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クルーバー・シーウィチャイ伝(17)
僧侶は、一箇所に立ち止まって行き交う人々に寄進を求める事は禁じられていますが、今でも大勢の人で賑わう市場では時として黄衣の人が立っています。それは犯罪と呼べないかもしれませんが、僧侶として相応しくない行為です。中には黄衣を纏い、頭を綺麗に剃った俗人の場合もありますが、中には正式の出家得度僧もいます。そんな僧衣を纏った紛らわしい行動をとる人たちを取り締まる為に、僧団にも戒律違反僧を取り締まる捜査部門が出来ています。僧侶という姿が生活手段として成立する社会ならではの弊害かもしれません。
しかし、昔には、そうした偽僧侶なるものは少なかったでしょう。少なくとも人々の間に僧に対する信仰心があり、間違えても僧の姿形を真似て利益を得ようとする人はいなかったでしょう。
いま僧団長によって強権を持って体から黄衣を剥ぎ取られたクルーバー・カーウピーは、還俗を余儀なくされましたが、還俗を命じられると、もう僧ではありませんから、警察は一人の罪人としてクルーバー・カーウピーに接します。
そして、白衣を纏う分には僧侶を偽装しているとはいえませんから罪に問うことも出来ません。
クルーバー・カーウピーの身柄を拘束した警察官は、その場から留置場に移送しました。かくしてラーンナーの今一人の聖者クルーバー・カーウピーは、徴兵忌避の罪を着せられて罪人となり、留置場で夜を明かすことになりました。
罪人となった師は、手枷、足枷と言いますか、両の足首には太い鉄の輪が嵌められ、その鉄の環は太い鎖で繋がれますが、昔の奴隷売買の場面を想像すると良いでしょうか。今もタイでは罪人は、両足首に同じように鉄の輪が嵌められ繋がれた太い鎖の端を自ら手に持って裁判所の中を歩く姿がテレビで映し出されます。両手には勿論手錠が嵌められています。およそ21世紀とは思えない光景が現実にあります。
そして、師もまたこうした残酷な仕打ちで鎖に繋がれたのです。
警察署で一夜を明かした師は、翌日の午後4時には、警察署内の留置場からラムプーン県刑務所に移されました。しかし、師は黄衣は着ていなくても心は僧侶です。朝の一食、菜食以外受け付けませんので、その朝の食事は如何だったのでしょうか。伝承には出ていませんが、信仰心篤い信者の寄進があったことでしょう。
刑務所生活が、生来の虚弱体質の師に決して良い影響を及ぼすことがなかった事は容易に想像が付きます。
「そこは、板敷きの床で、汚れは耐え難いほどに酷く、就寝時間には、足首には相変わらず鉄の環が嵌められままで、それは他の囚人と繋がっている。ゆっくり休めるか?そんな事は聞かなくてもいいよ。身体を横にするだけで血に飢えた虫たちが何百と寄ってきて血を吸い取って丸々と太るよ。大小は、板の隙間から落とすのじゃが、悪臭なんて心配するに及ばんよ。刑務所中に匂いが立ち込めているのじゃから」
後年、クルーバー・カーウピーは、刑務所時代の話をこのように周りの信者に語ったそうです。
しかも、その食事たるや惨憺たるものだったようです。
「・・・この食事というものは、お腹一杯食べれるとも美味しいとも思うと間違いで、ご飯を入れた小さな容器とスープを入れた丼が一つ、これを四人で食べる。量に文句言っている時間もなければ、味わって食べるなんて事をしようものなら他の人が食べ尽くしてしまうだろう。おかずは選ぶことも出来ず、野菜だけである。とても口に出来るものではなく、ぶちまけたとして、さて豚が食うだろうか。もち米もまた旧く固く石の様で・・・」
散々な牢屋生活だったようです。
元来ひ弱な体のクルーバー・カーウピーがこうした生活に堪えられる筈もありません。間もなく忍耐の限界を超えました。不潔、狭い空間に満ちた汚れた空気の他、便通にも支障を来たすようになり、ついに病に倒れました。
か弱い身体に襲い掛かる病魔。クルーバー・カーウピーは、牢獄よりラムプーン病院に移送されました。病院とはいえ、ラムプーンの70年近く前の建物は決して病気を治すに適しているとはいえなかったようです。
病を得て入院したクルーバーの目にも病院は今にも倒れてしまいそうなほどに朽ち果てて見え、見るに忍びませんでした。病を治す病院がこれではあまりにも惨めに過ぎる、何とかできないものか。そんな考えが脳裏を過ぎりました。
「病院修復の手伝いをしても良い、勿論病院にて一切の費用を心配する事はない。ただし、刑務所にて自分が日々現場監督に来ることを認めてもらいたい」
師は病院に申し出ました。
勿論病院に否やはありません。
この事は直ちに病院から刑務所長にもたらされ、次いで県知事にもたらされました。その時の、病院側の理由は、まだ病が癒えず、十分な看護が必要であり、病院にて一切の責任を負うというものでした。
刑務所側としては、もともと師に対する信仰心を抱いていたこともあり、病院側の申し出でに依存はありませんでした。しかし、問題は知事にありました。クルーバー・カーウピーの刑期は6ヶ月であり、既にその半ばに達しており、許可されませんでした。しかし、結局は、建設に責任を取ること、公的予算を一切用いないことを保障する形で何とか許可が出ました。
かくして、囚人クルーバー・カーウピーは、刑務官に率いられて病院に出かけると、治療と共に病院の建設作業を陣頭指揮し、病院の旧棟に臨時の宿舎が割り当てられ、師に仕えるために別の囚人二人が特別に同行しました。この間の費用の一切は信者からの寄進によるものである事は、師のクルーバー・シーウィチャイの場合と変わりません。
しかし、サンキート師の書に寄れば、師は朝刑務所を出て夕方に作業を終えると刑務官と共に獄舎に帰ったとされています。そして、獄舎の前はまるで縁日のようにたくさんの屋台がでていたとも記しています。
それほどまでに獄舎の師のもとにやってくる信者の数が多かったのでしょうか。たくさんの寄進は、当然のように同じ境遇の受刑者たちに分け与えられ、夢のような食事の日々が続いたといわれています。
それ故でしょうか、刑期を追えて刑務所を後にする師を受刑者たちは涙を流して惜しんだそうです。それは、布施の品々の分け前に預からなくなることを悲しんだのでしょうか。
病院建設は、信者たちからの寄進が続々と集まってくると、滞ることもなく予定通りに全てが進行していきました。そして、当初予想されていた1,600バーツの建設予算をはるかに超える2,000バーツもの寄進がありました。
6月下弦の2日、病院建設完成を待たず、6ヶ月の懲役刑の刑期を終え、クルーバー・カーウピーは自由の身となりました。出獄に先立ち、師は有り余るほどの食事、果物、お菓子の類多数を受刑者たちに布施しました。
これまでの師の獄中での生活の期間、連日多数の訪問客が夥しい布施の数々をもたらし、その恩恵は受刑者のみならず、刑務官に至るまで全ての人に等しく行き渡っていました。牢獄前に並ぶたくさんの屋台は、そんな訪問客目当ての物売りでした。
獄舎を後にするクルーバー・カーウピーを見送る刑務所関係者の顔は誰もが涙に濡れていたと言われます。のみならず、刑務所を出て140メートル離れた先にあるハリプンチャイ寺院に至るまでの沿道には、信者たちが並び、布施の行列を作っていました。
このことからも解るように、ラムプーンの獄舎はチエンマイのそれと同様に町の真ん中にあったようですね。
この間わずか140メートの間で師にもたらされた寄進の金額は300バーツにも上ったといわれており、それを全て獄中の受刑者への布施の品購入に当てました。ここでも師の無欲の姿が偲ばれます。
師がハリプンチャイ寺院に到着すると、そこには約10名の僧が出迎えに出ていました。
何年か前のこの同じハリプンチャイ寺院では、幽閉されたクルーバー・シーウィチャイが冷たいもてなしの中、わずか4名の弟子を伴っただけでチエンマイのセーンファーン寺院に送られました。しかし、今時は変わり、多数の信者に見守られる中、白衣になったクルーバー・カーウピーを同じ寺院の僧たちが出迎えたのです。
黄衣の僧が白衣の還俗の一市民を丁重に迎えるというタイ社会では異様なことが起こりました。クルーバー・カーウピーを迎えたハリプンチャイ寺院では、厄落としと祝福の読経を挙げて師に敬意を表しました。
こうして、半年振りに自由に身となった師は、未完のラムプーン病院の建設を最後まで手伝い、その祝賀行事に参列すると、大きな任務を終えました。
かくして、チエンマイにいてプラッシン寺院の修復工事という大事業を進めている師のクルーバー・シーウィチャイを尋ねていくことになりました。
これは、刑期を終えたことを知らせる為であると同時に、再び得度出家して黄衣を身に纏う為でもありました。
二度目の出家です。
(続)
タイ武術の原型ですが、これがショーになると、いわゆるタイ・ボクシングとなります。じっくりとご鑑賞下さい
タイ武術(素手&剣術)
http://www.youtube.com/watch?v=uV_w78qWuzc
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