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今朝の気温は氷点下5度。最後の寒気団であれば良いが。寒い・・。
病み上がりに相馬市在住の理事を訪ねた。
まっすぐに出向いても往復200km近い距離。
宮城県の亘理、山元両町が氣にかかっていたので、ついでに訪ねた。
久しぶりの沿岸部は、未だに何も始まっていない。
311の時が止まったかのようにそこに爪痕が遺されていた。
不謹慎かも知れないが、ある種の経済合理主義と云うか国家賠償主義の恩恵を受けたF1の避難区域内の
人たちはひょっとしたら不幸中の幸いだったかも知れない、とふっと感じた。
牛飼い農家も稲作農家も園芸農家も、言い訳と多少の補償金は手に出来る。
津波で侵された地域の人たちは自力で立ち上げらないといけない。
家も、生活もむろん農業再興も。
亘理、山元町ともに、壊滅?に近い集落が点在していた。
とりわけ、小さな河川沿いの住宅と農地はひどい。
集落に潤いと恩恵を授けてくれてたはずの、河川が牙をむいた津波の逆流域になった様子が窺える。
津波の被災を被り、且つ、生活の糧と仕事(人生ですわね)を奪われた人たちが大勢取り残されている。
あまりにも被災地が広く、多すぎて報道も局地戦にならざるを得ないことは理解できる。
象徴的な町や村に報道が集中するのも理解できる。
報道はそれでも良いかも知れないが、政治はそうであってはならないね。
平時のために国家や政治や自衛力が存在しているわけでは無いことを改めて認識させられた。
戦後60年以上経過。
政治も官界も学会も、財界も、むろん国民も日々平穏に慣れすぎたのかも知れない。
財界と云っても、国外の勢力と凌ぎを削ってきた輸出産業のことではない。
国内向けだけで平穏と売上を貪ってきた財界のことだが・・・。
311からの1年がそんな国家の姿を浮き彫りにしている。
相馬市の松川浦漁港には、漁船がところ狭しと並んでいた。
背景は認識できないが、宮城県は漁港の再編をおこなっているらしい。
行政単位と同様に、大きいことが良いことなんだろうか?
数隻しかない漁港が存在してはいけないんだろうか?
漁業には漁業権なる得体のしれないものがあるらしい。
数百隻?とも思われる松川浦漁港に居並んだ漁船群をみて、複雑な思いに囚われた。
相馬の理事さんとはなんとか遭遇し、しばし面談。
相馬市は伊達市と飯舘村に隣接した西部地区の線量値が高い。
松川浦に流入する河川の源流域が侵されている。
そんな事を含め話をさせていただいた。
帰路に故郷との縁が深い中村神社を参詣させていただいた。
ひさしぶりの非日常と云うか別視点での一日を過ごさせていただいた。
感謝。
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本当にどんどん違った問題が出て来てるような・・・
先日も気仙沼市唐桑町で45年間魚屋さんをされてた方から電話が来て・・
自宅は津波で土台だけ残って店は辛うじて残ったんで店の片隅に家族三人で寝泊りしてたんだけど・・・
借地だったので
地主が自宅が流されて無くなったから立ち退いてほしいと言ってきて
今月で仮説住宅に入ることになったよ・・・
売る魚も無いし・・と
真面目にコツコツと魚屋を営んできた人の良いお爺ちゃんとお婆ちゃん。
これからどうするの?って聞いたら分からない・・・って
どんな悪いことをしたというの?人が言いだけのご夫婦親子で・・・
言葉がありません。
来月は最後だから是非我が店に泊まって欲しいと・・・
一周年の慰霊祭に行ってきます。
2012/2/16(木) 午後 5:57 [ - ]
まだまだ己の使命もまっとう出来ていない身。
偉そうなことは云えませんが、目の前のできることをするのがつとめ!と考えてます。
福島でお付き合いをしている人たちはすべてこの半年で知り合った人たち。必然の縁で結ばれた同志ばかりです。
それにつけても・・・。
この国の有り様に憤りを隠せません。
創り変えないといけませんね。責めて、その礎くらいは築かないと死ねません。
慰霊祭には手を合わせます。ありがとう・・・とね。
そして、誓を新たにしようと。
いつもありがとうございます。
2012/2/16(木) 午後 8:08 [ 阿弖流為3世 ]