|
ナーン・チャーマテーウィー伝−14−
ムアン・ハリプンチャイと故地ムアン・ラウォーとの数度にわたる戦いは、いずれのムアンも決定的な勝利を得ることが出来ませんでした。ムアン・ハリプンチャイとしては、ラウォーの開放に成功しなかったとはいえ、ラウォーの侵攻をも食い止めることが出来たので、まずは一安心だったのでしょう。
そんな幸運ともいえる出来事に、ハリプンチャイの官民は安堵し、町を飾りつけると神々を祀りました。
そんな人々の信仰心を愛でたのでしょうか、シヴァ神がヤーンサーイ樹(MAI YAANG THRAAY)と言う名前のフタバガキ科の樹を生ぜしめたといいます。この樹は今どこにあるのでしょうか。チエンマイからラムプーンに向う旧道のヤーン樹の並木は明らかに後世のもので、この話のものとは違います。
この樹は、シヴァ神の霊力によって地上に芽吹いたご神木に相応しく、成長すると、不思議な白い鶏がどこからともなく表れてこの樹の頂きに住み着き、その美しい鳴き声は人々の心を和ませたと言います。
一方、ハリプンチャイの人々の心を和ませた白い鳥の美しい鳴き声は、どうした訳か、クルン・ラウォーにまで響き渡るようになりました。しかし、クルン・ラウォーの人々はその白い鳥の鳴き声に心を和ませるどころか、恐怖に慄き、心振るわせたといわれます。
その鳴き声を聞いたクルンラウォーの王は、あたかも今正に鶏に捕らえられるのではないかと言う恐怖心を起こすと心落ち着きませんでした。そこで、占星術師たちを呼び寄せてその対策を講じさせました。
占星術師たちが言うには、「そのムアン・ハリプンチャイの守護鶏は、生まれたばかりであり、如何程の威力を持っていようとも、この世に現れて久しい大人であり、あらゆる事象を知る、プラ・ナコーン・ラウォーを守護する守護霊に匹敵する周到な能力は持っていないでありましょう。その守護霊を呼び寄せ、敵王の鶏の命を滅ぼしに行かせるべきであり、きっと成功するでしょう。・・・」と言うものでした。
かくして王の命を受けた守護霊は、沙弥に身をやつすと、ハリプンチャイにやってきました。沙弥は各地を白い鶏を求めて歩きましたが、どこにもそれらしい姿を見出すことができませんでした。
サルイ(SLUY)と言う名前の川にやってくると、そこには川の精がいました。ムアン・ハリプンチャイ守護の精霊の一人であるこの川の精は、眼に前に現れた沙弥がムアン・ラウォーからやってきた守護霊で、白い鶏殺害を目的とすることを察すると、ワニ(KUMPHIIL)に姿を変えて沙弥と戦いました。
余談ながら、ここに出て来るクムピーと言う言葉で表されるワニは、現実のワニというよりも想像上の動物と考えたほうがいいかもしれません。通常現実のワニはジョーラケー(COORAKHEE)と言います。日本で金毘羅さんと親しまれている讃岐金刀比羅という言葉は、ここで使われている KUMPHIIL と言う言葉に拠ります。思えば,金毘羅さんも海の神様で水に関係深いですから、原意が川のワニでることとどこかで繋がっているような気がします。
ワニと沙弥の戦いは、ワニが沙弥の体に噛み付いて噛み千切ることで勝負は決しました。勝負に敗れた沙弥の体から流れた血が川を下ってラウォーに流れ着くと、ラウォーの君臣は、自国の守護霊の敗北を知り、茫然自失として、気力も失せ、その後ムアン・ラウォーは衰退の一途を辿ったと言います。
こうした伝承は、ラウォーより放たれた密偵が道に迷った挙句に川でワニに咬まれて亡くなった、と言う事実を伝え残しているのでしょうか。
衰えるラウォーとは逆に栄えるハリプンチャイでは、プラチャウ・アーティットラートが新宮殿の建設を思い立ち、それに付随して厠を建設しました。
しかし、その厠建設の場所は、尊い仏舎利の安置場所であったようです。
プラチャウ・アーティットラートがそこに用足しに出ると、決まって1羽の白いカラスがどこからともなく飛んで来たといいます。烏は王の頭上を飛び交うだけでなく、突付き、羽で打ち、時には汚物をすら王の頭上に落としました。
度重なる不埒な白い烏の仕業にプラチャウ・ティローカラートは、側近にその捕獲を命じました。しかし、如何に努力し、鳥の捕獲に熟れた人を使っても白いカラスはそんな努力をあざ笑うかのように飛び回っていました。
白い烏は単なる烏ではなく、烏の王(PHAYAA KAA PHUAK)の孫だったのです。
そこで、プラチャウ・アーティットラートは、守護霊を祀る儀式を執り行って白い烏捕獲の援助を求めました。すると、不思議なほど簡単に捉えることができたと言います。王は、捉えた烏に神秘なものを感じると、殺す代わりに籠に入れておきました。
この話は、文部省の中等教育副読本「北の町の物語−重要人物編」にもほぼ同じ内容で収容されています。
王が白い烏を檻に入れて置いたその夜、夢に神が現れて言いました。その時の模様をその副読本では次のように記しています。
「王は、生まれて7日になる子供を連れて来るがよい。連れて来て烏の鳥籠と一緒に置き、子供に烏の鳴き声を毎日聞かせるがよい。さすれば、烏の言葉を解するであろう」
即ち、白い烏は王に何かを伝えようとしているのですが、それを解する為には生後7日の赤子に烏の言葉を習わせるしかない、と言うものでした。
こうして、烏と人間の赤子との奇妙な共同生活が始まりました。人間の赤子が成長して烏の言葉を解する頃には、烏もまた人間の言葉を解するまでになっていました。
子供が烏の言葉を解することを知ったプラチャウ・アーティットラートは、勅命を発して、子供に事の次第を烏から聞き取らせました。
烏が言うには「我が主たる王よ、王が御不浄所を建設された所は、仏陀の遺骨を安置する場所でこそあります。・・・遥か以前、この私の祖父である白烏の王がこの場所を守護しているように命じました。この地が聖なる地であることを知らない大王が清浄ならざる糞尿を流すであろう。そこで、私は、その場所において下品なことをされません様にと警告する為に不遜なことをなして妨害しました。もし王が私の言葉をお信じになられないようであれば、どうか、私を籠より離して下さい。私は、ヒマラヤの森より我祖父である白烏の王を連れて来て、詳細に亘って王に知らせるでありましょう。」
こうした話を聞いたプラチャウ・アーティットラートが白い烏を解放すとヒマラヤの山に向って飛んでいきました。やがて白い烏は白いカラスの王を伴って帰ってくると、白い烏の王は、仏陀の予見を告げ、法を説いて聞かせました。法を説き終わると、従者共々ヒマラヤの森に帰っていきました。
残されたプラチャウ・アーティットラートは、宮殿を打ち壊し、厠を壊して不浄を取り除き、土を埋め、そこに砂と金粉をふりかけ、芳香ある花で飾って仏舎利を供養しました。又住民にも仏舎利供養を命じると、人々は線香・蝋燭・花を手に供養にやってきました。
すると、そこから仏舎利を収めた箱が現れたと言います。しかし、副読本では、その箱は、「粉塵のように小さな仏舎利を収めた宝石箱」となっていますが、「ヨーノック王朝年代記」では、「バナナの蕾程の大きさの仏舎利を収めた宝玉の骨壺」となっています。
仏舎利の奇跡を目の当たりにして、プラチャウ・アーティットラートは、仏舎利を元の通りに地中に埋めると、その上に仏塔を建立し、周りに様々な堂を建立して寺院としました。
即ち、これが現在に至るもラムプーンの名刹として人々の信仰を集めているハリプンチャイ寺院(WAD HARIPHUNCHAY)です。
こうしてハリプンチャイに平和が訪れましたが、プラチャウ・アーティットラートの役目も終わったのでしょうか、間もなく亡くなりました。が、享年何歳であったのか伝承は残していません。
その後8代の王が続いた後、2代に渡って側用人が統治したと言います。
その後再び王家に戻り、5代の後、ハリプンチャイ王国最後の王パヤー・バー(PHAYAA YIIBAA)の時代に至りました。
(了)
ブログ仲間のご親切なご指摘を頂きましたので、訂正させて頂きます。
上より10行目
>心を和ませた白い鳥の美しい鳴き声
ココに出ている「鳥(とり)」とは、「鶏(とり)」のことで、変換間違いに気付きませんした。
ココに確認の上訂正させて頂きます。
(12/Aug.)
|