チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

タイの政治状況

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不敬なりタクシン

80歳過ぎのアムマートの謎を解く
タイ政変(2010)の総括−
不敬なりタクシン
 
タイの政情不安、特に赤シャツ派の求めるものは次第に変化してきました。
当初、2006年のクーデター反対という民主主義要求を装ったデモ行動でしたが、それが、タクシンの復権・無罪を求める主張になり、民主党政府の不当性を叫び、アピシット首相の即時退陣と国会解散を求めるようになりましたが、同時に、この間奇妙な言葉が地下から蘇りました。
タイ人でさえ、古語、死語として忘れてきた言葉を赤シャツ派集会指導部およびタクシンが使い出したのです。即ち、「アムマート(AMMAATYอำมาตย์)」です。
この言葉は、古い文献、特に歴史資料においては頻繁に出てきますが、現代タイ語においてこの言葉を目にすることは絶無と言えます。即ち、絶対王政時代、国王の側近くに仕えて政治に関わった役人を指す言葉です。
このアムマートを集会指導者およびタクシンが攻撃し始めたのです。これは、従来クーデターの後ろには枢密院議員が絡んでいると主張していた彼等の言葉から当然ある一人の元老を攻撃しているものと誰もが思っていました。
しかし、「Tニュース」というネット報道機関は、この動画において、今年3月15日の支持者へのビデオ・リンクの中のタクシンの言葉から、彼が言うアムマートとは何を指すのかを分析して見せました。
それは余りにも恐ろしいことですが、勿論集会参加の一般民衆は興奮状態の中でタクシンの言葉の意味を理解している筈がありません。
ここでは、このTニュースの記者の言葉を誤訳を恐れず日本語に訳して、タクシンが言う打倒すべきアムマートとは誰なのか、何なのかを明らかにしましょう。
その前に、今年始めに出版されたタクシン支持派の発行した雑誌の表紙に、倒すべき対象としてトランプのカードが三枚出ていました。一枚はJ,一枚はQ、一枚がKです。
Jには、アピシット首相の顔写真が
Qには、プレーム枢密院議長の顔写真が
Kには、黒い影で顔を映していませんが、枢密院議長より上の人物であることには変わりません。これが誰を指すのかタイの有識者で理解できない人はいないでしょう。
 
では、画面の日本語訳です。
タクシンの発言に続いて、女性記者が、「聴き取れなかった方の為に、私が今一度文字にして読み上げましょう」こうして、タクシンの言葉が文字に起こされて画面に流れます。
------あなたの考え方は、すでに時代遅れです。どうかタイ国民をあなたと同じ時代遅れに引きずり込まないで下さい。なぜなら、あなたももうすぐこの世を去るのではないですか。……現代の世の中は、テクノロジー、情報伝達によってはるかに前に進んでいます。従って、80歳を過ぎたアムマートが理解できる筈がありません。もしも自分が理解できずして、国を指導する権力を持つならば、どこへ引きずるのか知れたものではありません。決して正しい方向に連れて行くことはないと断言できます。
警察中佐 タクシン・チナワット
2010年3月15日ビデオ・リンク-----
(これが文字に起こされたタクシンの言葉の私的な日本語訳です。)
 
このタクシン警察中佐の言葉は、去る3月15日の夕方パーンファー橋周辺でのUDDに呼びかけたビデオ・リンクの中にありました。そして、この言葉が多くの人々の心の中に混乱を呼び起こし、80歳を過ぎたアムマートというのは、タクシン警察中佐は誰をさしているのか、疑問を提起させました。それにも増して、この言葉とタクシン警察中佐がUDDに伝えようとするものは何なのか、彼は何を求めているのでしょうか。
 
画面−−−80歳を過ぎたアムマートが理解できる筈がありません・・・
 
アムマートという言葉はUDDの演説の中で出てきた闘争の象徴で、その意味するところは、権力者の国民抑圧、搾取で、この言葉に隠されているのは赤シャツ=プライ(≒臣民≒被支配者)であるということを地方に住むタイ人たちに感じさせました。実際には、タクシン警察中佐を不正容疑から赦免することであるにも拘らず、これが階層分裂を明確に引き起こし、闘争を巻き起こしました。故に、翻って考えると、このアムマートという赤シャツが作り出した言葉の意味は、次のように考えられます。
画面:
80歳を超えるアムマート
1.王室もしくは国王
2.官僚制度。すなわち、軍、警察、一般管理
3.枢密院議長・元老プレーム・ティンスラーノン陸軍大将
4.枢密院
いずれにしても、タクシン警察中佐の3月15日の言葉からすると、アムマートの年齢をはっきりと明言しています。80歳以上で、更に文脈を広げて、言うところのアムマートは、国をいずれに導くのか理解していない。タクシン警察中佐の言うアムマートとは、命あるものであり、組織とかシステムではないでしょう。従って選択肢の第2項と第4項は、アムマートではないことになります。すなわち、残るのは第1項と第3項で、王室もしくは国王か、枢密院議長で元老のプレーム・ティンスラーノン陸軍大将かのいずれかであると考えさせるものです。皆さん、これまでの情報から、一つずつ見てみましょう。タクシン警察中佐の言うアムマートとは、果たして誰なのでしょうか。
通常、UDDの指導者、ウィーラ、チャトゥポン、そして、ナッタウットなどは、このアムマートの意味を枢密院、特にプレーム陸軍大将に限定しています。しかし、このタクシン警察中佐のアムマートという言葉の意味は、プレーム陸軍大将を指すのでしょうか。タクシン警察中佐の言葉を聴いてみなければなりません。はっきりと指しているのはアムマートは年齢が80歳を超えることです。実際には、プレーム陸軍大将は、西暦1920年8月26日に生まれています。すなわち、その意味するところは、今年2010年にはプレーム陸軍大将は、丁度90歳になり、タクシン警察中佐が言及するような80歳過ぎではありません。更に考えなければならないことは、タクシン警察中佐がプレーム陸軍大将に言及しているとすれば、疑問点として、プレーム陸軍大将の立場、枢密院議長および元老という立場は、タクシン警察中佐が言うように、国を導く権限を有するものでしょうか。更には、タクシン警察中佐がプレーム陸軍大将に言及す場合には、多くの場合、去る3月17日のビデオ・リンクにおいてのように、直接名前を上げています。(画面の中のタクシンの言「・・・こうした環境を考えると、プレームさん(プレーム陸軍大将という敬称ではない=mana 注)を休息に誘いものだ・・・」)その同じビデオ・リンクにおいて、タクシン警察中佐はアピシット政府を攻撃して、支え棒があって強奪という手段で援助を受け、アムマートが後ろに控えているとしています(画面のタクシンの言「アムマートが強奪を手伝い、政府を作った支え棒があり・・・」)。もしもタクシン警察中佐のアムマートがプレーム陸軍大将であるならば、プレーム陸軍大将をモンテネグロに招待したい、と言ったように、どうして直接名前を挙げないのでしょうか。
皆さん。今までの情報から、タクシン警察中佐のアムマートは、プレーム陸軍大将ではない可能性が高いです。そして、そうであるならば、選択肢からプレーム陸軍大将の名前を消さなければなりません。残るのは、ただ、王室もしくは国王陛下。王室もしくは、国王陛下が、タクシン警察中佐の言うアムマートにあたるでしょうか。3月15日のタクシン警察中佐のビデオ・リンクの言葉と西暦2009年11月10日のタイム・オンラインのインタビューでタクシン警察中佐自身と国王陛下の人気度に対する質問は、通常、王室に忠誠を誓うタイ人の常識では決して答えることのないものですが、タクシン警察中佐は、“it is a different kind of love ”と答えていますが、「異なる愛」が3月15日のビデオリンクの一部と結びつくことは明らかです。すなわち「(画面のタイ語部分=mana 注)国民がアムマートと政治家を愛するのは、別々のことだ。」これらの言葉の意味は一致しており、時と場所が異なっているだけです。最初の文章が言うのは、“it is a different kind of love ”は、国王陛下に直接結びつき、二番目の国民がアムマートと政治家を愛することは、別々のことだ、は、アムマートについて述べています。皆さん、こうした言及がタクシン警察中佐が言うところのアムマートを特定することが出来るか否か、検討してください。
こうした事柄は、普通の人々の間には決して表れることのないことです。タクシン警察中佐が言うアムマートという言葉は、王室に関わることで、その故は、タクシン警察中佐は国王陛下に関わることを幾度ものインタビューの中で述べています。2009年4月17日、タクシン警察中佐は、ファイナンシャル・タイムのインタビューで、国王陛下とクーデターに言及して、最後には、タクシン警察中佐は不敬罪に問われました。すなわち、刑法112条不敬罪の罪で、タクシン警察中佐が懸命に宣伝するような政治的罪ではありません。なぜなら、調査委員会を設置し、王室に関わる各種情報を分析し、合法的に調査したもので、同時に警察も周到に本件を調査しました。
みなさん、これから皆さんが眼にする情報は、王室に良からぬ思いを抱く組織の元で実際に起こったことで、タクシン警察中佐インタビューの内容につながるもの・・・(以上で動画は終了しています= mana 注。)
(了)
この項を持って、今年2010年5月に起こった赤シャツ派集会排除によって表面上収束したタイ王国の政情不安の総括を一応終わりたいと思います。
最後に、赤シャツ派集会の中に見る美女は、北朝鮮の美女軍団、日本赤軍派の女性闘士など足元にも及ばない魅力溢れる女性ばかりです。どうぞゆっくりご鑑賞下さい。
赤シャツの女性が美人じゃないって誰が言ったのよ
 
タクシンとウィーラの(秘密)会話
赤シャツ派何をしたか
タイ政変(2010)の総括−1−
タイ政変(2010)の総括−2−
タイ政変(2010)の総括−
 

赤シャツ派の出現

アセアン会議を潰した後、内務省内に乱入して国民への呼びかけを行う首相を襲撃する赤シャツ派
昨年4月のアセアン会議予定会場のパタヤー視察を終えて帰る途中の首相を襲撃する赤シャツ
 
タイ政変(2010)の総括−
赤シャツ派の出現
 
クーデター後の暫定内閣により恒久憲法の制定が急がれ、翌年には発布されました。これがいわゆる50年憲法(2550年=2007年憲法)と呼ばれるもので、タクシンを始め、タクシン支持派が最初に攻撃した目標でした。
外国にいるタクシンと国内支持党員との関係が続く中で、新憲法のもとでの下院議員総選挙実施によってもタクシン支持派の政党が圧勝します。
首相として選ばれた前バンコク知事サマックは、自らタクシンの代理であると公言するなどタクシン政治の再現を目指すかのような印象を与え、一時は集会を解散して様子を見ていた市民連合に集会の再開を決意させました。
こうした反サマック運動の中でカンボジアとの長年の国境紛争が政治問題として浮上してきます。これには、タクシンとカンボジア側との密約説まで流れ、海底油田の権利と引き換えに国境の寺院の所有権を放棄したというのです。一方、首相としての資格を裁判所が否定する判決が出て倒れると、次いで首相になったのが、タクシンの妹婿で元法務官僚のソムチャーイでした。この頃には市民連合は、首相府を占拠すると言う暴挙に出、いわゆる空港占拠事件というのがこれに続きます。
この空港占拠事件は、外遊から帰国するソムチャーイ首相に対する抗議と帰国阻止を狙っての空港前での抗議集会を目指していたものですが、民衆の動きを見た空港責任者が空港閉鎖を決め、滑走路で離陸準備完了状態の飛行機をすら引き返させ、空港内の乗客を放置し、空港機能の停止を命じて逃走してしまったのです。
そして、延々と続く黄色シャツ派の首相府占拠、空港占拠の中で、今回暗殺されたカッティヤ陸軍少将の黄色シャツ派の中で死傷者が出る、という不気味な予言があると、彼の言を実証するかのように、その夜集会の中にM79が打ち込まれます。
また、ソムチャーイ首相の元で、副首相として就任した元首相チャワリット陸軍大将の指揮下、警察は、殺傷能力が非常に高い中国製催涙ガス弾を水平発射して集会排除の実力行使に出、市民連合に多数の死傷者を出しました。若い女性は心臓にまで届く爆破の衝撃にも警察は彼女が爆弾を抱えていたと主張し、足を吹き飛ばされた集会参加者は始めから足がなかったとテレビで釈明し、集会派が手榴弾を持っている証拠として発表した写真は、キーホルダーのワッパである等、警察は明らかに集会派に悪意を持って望んでいました。
そのソムチャーイ首相の政党もまた党役員の選挙違反の責任を問われて解党判決が出ると、内閣は解散となりました。
ソムチャーイ内閣の解散を気に、多数の死傷者を出し、集会の名目を失った市民連合は集会を解散します。
一方、解党された政党の議員は速やかに自らの所属先を探さねばなりませんが、この時党内は分裂します。そして、なおタクシンに忠誠に誓う人たちが進んでいったのがプアタイ党で、これが現野党です。そして絶対的タクシン支持とされていたネーウィン派は、この時タクシンと分かれて独自の党を設立し、反タクシン色を鮮明にすると、新たな首相選出に絡んで政界再編が起こりました。即ち、第二党民主党を中心とする六党による現連立内閣の誕生です。
こうした民主党内閣に対して、タクシン支持者たちは、バンコクの王宮前広場で集会を開き、その際、これまで一部にしか見られなかった赤が集会の色となります。すなわち、黄色シャツ派に対抗して赤シャツで統一し、市民連合が用いた拍手用の手形の道具に対して足形を用い、市民連合に倣って集会の長期化を狙い、ASTVに対抗してPTVを開設し、地方の零細放送局網を使って自派情報機関とします。赤シャツ派および野党は、民主党政権を権力の横取り、軍およびアムマートに後押しされた反民主的行為であり、議会は解散の上総選挙せよ、と声高に叫みます。
アピシット首相は、連立内閣の不安定な状況の中でも、連日のように繰り返される南部タイでの暗殺、軍・警察に対する挑戦という不安定な状態を是正しながら、突然に襲ったリーマン・ショックに対応してタイ経済を立て直していきます。
若いアピシットの沈着な政権運営と巧妙な連立維持の手法による政権維持に危機感を抱いたタクシンは、アピシットがただ若く、自分のように経済を知らず、タイは沈没する、と訴えますが、何の効果もありませんでした。ついでアピシットは軍の支持で政権を民衆から奪い取った反民主主義者、そうした非難を繰り返し、自分こそが現在も首相であると主張し続けます。
野党、タクシンの反政府運動は、バンコク王宮前広場での集会の規模の大きさを世界に示すことで反政府、親タクシンの国民感情を世界に訴えますが、タクシンは、支持者に対して、またタイ国民に対していくつものサインを送っています。
1.                    自分が不遇の間は、タイに平安はない。
2.                    もしも国王が望むならば帰国してもいい。
3.                    すべてをクーデター前に戻すならば話し合いの余地がある。
同時に、世界に対して民主党政権の統治能力の欠如を印象付けようとします。その表れが昨年のパッタヤーでのアセアン首脳会議とそれに関わる、+3、+6の会議でしたが、歌手のアリスマンを指導者とする赤シャツ派は、会場のホテルに乱入して会議を妨害したことは記憶に新しいことと思います。各国首脳は命辛々帰国する羽目になり、タイの面目丸潰れとなりました。
それを喜んだのはタクシンに他なりません。
こうした赤シャツ派の暴挙は、直後のバンコク市内での首相襲撃という事態にまで至り、通常の国営放送を使っての報道では危険であるして、内務省において国民に訴える首相放送を知った赤シャツ派は、大挙押しかけ、敷地内に乱入し、省内を首相の姿を求めて暴れまわります。しかも、それを扇動したのは野党政治家でした。血を求めていたのはタクシンだったのです。
それは正に殺人ゲームの世界そのものでした。国民に訴える首相を守るべき軍幹部、警察幹部はもとより、政治家、秘書たちまでもが画面から消えました。一人不安の面持ちで国民に訴える首相は、放送終了後直ちに建物を出ると、普段使用しているBMWから防弾装備の施されたベンツに乗り換えて暴徒の襲撃の中を非常口から脱出しました。こうした暴挙に対して警察は全く無関心にも近い状況で暴徒鎮圧の意欲はないかのようです。
こうした警察の黄色シャツへの殺人的催涙弾水平発射、M16の実弾発射に対して、赤シャツ派に対する無抵抗・無対策は何を示しているのでしょうか。人々はこうした警察の態度を自動車のギアになぞらえてニュートラルと評しました。
こうした警察権力の不可解な行動、沈黙を守り続ける陸軍司令官にどこからともなく聞こえてきたのが「スイカ」論です。すなわち、スイカは外側が緑=軍服、警察官制服の色ではあるが、その実態、心は真っ赤であり、軍も警察も赤シャツ派なのだという噂が意図的に指導部から流されると、赤シャツ参加者の意気あがります。それを証明するかのように、幾度となく陸軍司令官の執務室を狙ったと思われる、M79の発射にも警察の捜査は遅々として進まず、軍も沈黙を守り続け、枢密院議長宅への圧力、罵倒の声にも沈黙で応えます。
そんな中で、現役陸軍少将カッティヤは進んでタクシン派を支持を公言して憚らず、しばしば国外逃亡中のタクシンを訪問し、軍を非難し、集会では人民軍の組織を宣言し、訓練を始めます。そして、彼に同調するように地下から現れたのがタクシン政権時代の首相府相でもあり、不敬罪で国外逃亡中のチャッカポップが関わるデーン・サヤームという共産主義者の集団です。さまざまな挑発に対してアピシット首相は、全ての問題は、民主主義に則り、話し合いと議会制度を通じて解決するべきとの強い信念の元で赤シャツ派の路上占拠の集会を取り締まることがありませんでした。
バンコク王宮前広場で集会を開き、政府を挑発し続ける赤シャツ派、それに参加する人たちに配られる一日500バーツの日当。夜間にはタクシンのフォーン・イン、まるでショーのようになりました。
犯罪者であり、国外逃亡中のタクシンの反政府集会へのフォーン・インを許し、国外に逃げているタクシンに追捕の手を差し向けない政府に対し、反タクシン派のみならず、政治意識に目覚めている中間階層の市民のあいだに疑問・怒りの輪が徐々に広がっていきました。
そんな国民感情の中で、正に隣国カンボジアとの国境紛争で揺れる時期に、タクシンはカンボジア首相の政治顧問に就任しました。国民の中からは、タクシンに対して裏切り者の怨嗟の声が上がります。様々なタクシンの挑発にじっと耐えるアピシットは、直ちにカンボジアに対する経済援助・協力の見直しを発表します。貧弱なカンボジア経済を覆しかねない声明でした。タイ国内における反カンボジア感情の勃発を恐れたのかカンボジアはタクシンを国外に出します。
そして、カンボジア首相が兵士とともに国境未確定地域視察に来るという情報を得ると直ちに反応しました。カンボジアの首相が領内に来るならば、わが国は相応の礼を持って出迎えるであろうし、その旨当該県知事に指示し、決して礼を失しないよう指示している。ただし、カンボジア首相が兵を同伴することは決して許されない、とタイ国軍への警備を厳命しました。
軟弱なように見えても、こうした強硬路線もとるアピシットの頭にあるのは、民主主義を守りたい、国民を殺したくない、領土を死守する、というものでした。
一方一般民衆を扇動する人たちには、アピシット首相が赤シャツ派の民衆殺害の秘密指令を軍に出し、すでに何百人も殺されて死体は人知れず処理された、アピシットは赤シャツ最高指導者五人の暗殺命令を軍に発した、そんな噂を流して自国首相への憎悪を煽ります。
こうしたアピシット首相攻撃は北部、東北部で激しく吹き荒れ、北部では、チエンマイも含めて反アピシット、反民主党政府感情は民衆の意識洗脳という手段で危機的状況にまで至り、今もその動きに衰えはありません。
激しい赤シャツの反対運動の中でも綱渡りのように政局を乗り切り次々と解決していくアピシットに次第に赤シャツ派は危機感を募らせます。
こうして始まったのが、今年3月の最終戦と称する集会です。
そして、これがそれまでの集会と異なっていたのは、表面的な赤シャツの一般民衆とは別に、武装集団が本格的に政府、軍を挑発し、共産主義者のデーン・サヤームが不気味に地下に潜っています。しかし、この三つはすべて同じ根から出ているのです。
すなわち、タクシンです。
(続)
Arsonists Protester Burning Bangkok Bank (BBL) - see them closely who are they
見よ!バンコク銀行放火の瞬間(May.2010)を。動画は始めはタイ語(英語字幕)ですが、2分過ぎから英語の説明(音声が小さいですので注意してください)に変わります。
 
タクシンとウィーラの(秘密)会話
赤シャツ派何をしたか
タイ政変(2010)の総括−1−
タイ政変(2010)の総括−2−
 
 

反タクシンのうねり

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タイ政変(2010)の総括−2−
反タクシンのうねり
 
2010年3月に始まった赤シャツ派の集会は、「勝利ない解散はない」という「最終戦争」という名前の集会でした。
勝利とは何か・・・勝利とは当然のこと、元首相タクシンの勝利を意味します。では、タクシンは何を持って勝利と考えるのでしょうか。
タクシン元首相にとっての勝利とは、4年前のクーデター以前に戻ることです。すなわち、タイ国内の政治権力のすべてを掌握し、批判的な言論機関を国家権力のみならず、自らの関係する企業の宣伝費を利用して圧殺し、警察、軍、官界のすべてに金銭汚職の網を張り巡らせてその中心に自らが『君臨』することです。
先月24日ごろまでチエンマイと隣県ラムプーンを結ぶ旧道の交差点には大きなタクシン支持の看板が出ており、そこには「今も将来も永遠の首相タクシン」と詠われていました。
こうした彼の個人的な欲望の為とはいえ、何故にこれほどまでに国を二分する争いになったのでしょうか。表面的には落ち着いたようなタイの政情を振り返ってみました。暴動の表面を見ているだけでは自体の本質を見失うでしょう。
 
そもそも携帯電話事業を通じて巨万の富を築いたタクシンが政界進出を考えた理由は、何なのでしょうか。こじつければいろいろあるのでしょうが、携帯電話機そのものの価格の低迷につれて浮上してきた通信事業の重要性・将来性、IT産業全体の中で携帯電話の占める割合が下がり、携帯電話機がインターネットの世界と繋がりを深めてPCとの境がなくなるであろうという予想のもとで、通信事業界の中で絶対的な地位を維持しようとすれば、将来的に亘って政府との緊密な関係が欠かせません。
そうした官界との密着の必要性は、彼の経済人として官僚と接触する中で、また自らも警察官僚として官僚世界に身を置いた経験から、官僚の性格を身に染みて知っていたのではないでしょうか。経済人として官界との接触の中で独占に近い状態で携帯電話事業を経営して夢のような人生を作り出した彼が、その甘い汁を吸い続ける為に、将来のIT事業での絶対的地位の保証を得る為にはどうしても官界とのより緊密な連携が必要と感じたでしょう。
政界に進出するに際して利用したのが、元バンコク市長であり、18年前の血の5月事件の中心人物であるチャムロン陸軍少将でした。バンコクの交通渋滞を半年で解消するという大見得を切って副首相の地位で内閣に参加しましたが、見事に失敗します。多分この時、彼は首相でなければ自分の思うことが思う通りに行えないと思い知らされたのではないでしょうか。
そこで、新憲法の下で自らの政党を作りますが、この時多くの政治家、学者、経済人が砂糖に集る蟻の如く彼の周りに集まります。
圧倒的な勝利を得て政権を掴んだタクシンですが、次々と暴かれるタクシン政権の汚職情報が次々と市民連合に集まり、情報源が賛同者となり、ケーブルテレビから、新聞から、地上波テレビから情報を得た中間層がタクシン政権の腐敗を責めながら、南部イスラムたちも反タクシンに立ち上がります。
タクシンの政治姿勢は、敵か見方か、単純にこれだけです。第三者はいません。新聞、テレビもタクシンを支持する論調であるか否か、賛美以外の批評、論評を彼は嫌いました。完全な民間テレビ局として始めて出現したITVもこうしたタクシンの政治的目的達成のために、ネーション・グル−プからタクシン関係企業が買収しました。こうした性格が敵を作り出していったのです。
通信衛星関係の部品輸入に関して、タクシン関係企業は、海路輸入したコンテナをなぜか空港で税関審査し、しかも書類偽造が行われ、それを実行した通関業者が勇気を出して証拠を提出して告発し、報償として受けた手数料の銀行入金票控えすらも出しました。ある筈のコンテナ番号が消され、税金額が異常に少ない理由を民主党の議員がこの一通関業者の書類をもとに追求しますが、最後にはこの通関業者は、バンコクから1000キロも離れたチエンラーイの町で射殺されます。しかし、警察は捜査以前に現場を見てすぐに女性関係の縺れとして捜査を打ち切りました。
しかし、本人は死ぬ前に通関に関して用いた一切の書類を手渡した旧知の民主党議員に相手側より告発内容が誤りであることを認める代わりの高額のオファーを受けている旨を告白しています。これに対し、民主党議員はお金を受け取って、もうこれ以上追求することは止めよう。自分もこれ以上あなたを守りきれない、と説得しましたが、彼は正義の為に戦うとしてお金を受け取りませんでした。その結果が彼の死です。
かくして市民連合が巨大なうねりとなってバンコクで巻き起こると、地方都市においてもそうした豊富な情報を持つ人々の間で反タクシンのうねりに賛同する土壌が出来上がり、バンコクでの集会に声援を送り、参加者を送り、資金を送ります。それは海を越えて海外の反タクシン的考えの人々からも集まるようになります。英国では、店に入ってきたタクシンを先客のタイ人がテーブルに指先で突付くようにして音を立てて抗議の意思表示をしタクシンを追い返したとも言われます。
市民連合には、社会の裏の事情を知る上流僧、経済界、経済学者、社会学者、法学者、退役軍人、商店主、というどちらかというと知識階層の人々がそれぞれの情報を持ち寄り、それぞれがステージの上で参加者にタクシンの実像を伝えます。それは深く鋭いものでした。
すべてタクシン一人に権力・決定権を集中し大臣といえども決定権を持たないお飾りの人形に過ぎない「タクシン政体」という言葉が生まれ、タクシンの横でタクシンの為に働く人たちが関わる企業が各種プロジェクトの恩恵を蒙り、そうした企業を潤す為のプロジェクト企画、政策的汚職構造に基づく富の偏在が起こるという「タクシン経済」という言葉が生まれたのもこの頃のことです。
時に、国王の在位60周年記念行事、国王80歳生誕記念と次々と祝い事が重なる中で、国王平価の賓客にもかかわらず、国王陛下を差し置いて外国王室を出迎えるというタクシンの不敬行為の噂も流れてきました。一方、市民連合が国王への忠誠を近い、タイ王政護持の意思を鮮明にする為に当時国民の間に広まっていった国王の色である黄色いシャツを着るようになります。ところが皮肉にも、後に反タクシンの象徴ともなるこの黄色のシャツを全国民に着るよう薦めたのは、実は、タクシンに他ならないのです。
この間も市民連合の反タクシンの舌鋒鋭い集会は収まるところを知らず、そうした市民レベルのうねりとは別に、汚職追求の動きは議会内では民主党が行いましたが、政府側の反応は鈍く、国民の間に苛立ちが出てきました。そして、2005年、タクシンはタイ政治史上初めて4年の任期を全うして、任期満了に伴う下院の解散総選挙となりました。そして、これに圧勝します。
支持基盤は、従来と変わりませんでした。市民連合の汚職摘発と全国的な反タクシンのうねりとは別に田舎の人たちはタクシンを選んだのです。
しかし、それでも反タクシンのうねりは収まることを知らず、この集会を如何とも処理することが出来ませんでした。そして、議会では、民主党を中心に、タクシン首相の汚職嫌疑、不正蓄財嫌疑、さまざまなプロジェクトに関わる黒い噂についての審議を求めますが、これまで施政方針演説のような法律で義務付けられている日以外登院せず、議会を無視し続けて来たタクシンは、翌年早々に突然議会を解散しました。
現首相アピシットを党首とする民主党は、ついに議会外での反政府運動に参加することはなく、これが黄色シャツ派の不満を呼びます。しかし、アピシットは飽く迄も議会内での改革に拘ります。それ故にタクシンに議会内での議論を求め続けたのです。
これに対してタクシンの議会解散、総選挙は大勝を確信してのもので、これは解散総選挙による大勝を国民の禊として一切の反対勢力を抑えようとしたのでしょうが、これが終に出口の見えない政治の混乱をもたらします。
2006年4月2日に行われた総選挙は、民主党党首アピシット主導の下で野党の総選挙ボイコットという前代未聞の事態でタクシンに対抗し、投票日には投票用紙を破ってタクシン政権に講義する学者も出ました。
そして、行われた野党不在の総選挙では、一党のみの立候補を避けるために、有名無実の諸政党に経済支援をして立候補させる作戦を取りますが、これが選挙違反への道を開き、単にタクシンの政党のみならず、中央選管の不正までをも誘発し、中央選管委員が懲役刑の実刑判決を受けて辞職し、先に行われた4月2日の総選挙の無効判決が出ました。しかし、中央選管不在の中で選挙は出来ません。中央選管を選ぶにも議会はすでに解散しています。事態は出口の見えない袋小路に入ってしまったのです。
この中央選管に有罪判決が下る前、裁判官認証式において、国王は、法律は全ての人に等しく行使されねばならず、法律を曲解して特定の人、団体に利をもたらしてはならない、旨の発言があったとも言われます。ここにもタクシンの反国王の感情の原因があるのかもしれません。
混沌とした出口の見えない中で、内閣総辞職と勅撰による臨時暫定内閣を求める声が巷にあふれます。軍の出動を求める声も巷に流れてきます。反タクシンの象徴的存在のソンティが、当時の陸軍司令官と面談したのはこうした時期でした。
こうした中でタクシンは9月に国連に出席します。その最中の9月19日、ニューヨークでタイ国軍の異常な動きを耳にしたタクシンが陸軍司令官ソンティの解任を発表するよりも早く、タイ陸軍を中心とするグループがクーデターを起こしました。
そして、クーデター部隊を迎えたバンコク都民は、これまでの鬱屈した気分が払拭されたかのような開放感を味わうと、手に手に花を持って感謝と激励の言葉をかけ、ある人は飲料水を差し出し、ある人は子供連れで兵士と記念撮影までして、誰の表情にも笑顔が浮かんでいました。
ここに最後には軍頼みのタイ人気質を見るようで、複雑な気持ちになります。
(続)
冒頭の写真は、クーデター部隊の戦車に群がる喜びの都民の群れです。
   
イメージ 1   
市民連合指導者五人
タイ政変(2010)の総括−1−
繰り返されるクーデター
 
タイ王国では、西暦1932年6月24日にいわゆる人民団が革命を起こします。これによってタイ王国は、長年親しんだ王政に終止符を打ちました。時のラーマ7世は自ら政治混乱を収拾する為にご退位をご決断され、国を離れました。タイ王室始まって以来始めて国王が異国で亡くなられたのです。
その後、人民団の統治が始まりますが、やはりうまくいかず、幼い王子をスイスより招請して王位に就けますが、これがラーマ八世で、戦後間もなく現国王のラーマ九世に御世が変わります。
そして、その後議会制民主主義ということで内閣制度の下で政治が行われ、政治の腐敗が国民の間で怨嗟となると軍がクーデターを起こして政治を止め、憲法を破棄して臨時憲法を発布し、同時に次々と布告を発して統治します。そしてやがて恒久憲法が制定されると新たな内閣が選ばれてクーデターの終焉となります。
そして、しばらくすると再び政治に腐敗が起こり、軍がクーデターで腐敗した政治家を粛清して憲法を破棄して臨時憲法を発布、布告の連発、そして恒久憲法制定による新内閣の発足。
こうしたことの繰り返しが十何回起こったことでしょうか。
スチューデント・パワーといわれて、日本でも60年安保に続く70年安保の騒動の記憶がまだ消えない1973年10月14日、タイで一大騒動が発生しました。このタイの騒動は、学生主体の運動であり、一般市民はさして重要な役割を果たさず、結果的に軍の力に追われるように森に入った学生たちは、そこで共産主義生活を始め「同士」たちの強い絆が結ばれます。
その前1965年にマレー共産党と強い結びつきを持ち一人のタイ族も含まない華人のみによるタイ共産党が武装蜂起を決議して軍と衝突しています。彼らもまた軍との衝突の結果、追われるようにして森に逃げ込んだのです。東北部タイの森で彼らタイ共産党と学生運動家が接触します。とすれば学生運動家の中に共産党員もしくは支持者、もしくは賛同者がいなかったといえるのでしょうか。
そして、彼らは共産党も含めてタイ政府の懐柔策を受け入れて武装闘争を放棄し、いわゆる議会闘争に移ることを明言します。そして、森に逃げてなお妥協を許さず社会主義革命を目指して北京に逃げていった共産党員の中に、先の2006年のクーデター後に首相に就任した枢密院議員スラユット陸軍大将の父がいました。
繰り返されるクーデター、共産党との戦い、学生の反発の中で、軍と国民の信頼厚い現枢密院議長である元老プレーム陸軍大将が、政界を引退して首相に再任しない旨を宣言し、民選議員のみによる議会運営と民選議員による内閣首班指名、国王の認証をえて組閣、という現在の体制が出来ました。
こうした完全民選議員議会制度により最初に首相となったのが、インドシナを戦場から市場にというスローガンの下で政界に登場したチャーチャイ陸軍大将でした。時に1988年8月4日のことでした。
しかし、就任直後から陸軍部内で燻り出した反チャーチャイの動きは、ついにクーデターとなって現れ、1991年2月23日にバンコクの空港において国軍最高司令官スントーン陸軍大将を首班としながら、陸軍司令官であるスチンダー陸軍大将を実質的な指導者とするクーデター部隊に身柄を押さえられクーデターが成功しました。
この後、首相に就任するつもりはないと言明していたスチンダー陸軍大将の二枚舌が前バンコク市長であるチャムロン陸軍少将たちの市民感情を刺激して、翌年の血の5月事件となるのですが、この反スチンダー運動は、これまでの反軍政運動とは異なっていました。1992年の血の5月事件の中心は、すでに政治意識の薄い学生ではなく、かつての学生たちである社会人、経済的自立を果たした中間層であり、彼らは流行の携帯電話で連絡を取りあい、FAX通信が全国の会社、事務所に送られました。バンコクの情報は軍の統制下にもかかわらず瞬時に流れていきました。
この血の5月事件の後、軍のタイ社会、政界に対する無言の監視が大きく変わりました。クーデター後の暫定内閣の下で恒例に恒久憲法制定が急がれましたが、この時民間主導の憲法制定をうたい、憲法制定委員会を設置すると、委員は各出身県で幾度も集会を開いて住民に憲法に載せる内容を求める話し合いを持ちました。
こうして全国民の総意の下で作られたとされるものが40年憲法と呼ばれる1997年の憲法です。ここでは無償の義務教育12年がうたわれ、環境保護がうたわれましたが、一般のタイ人はそれに与っていないのです。なぜなら彼らに政治を語るほどの知識はなかったからで、実際あたしが住む村では憲法の話など一度として出たことがありません。無償義務教育12年も街中の人たちの話で、田舎では働き手の子供を学校にとられると生活に響きます。
ともかく、こうして鳴り物入りで国民が作った憲法が一人歩きします。そして、無闇な議会解散と、内閣不信任などの政治混乱を避けるために、内閣不信任案提出の条件、首相不信任案の提出条件に足枷が嵌められます。そして、選挙区制度が変わり、定数が増え、小政党に不利になっていきます。
こうした中で、新憲法制定の翌年、タクシンがこれまでチャムロン陸軍少将創設の既存政党の党首の地位から自らの政党を立ち上げ、多数の政党を吸収合併して見る見るうちに巨大政党に膨れていきます。この抱え込んだ政治家たちの多くは、その基盤を東北部に持っていますが、ここにはタイ最大の議員数が割り当てられているのです。こうした従来の政治家を取り込むことは政治家についている票をそのまま取り込むことになります。
東北部の人々と政治家との根深い結びつきは、いわゆる「扶助(UPATHAMPH)」という東北部の人々がもっとも大切にする感情を利用したものです。政治家は、地元民の相談に親身になりますが、選挙では無条件でその候補者に投票します。もちろん投票に際しては1票幾らということが当然の礼儀ともなります。これは、選挙日が近づくと値段がエレベーターのように上昇します。20バーツほどから始まったものは終には500バーツにまで上ることもあるようです。これこそが「扶助」です。農民は選挙によって何がしかの収入を得るのです。もちろん冠婚葬祭には議員からお見舞金、ご祝儀が出ることでしょう。こうした風習に何十年も染まると、支払いは後払いでも何の支障もありませんから、買収という容疑の選挙違反で引っかかることはありません。
タクシンの新政党は、人気取り政策を実施し、こうした『扶助』を利用した票の買収工作を通じて選挙で圧勝して組閣しますが、組閣直後に起こったのが、公表資産に虚偽の疑いがあるという不正防止委員会の告発です。憲法裁判所の15人の裁判官を巡って流される黒い噂の中、8対7でタクシン首相告発は却下されます。その裁判の最後においてタクシンは自ら弁護士に代わって法廷にに立ち次のように述べています「・・・自分はあなた方と同じように、国王陛下の前で正直に任務を務め不正を行わないと誓ったのであるから、自分が不正を行うことはあり得ない・・・」と。それは、彼の「自分は金持ちだから不正をしたり賄賂をとる必要がない」という言葉に符合します。
とにかく、絶対多数の元で、国会無視の政治が続きました。農民の借金返済を3年間免除する施策、30バーツであらゆる病気の治療が受けられるという政策は多くの貧しい国民の支持を集めた有力公約でしたが、実際にやってみると、受診できる病院は事前登録制で、居住地の医療機関であり、例外の病気がいろいろ出てきました。それでも貧しい人々にとっては救いでしょう。しかし、病院は患者数に応じて受ける予算が少なく赤字になり、脱落して行く機関が続出します。特に私立が抜けていきました。
かくしてタクシンが華やかに政治の世界に出て首相となるのですが、政権をとると、公務員の機嫌もとります。バブル崩壊後の沈滞した経済状況下、民間企業が倒産が相次ぎ、失業者が増える中で公務員だけは毎年二桁の昇給があり、これまでなかったボーナスまで作られました。
これまで非合法に行われていた公営宝籤の下二桁、三桁を当てる賭博に流れる金を求めて、政府が自らその賭博の胴元となります。一枚20バーツで最高2000万バーツが手に入るのです。利子で生涯食べていけるとなれば国民の中には夢に溺れる者も出てきますが、それ以上にタクシン政府は、それで得た収益をどのように使ったのか、大きな疑惑となって残りました。
また、麻薬撲滅運動として、内通を奨励し、逮捕した警察への報奨金まで用意しますが、この撲滅戦を宣言したわずか数ヶ月の間に2000人を越える人が命を落としましたが、その過半は無実でした。中には宝籤に当選し、それを誰にも言わずに車を買った住人が密告によって麻薬容疑をかけられて殺されました。
また、南部では、官民合同の委員会が南部の人々のさまざまな不満を吸収し、不安な動きを抑えていましたが、政敵民主党の南部を自らの力で押さえつけようとしたのか、その委員会を解散させます。すると案の定連日のように警察官が襲われ、町には爆弾が破裂し、校舎は焼かれる今の南部タイの惨状を引き起こしたのです。
それでも彼は国民に南部タイは平安だという印象を植え付けようと南部に視察に行って宿泊し、バスタオル一枚で入浴に向かう姿を写真に取らせて治安維持が出来ていることを宣伝しましたが、その彼一人を守るために王室警護の誰よりも多くの1000人余の兵が動員されています。
そんな不安定な南部に対して、神聖なモスクに銃撃を加えて多数の信徒を殺し、逮捕した住民をトラックに荷物のように載せて圧死させ、また、家族の目の前で連れ去られた住民は100人を超えます。イスラム教徒の絶対的信用を得ていた弁護士ソムチャーイが行方不明になったのもそうした事件の流れの中でのことで、犯人は警察官ではないかとされています。
また、言論界をも抑えようとしました。特に社会の木鐸であろうとする立場を堅持するネーション・グループは反タクシン的論調から睨まれ、公的情報機関は同社幹部の資産を不正に調査、公表することまでして口を封じました。
一方、これまで数十年遅々として進まなかった新国際空港を強行突破したのも彼の政権ですが、そこは汚職の塊といわれ、工事、機材の全てが汚職で汚れ、手抜きであったとされています。この建設に関わった日本企業が一番よく知るでしょう。
しかし、彼の絶頂も思わぬところで綻びます。すなわち、これまで盟友と信じていたソンティの反抗です。「マネージャー」という新聞のオーナーであるソンティがテレビでタクシンを批判し始めます。それは単なる仲間内での喧嘩に過ぎないようでしたが、彼の番組が閉鎖されるに及んで様相が一変しました。
これまで遠くで彼らの喧嘩を見ていた反タクシンの人々が、スリヤサイという人物の手によって結び付けられ、ソンティとタクシンの個人的な敵対関係が解消された代わりに、より広範な社会運動として再出発しました。そして、ここに市民連合が出来ました。石油公団、電話公社に続く一方的な民営化に反対の電気公団など公益事業組合も加わります。当初チャムロン陸軍少将は参加していませんでしたが、彼の希望(アルコール飲料関係企業の株式上場に反対)にタクシンが乗り気でなかった(タクシンの仲間の一人であったからですが)が故に、反タクシンのこの市民連合に合流しました。こうして彼らは、ソンティが主催する新聞と彼が始めたケーブルテレビASTVを通じてタクシンの汚職摘発を始めます。
(続)
冒頭の写真は、市民連合の中心人物五人。左より、ソンティ(報道機関)、ソムサック(官公労労組)、ソムキアット(教育者、民主党議員)、チャムロン陸軍少将(元バンコク都知事)、ピポップ(社会運動家)です。

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赤シャツは何をしたか

赤シャツは何をしたか
 
彼らが目指したものは破壊・・・破壊のための破壊・・・
これが非武装の平和的大衆運動ですか???
これが民主主義を求める無垢の民衆ですか???
平穏な社会を混乱に陥れる社会主義者と彼らに踊らされた愚かな民のもたらした恐ろしい事態
社会を乱す者に対する沈黙と迎合、妥協の結果が今のバンコクかも
 
 
画面の下に英語訳が出ています。

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