チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

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日本人とは

日本人とは
 
あなたは日本人ですか????
今、合法、非合法併せて夥しい数の外国人が我が国にやってきています。
たくさんの外国人が永住権を申請し、国籍を求めているようです。
国籍を持てば日本人なのでしょうか?
何が日本人である証なのでしょうか?日本語も解せず、日本の歴史・文化に誇りも持てず、それで日本人と称することを許せるでしょうか。
日本は日本民族が連綿として続く歴史の中で血と汗と涙で作り上げてきた単一民族国家で、多民族国家ではありません。
 
国旗と国歌は
日本国であることの象徴
独立と我等が父祖の犠牲に誇りをもって
我等は心を併せて直立して国旗に敬意を表わせ

これはタイ国内で毎日朝8時と夕方6時にテレビ全局で国歌の前に音声と共に流れるテロップを訳し、タイを日本に変えたものですが、こうした祖国愛を鼓舞することこそが正常な国のあり方ではないでしょうか。
 
皇室を敬い、君が代を愛し、国旗に敬意を払うことの出来ない人に日本人となる資格はなく、日本人であると称する資格はないのではないでしょうか。
君が代の歌詞に異議を差し挟む人は、皇室に対して邪な考えも持つ人だと言えないでしょうか。皇室を蔑ろにし、皇室に敬意を欠き、皇室に邪な考えを持つ人は、その一事で日本人である資格を失うのではないでしょうか。
 
 
皇室、君が代、日の丸
命を賭けてこれらを守る人々こそが日本という国を形成して来た日本人で、その日本という国の為に命を捧げた人々の一例が靖国の英霊です。
我々日本人が日本人である限り、皇室を敬い、君が代、日の丸に敬意を払い、靖国の英霊を始め、祖国の為に命を捧げられた全ての御霊に感謝の誠を捧げなければならないと思います。
皇室、君が代、日の丸に敬意を払うことが出来ず、靖国の英霊に感謝の気持ちを持たない人々に日本永住、国籍取得は許されるべきではありません。
 

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九人の乙女

彼女たちのことを忘れない
 
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北海道稚内市内の稚内公園に立つ氷雪の門は、祖国日本の樺太の地を愛し、命を削って開発を成し遂げ、命を賭して守ろうとしながら、樺太の地で亡くなった全ての日本人の為の慰霊碑です。祖国を追われた樺太島民の苦しみと命の叫びに耳傾けてください。
 
御製
「樺太に 命をすてし たをやめの 心を思へば むねはせまりくる」
御歌
「樺太に つゆと消えたる 乙女らの みたまやすかれと
たゞいのりぬる」
昭和43年9月5日、九人の乙女が命を落とした樺太を臨む稚内公園へ御行幸されました昭和天皇と香淳皇后両陛下は、畏れ多くも大御心溢れる和歌を詠まれました。
れないで下さい、彼女たちの献身と赤心を
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氷雪の門の横には、命を賭けて交換業務を全うした乙女たちを慰霊する像も立っています。
『交換台にも弾丸が飛んできた。もうどうにもなりません。局長さん、みなさん…、さようなら。長くお世話になりました。おたっしゃで…。さようなら』
 
「・・・交換台に向った九人の乙女らは、死を以って己の職場を守った。・・・静かに青酸カリをのみ、夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた・・・」
悲痛な叫びを最後に次々と自ら命を絶った乙女たちの心や哀れ・・・
   おとめの像           
作詞:松坂直美 作曲:成田武夫      
歌唱:高石かつ枝              
異国の土に その身は果てよと  
語り伝えん 乙女の姿        
帰らぬ九人の 気高きみ魂よ     
守れいとしの 父母の国
       
平和の鐘は 野山に響けど                  
逝きて帰らぬ 乙女よあわれ     
花咲き花散り 星さえ移れど     
永久にとどめよ 乙女の像      
                  
浜なすかおる 真岡のあの空     
沈む夕陽も 涙ににじむ
尽きせぬ嘆きを おろろん鷗よ           
今日も啼くかよ 北の海 
                    
    花の決死隊             
作詞:松坂直美 作曲:木村孤童
歌唱:高石かつ枝               
母が手縫いの 晴れ着きて
守る真岡の 交換台
みんなで死んで はまなすの
小さな小さな 花と咲く
九人は帰らぬ 決死隊 決死隊
 
おさななじみの あの人は
無事で越えたか 火の海を
受話器に母の 声がする
さよならさよなら 最後です
九人は帰らぬ 決死隊 決死隊
 
せまる銃砲 攻撃も
なんで怖かろ この生命
みんなで声を 高らかに
万歳万歳 花と散る
九人は帰らぬ 決死隊 決死隊
    
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昭和20年8月9日、ソ連軍は日本に宣戦布告すると北海道侵攻の拠点として南樺太の占領を目指します。戦車旅団に支えられた歩兵旅団を支援するように海からも北太平洋艦隊が上陸部隊を運びました。対する日本軍は歩兵一個師団の無勢で40万人を超える民間人が散らばる九州にも匹敵する面積の南樺太を防衛しなければなりませんでした。
非戦闘員への被害を防ぐ為に急がれた強制疎開。北海道への避難を急ぐ民間人を乗せた避難船すら、ソ連軍は容赦なく撃沈しました。
8月15日の玉音放送により、停戦を進める日本側に対して、ソ連はあくまでも武力制圧を目指して止まらず、多数の無辜の民間人が命を落としました。
次々と聞こえて来るソ連軍の足音。女性たちを疎開させようとする動きに対して、電話交換業務を止めることは樺太の通信を止めることであり、自分たちがやらなければ誰も出来ないと、自ら危険な地に残る決意を固めた乙女たち
8月20日、ソ連軍は、真岡町に艦砲射撃を行いました。響き渡る砲弾の炸裂音、飛び交う銃弾。
真岡郵便逓信局のその日の担当交換手は高石班長以下11名。ソ連軍艦船の接近の緊急連絡を受けて局幹部に報告連絡の後、志賀が緊急呼び出しを受けて計12名となりました。この緊急連絡の1時間後、ソ連軍艦船が真岡港に現れました。
真岡町に現れたソ連軍の攻撃は、民間人をも容赦することはありませんでした。近付く砲弾の音。真岡郵便逓信局の窓ガラスにもソ連軍の銃弾が飛来していきます。
ついに真岡郵便局にまで戦禍が及び、別館2階の逓信局の交換手12人が孤立します。
郵便局別館で孤立する交換手の中で、まず高石班長が青酸カリで自殺し、次いで可香谷が、そしてそれに続いて次々と計7名の交換手が青酸カリ、もしくはモルヒネで自殺していきます。それでもこの間、残る電話交換手は、他の可能な連絡先への電話連絡を欠かしませんでした。そして、伊藤が泊郵便局長に7人の自殺を告げ、自分も後を追うことを告げて電話を切りました。しかし、その時、既に松崎も自殺していたので、結局9名の乙女が尊い命を真岡郵便逓信局別館で落としたことになる。
事件から10日以上経ってから遺体は仮埋葬され、12月になってやっと火葬・本葬が行われました。
当初、軍命令による強制自殺と言う汚名を着せられた彼女たちは、その後、汚名が雪がれて公務殉職と認められ、昭和43年3月31日付で勲八等宝冠賞を授与され、御霊は英霊として靖国神社に合祀されています。
 
 
取り返せ!!北方領土

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士魂の誉れ

士魂の誉れ
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「士魂碑」
ヤルタ体制
F.ルーズベルト、チャーチル、スターリンは、昭和20年2月、密かに会談して日本占領政策を画しました。これがヤルタ密約と呼ばれるものです。米英首脳はソ連すらをも戦争に巻き込む代償に日本領土を勝手に割譲したのがこの密約においてであり、千島列島の割譲、南樺太のソ連領化、満州の港湾と鉄道の権益のソ連譲渡が決められました。しかし、日本があずかり知らないところで決せられたこの密約が日本を縛るものでないことは明らかです。
こうして出来上がった戦後体制がいわゆるヤルタ体制といわれるものです。このヤルタ体制の中でわが国は体外的には北方領土を奪われ、体内的には東京裁判史観によるGHQの日本破壊工作が行われました。
スターリンの日本本土侵攻・アジア侵攻への布石
そして、太平洋への出口としての領土拡張実現の第一歩として、ソ連は昭和20年4月5日、日ソ不可侵条約の延長をしない旨を通告してきました。しかし、条約は通告後も1年間の有効期間があります。
ソ連はヤルタの密約に従ってドイツ降伏の3ヵ月後の昭和20年8月9日、突如として日本に宣戦布告して満州に突入して来ましたが、これは明らかに条約違反です。ソ連が満州に侵攻してきたその11時間後、長崎に原爆が投下されました。
そして、8月15日の終戦後も彼等の野望は消えることなく続きました。千島列島を武力で制圧しようとするスターリンの野望の先は、太平洋への出口を求めての北海道北半分の占領でした。 
領土を守れ
昭和20年8月18日占守島東北端の竹田浜にソ連軍が艦砲射撃の援護の下に上陸、強襲して来ました。ここに戦後の日ソ戦が発生し、我が日本帝国陸軍は完勝しました
その部隊こそ「士魂連隊」即ち、戦車第十一連隊でした。
 
         
===侵攻して来る敵を撃滅せよ===
「俺が先頭に立つ」
「俺たちが戦わずして誰が戦うのか」
高橋永二連隊長以下函館駐屯地自衛隊員に士魂が甦る
 
東独が崩壊し、ポーランドがソ連の呪縛から解放され、ソ連そのものが崩壊した今、残るヤルタ体制の残滓が我が北方領土のソ連占領です。
2005年5月、当時の米国大統領ジョージ・W・ブッシュはラトビアでヨーロッパをめぐる歴史認識に関する演説を行い、ヤルタ協定を東欧諸国にとっての諸悪の根源であると非難し、ヨーロッパの分割を認めたことで、アメリカも一定の責任を持っているとの認識を示したそうです。ならば、ソ連による我が北方領土占領もまた同じ悪の根から派生したものであり、米国にその責があるのではないでしょうか。(参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%82%BF%E4%BC%9A%E8%AB%87
 
☆ソビエトロシアの裏切りと領土略奪を許さない☆
 

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日本人よありがとう

「日本人よありがとう」
この歌を聞いたことがありますか
         
日本人よありがとう

マレーシアの元上院議員、故ラジャー・ダト・ノンチック氏が作詞したこの言葉をよく噛み締めて下さい

ラジャー・ダト・ノンチック作詞 
田中舘貢橘作曲 
一、みずからもひもじい時に配給の
    わずかなパンを持ってきてくれた乙女ら 
    ああ日本は美しかった
    真白き富士の気高さと
    歌う黒髪瞳清らか 
二、空襲のサイレン鳴れば真っ先に
    僕らを壕に案内してくれた若者 
    日本人はひたむきだった
  アジアの為の戦いに
    力尽くして彼等は散った 
三、戦いに敗れた後の生きるすべ
    あてない街で励ましてくれた友らよ 
    日本人は親切だった
    独立のため生き抜けと
    握り合う手に涙こぼれた 
四、あの頃は苦しかったがアジアには
    平和おとづれ民はみな祖国を持った 
    ああ日本の若人たちよ心を継いで
    あたたかく共に栄える明日に進もう 
    ああ日本の若き友らよ
    心と心結び合い
    豊かなアジア共に築こう 
先人は感謝されることをしてきたを忘れないで下さい
         
真白き富士1_14401080.mpg
マレーシアの元上院議員、故ラジャー・ダト・ノンチック氏が私たち日本人に送るこの言葉をよく噛み締めて下さい
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです」(ラジャ ー・ダト・ノンチック)   (参照:http://www.ncn-t.net/kunistok/daitoasensohyoka.htm)

         
決断 第4話 マレー突進作戦 1
決断 第4話 マレー突進作戦 2


         
敵軍遂に白旗揚ぐ
故ラジャー・ダト・ノンチック氏の愛情溢れる苦言を胆に銘じて下さい
かつて日本人は清らかで美しかった         かつて日本人は親切でこころ豊かだった       アジアの国の誰にでも自分のことのように一生懸命尽くしてくれた                    何千万人もの人のなかには少しは変な人もいたし   怒りんぼや我がままな人もいた           自分の考えを押し付けて威張ってばかりいる人だっていなかったわけじゃない               でもその頃の日本人はそんな少しの嫌なことや不愉快さを越えて                     大らかで真面目で希望に満ちて明るかった                               戦後の日本人は自分たち日本人のことを悪者だと思い込まされた                     学校もジャーナリズムもそうだとしか教えなかったからまじめに自分たちの父祖や先輩は悪いことばかりした 残酷無情なひどい人たちだったと思っているようだ  だからアジアの国に行ったらひたすらペコペコ謝って 私たちはそんなことは致しませんと言えばよいと思っている                       そのくせ経済力がついてきて技術が向上してくると自分の国や自分までが偉いと思うようになってきて    上辺や口先では済まなかった悪かったと言いながら  独り善がりの自分本位の偉そうな態度をする     そんな今の日本人が心配だ                                      本当にどうなっちまったんだろう日本人は      そんな筈じゃなかったのに             本当の日本人を知っているわたしたちは       今はいつも歯痒くて悔しい思いがする        自分のことや自分の会社の利益ばかり考えて     こせこせと身勝手な行動ばかりしている       ヒョロヒョロの日本人はこれが本当の日本人なのだろうか                        自分たちだけで集まっては             自分たちだけの楽しみや贅沢に耽りながら      自分がお世話になって住んでいる          自分の会社が仕事をしているその国と        国民のことを蔑んだ眼で見たり馬鹿にしたりする   こんなひとたちと本当に仲良くしてゆけるだろうか  どうして どうして日本人は            こんなになってしまったんだ                                                 ラジャー・ダト・ノンチック                        (参照;http://ilovenippon.jugem.jp/?eid=364)
         
村下孝蔵 この国に生まれてよかった 〜富士山・・・駿河湾からの雄姿
☆民族の誇りを取り戻すは今☆

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硫黄島の英霊たち

嗚呼!!栗林忠道陸軍大将
栗林忠道陸軍大将・思い出の写真
「私はこの戦いを語り継ぐ事は日本にとって大切な事だと思う。何故ならば彼らは、祖国の為に究極の犠牲的精神を体現した人々であるからだ。」(「硫黄島からの手紙」の監督クリント・イーストウッドの言葉)
         
【硫黄島】忘れがたき壮絶な戦地/英霊に感謝と鎮魂
・・・サイパン守備の中部太平洋方面艦隊司令官南雲忠一海軍中将他が自決し、昭和19年7月9日にサイパン占領を宣言した米軍は、B29による日本本土空爆の為の中継基地として硫黄島攻略を目指しました。日本軍の抵抗の激しさから日本本土に残る婦女子を無差別爆撃により絶滅せしめる日本民族の殲滅を意図する作戦でした。そして、B29という巨大爆撃機の中継、補給、修理基地としての硫黄島の地理的条件が米軍の占領慾をそそりました・・・
民族殲滅の為の本土爆撃
祖国の同胞の命を一日でも長引かせようと鬼畜の国米国の圧倒的に優位な軍勢の前に敢然と立ちはだかった栗原忠道陸軍中将、千田貞季陸軍少将、そして市丸利之助海軍少将他2万余の戦士
一日持ち堪えれば、日本の同胞が一日生き延びる、万歳突撃を禁じ、土竜の様に地下に潜り、「余ハ常ニ諸氏ノ先頭ニ在リ」の言葉の下で生還の望みを捨てた最後の一兵までの徹底的持久戦を決意し、硫黄ガス噴出する炎熱地獄の大地をわずか一日水筒一個の水で只管掘り進むことを命じた栗林忠道中将の苦衷や如何
「硫黄島に死にに来た」と言う不退転の覚悟でこの硫黄島に赴任した帝国陸軍屈指の歩兵の専門家千田貞季少将が寄せ集め集団を錬度高い兵とする
市丸利之助海軍少将は、「我、今、我ガ戦イヲ終ワルニ当リ、一言貴下ニ告グルトコロアラントス」という言葉に始まり「卿等ノ善戦ニヨリ、克ク「ヒットラー」総統ヲ仆スヲ得ルトスルモ、如何ニシテ「スターリン」ヲ首領トスル「ソビエットロシヤ」ト協調セントスルヤ」とファシズム打倒を大義名分とする米国政府の矛盾を衝き又「貴下ハ真珠湾ノ不意打チヲ以ツテ、対日戦争唯一宣伝資料トナストイエドモ、日本ヲシテソノ自滅ヨリ免ルルタメ、コノ挙ニ出ヅル外ナキ窮境ニ迄追イ詰メタル諸種ノ情勢ハ、貴下ノ最モヨク熟知シアル所ト思考ス」と米国側の責任を問う「ルールベルトニ与フル書」を英文に訳させ、懐中に抱いて最後の攻撃を敢行す
         
硫黄島地獄の上陸作戦 US MARINE in IWOJIMA 1945

         
実録 硫黄島玉砕


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