チエンマイの原風景

古書を片手に霧の彼方の古都チエンマイを訪ねる旅です・・・

水底に消えた王国

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謎と神秘な伝承に包まれたままの初めてのタイ族の王国…伝説の英雄の出現で栄華を極めたのも僅か…そこに待ち受けていた白い鰻の恐るべき祟り…一夜にして水底に沈んでしまった町とは…

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共和政体の誕生

−共和政体の誕生−水底に消えた王国(7)

この白い鰻の話は、鰻が地震予知する、という古い日本の信仰を思い出させてくれますし、どこか大晦日にやって来た貧しい乞食を親切にもてなした貧者が正月と同時に黄金の塊を手に入れて長者になった、という日本の民間説話『年越しの客』を思い出させてくれます…ネ。ただ、ここでは長者ではなく、命永らえたのでしたが…チエンマイの昔話を読んでいると、時として日本の古いお話にあるような世界に出くわすことがあってビックリ…

一方、郊外に住む人々は、夜間に襲った三度に亘る魂も消え失せるかと思うような大地震が静まった朝、目の前にある筈のムアン・ヨーノック・ナコーンが消え失せていることを信じられない目にして、地震の恐怖以上に信じられない気持ちになった…でしょうね…ア〜〜コワイ。
身寄りのない寡婦一人が住むみすぼらしい掘っ立て小屋だけが無傷で残ったのが不思議でした。一切の建造物が一切の生あるものと共に一夜の内に消え失せた都を前に呆然と立ち竦む彼らは、とにかく老女を助け出して何が起こったのかを尋ねました。
老女以外の全ての人たちが河で捕らえた白い鰻を夕食の糧にしたこと、不思議な若者が老女の小屋にやって来たこと、若者が老女の外出を強く止めたこと。老女の口から語られる話は、人々を更に驚かせ、その若者こそ『白い鰻の精』に違いないと思いました…とさ。
それにしても、町中の人々を養い得るほどに巨大な鰻とは、どれほどのものなのか不審に思って尋ねる人々に寡婦は、それを見てみなさい、村人が鰻を引き摺った跡が河になっているでしょう…と言ったそうです。その河ですか?『メーラーク河(MEE LAAK)』―無理に訳せば、引き摺り河とでも訳すのでしょうか―と呼ばれているそうな。
身寄りもなく、鰻の分け前を持って来てくれる人もいない天涯孤独の寡婦が、何故詳細を知って後世に残したのか…なんて野暮なことは考えないでね。
お噺ですから…

こうして遥かかなたの王舎城より実の妹を妻に多数の従者を引き連れてこの地にやって来て竜王『ナーカパン』の導きで都を建設した『シンハナワットクマーン』より連綿と続いてきた『ムアン・ヨーノック・ナコーン・ラーチャターニー・チャイブリー・シーチャーンセーン』が一夜にして忽然と地上から消え去ったのでした。

さて、ムアン・ヨーノックはその後どうなったのでしょうか。
白い鰻の祟りなのか、どうかは兎も角として、一つの町が実際に大地震に襲われて水没したことは間違いないでしょう…ね。多分。そして、僅かに生き残った人々がみすぼらしい老寡婦の話を作り出したのか、本当に町外れに住んでいた捨てられた身寄りのない老寡婦一人残っていたのか、今ではそれを知る術がないの。でも知らないで伝承を信じているほうが楽しい…カナ。全ての謎を飲み込んでヨーノックの町は水底に沈み、今も静かに眠っています。
残った人々は申し合わせて身寄りのない老女を大切に世話しながら自ら村を管理していかなければなりませんでした。しかし、そこにはもう王侯貴族は一人もいませんでした。ただの平民だけでした。
こうして平民の統治が始まったのです。これを『共和制』というのでしょうか、彼らは長老会議のようにして指導者を選んだようです。まず、『クン・ラン(KHUN LANG)』という人が指導者に選ばれました。
彼らは、水底に沈んだムアンに代わって東方に一つのウィアンを建設して『ウィアン・パークサー(WIANG PAAKSAA)』と名付け、新たな歴史の幕を開けました。パークサーというのは北部の方言で、タイ標準語で言えばプルックサー(PRUKSAA)となり、その意味は「協議する、相談する」です。即ち、彼らは集団指導体制を採用していたのかもしれません。
こうした平民の統治は、その後93年11代に及びました。

これがシンハナワット伝、チエンセーン伝に見るムアン・ヨーノックの輝かしくも悲しい話です。

そして、いよいよチエンマイに繋がる話が始まるのです。
この白い鰻の話が古い時代の終焉と次の時代の幕開けなったのも不思議ですが、その継ぎ目は深い…深い霧に包まれ、謎でもあり、伝説・伝承でもあり、御伽噺でもあります。
それについては後日探って行きます。

(-水底に消えた王国の巻-了)

次は、日本の国作りのお話にも似た『天孫降臨物語』よ。

続・白い鰻の祟り

−続・白い鰻の祟り−水底に消えた王国(6)

伝承は、どれほど詳細に尤もらしく述べていても所詮は伝承ですから、それが真実である…などとは言えません。でもね、全くの出鱈目…というのもあんまりじゃないですか。伝説・伝承の中にも何がしかの真実が隠されているのよ、きっと。だから人々に支えられてきているのだと思うの。このお話だって、タイ族が少なくとも今の場所とは違うどこかからやって来た、そして、先住民たちと時に共存し、時に争いながら徐々に地盤を強固にして行った、とだけ考えれば納得できるんじゃないかしら…そして…

巨大な鰻を見た村人たちは大声で人を呼び集め、大騒ぎの末に捕らえたの…
誰もが力を出し合って手に入れた巨大な白い鰻なんですが、それをどうしようかとなったとき、村人たちは自分たちだけで分けよう…などとはしなかったみたい…。やはり『白い』からかしら、砂糖椰子の幹ほどもある巨大な白い蛇を苦心の末打ち据え殺して捕らえた村人は、躊躇うこともなくそれを引き摺って行って王様に献上しました…とさ。
王様のマハーチャイチャナは生まれて一度も見たことのない巨大な白い鰻にどれほど感激したことでしょうか。残念ながらその時の彼の言葉は伝承に残ってはいないの…
でも…彼はそれを独り占めするほど吝嗇家ではなかったみたいよ。勿論、一人で食べきれるほどではなかったでしょうけどね。でも、マハーチャイチャナは白い巨大な鰻を目にしても、そこに神聖なものを感じなかった所が不幸の始まり…。ここに悲劇が生まれた…のでした。
彼は、寛大な気持ちでその白い鰻を切り分けると、住人たちに分け与えて皆で分けて食べることにしました。刺身…にはしなかったでしょうけど、鯵のたたき宜しく鰻のたたきにして芥子、大蒜をたっぷりといれたラープを作って食べた人がいるかもしれませんし、炭火焼で食べた人もいれば、スープを作って食べた人もいたかも…ン?
兎も角、その日の夕食は、ヨーノックの町中の全民家で思い思いに鰻料理を作ったものですから、町中が鰻の美味しい匂いに包まれました。そして、それは多分村人たちの誰一人として生涯口にしたことのない美味だったのでしょうが、結局、これが彼らの『最後の晩餐』になったの。
でも、世の中には得てして例外、というものがあるようで…ここに一人だけ鰻料理の相伴に預からなかった人がいました…奇跡。
町外れのみすぼらしい掘っ立て小屋に住む一人の老女だけは、どうしたわけか、美味しい鰻料理の御相伴に預かりませんでした。それでもひがんだりはしなかった…ようよ。少なくとも伝承には載ってないわ。残念ながら彼女の名前も残ってないのね。

その夜、町中の誰もが美味しい鰻料理に舌鼓を打っている頃、そんな老女の所に見るからに高貴な感じの一人の美成年が現れました。若者はお婆さんに一口の食と休息の場を求めると、お婆さんは快く受け入れて貧しいながらも出来る限りの食事を調えました。
差し出された粗末な食事を口に運びながら聞きました。
「この町にはいい匂いが満ちているが、何を食べているんだい」
「鰻を食べているんじゃよ、若いの」
「で、どうしておばあさんは食べないの」
「わしには子供も親戚もなく、連れ合いもずっと前に亡くなった一人身で、誰も持って来てくれる者がいないんじゃよ、若いの。だからこんな粗末なものしかないワイ」
「それでいいんだよ」
若者は、そう言うと続いて
『どんなことが起こっても俺が帰って来るまで決して外に出てはいけないよ』
と謎の言葉を残して外に出て行きました。

その夜、未だ宵の内に天地をひっくり返すかのように大地が揺れ、天空を引き裂く雷鳴が轟きました。老女は、恐怖の余り飛び出そうとしましたが、先ほどの若者の言葉を思い出すと、恐怖に足が竦みながらも辛うじて小屋の中に止まりました。
暫くすると静寂が戻り、いつもの夜に戻りました。
睡魔が襲う深夜、先ほど以上に大地が再び激しく揺れ、大音が轟きました。魂も消えるかと恐怖する老女は、若者の言葉を信じてそれでも小屋から出るのを必死に堪えました。
やがて大地は静まり、唸る様な地鳴りの音も消え失せました。
そうして夜明け前、三度大地が揺れ、大音が轟き、これまでの二回以上に激しく恐怖を誘うものでした。恐怖に襲われた老女は終に耐え切れず、若者の言葉も忘れ、部屋を出てしまったの。
おばあさんは、階段口に立って愕然としました。
といって老女が二階建ての家に住んでいたのではありません。タイ人の伝統的家屋は高床式で、階段を上がっていかなければ建物の中に入っていくことが出来なかったの。それは道端に立つ粗末な掘っ立て小屋もまた同じようなつくりでした。
だからおばあさんは、部屋を出て地面に下りる階段口に立ったのね。
老女は、目の前にある筈の見慣れた町の光景が消え失せ、一面に水が満ち、町は水に飲まれて巨大な沼と化し、自らの小屋がその沼の中にポツンと立っていることを知りました。
町は水の中に呑まれ、巨大な沼となっていたのでした…。ああ〜〜

(続)

白い鰻の祟り

ー白い鰻の祟りー水底に消えた王国(5)

これまでお話の主人公は、プロームマクマーンで、彼についてしか触れませんでしたが、プロームマクマーンの兄、トゥッキッタの守る国ヨーノックはどうなったのでしょうか…そもそも、名前からして不公平だと思いませんか…梵天の名前を冠している弟に対して『不幸』を名前に背負わされているなんて…可哀想。

でも、この話は、トゥッキッタの領国で起こったことなの…それも世にも恐ろしいことなの…そう、それが本題なのよね。だからやはり彼の名前には『不幸』が付かなければならなかったのかしら…
ヨーノック・ナコーンを守るトゥッキッタクマーンは、ムアンを統治すること14年、プロームマクマーンに先立って御年70歳で亡くなりました。
次いで王位に就いたのは、46歳の息子のマハーワンナ(MAHAAWANNA)でした。このマハーワンナは、ムアンを統治すること12年にして亡くなり、次いで王位に就いたのが、マハーチャイチャナ(MAHAACHAYCHANA)でした。
前述の書では、時に仏暦998年(西暦455年)のことだといっているのね。とすると、ハリプンチャイより何百年も前の話になってしまうけど…まさか…ネェ。
マハーチャイチャナという勇ましい名前にしては、伝説に見る彼の履歴では何の戦争もありません。逆に彼の名前はシンハナワットを始祖とするヨーノック王国最後の王として歴史に残ってしまったの。
そう。この王の時に『ムアン・ヨーノック・ナコーン・ラーチャターニー・チャイブリー・シーチャーンセーン』がこの世から消え去ってしまったの。それも一夜のうちに。

何とか本題の主人公『白い鰻』の登場する場面を迎えることが出来ました…よかった。ホッ。
白い動物に神聖さを求めるのは日本人だけではないようですね。タイ人も白いものに霊を感じるようです。今もチャーン・プアック(CHAANG PHUAK=白象)は通常人の保持は許されず、王室に献上されるのが常です。
チエンマイの建国神話にも白い鹿が出てきますし、ラムプーンの伝説には白い鶏まで出てきます。
マハーチャイチャナが王位に就いて1年という伝承もあれば、5年とも8年とも言いますが、はっきりしません。ただ、仏暦1003年7月下弦の7日の土曜日ということでは一致しています。これも伝説ではですよ。
ここで言う7月がどの暦によるものか定かでありません。西暦でないとすれば(多分違うでしょうが)チエンマイの暦では現在の4月になりますし、バンコクの暦では現在の6月になります。ともかく、当時は月齢ですから、こうして今の我々には馴染みの薄い下弦という言葉が出てきます。
コック河に魚釣りに出た村人はとても不思議なものを目にしました。
魚を獲っていた村人は、とんでもなく巨大な白い鰻を目にしたのでした。伝説に見るその大きさは、砂糖椰子の幹ほどもあったといいますが、その砂糖椰子なるものの大きさをあたしは自分の目で見たことがありませんので、ここでどのくらいかなどといえないのが残念…。でもね、伝承では述べられているのよ、まるで見た来たかのように…講釈師の世界…ネ。西暦1973年のプラヤー・プラキッチャコーンチャック版の『ヨーノック王朝年代記』では全長7ワー(14メートル)あったというのだけど、信じられる??村人総出で巨大な白い鰻捕獲作戦が開始されました。といえば勇ましく、苦労の数々が述べられるか、と期待を抱かせますが、伝説は肩透かし…
村人は原始的に丸太棒を持ってその白い鰻を打ち据え、追いかけては打ち据え、終に仕留めました。
でも…チエンマイ、チエンラーイの川で鰻が獲れる…そんな話を聞いたことがありますか???あたしは寡聞にして聞いたことがないの。誰か教えて…
もしかして、大鯰???
昔、頭だけで何十キロもの大鯰を見たことがあるの。タイ語では、プラー・ブック(PLAA BUK)というのだけど…プラーが魚という意味だから、名前はブック???なんて分けの分からないことはさて置いて…それかしら???でもそんな大鯰はメコン川にはいるけど、コック河にもいたのかしら…余談ながら、その大鯰、世界でメコン川にしか生息しないらしいんだけど、中国が巨大ダム建設時と河船通行の便宜を図る為の瀬爆破に用いた無数の爆弾の影響で、姿を見かけなくなったらしいが寂しいわ。村人に言わせると、大鯰は大変に神経質で少しの音にもすぐ反応してしまうんですって。
それとも巨大な鰐???
後年チエンマイの王が巨大な蛇に喰われて亡くなったという話が出てきます。
その時の犯人は鰐のようですが…
ここでは、そんなことはさておき、白い鰻としておきましょう。その方がどこかロマンを感じるの。変ですか?

(続)

忍び寄る衰亡の予感

−忍び寄る衰亡の予感−水底に消えた王国(4)

チエンマイの素顔を探す旅なんですけど、未だチエンマイに来れないみたいなの。チエンマイに来る前にあの人たちが何処にいたのか聞いてみたいじゃない???聞きたくないか…そんなもの。
プロームマクマーンの英雄伝は、なんか、北の諸民族共通の英雄、伝説の人物クン・チュアン(KHUN CUANG)の話に似ているんですね…不思議なくらい。…プロームマクマーンも伝説の人物なんですけどね。英雄物語を作るのは共に16歳の時のことで、どうやら二人は同じ伝説を共有しているみたいなの。ただいつか話したいと思ってるんだけど、クン・チュアンはナーンに行ってはそこの王女を妻にし、ケーウを破ってはその王女を妻とするなど、行く先々で女性を手に入れてるのよ…まあよく言われる英雄色を好むかしら…男の身勝手…ネ。パヤウの英雄だとか、ラーンチャーンの英雄だとか、勿論この話のチエンマイの歴史にも欠かせない英雄なんですけどね…様々な国に関わっているみたい。でもね、このプロームマクマーンはヨーノックにしか出て来ないのよ。ここが違うわね…

ところで、この前は、プロームマクマーンの生誕と彼のコーム殲滅についてその概略を極端なほど手短に書きましたが、その後どうなったのかしら。

コームを南に放逐し、平和を取り戻したタイ人たちの町は、プラオン・パン亡き後長男のトゥッキッタが統治するヨーノックと次男のプロームマクマーンの統治するチャイプラーカーンに分かれ、共に富み栄えました。こうした伝説からすると、当時既にタイ人は現在のチエンマイ県の北部ビルマとの国境添いに進出して町を建設していたことが分かります。同時にタイ族のこの地への侵入路も何となく見えてくるような気がしませんか…?
タイ人の南下と現在のタイ国領内への進出は、急速に進行して行ったのでしょう。
しかし、タイ人が南下してピン河流域の広大な緑の平原に居住地域を拡大していこうとしている当時、遥か西方では着々と力を蓄え、いつの間にかタイ人と対等に争うまでに強力な基盤を構築している民族がいることに気付きませんでした。その西方の野蛮人というのは、コン河(今のサルウィン河)の辺にいたといいますから、どうやら今のビルマの少数民族ででもあったのでしょうかね。
それでも英雄プロームマクマーンが健在の間は誰も敢えてこの二つのムアンに戦いを挑もうとする勢力はありませんでした。しかし、プロームマクマーンが御年77歳で亡くなり、48歳の子供のチャイシリ(CHAYSIRI)が王位に就くと形勢は妖しく曇ってきました。

西暦1995年のパイトゥーン・プロムウィチット氏の『ムアン・チエンセーン伝』では、プロームマクマーンは59年の永きに亘ってチャイプラーカーンを統治し、73歳で亡くなったとしています。彼がコームを討伐したのが16歳で、59年の統治であれば、少なくとも亡くなった時は75歳でなければなりません。しかし、そんな歴史・年代の細かいことはここでは横においてお話に徹しましょう。そもそも、存在そのものが伝説の中にあり、この種の本の特徴で年代は当てになりませんから…時には、名前すらも違っていたりしますから…御話だけを楽しんでください。
当時西方にいて力を蓄えていた蛮族の長プラヤー・スタムマワディー(PHRAYAA SUTHAMAWADII)が170万の大軍を擁して攻めて来ました。170万とは大した軍勢ですが、ここまで誇張すると楽しいですね…伝説ですから…ね。敵襲来にチャイシリは勇敢に戦い、敢え無く敗れ去りました。というと潔いみたいですけど、伝説に見るところでは、敵襲の報を聞き、敵の挑戦状を受けたチャイシリは占星術師に占わせました。今も昔もタイ人はこうした占いが好きなようですね。大事な国の命運を占いに掛けたのですから。ただ、彼に代わって弁明するなら、それも古代国家としては当然かもしれませんね。中国古代の殷の時代にも占いを盛んにしていたそうですから…
占いの結果、敗北を知ると、戦おうとはせずに全住民を揚げてスタコラサッサ…と長い逃避行の旅に出ました。逃走に先立ち、必要な家財道具・食料を携え、携行出来ずに後に残す物に火を放ち、敵の手に残らないようにした、といいます。後から来た占領軍は困ったでしょうね。この点は軍人らしいですね。
…全ては伝説ですから…ね。
チャイシリは多数の従者を引き連れて親戚の従兄弟に当たるヨーノックの王を頼って逃げて行こうとしましたが、クッカナティー河(コック河)が洪水で越えることが出来ず、仕方なく河に沿って東に向かって逃避行を続けました…とさ。この地域は今も昔も河川の氾濫が絶えずあったようです。
こうして辿り着いたのは、かつて父のプロームマクマーンがコームを追撃してヴィシュヴァカルマンの建設した金剛の壁で遮られた、その場所でした。その時、インドラ神の化身が現れて―好きですね…―この地に国を建設せよと告げました。
こうして出来たのがカムペーンペット(KAMPHEENGPHECHR)で、この時以来タイ族の国は南北二つに分かれたのでした…??????北の伝説では…ね

(続)

−伝説の英雄・プロームマクマーン生誕−水底に消えた王国(3)

人は、移り行く時代の中で時として同じ話を繰り返して作り出し、語り継ぐのでしょうか。
民族の英雄を忘れることが出来ず、同じ話ながら時と場所を変え、名前を変えて幾度も幾度も伝承の中に登場させて語り継いできたようです。

シンハナワット以来400年余りの後―伝説ですよ―第43代目の王位に就いたのはプラオン・パン(PHRAONGKH PHANG)ともプラオン・パンカラート(PHRAONGKH PHANGKHARAACH)とも呼ばれる王でした。陸路4泊の距離にいるコームが息を吹き返したのはこの王の時で、パン王は、可愛そうに『ウィアン・シートゥアン(WIANG SIITUANG)』という町に追放され、王位すら奪われ、単なる村の指導者の地位に落されてしまいました。そうして1年が経過すると王子が生まれました。苦難の人生の中で生を受けた王子に付けられた名前は、ツッキッタ・クマーンでした。苦悩の王子という意味なんでしょうか…そして、更に2年が経過して今一人の王子を儲けました。ブラフマンの如く眉目秀麗で高貴な雰囲気を漂わせる王子にパン王は、『プロームマクマーン(PHOHMKUMAAR』)』という名前を付けました。すなわち、この物語の主人公の誕生でした。
この王子を胎内に宿した后は、むやみに武器を欲しがり、王に武器の調達を求め、生血を欲したそう…なんて怖いんでしょうね…
実は、これにも伝説があって、一人のウィアン・シートゥアンの沙弥―この頃この地に仏教がそれほど深く浸透していたのでしょうか−不思議な気がしますが−がコームの王プラヤー・コームダム(PHRAYAA KHOOMDAM)のもとに托鉢に行くと、王はそんな下賎なウィアン・シートゥアンの沙弥になど布施する物はなく、誰も布施してはならんと厳しく命じました。そこまでしなくても良かったのに…沙弥が可哀想。それとも当時からコームとタイ人は仲が良くなかった、と言いたかったのでしょうか。その沙弥は王の仕打ちに腹を立てると、托鉢の鉢を頭上に捧げて仏塔に願掛けしました…即ち、死後パン王の后の胎内に宿り、生まれ出た暁には、父母に愛され眉目秀麗で武芸に秀で、一人残らずコームを駆逐しますように、というものでした…恐るべき執念ね。そして、願を掛けるとその場で絶食に入り7日目に命絶えたのです。
こうした恐るべき願掛けの末に生まれ出た王子は、願いのままに眉目秀麗で武芸に秀で父母の愛を一身に受けて育ち…祈願の通り???そして、7歳にして武芸に習熟し、13歳にしてインドラ神の夢のお告げで『パーンチャーン(CHAANG PHAAN)』という名前の神霊の宿った白象を手に入れました。インドラ神がプロームマクマーンの夢枕に出て白象入手の方法を告げる場面とプロームマクマーンが手下の少年たちを連れて川に行き、その白象入手の場面も面白いのですが、長くなるので省略します…御免ね。
どうやらタイ族も聖なるものは白くなければならない、と考えていた見たいね。チエンマイ建設神話にも白い鹿が出てくるし、ラムプーンの伝説には白い鶏まで出てくるのよ…
そして、コーム駆逐の為に日々手下を集めて軍事教練に励み、自信がつく頃父にコームへの貢納を止めさせました。コームへの朝貢を一方的に停止してしまったの…エライヨ…僕。当然コームが怒ることが予想できましたが、プロームマクマーンは意に介しませんでした。
貢納停止が3年に及ぶプラオン・パンに怒りを覚えたコームは、終に征伐の軍を挙げました。時にプロームクマーンは僅か16歳の少年に過ぎませんでした。でも、昔の男の人は今の男性よりも逞しかったのね…。でも未だ子供のプロームマクマーンは意に介することなく、至玉の神霊が宿った白象に跨り、仲間を率いて迎撃に出てコームを蹴散らしてしまいました。
なんか日本の義経みたいだし、貢納を止めさせたのは、遥か後世のパヤー・クーナーがホーに対する貢納を止めたのに似ています。それほど自信に満ち溢れていたのでしょうね。その当時は。
敗れたコームは、占領していたムアン・ヨーノックを捨てて南に逃げて行きましたが、プロームマクマーンは追撃の手を緩めることなく容赦なく攻め続け、殺し続けて留まることを知りませんでした。彼に疲れはなく、休息もなく、ただコーム殲滅だけしか考えていなかったらしいの…まるで…鬼ね。
それを見たインドラ神が今度はびっくりしちゃって、このままだとコームが全滅してしまうと、建設の神様ヴィシュヴァカルマンに命じてプロームマクマーンの南下を妨げる壁を作らせました。その壁は神が創ったもので、さすがのプロームマクマーンもそこを超えて行くことは出来なかったといいます。伝説ではコームたちは遥か南の大海まで落ち延びたといいます。
それでコームは辛うじて全滅を免れた…とさ。良かった…良かった。
そのプロームマクマーンの南下を妨げた神様の壁?そこは、今では町となって残っています。
その町?決まってるでしょ、カムペーンペット―金剛の壁―よ…でも本気にしないで下さいね。カムペーンペットの皆さん。所詮は北の伝説なんですから…。
そこで、プロームマクマーンはやむを得ず引き返してきて、父を呼び寄せると元のムアン・ヨーノックの町を統治させ、自分はコームの逆襲に備える為に南に新しい町を作りました。それが今の『チャイプラーカーン(CHAYPRAAKAAN)』。チエンマイ県のずっと北、ビルマとの国境近くにあるでしょ。
こうして、古都を奪い返したタイ人は自由と独立を取り戻し、プロームマクマーンはタイ人初のコーム駆逐の栄誉を受け、タイ人の町に平和が訪れました。

現在、この北部タイがタイ人の国となっているのもこのプロームマクマーンの活躍のお陰…?…なのかしら…?

(続)

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