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善龍寺−なよたけの碑/西郷頼母の墓/二十一人の墓
善龍寺には、家老西郷頼母、その一族21人の墓、妻千重子の辞世を刻 んだ「なよたけの碑」があります。
会津戦争で会津藩の苦境を知った西郷一家は、足手まといになってはと幼児を含む一族21人が壮烈な自決をしました。屋敷に踏み込んだ西軍の土佐藩士中島信行らが、急所を外し苦しむ頼母の長女細布子(16歳)を発見。「敵か味方か」と尋ねるので「味方」と答えると安心して介錯を頼んだと伝わります。
*頼母一族自決のシーンは、「会津武家屋敷」内にて人形によって再現されています。
<西郷千重子辞世>
「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬふしはありとこそきけ」
西郷一族をはじめとする婦女子233人の自決や白虎隊の自刃は、初代藩主保科正之が制定した『家訓』に代表される会津藩の武士道精神に依るものと言われています。
なよたけ会の総会で祝辞を述べた。「会津の悲劇の歴史は」まさにこの西郷家はじめ会津藩の婦女子の姿にあります。会津の武士道とは戦争の悲惨さを自ら体験してしまったのであります。本来権力闘争であった明治維新は勝利者によって「官軍」「賊軍」というものにわけられ・・その後会津は昭和15年の国定教科書で改定されるまで「賊軍」とそよばれていたのであります。
昭和12年徳富蘇峰し会津の公会堂で「近世日本国民史」の講演をされ藩祖保科正之公の精神と松平容保公の皇室に対する忠義の心を述べられたのであります。
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