あとり&るりちゃんのおへや+仁くん

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^(≧◇≦)^卯月ですよ^(≧▽≦)^♪。

 四月になりましたね。卯月です。

春うらら。。。

久しぶりに。。花がはらはら、ひらひら、舞い散るような。。そんな情景を描いた

詩賦を読んでみようかなと思いたちました。

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『感婚賦』:(陳思王)曹植(そう ち 192−232年、字:子建、魏武曹操の五男)


【白 文】

陽氣動兮淑清、百卉鬱兮含英。
春風起兮蕭絛、蟄虫出兮悲鳴。
顧有懐兮妖嬈、用掻首兮屏営。
登清臺以蕩志、伏高軒而遊情。
悲良媒之不顧、懼歡媾之不成。
慨仰首而太息、風飄飄以動纓。


【読み下し】

陽気 動きて淑清たり、百卉は鬱として英を含む。
春風 起こりて蕭絛たり、蟄虫、出でて悲鳴す。
顧りみて懐うこと有りて妖嬈たり、用て首を掻きて屏営す。
清台に登り以て志を蕩し、高軒に伏して情を遊ばす。
良媒の顧みざるを悲しみ、歓媾の成らざるを懼る。
慨き首を仰げて太息すれば、風 飄飄として纓を動かす。

イメージ 2

【私  訳】

春の陽気が感じられると、多くの草木が芽吹き、蕾をつけはじめる。
春風も落ち着かない様子で、虫達も土中より這い出てうごめきだす。
このような季節だというのに、私は美しいあの人のことを思いだし心穏やかではいられずに、さきほどからも
頭を掻きつつ行ったり来たりするばかりだ。
静かで清らかな楼台に登り、思いを廻らせ、高閣の欄干にもたれて心楽しませよう。
悲しいかな、私にはよい仲人がいない。だから、このままでは望むような関係が成就しないのではないかと
弱気になる。
嘆きつつ空を見上げてため息をこぼせば、風はひらひらと冠の紐を揺らしたよ。

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 後継者争いに敗れた曹植は、魏王曹操(そう そう 155−220年)の死後、為政者となった兄曹丕(そう ひ

 187−226年:魏の文帝)(というよりは、その側近たち)から迫害を受け、その生涯の後半、度々の転封

によって、根なし草のような生活を送ることになりました。

そのせいでしょうか?。彼がごく若いころに詠んだこの賦は、断片的にしか、伝わっていません。 


 年を追うにつれ、微妙に読みての解釈がかわっていく。。

この『感婚賦』は、そういう不思議な詩賦の一つです。

かくいう私もそうで。。数年前までは、『この不埒者めが。。』と思いながら読んでいましたが。。

今日改めて読んでみると。。

『まあ、なんとかわいらしいこと。。』

などと、思えてしまうのでした。

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曹 月 オ カ メ: 『ねえねえ、^(・▽・)^うちのごっつい征南将軍※1)さん♪。
             じぃーじー。。年度も変わったし。。なんか、とにかく、がんばってね。。』        

曹 仁※2)オカメ: 『^(▽Д▽)^おっしゃー。。』

イメージ 4


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『悪党といわれてきた者は本当に悪党なのだろうか 善玉と呼ばれてきた者は本当に善玉なのだろうか

歴史は善と悪だけでわりきれるものではない。』


『蒼天航路』冒頭より


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最近、バタバタしており、戴いたコメントにお返事ができていません。

ごめんなさい。。

誠に勝手ながら、当面の間、ブログをお持ちでない方以外、個々のリコメについては、しばらくお休みさ

せていただきます。(ブログの方にお邪魔します。^^;)


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※1)征南将軍(せいなんしょうぐん):四征将軍の一つ。官品二品、俸給は万石。軍隊司令権と都督号をもって該当地域の全面的な権力を有する方面軍司令官。征将軍が方面攻撃軍司令官である一方、鎮将軍が方面防衛司令官となる。征南将軍は新野に駐屯し、荊、豫二州の刺史を統べる。


※2)曹仁(そうじん 168−223年):字は子孝。
沛国譙県の人。曹騰(曹操の祖父)の兄の曹褒の孫、曹純(そう じゅん 174−210年)の兄。
魏武曹操(そう そう 155−220年)の従弟(再従弟)。曹泰・曹偕・曹範らの父。曹初の祖父。
乱暴者であったため廃嫡されたが、曹操にならって更生?した異色の武将。
史実上の曹仁は、精鋭の騎兵隊(のちの虎豹騎)の指揮官の職を曹純にひき継いだ後は、曹操軍の全軍の
指揮をする主将となり、文武両道の名将とよばれた。
荊州南郡攻防戦(208年冬−209年)の折には、直属の勇士数10騎を率い、自ら敵陣に突入!数騎
を失いつつ、周瑜(しゅう ゆ 175-210年)軍先鋒6000騎に包囲された武将牛金を救出した。
しかし、赤壁の戦い(208年)での被害があまりにも大きかったためか、曹操が、劉備(りゅう び 1
61−223年)・周瑜らの荊州攻めに全く効果的な手を打てず、援軍もなかったため、曹仁は江陵を捨
て撤退した。
その後、曹魏の最古参武将の一人として各地を転戦し、晩年は大将軍・大司馬にまで昇った。
223年(黄初4年)3月19日、56歳で死去。諡号は忠侯。

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魏武の覇業をたすけた曹仁。宗室の重鎮です。

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