あとり&るりちゃんのおへや+仁くん・・あとはチャミもね

小鳥&吾郎ちゃん&東方神起チャミン&中国史(楚漢、三国志、曹操軍(曹仁・夏侯惇・淵・張遼・楽進)、趙雲)が大好きです^^。

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  兵法書『六韜(りくとう)』は、中国の代表的な兵法書です。

『孫子』、『呉子』、『尉繚子』、『三略』、『司馬法』、

『李衛公問対』とともに、『武経七書』の一つにあげられています。

この兵法書は、太公望呂尚が、周の文王(姫昌)とその子武王(姫発)に兵学を指南するという設定で描かれ

ていますが、その作者は呂尚ではなく、不詳であり、後世の著作と考えられます。

※その根拠はこちら ⇒ https://blogs.yahoo.co.jp/atori25/33593232.html

イメージ 1

『六韜』の『韜』は、武具を入れる袋の名称ですが、

この兵法書は、「文韜」「武韜」「龍韜」「虎韜(いわゆる虎の巻)」「豹韜」「犬韜」の六巻六十編からな

っています。

※構成についてはこちら⇒ https://blogs.yahoo.co.jp/atori25/33595183.html


  では、第弐巻の三韜「龍韜」の第弐篇「論將」を前回の続きから訳します。

「龍韜」には、作戦指揮や兵力配置などが書かれています^(≧△≦)^。


「龍韜・論將・5」


【原   文】

故兵者、國之大事、存亡之道、命在於將。
將者、國之輔、先王之所重也。
故置將不可不察也。
故曰、兵不兩勝、亦不兩敗。
兵出踰境、期不十日、不有亡國、必有破軍殺將。」

武王曰、
「善哉。」


【読み下し文】

故に兵は國之大事、存亡之道、命は將に在り。
將たる者は国之輔、先王之重んずる所也。
故に將を置くこと察せざるべからず也。
故に曰く、兵は兩(ふた)つながら勝たず、亦両つながら敗れず。
兵出でて境を踰(こ)へ、十日を期せずして、國を亡ぼすこと有らざらば、必ず軍を破り將を殺すこと有らむ。」

武王曰く、
「善き哉。」


【私   訳】

戦争は国家の大事であって、それによって、国民の死活、国家存亡が決まり、その責任は将軍にあります。
また、将軍というものは、国を支える存在ですので、先王(文王=姫昌)は、彼らを重んじておられました。
それ故、将軍を任命し、配するにあたっては、決定するまでの間、慎重に検討しなければなりません。
また戦争では、敵味方双方が、ともに勝ったり負けたりすることはありません。
だから、 いったん国境を越えたら十日以内に勝利し、相手国を滅ぼさなければ、反撃され、敗戦し、敵地で
将軍を殺す羽目になるでしょう。」

武王は答えた。
「よくわかりました。」、と。


※《六韜》原文はこちら ⇒ http://ctext.org/liu-tao/zh

イメージ 2

(内弁慶、そして、案外慎重なオカメインコの仁くんです。^(≧▼≦)^)


 『兵者、國之大事、存亡之道(兵は国之大事、存之道也)』の部分は、『孫子兵法 始計(計篇)』冒頭から

の引用でしょうか?。

兵法孫子の成立は紀元前5世紀ごろ。。。

その時代は、太公望(呂尚)が生きた紀元前11世紀よりも、かなり後のことですよね。

騎兵が主力であるかどうか云々ということもありますが、このように、ちょっとした記述からも、呂尚がこの

兵法の著者ではないことがうかがえます。


※『孫子兵法 始計(計篇)全訳』はこちら→ https://blogs.yahoo.co.jp/atori25/33033548.html

次回は、『論將』をまとめます^(≧▲≦)^。

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曹 月 オ カ メ: 『ねえねえ、^(・▽・)^うちのごっつい征南将軍※1)さん♪。
             じぃーじーってやればできる子よね。夏侯のじいちゃんたちにまけないでね。』        

曹 仁※2)オカメ: 『^(▽Д▽)^げっ。。。』

イメージ 4


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『悪党といわれてきた者は本当に悪党なのだろうか 善玉と呼ばれてきた者は本当に善玉なのだろうか

歴史は善と悪だけでわりきれるものではない。』


『蒼天航路』冒頭より

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最近、バタバタしており、戴いたコメントにお返事ができていません。

ごめんなさい。。

誠に勝手ながら、当面の間、ブログをお持ちでない方以外、個々のリコメについては、しばらくお休みさ

せていただきます。(ブログの方にお邪魔します。^^;)

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※1)征南将軍(せいなんしょうぐん):四征将軍の一つ。官品二品、俸給は万石。軍隊司令権と都督号をもって該当地域の全面的な権力を有する方面軍司令官。征将軍が方面攻撃軍司令官である一方、鎮将軍が方面防衛司令官となる。征南将軍は新野に駐屯し、荊、豫二州の刺史を統べる。


※2)曹仁(そうじん 168−223年):字は子孝。
沛国譙県の人。曹騰(曹操の祖父)の兄の曹褒の孫、曹純(そう じゅん 174−210年)の兄。
魏武曹操(そう そう 155−220年)の従弟(再従弟)。曹泰・曹偕・曹範らの父。曹初の祖父。
乱暴者であったため廃嫡されたが、曹操にならって更生?した異色の武将。
史実上の曹仁は、精鋭の騎兵隊(のちの虎豹騎)の指揮官の職を曹純にひき継いだ後は、曹操軍の全軍の
指揮をする主将となり、文武両道の名将とよばれた。
荊州南郡攻防戦(208年冬−209年)の折には、直属の勇士数10騎を率い、自ら敵陣に突入!数騎
を失いつつ、周瑜(しゅう ゆ 175-210年)軍先鋒6000騎に包囲された武将牛金を救出した。
しかし、赤壁の戦い(208年)での被害があまりにも大きかったためか、曹操が、劉備(りゅう び 1
61−223年)・周瑜らの荊州攻めに全く効果的な手を打てず、援軍もなかったため、曹仁は江陵を捨
て撤退した。
その後、曹魏の最古参武将の一人として各地を転戦し、晩年は大将軍・大司馬にまで昇った。
223年(黄初4年)3月19日、56歳で死去。諡号は忠侯。

イメージ 3

魏武の覇業をたすけた曹仁。宗室の重鎮です。

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村ポチです^^

2018/1/13(土) 午後 2:53 シルバーナイト 返信する

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毎日寒いですね〜
これが毎日の挨拶代わりになってしまいました。
寒い中、ダム湖の畔で頑張りました。
成果があったので寒さも幾分薄れましたが・・・でもやっぱり寒かった。
削除

2018/1/13(土) 午後 9:36 [ country walker ] 返信する

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おはようございます♪
いつもありがとうございます(*^▽^*)
☆〜

2018/1/14(日) 午前 6:43 [ チーちゃん ] 返信する

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あとりさん
いつもありがとうございます
こちらは夕べから積もりました、寒いです〜
ぽち!! 削除

2018/1/14(日) 午前 7:45 [ ムームー ] 返信する

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