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群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす)という寓話があります。 パーリー経典ウダーナや六度集経などに収められている有名な説話で、ジャイナ教、仏教緒派、イスラム教、ヒンドゥー教などでも教訓として使われています。 この話には数人の盲人(または暗闇の中の男達)が登場します。盲人達は、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、それについて語り合います。しかし触った部位により意見が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まり、やがて互いにはげしく争うようになります。 「目には見えぬ象」 ヒンドゥー教徒たちが、見せ物にしようと象を連れてきた。 見物客たちは、象のつながれた暗い小屋へと入ったが、暗闇の中では、眼で見ることは不可能だったので、それぞれの手のひらで象に触れる以外には方法がなかった。 ある者は象の鼻に触れ、「この獣は水道管のようだ」と言った。またある者は耳に触れ、「この獣は扇のようだ」と言った。またある者は脚に触れ、「まるで柱のようだ」と言い、またある者はその背に触れた。「本当に、」その者は言った、「これは玉座のような生き物だ」と。 一人ひとりが光を放つろうそくをその手にしていたら、それぞれの言葉に違いはなかっただろうに。 ジャラールッディーン・ルーミー 「精神的マスナヴィー」3-1259. |
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私も久保田博士のCCSCモデルに出会うまでは境界潤滑問題に対して盲目でした。
[ 未熟なトライボロジスト ]
2018/6/24(日) 午後 3:44