ニートのダラダラ日記〜 再就職編〜

30代に入った普通の男が人生の喜怒哀楽をストレートに日記する

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チェックアウト

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   10月 25日 (木)  晴れ

 いよいよ、チェックアウトの日が来た。

 ムシンバジ語学訓練終了! 語学の成果は全く無し!

 色々あったけど、なんとか終わった。

 問題起こして、一人帰国したり、カズとローカルのレストラン探しにあちこち歩き回ったり、ニコラスとカズと夜中まで遊んだり、青空市場みたいな所へ買い物行ったり、イスラムの正月を祝ったり、村に泊まりに行ったり、爪剥がれたり、スワヒリ語でプレゼンしたり、病院行ったりね。

 サーフィンに行けなかったのが残念、無念!

 
 あっという間の3週間!
 そして、タンザニアへ上陸してから1ヶ月だ。

 いよいよ来週の月曜日から任地訪問だ。1週間したらまた、帰ってくるけど、メチャ楽しみやわ。 この語学力で、何が出来るやろう? どんな難関が待ってるんやろ? ワクワクしてくるね!

 何とか国別リーダーの役目もひと段落しそうだね。

授業終了!

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    10月 24日 (水)  晴れ

 最後の授業が終わって、ドミトリーの近くでニコラスとアシアを招いて打ち上げをすることになった。

 ムシンバシの前のバス停で待ってた時、『アツ!』とタンザニア人が声を掛けてきた。

『え?だれ?』 

『俺だよ、覚えてるか?(英語)』 

『え〜見たことある(日本語)』 

一分掛かって思い出した!

『ホテルの前で工事してた兄ちゃんだ!今日は綺麗な格好してたから分からなかったよ』(1回だけ話しただけで、その時はボロボロの服を着てた。)

 バスを待ってた間、色々話してた。
 名前を覚えててくれたのも嬉しかったけど、金くれとか、タバコくれとか、電話番号教えろとか言わなかったし、『明日帰るんだ』って言ったら寂しそうな顔してた。

 タンザニア人の友達出来たみたいで嬉しかったな。 任地ムトワラで彼のような友達ができたらいいな。

 中華料理の店で宴会。ニコラスとアシアに箸を使わせて大盛り上がり! 

 メッセージカードとプレゼントを渡した。 ニコラスにはメッセージカードの代わりに、みんなで作った日本語―スワヒリ語の辞書だ。めちゃ喜んでたね。

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  10月 20日 (土) 晴れ


 翌朝、5時前に起こされ、なんと、掃除をしろと言われ、カズは遠くの川に水汲みに行かされる。

 俺は、歩けないので、蚊帳とか毛布とかを片付けて、家のお父さんと、鶏の話をしていた。 その後、畑に連れて行かれて、耕せと言われ、カズはクワを持たされ働いていた。俺は見ていた。

 芋を掘って持って帰って、朝ごはんにした。
 水汲みは、俺も行きたかったなぁ。

 朝ごはんを食べて、帰る仕度をして、キテンゲとキコイ(タンザニアの正装)をとうちゃんとかぁちゃんにプレゼントして家を出ることにした。

 最後に、お昼ご飯をみんなで、木の下の木陰で食べて、一人づつお礼を言って、帰ることになった。



 バスを、走って追いかける子供たち、見えなくなるまで、手を振ってくれてた村の人たち、ありがとう。

 ガタガタ道に揺られながら、いくつもの集落を通る。いろんな人と目が合って、俺が手を振ると、必ず手を振り替えしてくれる。必ず!
 そういえば、道を歩いていて、すれ違う人に挨拶しても、必ず反応がある。

 これって凄い事やんな? 日本じゃありえないし、タンザニアの誇れる所で俺が気に入った所でもある。
 そうだ、ここはタンザニアだ。今まで、あんまり実感無かったけど、今回のヴィレッシステイでやっと、実感が沸いた。

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10月 19日 (金) 晴れ

 一泊二日で、ヴィレッジ ステイに行ってきた。 読んで字のごとく、村にホームステーしてきた。

 そこは、ダル、エス、サラ―ムからガタガタ道をバスで行くこと40〜50分、電気も水道もガスも無い、リアルタンザニア、GOGO族の村。

 着いたらいきなり太鼓の音が鳴りはじめ、歓迎してくれた。 村の人が集まってきて、大きい木の下の木陰で、村の人の自己紹介や、俺らの自己紹介をして、お昼ご飯を一緒に作ったり、子供と遊んだ。

 村の人はとても親切で、子供はメチャ元気!写真を撮ったら大はしゃぎで『俺も撮って!もう一枚!見せて、見せて!』って囲まれてしまう。

 子供と話してた時に、俺が『俺、スワヒリ語、勉強してるんだ。 英語も少し話せるよ。』って行ったら。『私も英語、勉強したいなぁ』って子供がつぶやいた。学校には行ってるけど、お金が無いから義務教育までで、英語は、習わないのだ。
 『大きくなったら何に成りたい』って聞いたら、みんな『お医者さん』だってさ、何故か?って聞きたかったけど、スワヒリ語が解からなくて聞けなかった。でも、大体解かるけどね。

 この村は、エイズが流行してて、すごく大人の数が少なく、子供がメチャ多い。一家に大人5人、子供16人、もちろん、自分の子じゃない子も育ててる。 これ以上書くのはやめておくけど、みんなが『お医者さんになりたい』って言うのも納得できる。

 うまく書けないけど、アフリカの実態が見え隠れした。


 ご飯が出来て、木陰の下にゴザを敷いてみんなでご飯を食べた。もちろん現地食だ。以外に食べれたけど、オッチャンが『もっと食えもっと食え!』って言うからしょうがなくいっぱい食べた。・・・ちょっと清潔感が無くて怖かったけどね。

 ご飯の後、それぞれのホームステイ先の家に案内され、寝床の準備、蚊帳をセットしゴザを敷いて、毛布をセットした。 家は、土の壁で、中では鶏が一羽、端っこで卵を温めていた。近くに荷物を置いたら、オドオドしてたけど、全く避けようとしない。・・鶏でも母強し。・・・しょうがないから一緒に寝ることになった。

 準備が終わったら、TANZANIA VS JAPAN サッカーの試合をした。 傾いた広場にブロックをゴール代わりにし、コートの中にはヤシの木が生えている。 結果は0−1(オウンゴール)でJAPANの勝利。

 そんな事より、前半終了間際で競り合った時に、俺の足の親指の爪が剥がれた。後半は爪がパカパカなってるのにサッカーを続けてしまった。(全力ではないけど・・)


 試合後、靴を脱いで、同期の看護婦さんに、手当てをしてもらっていると、とんでもない数の子供たちに囲まれて、みんな心配そうに見ていた。『大丈夫だよ!』って行っても心配そうにしてるし、村長みたいな人呼んできたり、大変な騒ぎになってしまった。

 この国では、爪が剥がれても、そのまま素足で生活するしかないし、ばい菌が入ってしまって、炎症をおこし、足を切断するしかない。何てことも珍しくないから、子供たちの心配そうな目も納得できる。
 サッカーの後、日本食をご馳走することになってるので、俺たちは『うどん』を作ることになった。

 だしも無いので、コンソメベースのチキンスープに小麦粉から作ったうどんを入れる事にした。 スープ担当の俺は95点の完璧なスープを完成させた。

 しかし、うどんを失敗! タンザニアの小麦粉は日本のと違い、ねばりが無くて、ゆでた時にうどんが溶け出し、ゆでるお湯も少なかったのでドロドロになった。 途中でヤバイと思い、スープと麺を混ぜた。 完成したうどんは、5点まで下がり、不味かった。

 しかーし!タンザニア人には大うけ! 子供たちは取り合いで、喧嘩してるし、おかわりしまくってくれて、美味しいって、言ってくれた。 結果オーライってことで、あれが日本のうどんって事なってしまった。 


 夕飯の後、家族の紹介をしてもらったり、指差し会話帳で話して、村の人がダンスを披露してくれた。 俺が行くと、俺がケガした事は、村中に広まっていて、すぐに椅子が出てきて、座らせてくれた。『かわいそうに、残念だね。』って言いに何人も挨拶に来てくれた。

 月明かりの中、3時間も、伝統のダンスと音楽を披露してくれた。一緒に踊れなかったのが残念だったなぁ。

      夜11時に終了、そのまま就寝・・・・

任地に電話

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   10月 17日 ( )  晴れ

 任地の配属先に、任地訪問に行くことを、電話した。 もちろん、英語や! 俺が英語で電話したんやで! すごいやろ!?

 カズに言うことを教えてもらって、メモ持って、ニコラスに掛けてもらって、サポートしてもらいまくりやったけど、なんとか掛けれたぞ!

 次は、実際に一人で学校まで行かなあかんねんけどな。 楽しみやわ、俺どうするんやろ?

 写真載せとくわ
 

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