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チエンマイの民間信仰−11−
いつの日にか、宗教にとって避けて通れない人生の最後、死の扱いについてタイ人が如何に考えているのかを記してみたいと思いますが、ここでは、自らの見聞を中心としてその様子を簡単に記して見ます。
チエンマイにおける葬儀について見てみますと、面白いことが見えてきます。即ち、チエンマイにあっては、タイ中部、東北部に見られるような寺院境内における荼毘がないことです。
街中にあっては、遺体は通常寺院に運ばれ、そこで葬儀が執り行われます。
当地を旅され、有名寺院を訪れた方は目にされたことがあるかもしれませんが、寺院本堂傍の建物、通常そこはシャッターが下ろされて人の気配はありません。しかし、葬儀があると、棺はその堂に運ばれて安置されるのです。1週間近くに亘って遺体は安置され、昼夜の読経に合わせて連日親類縁者がやって来て焼香しています。
我々日本人には驚きに見えますが、そこには一粒の涙も見られないのです。
『死』は必ず誰にでも訪れる摂理であり、避けて通れないことであると同時に、『死』は現世の『苦』の消滅を意味しているからなのでしょうか。『悲しみ』で『死』が覆ることがないことを知っているからなのでしょうか。それとも、悲しみの表情を表さないことで残された遺族の悲しみを少しでも和らげようとする配慮からなのでしょうか。
参列者の多くの顔には笑みすら浮かんでいます。そして、久しぶりに顔を合わせた人たちは、互いの消息を伝え合っています。そして、予定通りの葬儀が終わると、遺体は車に乗せられ、車列を組んで城外にある火葬場に送られます。
そうなのです。ここにあっては、遺体の荼毘は城内で行われることがありません。それは、今も昔も変わることのない決まりなのです。
目を郊外の集落に向けますと、さらに古い習慣が残っています。遺体は自宅に安置され、幾日かに亘って僧侶を呼んでの昼夜の読経があることは市内の場合と変わりはありません。荼毘の前夜には、遺体は家屋から引き出され、庭先に安置されます。
その時巨大な傘が翳されます。
葬儀の間、村人たちは、寄り集まって互いに手分けして肉親に代わって一切を取り計らいます。ある人は木を切り、土を均して駐車場を作り、棺を安置する部屋の片付けを手伝い、時には遺体の着替えさえ手伝います。そして、女性たちは、そうした手伝いの人たち、参列者に差し出す料理を作ります。
全ては自然に出来上がる組織なのです。誰も命令することがありません。そこにはいまだに古くからの村落共同体が見られます。そして、荼毘の日には、台車に乗せられた棺は、僧侶、親族を先頭にして村人たちが力を合わせて近くの火葬場まで曳いていきます。
時に午後1時頃のことです。
狭い田舎道は、葬儀の行列で渋滞すら起こします。
こうしたことから分かるとおり、チエンマイにあっては、決して遺体を寺院で荼毘に付すことはありません。何年か前、筆者の住む村の寺院の住職が亡くなった際にも、荼毘は、寺院の外、門脇の臨時火葬場で執り行われました。このことからもチエンマイの仏教がタイの他の地方の仏教と若干の相違を見せていることが分かります。
まさに、宗教は人の作るもので、その地方、民族の特性を現しているといえるのではないでしょうか。
そして、火葬場に運ばれた棺は、メーン(MEER)と呼ばれる塔に移されます。
これも田舎に行けば、塔ではなく、広い野原の一箇所に棺を置く台が下駄の歯のように設えられています。その台の間の窪地には幾本もの古タイヤが置かれています。須弥山を模した木製の塔が棺に被せられると、参列者からはまさに天上世界の出現のように思われます。
そして、参列の人たちは、少し離れた席に着すと、主催者よりの挨拶、僧衣献上者および、それを拾い上げる僧が呼ばれ、遺体に対する最後の読経が行われます。そうした一連の行事が終わる頃、参列者には白檀などの香木の芯材から作られた、小さな蝋燭が添付された小さな花(ドークマイ・チャン―DOOKMAI CANTHN―と呼ばれます)が配られます。
行事の終了後、参列者は粛々と棺に向って最後の別れをすると同時に手にした小さな花を捧げます。そうです、これも一つの荼毘の道具だったのです。
献花を終えた参列者が元の席に戻ってくると、葬儀の最後の瞬間を待ちます。
その塔に向って参列者たちのいる席近くから一本の鉄線が走っています。全ての行事が終わるといよいよ点火です。鉄線の端に取り付けられた花火に点火されると、シュルシュルと音を立てて鉄線を伝って棺に向って飛んでいきます。
木製の須弥山にたどり着くと、どこからともなく非常に高音の玄妙な音が響き渡ります。勿論楽団などはありません。それは、まさに釈尊の入滅の瞬間、時ならずして天上の楽の音が響いたと言う仏伝を思い出させてくれます。
仏塔の周りに火花が散ると忽ちにして塔は火に包まれます。その火を合図にするかのように、参列者たちは帰途につきます。間もなく帰途についた参列者たちの遥か後ろで黒い無常の煙が立ち昇ります。
一方、市内の火葬場に運ばれた棺はさすがに野辺に積まれることはありません。コンクリート製の塔に到着すると、棺を飾った須弥山を象った木製の塔が解体され火葬の木に変わります。こうしたことはその職専用に人がいて彼らに任されます。
火葬の塔には祭壇が設けられ、延々と僧侶への僧衣献上の儀式が続きます。
参列者の手には小さなドークマイ・チャンが握られていること何処も同じです。僧の読経が終わると、参列者は最後の別れと献花に棺に向います。献花を終えて塔を離れる参列者に記念の品が配られるのは市内も郊外も同じですが、著名人、もしくは、その親族であれば、その時に小冊子が配られることがあります。これがいわゆる葬式本と言われるもので、貴重な歴史、仏伝、物語が記されていたり、また亡くなった人および家族の履歴が記されたりする貴重なものです。
そこには田舎のような鉄線もなく、楽の音もありません。献花が全て終わると、棺は献花のドークマイ・チャン共々塔の中に移され、固く鉄の扉が閉じられます。
やがて煙突から黒い無常の煙が立ち昇る頃、人々は帰途に着きます。
(了)
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