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散らであれかし桜花 散れかし口と花心
いたづらものや、面影は 身に添ひながら独り寝 春の夜のともしび消してねむるときひとりの名をば母に告げたり 『日本の恋歌』から、のものです。今日は図書館に一日いました。平日なので図書館を利用する人がいないのでゆっくしてました。『日本の恋歌』竹西寛子・岩波書店、『言葉の向こうから』・吉田加南子みすず書房、『人生を深く味わう読書』 小浜逸郎、春秋社 『黄昏れに歌え』 なかにし礼 朝日新聞社、を読んでます。また、詩人長田弘さんの ゲ−テは読書には二つの目的があるとしています。『読書の目的には、二種類ある。一つは、楽しんで気分を再び生き生きとさせるための読書。そしてもう一つは、知識と教養を得るための読書。この二種類は、意味が全く違う。前者は、読書しているその時に喜びがあり、後者は、読書が終わった後に喜びがある。と語っています。 私の現在の心境は蕪村のこの二句です。 橋なくて日暮んとする春の水 遅き日のつもりて遠きむかしかな 二句とも春です。春のゆっくりと暮れてゆく日、そしてゆったりと憂いを含んだように流れてゆく水。それをしかし、ゆったりと流れてゆくとか、そこをめぐっている時間がある、という言いかたはしていない。そうではなく、橋がない、と言う。ない橋、あるいは、ない昔というものを持ってくることによって、春の描写ではありません、現実の春以上のもの、わたしたちがそこにいるとしても、ただそこにいるだけだったら見えないような何か大きなものを、ポエジ−によって漉し出しています。自然を通過し、そして人間を超えた大きなものを、失われていて、なくて、けれどないことによって人間を包みこんでいる時間、また空間をこちらに引き寄せている。匂い立たせています。これから、ブログを書きます。 『桜花散るまで凛と美しく』 『歩くのに桜吹ぶきは嬉しいけり』 若草篤人。 |
雑文
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