご自分でその辛さをお確かめ下さい。
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閑話休題
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閑 話 休 題−88−
人は往々にして秘密を持つものです。そして、その秘密を持っていることにどこかウキウキ喜び、優越感を感じながら、秘密の露見を恐れる気持ちがあります。夫婦の間においてへそくりの隠し場所などもそうかも知れませんし、小さな嘘かも知れません。
かつてある人は、父の死期が近付いているので長男の身として父の面倒を見なければならず、郷里に転勤させて欲しい、そんな理由で転勤を上司に願い出ました。本人は転勤の辞令をどんな気持ちで受け取ったのでしょうか。転勤して間もなく、本人は結婚することとなり、旧上司を始め多数を披露宴に招待しました。すると、その席には明日をも知れない重病の筈の父が元気な姿を見せて新郎の父としてその場におり、会社の誰もが驚き騙されたと気付いたのですが、本人はそんなこと忘れたかのように幸せに振舞っていたそうです。
こうした、ばれることを覚悟の嘘もあるのでしょうが、中には嘘がばれているにも拘らず、なお嘘であることを認めることなく頑固なまでに主張する人を見ると、哀れにすら思えますね。
脛に傷持つ身
世界のどの民族にも夫々にアルコール性の飲み物があります。タイでも日本と同じように米文化ですから酒を造ることを知っています。そして昔にあっては家庭で作っていたようです。そんな伝統が流出したのでしょうか。沖縄の名産といわれる泡盛は、タイのお米から作られます。日本が米輸入禁止であった昔から泡盛の為には特例としてタイ米に限って輸入を認めていたのでしょうか。泡盛にタイ米は不可欠といわれています。
そんなタイでは、昔の日本の濁り酒にも似た白い酒があります。それは大変に強烈な臭いを発するものですが、好きな人にはその臭いすら堪らないのでしょうね。タイでは、日本の一村一品運動を真似て各地の村おこしに特産品を奨励したことがありましたが、その時各地で多数の酒蔵が開業しましたが、そうした酒蔵は、もともとは密造酒の製造所だったのでしょうか???
カムおじさんも、ひそかに自家製の密造酒を作って飲んでいました。といって、村人が知らないわけはなく、誰もがカムおじさんの酒好きと密造酒製造のことを知っています。半ば公然の秘密でしたが、カムおじさんは時には寄り集まった男たちの酒盛りにそうした自家製の密造酒を供することがあっても、なお、誰も自分が作っていることに気付いていないと思っていました。
ある日、数人の警察官がカムおじさんの村にやってきました。他村で悪事を働いた人間がカムおじさんたちの村の方向に逃げて来たという情報を得たようです。
余談ながら、タイの警察というのは、私服組と制服組がいて、私服組は、映画に出てくる密偵のように市民生活の中に紛れてひそかに情報を集め、今でも麻薬関係はこうした人たちの働きが大きいですね。
外国人の場合には、昔は村に住むと必ず顔役の所に氏名と国籍、誰の家に住むかを知らせなければなりませんでしたが、そうした情報は、私服警察を通じて警察の情報ファイルにも乗るのでしょうか。昔、まだ日本人も少なかった頃、あるパーティーの席で客のタイ人と話していて何気なく住んでいる村の話をした途端、そのタイ人は、あたしの家の様子を見事に言い当てました。彼は私服警察の幹部だったのです。その他、観光客の為の観光警察という警察組織も別にあり、ここにも私服組みが多数います。
それはともかく、タイ人にとって警察官はとかく怖いもので、住人の殺生与奪の権を持っているかのような恐怖さえ起こすもののようです。
警察官が村にやってきた、それだけでカムおじさんの心臓は張り裂けるほどに恐怖で震えました。
《密造酒の件がばれたか・・・》
カムおじさんは自分が違法な酒造りをしていることを警察に知られることをが怖くて仕方ありませんでした。早く村から出て行って欲しいと願うカムおじさんの気持ちとは逆に、あろうことか警察官がカムおじさんの家にやってきました。
その警察官は隣村の出身者で、カムおじさんにとっては子供の頃から知っている若者でした。その若者がいつの間にか警察官になっていたのを知りませんでした。そして、今彼が仲間を連れてたまたま一人身のカムおじさんの家に食事をご馳走になろうという甘え心から立ち寄りました。
「カムおじさん、飯を食わせてくれよ。腹が減って仕方ないんだ」
若者の遠慮のない呼びかけにもカムおじさんとしてはまだ恐怖心が解けません。
「・・・ちょっと待ってろ、すぐ支度するから」
警察官を家の中に入れると、カムおじさんは床下に降りてご飯を炊き始めました。
《なんとしようか・・・》
隣村出身の若者が警察官の服装をして仲間を連れてきた以上、犯人を捕まえに来たに違いない。その犯人は密造酒を作っている自分に違いない。カムおじさんはすっかり一人合点すると、恐怖に身が縮む思いがしました。
《わしを捕まえる前にまず飯を食おうというのじゃろうが、この間に何とかせねば・・・》
警察官たちにとっては、密造酒のカムおじさんを捕まえる気持ちなど毛頭なく、捕まえても何の褒章ももらえません。それよりも逃げている凶悪犯人のほうが気になって仕方ありませんでした。
そんな警察官の思惑など知らないカムおじさんは、密かに密造している酒の始末をあれこれ考え、捨ててしまうには勿体無いし、第一それでは匂いが立ってばれてしまう・・・ああでもない、こうでもないといろいろ考えた末に、突然とんでもない考えが浮かびました。
《よし・・・それで行こう・・・他に方法はあるまい・・・》
ご飯を炊きながら、カムおじさんは、密かに仕舞い込んでいる酒瓶を取り出すと、その場で飲み始めました。勿論ラッパ飲みです。肴もなく、楽しい筈がありません。ゴクゴクと味わうよりも胃の中に流し込もうとします。
「カムおじさんよ・・・おかずは別に要らないから・・・味噌でもあればそれでいいからな」
「・・・おいよ・・・」
カムおじさんは、瓶の半ば近くを一気に飲み干すと、フーとため息をついて答えました。
一気に体の中に流し込まれた濁酒が全身を駆け巡ると、カムおじさんの顔に朱がさします。さすがに辛いですが、警察の目を誤魔化す為です。息を整えると再び瓶を傾け、残りをゴクゴクと無理して流し込みます。
全身にアルコールが回ると心臓は、ドキドキと早鐘を打ち、目がトロンとしてきます。楽しい筈の酒ですが、今日は苦痛以外の何者でもありません。それでも犯罪者として警察に捕まることを考えれば、辛抱しなければなりません。
途中、警察官が話しかけてくるのですが、カムおじさんは、言葉少なく答えるのがやっとで、その言葉も少しおかしくなっていました。じっと見ている分には目の前のものは止まっていますが、時としてそれが揺れ出します。
ヒック・・・
無理して酒瓶一本を開けましたが、まだ密造酒はあります。酔いが回り始めたことを自覚していますが、密造酒を警察官の目から隠す・・・ただこの為に義務的に濁酒を飲むカムおじさんです。物が幾つにも重なって見えながらカムおじさんはそれでも二本目の酒瓶を掴みだすと、ゴクゴクとラッパ飲み始めました。もう意識も半ば失われかけています。
それ以上に不思議に思ったのは、警察官のほうでした。
「カムおじさん・・・どこか具合でも悪いのかい・・・」
「いい・・・いいや・・・な・・・何でも・・ない」
「何なら車で送って行ってやろうか」
「・・・何にもしてないぞ・・・」
カムおじさんは警察官がいよいよ捕まえる腹を決めたと勘違いして、大急ぎで二本目の酒の残りを胃袋の中に流し込みました。おなかがパンパンに膨れ、家がぐるぐる回りだし、どこかで誰かの声がかすかに聞こえてきます。
そのまま、カムおじさんは後ろに倒れると意識を失ってしまいました。
一方、家の中では逃走中の犯人逮捕についてあれこれ話していた警察官たちですが、どこからともなく酒の香りが鼻に忍び込んでくると、誰もが酒が好きな連中です。その匂いの出所を探し出しました。
床下で大の字になって寝ているカムおじさんを姿を見つけるのはわけありませんでした。
丁度ご飯も炊き上がっているようです。
警察官は、ご飯を持って上がるもの、どこからかカムおじさんの味噌を取り出してくるもの、棚の中には塩魚の残りもあります。
そして、何より、カムおじさんの足元には二本の空の酒瓶が転がり、よく見ると、開かれた棚の中にまだ手付かずの酒瓶が一本ありました。警察官たちは、互いに目配せすると、その酒瓶を手に、ご飯と味噌を持って家の中に入りました。
警察官たちは、思わぬ収穫に犯人逮捕のことなど忘れて、元気に酒盛りを始めました・・・とさ。
脛に瑕持つ者は、見る物全てにいらぬ恐怖心を起こすもののようです。
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著「ラーンナーの民間伝承物語」に収蔵されている「怖がりや」より題材をお借りしました。
冒頭の写真は、「ウン・カティ(WUN KATHI)」という名前のココナッツ・ミルク入りのゼリーです。
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スキ・タイ
閑 話 休 題−87−
初めてタイにきたのはいつの頃でしょうか。今のように真新しい車が走っているわけではありません。タクシーにメーターなどというものは勿論ありませんでした。乗る前に値段を交渉するのですが、その時に素早く車内を見回すことが必要でした。
当時の自動車は、何十年乗っていたのか、サイド・ミラーなるものは勿論ありません。乗り込むと注意しないとシートからスプリングが飛び出してお尻を刺されます。もっとひどい時には、覗いた足元から車体の下を流れるアスファルトの路上が見えることさえありました。そんな時代には、バンコクの中を日本のダイハツミゼットを改良したトゥクトゥクというオート三輪がタクシーとなって我が物顔でバンコク中心部を疾走していました。
今ではバンコクにも日本の技術と借款で地下鉄が出来、都市交通網として電車網が出来つつありますが、路上は相変わらず溢れる車の渋滞が続いています。ただ昔と違っているのは、路上を走るタクシーが新しくなり、都民の乗用車も日本製の新しい車が走り、当時はなかったホンダ車が幅を利かせていることでしょうか。
自動車のギア
バンコク都市部の交通渋滞が麻痺状態となり解決の見通しも立たない状況下、オート三輪は、ついに中心部から終われるように姿を消していきます。これがチエンマイに来たのはいつのことでしょうか。今から20数年前のことです。それまで人力三輪車が街中を走り回っていたチエンマイにオート三輪が出現すると、人力三輪車は市場周辺に追い払われ、年老いた漕ぎ手が可愛そうなほどたくさんの荷物を載せて坂道を登っていきます。
そんなオート三輪に終われて時代に取り残される人力三輪車を横目に、チエンマイではミニバスが昔と変わらず今も幅を利かせて我が物顔で走っています。
これはバンコクでは大型トラックの荷台を改造して乗客を乗せ、その乗客が二列に並んで座ることからソーン・テーウ(二列)と呼ばれるのに対し、チエンマイのミニバスは、軽トラックの荷台を乗客用に改造したもので、タイヤが四つあることから三輪車に対抗して、四輪車(シー・ロー)と呼びます。
このシー・ローは、今もチエンマイ市内を縦横無尽に走り、白、黄、青、緑という路線バス並みのルートを持つものに対し、赤いシー・ローは路線を持ちません。
真っ黒い煙を吐き出しながらバリバリというエンジンの調整がうまくいっていないような音を響かせて走るシー・ローは、どこで乗り、どこで降りようと自由です。値段はあってないようなものです。
とはいえ、チエンマイにもそれなりに路線バスというものもありますが、シー・ローの方がはるかに数が多く、人々には親しまれているのですが、そんなシーローにカムパンおじさんが乗り合わせました。カムパンおじさんもタイ人男性の例に漏れず、出家経験があり、それもかなりの年数を寺院で過ごしてきました。
そのおじさんが、たまたま街中に買い物に行くことになりました。
道端に立っていると、遠くからバリバリと壊れたエンジン音が響いてきます。シー・ローが徐行すると、おじさんは助手席に人がいるかどうかを見ます。
カムパンおじさんはいつも後ろの客席ではなく、運転席横の助手席に座るのが好きでした。そこは出家時代から乗りなれているところでした。シー・ローには既に女性ばかり7−8人乗っているようです。
「今日は、女の客ばっかりで、楽しいな・・・」
「でもないよ・・・」
助手席に腰を下ろしたカムパンおじさんは、運転手に声をかけました。わずかの間でもこうして横に座っているとこれも何かの縁、親しみを込めて話すのがいつものカムパンおじさんの癖でした。
「最近どうして豚が高いのかね・・・」
「野菜だってずいぶんあがっちゃったよ」
運転席後ろの小さなガラス窓から後ろの女たちの話が聞こえてきます。どうやら後ろの女性たちは誰もが顔見知りのようで賑やかな話し声が絶えません。
「仕方ないよ・・・もうすぐ中国正月でしょ・・・」
「そういえばね・・・でもあたしたちにゃ、関係ないけどね・・・」
中国正月が近づけば、物みな値上がりするのは例年のことでしたが、どうしたのか今日のフォンはずいぶんと機嫌が悪いようでした。
「そんなこといわないで・・・いつものことじゃないの」
「あんた、昨日旦那に可愛がられなかったんでしょう・・・」
そんなフォンの不機嫌をある女性が意味ありげに見つめると冷やかしました。
「何よ、あんな酔っ払い・・・」
後ろの女たちの話が野菜の値段から夜の寝物語に移りました。
話が夜の夫婦間の秘話に移ると、運転席と助手席に座る二人の男性は、急に緊張し、特にカムパンおじさんの意識は前方にではなく、後ろの女性たちの話に聞き耳を立てていました。
「あんな酔っ払い?・・・そんなことを言いながらも、この前は酔っ払いの方がいい・・・なんていってたのは誰よ」
「あんなに酔っ払っちゃ役に立たないじゃないよ・・・あんたの旦那と飲んでたっていってたわよ」
「家の人は立派だったわよ」
「だから今日は機嫌がいいのねカムおばさんは・・・」
「もう・・・」
そんな女たちの中に一人まだ20代前半の若い女性がいました。彼女はさすがにそんな話をカムパンおじさんに聞かれるのが恥ずかしくて他のおばさんたちを制しました。
「・・・おばさん・・・ナーン・カムパンが聞いているのよ・・・ちょっとは遠慮しなさいよ・・・」
それをを聞いていたカムパンおじさんが急いで答えました。
「わしのことなら、気にせんでいいぞ・・・もうそんな話に何の興味もないから・・・」
とは言いながら、カムパンおじさんの声はかすかに震え、顔は強張っていました。それは、運転手も同じと見えて、路上で手を振っている男性の前を素通りしてしまいました。
「おお・・・い」
後ろのほうで男の声が聞こえましたが、シー・ローはスピードを落としません。
「アイ・ナーンだって聞きたいさ・・・な」
「フフフ・・・」
中年女性たちが集まると、男一人何の怖いものもないようです。まるでカムパンおじさんを挑発するかのように更に声を上げて話しました。意味不明な笑い声を発するカムパンおじさんに聞かせるかのようにおばさんたちの話は更に度を増していきます。
「ノーン・ヤイは新婚だから毎日、夜が待ち遠しいだろうね・・・ハハハハ・・・・」
「もう・・・」
「でも、最近、後家のブンが顔色がいいけど、いい男でもできたのかい」
「・・・さあ・・・なんでも外国の男を捕まえたとか・・・」
「それで、・・・最近金使いが荒くなったんだ・・・」
「あたしも・・外国の男を掴めばよかったよ・・・家の宿六なんて博打にばっかし精出してるんだから・・・」
「でも、カムじゃ相手になる男が可愛そうだよ・・・毎晩だろ・・・亭主が博打するのも分かるよ・・・逃げたいだろうさ・・・」
途中幾人か乗客を拾いますが、その場の雰囲気に推されて乗り込むことを躊躇います。
客が逃げていっても運転手は顔色一つ変えませんし、カムパンおじさんも先ほどから全く口を利きません。
カムパンおじさんは身体は正面を向いていても全神経を女たちの話に集中し、いつの間にか知らず知らずのうちにおじさんの身体が後ろの小さなガラス窓に近寄り、上体を傾けるようにして聞き入っていました。
時折、ゴクリ・・・と生唾を飲み込む音がしますが、運転手の顔も日焼けとは別に朱がさしたようになり、仕切りと唇をなめては湿らせています。
「そうさ、カムじゃあね・・・あの亭主しかいまいよ・・・でもノーン・ヤイならば男が頬って放って置かないだろうね・・・まだ若いし、ほら胸だって・・・」
いきなり中の女性の一人が若いヤイの胸を掴みました。
「いや・・・だ。おばさん・・・やめてよ」
「ほうらね、これほど張りがなきゃ、男だって寄って来ないよ。カムじゃあね」
その時、運転手がギアーを変えようと左手を伸ばしてレバーを掴みました。
その瞬間、
「痛い・・・それは俺のナニじゃ・・・」
カムパンおじさんは、大声を発して急所を掴む運転手の手を掴んで離しました。
その言葉を合図に女たちは、笑いを必死に堪え、それ以上の話しをしませんでした。シー・ローが丁度市場にまでやってくると、女たちは夫々に料金を払って降りていきました。
深い意味も浅い意味もありません。シー・ローの中での小さな出来事でした。
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著「ラーンナーの民間伝承物語」に収蔵されている「自動車のギア」より題材をお借りしました。
冒頭の写真は、タイ式の「すき焼き」でいわゆる「スキ・タイ」、日本人は「タイ・スキ」と呼ぶものですが、レストランのように鍋を囲んでのお店と異なり、屋台とか、小さな「飯屋」で出される「スキ・タイ」は、緑豆から作った春雨を煮込んで、野菜、各種肉類を注文に応じて入れてつくり、そこに甘・辛・酸っぱい赤いたれを好みに応じてかけて麺料理として食べます。
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ポーピア・ソット
閑 話 休 題−86−
世の中には、いろいろな人がいるようで、中には素人ながらもあたかも専門家のように詳細にいかなる問いにも正確に答えを出して話す人もいれば、謙遜して話す人もいます。目下に対しては問答無用の命令口調で言いながら、上司との話ではもみ手をするように迎合して話す人もいます。また、中には何も知らないといいながら、急所をつく鋭い質問を発する人もいます。
中には、どんな話をしても、「それ知ってる」という感じで口を挟んで話す人もいます。ただ、面白いもので「それ知ってる」という人と話をすると案外知らないことが多々あります。何でも知っている、知らないものはない、という性格の人が上司になると、部下は大変でしょうね。どんな提案をしても理屈をこねて自分の言う通りにさせようとするかも知れません。
しかし、そんな知恵自慢が幾人も揃うと大変なことになりますね。
謎の木と鳥
アイ・スックとアイ・シーの国の王様は、散々に彼ら兄弟の知恵に敗れながらもまだ負けを認めません。逆に自分こそこの世で誰にも負けることのない知恵者で、この世の誰一人として自分に匹敵するものはいない。そう自慢し、吹聴していました。
そんな自慢の吹聴が領内だけであれば、さして問題とはなりません。何しろ王より権力ある人物はいないのですから。しかし、こうした噂が他国にまで広がりますと、他国の知恵自慢を辞任する王様の心証を害します。
ある国は、アイ・スックたちの国の何十倍も強力な軍隊を有していましたが、その国王がアイ・スックたちの王様の自慢を耳にして「自惚れにもほどがある」と自尊心を傷付けられて怒りました。自尊心を傷付けられた王様は戦闘によって傷付いた心を癒さねばなりませんが、その前に自分こそが真に知恵者であることを自慢しようと謎々を挑んできました。
その王は、宰相を使って挑戦状を送ってきました。すなわち、貴国には頭脳明晰な人物がいると聞くが、提起した二つの謎を解いて欲しい。もしも謎が解けなければ戦闘準備をして待たれるがよく、もしも解ければ明晰な頭脳の人物がいる国と認めて、我が国は、戦闘を思いとどまるであろう、というものでした。その二つの謎とは、
ひとつ、一本の木があり、四本の枝は四方に伸びて、夫々が独立し、
樹上には、二個の果実がなり、一個は赤く、一個は白い。
そして、9億9千万の花が咲いている
ひとつ、鳥が一羽いる、飛ぶことも、歩くことも出来る
頭が三つあり、脚は12本、羽が24枚ある
この二つの謎は何を意味するのかを七日以内に答えよ、というものでした。これまで、散々に大風呂敷を広げてきた国王ですが、この敵国よりの挑戦に対し、どれほど知恵を絞っても答えを見出しませんでした。仕方なく、文武の官僚を集めて彼らの知恵を借りましたが、誰もが沈黙して首をひねるばかりでした。七日の期限は刻々と過ぎていきます。三日が過ぎると、僧侶、占い師、学者、バラモンたち領内で最高の有識者と自他共に認める人たちが呼ばれ、彼らもまた夫々の経典を紐解いて賢明に二つの謎解明に挑戦しました。
しかし、この木と鳥の正体を誰も言い当てることが出来ませんでした。残り時間はわずか二日です。その時、役人たちの中から苦渋の表情を浮かべて申し出るものがありました。
「この際ですから、アイ・スックとアイ・シーを呼び出してはいかがでしょうか」敵国との戦闘で勝てる自信がある将軍は一人としていません。ある宰相は、藁をも縋る思いで兄弟の名前を出しました。王様としては彼ら兄弟の顔を見るのも嫌ですが、背に腹は代えられません。いやいやながら翌早朝夜明けと同時に呼び出しました。
「おい、今わが国は戦争の危機に直面しておるが、お前たち次第では避けられるかも知れんから、心して尽くせ」
相変わらず居丈高の王様に兄弟は、戦争と聞いて慎重になりました。
「王様、お役人たちや、身分の高い人の多くが打つ手がない問題とは何でしょうか」
居並ぶ領内の賢人たちを目の前に、さすがのアイ・スック、アイ・シー兄弟に緊張が走りました。王様は玉座の上で謎が刻まれたタラバ椰子の葉を開くと二つの問題を読み聞かせました。
目を閉じたアイ・シーは、今耳にした言葉の一言一言を幾度も幾度も反芻していました。そして、王様よりタラバ椰子の葉を借り受けると、今度は慎重に一字一句逃すまいと追っていきました。
室内は物音ひとつありません。誰もがアイ・スック、アイ・シーの一挙一動を見逃すまいと瞬きも忘れて二人を見つめ、発せられるであろう言葉を待っていました。
アイ・シーは、タラバ椰子の書状を閉じると、しばらくして、窓から西の空を見、次いで反対側の東の地平線から昇り始めた朝日を眺めていました。そして、王様の方に向き直った時、アイ・シーの顔には先ほどとは打って変わって笑みさえ浮かんでいました。
そんな彼の様子を見守る王様、居並ぶお歴々。アイ・シーの表情に一点の陰りも見えないと、急に不安になりました。戦闘になった場合、どれほど優秀な将軍をもってしても敵の巨大な戦力の前には抗することが出来ないことは火を見るよりも明らかです。
そんな官吏たちの心配を嘲笑うかのようにアイ・シーが明るい声で言いました。
「最初の謎は至って簡単です」
その声を聞くと、部屋にどよめきが起こりました。王様を始め、文武高級官僚、領内の有識者と尊敬されるあらゆる階層の人たちが終日考え、全ての経典を紐解いて解けなかった謎を、アイ・シーはわずかの間にいとも簡単に解き明かしたというのです。
「本当にこの謎が解けると言うのか。ならば、早くその謎の答えを聞かせてくれ」
王様はいつもの傲慢さを忘れて上体を乗り出すようにして謎解きをせがみました。
「一本の木とは、我々が踏みしめている大地と頭上にある空を指しています、詰まる所、全宇宙なのです。どうか皆さん、見て下さい。四本の枝とは、四方、即ち、東、西、南、そして北を意味し、樹上の二つの果実のうち、赤い果実は、今われわれの眼にする昇る太陽で、白い果実とは、沈む月を意味します。9億9千万の花とは、いわずと知れた空一面に散らばり煌めく星です。これは、木を持って宇宙に比較したものです。偉大なる宇宙の木です」
広い室内にひしめく人々の群れの中で囁き、どよめきが起こりますが、アイ・シーはそんな雑音を無視して、言い終わると、タラバ椰子の書状をアイ・スックに手渡して言いました。
「第二の謎は、きっと私奴の兄が考えついていることでしょうから、彼に解いてもらいましょう」
弟から書状を受け取ったアイ・スックは、アイ・シーほど自信満々の様子が見えません。受け取った書状を読むこともせず、折りたたんだまま、やや、気持ちを静めるようにして話し始めました。謙遜するような静かな話し方に、その場のざわめきは静寂に代わり、沈黙の中で一言一言静かにアイ・スックの言葉が吐き出されます。
「第二の謎は、第一の謎よりも簡単です」
第一の謎さえ、誰にも解けなかった難問でしたが、アイ・スックは一度の謎の答えを聴いただけの時間内で第二の謎を解き明かしてしまったというのですから驚きです。もうその場の誰も身動きひとつすることなく、瞬きも忘れてアイ・スックの謎解きを待っていました。
「言う所の飛ぶことも出来、歩くことも出来る一羽の鳥とは、つまり一年のことです。この鳥を見て下さい。三つの頭を持っているとは、1年に季節が三つある、と言う意味です。12本の脚とは、1年に12の月があることを意味します。そして、24本の羽とは、即ち、我々の一月の内には、明るく照らす月と暗い月が夜空に現れます。詰まる所、満月と新月のことなのです。1年の内にこのことが24日現れてきます。これは、謎に言っている24本の羽です。また、時間は、動くことが出来るものであり、それは12本の脚を使って大地の上を歩き、24本の羽を使って天を駆けることが出来ます。すなわち、時を命あるものに喩えているのです」
ここまで静かに教え諭すように解き明かすと、アイ・スックとアイ・シーは、揃って王様に合唱して挨拶し、その場を引き下がり、真っ直ぐ自らのあばら家に帰って行きました。
残された王様と役人たちは、彼ら兄弟のこの答が正しいことを認めないわけにいきませんでした。と同時に夫々が、どうして、これほど簡単な答えが考え付かなかったのだろうか、と自分自身を責め、苛立ち、立腹しました。同時に、またしても平民のアイ・スック、アイ・シー兄弟に負けてしまった悔しさを噛み締め、更に兄弟に対する憎悪の炎を燃やしました。
兄弟の解いた謎の答えが敵国に送られると、強固で強大な王国の統治者で、謎の提案者は、思いもしない正しい答えが返ってきたことに驚き、同時に、知恵あり賢明な民族であることを認め、戦支度を取りやめにしたそうです。
(了)
スチャート・プーミポリラック訳「雲南省のタイ・ルーの伝承」に収蔵されている「謎解き」より題材をお借りしました。
冒頭の写真は、「ポーピア・ソット(POOPIA SOD)」と呼ばれる生春巻きです。純粋タイ料理ではありませんし、ベトナム風のものもありますが、これは一般にタイで見られるものです。
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閑 話 休 題−85−
世の中には、愛妻家、恐妻家、と結婚した男性をいろいろな呼び名で呼びましたが、最近では友達夫婦などといって友人関係のまま結婚生活を送る男性もいるようです。かつては夫唱婦随といって男性の後を黙々とついていく女性を美徳としたり、山内一豊の妻、といって内助の功を尽くす女性を賞賛したりしました。将棋の坂田三吉の妻小春の姿は、男性にとって垂涎の的なのかもしれません。
そして、年上の女房を勧めたり、髪結いの亭主に憧れたり、様々な夫婦の形態があります。
しかし、今の日本の社会では、そうした小話に出てくるような夫婦の姿を求めるのは無理かもしれません。誰もが懸命に働き、必死で子育てに汗水流しています。妻が家庭にいて、夫一人が生活の全ての責任を負う形態は、もう古い昔のことになったのかもしれませんが、どれほど女性の社会進出が進み、経済力をつけようとも、やはり男性は男性としての威厳を保ちたいもので、妻一人の経済力に頼ろうとする男性はいないのではないでしょうか。
女房を恐れぬ男
昔々のことですが、タイ族の田舎の村では日本の濁酒様の物が自家製で多くありました。白く濁った酒は匂いを嗅ぐと慣れない身にとっては吐き気を催すような悪臭なのですが、飲み慣れた人々にはその香りがたまらないのでしょうね。
村の男たちは行事がある度にそれを持ち出してきては車座になって座り込み、ラープというものに生血をつけて酒の肴にし世間話に興じていたもののようです。そんな酒の席では様々な村の出来事が肴にされ、時には村人の評判さえ肴になります。
タイ族の村では、基本的に女性が良く仕事をし、村の行事に通じ、家の祖霊を祀り、生まれた地に腰を下ろしているもので、男たちは他村から来た者が多かったようです。そんな彼らは、昼間から酒を飲み、博打を打ち、時に他村に女遊びに行ったものでした。
そんな遊び好きの男たちをタイ族の女性は懸命に支え、愛し、世話し、小遣いまで出していました。まるで三吉と小春のようなものかもしれません。遊び好きの男性が案外威張っているものでしたが、それでも決して女性がひ弱ではありません。
タイ東北部コーラートの女傑ターウ・スラーナリーは、女性軍を引き連れて敵軍と勇敢に戦い、アユッタヤー王朝の王妃スリヨータイは、男装して象に乗って勇敢に戦い戦死しました。そんな勇敢な女性ですら、夫の前では貞淑な妻であるのですが、中には必ずしもそうではない女性もいるようです。
もともと気丈なタイの女性です。最近では、女子中高校生が日本のスケ番並みに喧嘩をしているのが携帯のカメラからインターネットに流されたりして世間の顰蹙を買うようになりましたが、こうした激しさは外国の影響以前に彼女たちの血の中に流れるタイ女性の逞しさ、気性の激しさの表れなのでしょうか。
思えば、昨今の政治的不安定の中でもかなりたくさんの女性たちが命を賭けていますが、決してタオルで顔を隠したりしないですね。
「おい、ティップよ、そろそろ帰らないと、怖い女房に叩きのめされるぞ」
濁酒を口に運びながら、酒席で男たちがからかいだしたのはティップという男です。まだ子供はいないのですが、夫婦二人だけの甘い生活かと思いきや、どうやらこのティップは女房に頭が上がらないようです。少なくともこの酒飲みたちはそう思っていました。
そこで、少し酒に酔い始めて顔を赤らめたティップをからかいました。
「何を馬鹿なことを言うか。女房が怖くて酒が飲めるか・・・」
「いいのかい・・・そんな強がり言って・・・」
別の男が、なにやらニヤニヤして言いました。
「確か昨日もお前は女房のお腰を洗っていただろう。村の評判になってるじゃないか・・・」
昔のタイの女性は、下着を身につける習慣がなく、日本のお腰にも似たパー・シンと言う筒状の一枚の布で腰を包んでいるだけでした。そんな下着にも似たパー・シンを洗っている男性はやはり恐妻家のでしょうか。
「馬鹿なことを言うな・・・ちょっと手伝っただけだ・・・さあ・・・飲もう・・・飲もう・・・」
ティップはいつにもなくたくさん酒を飲み、既に酔いが回っています。酔いが回ると、自然と気持ちが大きくなり、自分がとんでもなく偉い人間のように思え、この世に怖いものなどないと思うのでしょうか。
「でもよ。お前の女房の地獄耳は評判だから、お前がそんなことを言ったら後で大変だぞ」
村一番の恐妻家ティップと、村一番の気性の激しい彼の女房を知る誰もティップの痩せ我慢が可笑しくてなりませんでした。
「そもそも、女なんてのは男に支える為に生まれてきたのだし、結婚するまでは甘い言葉でちやほやし、吊り上げればこっちのものよ。後はひっぱたこうが、蹴っ飛ばそうが女に文句は言わせないさ・・・」
「いいのかい・・・ほら、後ろに女房が・・・」
意地悪な酒飲みのこの一言で、ティップは急に酔いも覚め、いきなり座りなおすと、神妙な面持ちで後ろを振り返り、妻の姿を捜し求めました。
「ほら、怖いくせに・・・」
「こ・・・怖く・・・何てないやい・・・」
仲間の冷やかしにそれでもまだ意地を張っていました。
「まあ、一人勝手に威張ってろ」
「お前ら、俺の言うことを信用してないだろ・・・」
「まあ、もういい加減に酒を止めろ、これ以上酔っ払うと帰れなくなるぞ」
飲み仲間もティップをこれ以上酔わせることはやめようとしましたが、肝心の本人はもうすっかり酔いが回り何も怖いものがありません。
「お前らな・・・知らねえだろうが・・・」
呂律も回らない怪しい状態ながらもティップが必死になって見栄を張ります。
「昨日だってよ・・・奴をうんと叱ってやったんだ・・・昨日だけじゃないぞ・・・これまでも奴を叩いて・・・躾けた事は数限りないさ・・・」
「そろそろお前の女房が探しに来るのじゃないか」
「来たら丁度いいじゃないか。・・・お前たちの前で奴の頬っぺたを二つ三つ張り飛ばして見せてやるよ・・・奴は何一つ文句も言わずに俺の顔を洗ってくれるだろうよ」
ティップは、自分が村の中で誰からも恐妻家だと見られていることを知っていました。酒の勢いでそんな自分を何とか見直して貰いたかったのかもしれません。
「教えてやるけどな・・・」
「おい・・・」
その時、車座になって酒を飲んでいた男たちの顔に緊張が走ると、一斉に彼らの視線がティップの後ろに注がれました。
いつの間に来たのか、そこにはティップの女房が怖い顔をして立っていました。
「うしろ・・・うしろ・・・」
男たちは小さな声で呼びかけ後ろを見るよう指差しますが、ティップには効果がありません。
「奴が俺を怖がっているのさ・・・」
「そうかい・・・」
後ろで女房が怒りを含んで低い声でいいました。一瞬ティップの顔に翳りが浮かびましたが、それでもまだ気付かず自慢話をしました。
「昨日の夜によ・・・俺より先に寝ようとするから、髪を引っ掴んで叩き起こしたんだ・・・」
「へえ・・・それで・・・」
「俺の足元に膝まつかせて拝ませたんだよ」
仲間の誰ももう一言も口を利かないばかりか、ティップに関わり合おうとはしませんでした。
その時、ティップの女房が我慢の限度を超えたのか、怒り心頭に発して血走らせて目で大声を張り上げて一言叫びました。
「あんた・・・」
その声にティップの全身は、飛び跳ねるようにして正座に据わりなおすと、凍り付いた身体はピクリとも動かず、酒の酔いは一瞬にして覚め、顔からは血の気が失せ、手にしたコップがガタガタ震えだしました。
「言っておいた洗濯・・・もう終わったのかい」
ガタガタ震えるティップの姿を仲間がちらりちらりと見ています。そんな視線が痛いほど感じられるティップは、羞恥を覚えると、コップを床に置き、勢いよくその場で立ち上がると、振り返り、真っ直ぐ女房をの目を見つめて言いました。
「こいつめ・・・・洗剤はどこだ・・・」
人生余り見栄を張らない方がいいのでしょうか・・・
(了)
アッチャラー・ワンナエーク著「ラーンナーの民間伝承物語」に収蔵されている「女房を恐れぬ者」より題材をお借りしました。
冒頭の写真は「トート・マン・プラー(THOOD MAN PLAA)」といい、タイ風のさつま揚げです。
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