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七輪に、丸いモンゴルの兜のような形に盛り上がった天板に羊の脂がつやつやと
広がり、3.5センチ角ほどの羊肉の端がクルリとまくれあがっていく。
羊の香りを嫌う人も多いのだけれど、私も友人もその類には縁がない。
彼女がこれまで一番好きだと言っていた「お肉」。
最近はお寿司やてんぷらがその地位を脅かし始めたなんて話を聞きながら、
そういえば、自分は何が一番好きなんだろうか。
なんてふと考えた。
久しぶりの再会に、最近どうだこうだと話をしながら、
ジンギスカンの黒い溝にたまっていく脂を見ていたら、
ふと分厚い脂身を焼きながら、その中が油になってふつふつと沸騰している姿を思い出す。
あれは一体、、いつどこで見たものだったか。
そして、「犠牲の羊」という言葉が浮かび、
和的ではないけれど「祝う」と考えると正月の羊はある意味正しいと思う。
一般的に犠牲の羊といえば、神にささげられる生贄をさし、「スケープゴート」などとも称される。
そこに間違いはないのだろうけれど・・・・・・・・
私たちは、羊というと羊毛羊を思い浮かべるけれど、
実は尻尾が脂身の塊として肥大した脂尾羊というのがいる。
私たちが羊毛用として見ている羊たちは、衛生上の問題でドーベルマンのよう断尾されているのだけれど、
脂尾羊は、その尾を食用として太らせた羊。
主に中東や中央アジアで飼われていて、大きくなるとボコボコと尾が体の1/3以上ほどにも膨れ上がる。
大きいものだと、引きずって歩かないように尻尾の下に飼い主が小さな荷車を取りつける。
で、人がご飯を作るとなったら、その時々で尾をスパンと切って調理していたらしい。
芯になっている尾さえ切らなければ羊も痛みを感じることもない。
(今は尻尾1本売りのようなので、旧来の通りかどうかわからない)
はじめてその羊を知ったときは感動で、
その身を犠牲にするといっても、命を犠牲にしなくても良い羊はいるのだなあとシミジミ思った。
何の本でそれを読んだか、今はもう覚えてもいないのだけど。
中東もそうだけれど、今もモンゴルなどで食べられている脂尾羊。
都内で食べられるのはどこかと探し、
有志を募り(脂尾羊の写真を見せたら、グロテスクすぎたらしく行ってくれるという人が中々見つからなかった)、
両国のモンゴル料理屋に行った。
脂肪の少なかった時代、巨大な脂身を食べることは贅沢なことだったのだろうけれど、
現代の私には、期待は膨らんでいたものの、「大きな羊の脂」以上の味への感動は見つからなかった。
まずいわけではないけれど、今の食事は贅沢なのだろうなとしみじみしていた。
みんなで上か下への期待をしすぎたねって言いながら、
モンゴルの不思議な飲み物で乾杯しつつケラケラ笑った。
ずっと昔、巨大な脂身を食べたくて食べたくて仕方ない人がきっといたのだろうと、
もぎゅもぎゅと脂の旨味が溶けてくる脂尾羊を噛みながら贅沢になってしまっただろう現代の食卓を思う。
皮の厚みがが1尺ある鮭がいたら・・・と言った前田の殿様、日本の現代人と同じようにカロリーの高い
食べ物も沢山食べていたら、同じ言葉を言っただろうか?
ある程度、食べたいものがなんでも食べられる時代にあって、
つきつめるように何かを好きであるというのは、じつはとても難しいことなのではないかと、
そんな風にも思うのです。
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豊かさを追求して、辿り着いたら、そこに豊かさはなかった
そんなオチはちとばかしかなしいな
やはり日頃からの飽和はいかん、てなことですね
脂尾羊、調べてみた…、おら、パス
2017/2/7(火) 午前 11:55 [ momo ]
> momoさん
そうですね、「いつも」は、少し足りないくらいが一番幸せなのかもしれません。
あはは、脂尾羊、かなりすごいでしょ笑。でも、あれはあれでああいう品種なわけですから、見慣れているかどうかって大きなことですよね。
2017/2/10(金) 午後 3:35 [ atoshiranami ]