余の罪悪、貧窮、疾病は、決して個人の責任に非ず、 自分が四年前に脳内出血で倒れてそんな気持ちがわかるようになった。テレビで健康でない人は社会にいらないように「健康第一と宣伝されると」自分が恥ずかしいような、皆に迷惑かけていることを実感してしまう。でも、社会主義者の主張という言葉は保守主義・民族派の私にも共鳴できる。 初台のリハビリ病院は少しでも歩くようになりたい。それだけで、入院した。特別室とは言わないけれど贅沢な個室でリハビリをした。相当入院費もかかったと思う。その病院から富士山が美しく見えた。一生の間で、新年に富士山をゆっくり見たのは、二回目である。大学生の時、羽田空港の傍の倉庫にガードマンのアルバイトをしていたときに朝早く富士山を見た。学生の時の富士山は雄雄しく美しく、希望と浪漫に溢れた自分には励ましいなり嬉しかった。
初台でのリハビリ病院での、朝飯のときは、一言も話はしなかった。看護師さん・・・いや、私は看護婦さんと言いたいけど。昼間は妻が来ていろいろ話をしたれど。私は鬱になり・・・何にも考えたくなかった。妻は心配して、今後のことを相談していたがっていたれど、何にも返答したくなかった。夜は食事の時に、東京の公設秘書の春日直子さんがリハビリ入院中はほとんど来てくれた。病人は一番寂しいのは夜、一人で食事をすることだ。
代議士ちゃんとしてください。食事済んだら、足の屈伸やろう。リハビリの担当の人に、春日は「パンツを自分ではかれるようになるといいんですがね、とか。いろいろリハビリを協力してくれた。国会の事務所のことや、派閥のこと、国会の動きになると真剣に語ってくれた。自暴自棄してになっている私を助けてくれた。春日は30年間。私と共に政治活動を支えてくれた。恩人である。愛しさもあるれど、同志であった。ここ数年、何年も会うことができないれども。無冠の帝王になると、私のところに来たくてもこないんだろう。リハビリ病院で、夜遅くなると、選挙区の事務所の秘書の女性に電話をして、冠婚葬祭の話を聞き情勢を何回も聞いた。でも、二ヶ月近く入院していると発狂したくなる。つい最近のマスコミ報道によると、40代の女性が、19歳の男の子と心中をしたくて、自ら実行したくなり、その女性は男の子に包丁で刺され死亡した。男の子は包丁で刺すことはできても、自分は死ぬことはできなかったのだ。坂下次郎もリハビリ病院入院中は自殺したかった。人生の絶好調の日々奈落の底に転落したのだ。ある時、春日は「代議士、街を歩いていると元気に歩いている人を見ると悔しいです。二人で電車に飛び込みますか・・・・そのほうがいいよね」と真剣に語った。坂下は「そうだね。政治運動ができない。演説もできない。そんなことでは死ぬことも選択肢」だよねと笑顔で語った。二人はにっこり笑った。
その夜、地元選挙区の秘書である城山美恵子に電話して、城山さん、私はもう駄目だ。体半分だよとボヤイタ。
そしたら、城山は「代議士いいんじゃないですか。左が駄目でも、右は元気なんだから、話もできるし、本も読めるんだからと励ましてくれた。いや、城山さん、これでは、もう総選挙には出られない。保守・民族派として戦後政治から脱却して「天皇国日本」を本当の独立国家にする使命感が実践できないのだ。涙はこぼすことは脳内出血の症状だから、涙をこぼさないようにしていた。でも、涙であふれた。死にたいと思った。恩師の代議士の申し訳ないと思った、私のような人間を市議会二期、県議四期、そして、衆議院議員と56歳で当選したのである。選挙区の支持者にどうお詫びしたらいいのかと思っていた。還暦前出し限界だ許してくれと言ったら。城山美恵子は「私に厳しく怒った。もし、自殺したら。もう、魂もふるさとに帰れないからね」「そのリハビリ病院の部屋に閉じ込められるのよと」と。坂下は臆病だから城山美恵子の言葉に全身が震えた。
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