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5 純粋経験(直接体験)
経験するというのは事実そのままに知るということです。 全く自己の細工を棄てて、事実に従って知るのです。 「純粋」というのは、普通に経験といっているものもその実はなんらかの思想を交えているから、全く思慮分別を加えない、真に経験そのままの状態をいうのです。 こういえば、なんだか混沌として無差別の状態と思われがちですが、経験はおのずから差別相を具えているのです。 たとえば今視覚として現れた一経験を指してそれを「花」と呼びこれについて さまざまな判断を下しても、経験そのものの内容になんの豊富をも加えないのです。 経験の意味とか、判断というのは他との関係を示すことであり、原経験より抽象した一部であり、その内容においては、かえって貧弱なものなのです。 学者のいわゆる「客観的」な見方は抽象的なものです。色と形とをそなえ生き生きとした草木からもっとも遠ざかったものです。 事実上の花は決して学者のいうような花ではなく、色や形や香をそなえた、美しく愛すべき花なのです。 わたしたちのさまざまな 差別的知識は、原経験を反省し、分析し、言葉にあらわしたもので、抽象的な空殻なのです。 「善の研究」 西田幾多郎 |
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