国語教育

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夏休みの講習では、沖縄戦について5時間ほど資料を読んだり見たりしてきました。

沖縄戦の概要など、多少理解できたかな。。と思うのですが、まだまだ足りないように感じます。
しかし、一度区切りをつけ、2学期は基地問題など、現状について、やはり5時間くらいを目処に行いたいと思います。


基地の背景や現状、問題などもとりあげますが、私が特に注目したいのは、1995年10月21日、県民決起大会でスピーチをした、当時高校三年生の仲村清子さんです。
(ちなみに私と同じ年かもしれません。)

高校生が、同じ高校生にも参加を呼びかけ、大勢の前でスピーチをした彼女は、どんな人物だったのでしょう。

彼女によほどの思いがあったからこそ、そうした行動に結びついたと思うのです。私は多分そのときは、自分の受験勉強のことしか考えていなかったはずです。

社会に目を向け、動いていた彼女に心打たれました。そして今彼女に会ってみたいと思いました。今の高校生に向けて、当時どんな思いで動いていたか、語って欲しいと思いました。

さあ、彼女とつながることはできるか??


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夏休みの国語の講習で、沖縄の事前学習を行いました。

その一環で、沖縄戦を目の当たりにした、比嘉さんに講演をしていただきました。中日新聞の方が取材にいらっしゃいました。
古典の教科書に出てくる「大江山」と「保昌と袴垂」。改めて読むとオモシロイことが色々あります。両方とも、和泉式部がうっすら関係している人たちのお話なんです。

「大江山」は、かの有名な歌人の和泉式部の子ども、小式部内侍(こしきぶのないし)が機転を利かせるお話。

小式部内侍も歌がうまかったんだけれど、和泉式部のイメージは強烈すぎて、常に、「どうせ母親の代作でしょ」と思われていたようです。親の七光りって思われてたんですね。

そんな折、歌会の詠み手に選ばれた小式部内侍。

定頼中納言は、わざわざやってきて、「どうせ歌合で詠む歌はお母さんにもらうんでしょう、丹後から返事は来た?」と小式部内侍をからかいます。

和泉式部は夫の保昌につい て、丹後の国に行っていました。

「助けがないと困るよねえ」と意地悪を言う彼に、小式部内侍は返事します。

「大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天橋立」

(大江山へ行く、生野の道は遠いので、まだ天橋立の地も踏んでいませんし、母親の文(手紙)も見ていません。私はお母さんの助けなんかいりませんよーだ。)

と、掛詞と縁語を上手に使って詠みました。びっくりしたのは定頼。「うっそうまいじゃん!」とどぎもを抜かれて、返事もできずに逃げて行ったのでした、、というお話。

実際は彼らは恋人同士で、小式部内侍の評判を上げるためにひと芝居打った、という話もあるようですが、スカッとしますね。若々しい、利発なお嬢さん、というイメージ。

しか し、小式部内侍は若くして亡くなります。母親よりもずっと先に。

和泉式部は「きっと残して行く子どものことがなにより気になったでしょうね」と悲しみの歌を詠みました。

この「大江山」で男性をふんづかまえて、ぎゃふんと言わせる元気な小式部内侍を知っていると、なんだかやるせなくなりますよね。

で、次の「保昌と袴垂」。

さっきの大江山の冒頭の「和泉式部は保昌の妻として丹後に下りけるに///」というくだりをすっかり忘れていると、「あれっ保昌って和泉式部の旦那さんやん!小式部内侍の義理の父親じゃん!」と勝手に感動できます。(しないか)

保昌は、有名な盗賊の袴垂にあとをつけられますが、全然動じず、袴垂もなぜか威圧感におされて手出しできず、 家まで普通に帰ります。

で、家について。。

「もし、衣が欲しかったらまた来い。誰でもいいからと襲いかかって、間違いを犯してはいけないよ。」と袴垂に言ったのでした。

「いや、すごい人だわ、普通じゃない。」と、後々袴垂自身が語ったそうだ、というお話。

これも、不敵な男性の魅力満載で、私は大好きなお話です。

保昌は公家出身ですが、武芸に秀でていて、道長四天王の1人として、酒呑童子を退治する、という話の中にも出てきます。

それ以外で面白いのは、なんと兄弟が海賊もどきと盗賊で、日本で初めて切腹した、と言われている保輔がいます。祖父も怨霊になった、と言われたような人物。なかなかのお家ですな。

そんな彼は、和泉式部の旦那さんに なるだけあって、武芸に秀でているだけではなく、歌人でもあったそうです。

和泉式部に求婚する時に梅の花を持って現れたって。かっこいい。

そんな2人の結婚生活の中で詠まれた、和泉式部の印象的な歌、2つ。

「明日狩りに行くから」という保昌に和泉式部はこんな歌を詠みました。

「ことわりや いかでか鹿の鳴かざらん 今宵ばかりの命と思へば」
(もっともですよね。どうして鹿が鳴かないことがあるでしょう、今夜だけの命と思えば。あなたに明日殺されるって分かってるんですものね)

それを聞いた保昌は狩りに行かなかったとか。

あともう1つ。結婚してから保昌の気持ちが離れているように思い、お参りに来た和泉式部の歌です。

「もの思へば 沢の ほたるも我が身より あくがれいづるたまかとぞ思ふ」
(ものを思っていると、ふわふわ飛ぶ沢のほたるは、私の身から出た魂かと思います。)

保昌から完全に和泉式部に話がうつってしまいました(笑)多分授業でもそうなりそうです。

じゃあもうここまできたら、和泉式部が死ぬ間際に詠んだのではないか、という歌。

百人一首にも収録されています。

「あらざらむ この世のほかの思ひ出に 
  今ひとたびの逢ふこともがな」

 (私はもう生きていられないでしょうから。あの世への  思い出に、もう一度あなたに逢うことができたら)

この相手はいったい誰のことだったのでしょう。和泉式部を見ていると、女は灰になるまで女。。という言葉を思い出します。

空き缶 林京子

夏休みの補習で林京子さんの「空き缶」を扱いました。

「夏になると戦争の話するからやだ〜」という生徒もいましたが、私自身、広島で4年過ごしてきたことや、長崎で被爆した親戚がいることなどもあって、思い入れがあるのです。
そのため1年に1度くらい考えたっていいでしょう〜、と2週間ほど。現代文の補習で読んでいきました。

「空き缶」は、長崎が舞台で、原爆を経験した女性達(1人は経験していない)が戦後集まり、現在の生活の話をしながら、昔を振り返るという話です。

一緒に考えたかったのは、何人が亡くなった、ということよりも、1人1人の人生についてです。原爆を経験した彼女達が今までどのようなことを考え、生きて来たのか。今どのようなことに苦しんでいるのか。「被爆者」とくくるのではなく、1人1人を見よう。

そこでグループに分かれて、1人1人を調べて、登場人物の人となりを細かく見て行きました。
なぜか「大木さん」は大人気で「先生、この人よく出てくるな〜。あ、ここにも出て来た〜」と言いながら担当した人物を見ていました。

人物→物語を追う→原爆をめぐるエピソード→物語→人物
とくるくるまわりました。

最後に、この小説の中で一番印象に残った段落を選んで、なぜ印象に残ったか理由を書いて下さい、という宿題を出しました。

私が印象に残った場面はこちらです。

「少女は席に着くと、手さげカバンの中から、教科書を出す。それから両手で抱き上げるように、空缶を取り出す。そして、それを机の右端に置く。授業が終わると、手さげカバンの底に、両手でしまい、帰っていく。はじめ、私たちは空缶の中身が何であるか、誰も知らなかった。少女も話そうとしない。被爆後、私たちは明らさまに話さないことが多くなっていたので、気にかかりながら、誰も尋ねなかった。少女の、空缶を取り扱う指先が、いかにも愛しそうに見えて、いっそう聞くのをはばかった。

 書道の時間だった。復員して帰ってきた若い書道の教師が、ある日、机の上の空缶に気がついた。半紙と硯と教科書で、机の上は一杯になっている。
 「その缶は何だ、机の中にしまえ」と教壇から教師が言った。少女はうつむいて、空缶をモンペのひざに抱いた。そして、泣き出した。教師が理由を聞いた。

 「とうさんと、かあさんの骨です」と少女が答えた。

 書道の教師は、少女の手から、空缶を取った。それを教壇の中央に置いた。ご両親の冥福をお祈りして、黙祷を捧げよう、と教師は目を閉じた。ながい沈黙の後で、教師は、空缶を少女の机に返して、「明日からは、家に置いてきなさい。ご両親は、君の帰りを待っててくださるよ、その方がいい」と言った。」

なぜか、というと、教員が「しまえ」という言葉に対して泣き出したきぬ子が痛々しかったからです。
ただ悲しいだけではなく、悔しさとか無念さとか、色んな気持ちがないまぜになっていたんじゃないかなあと静かな悲しみを感じました。その後の教師の行動を読んでほっとしたから、というのもあります。

きっと8月6日から9日までの間に戦争に関することや原爆に対することがニュースでも取り上げられるから、少しでも見てごらん、考えてごらんと話しました。

しかし、今年はすごく少なかったように思います。気のせいでしょうか。。オリンピックのこともあったからでしょうか?
長崎の友人は「いつも長崎は取り上げられる紙面も小さいしんだよね」と言っていましたが、今年はなおさら少なく感じたなあ。

この小説を読んで私自身ももう一度振り返る機会を持てました。

また、同じころだったか、ものすごい大地震があった。その様子は普通ではなかった。山は崩れ、その土が川を埋め、海が傾いて陸地に浸水した。大地は裂けて液状化し、大きな岩が割れて谷に転がり落ちた。波打ち際を漕ぐ船は波の上に漂い、道行く馬は足の踏み場に戸惑っている。都のあたりでは、至るところ、寺のお堂や塔も、一つとして無事なものはない。あるものは崩れ、あるものは倒れている。塵や灰が立ち上って、もうもうとした煙のようである。大地が揺れ動き、家屋が倒れる音は、雷の音とそっくりだ。家の中にいると、あっという間に押しつぶされかねない。かといって、外に走り出れば大地が割れ裂ける。羽がないので、空を飛ぶこともできない。竜であったなら、雲にでも乗るだろうが。これまでの恐ろしかった経験の中でも、とりわけ恐ろしいのは、やはり地震だと思った。
 
 このように、大揺れしたのは少しの間でやんだが、その余震はしばらく続いた。普通でも驚くほどの地震が、1日に、30回揺れない日がない。しかし、10日、20日と経つうちに、しだいに間隔があき、ある日には1日に4、5回、それが2、3回になり、もしくは1日おき、2、3日おきに一回というふうになり、だいたい3ヶ月くらい余震が続いただろうか。
  四大種(地・水・火・風)の中で、水と火と風は常に害をなすものだが、大地の場合はふつうには異変を起こさない。昔、斉衡のころとかに、大地震が起きて、東大寺の大仏のお首が落ちたりして大変だったらしいが、それでもやはり今度の地震には及ばないとか。その直後には、だれもがこの世の無常とこの世の生活の無意味さを語り、いささか欲望や邪念の心の濁りも薄らいだように思われたが、月日が重なり、何年か過ぎた後は、そんなことを言葉にする人もいなくなった。




方丈記 鴨長明 
「大地震(おほなゐ)」本文
 また、同じころかとよ、おびただしく大地震(おほなゐ)ふることはべりき。そのさま、世の常ならず。山はくづれて河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸地をひたせり。土裂けて水湧き出で、巌(いはほ)割れて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波に漂ひ、道行く馬は足の立ちどを惑はす。都のほとりには、在々所々(ざいざいしよしよ)、堂舎塔廟(だうしやたふめう)、一つとして全(また)からず。あるいはくづれ、あるいは倒れぬ。塵灰(ちりはひ)たちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家の破るる音、雷(いかづち)に異ならず。家の内にをれば、たちまちにひしげなむとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震(なゐ)なりけりとこそ覚えはべりしか。
 かく、おびたたしくふることは、しばしにてやみにしかども、その余波(なごり)、しばしは絶えず。世の常驚くほどの地震、二、三十度ふらぬ日はなし。十日・二十日過ぎにしかば、やうやう間遠(まどほ)になりて、あるいは四、五度、二、三度、もしは一日(ひとひ)まぜ、二、三日に一度など、おほかたその余波、三月(みつき)ばかりやはべりけむ。
  四大種(しだいしゆ)のなかに、水・火・風は常に害をなせど、大地に至りては異なる変をなさず。昔、斉衡(さいかう)のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏の御首(みくし)落ちなど、いみじきことどもはべりけれど、なほこの度(たび)にはしかずとぞ。すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり、年経にしのちは、言葉にかけて言ひ出づる人だになし。」

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