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長編「運命の人」(昭和19年9月)中で、涌谷親子のことが、印象深く描かれている。涌谷甚七という人が、明治30年以来、誰の手も借りずに、ひとりで、N湾の水温を調べていた。これと東北地方の凶作が関連あるとの信念の下に、彼はこれを続けてきたのである。そして、彼の死後は息子が志を継いでやっているのであって、親子二代の仕事で、何十年と続けてきた訳である。息子が主人公の杉原にむかっていうのである。「・・・・・・・・私は40にちかい頃になって、やつと死んだ親父の気持ちがわかるやうになったのではないかといふような気がしてゐるのですがね。親父の一生などは無駄といへば無駄な一生かもしれませんからね。晩年には彼等のために一文なしになったその村人からさへも背かれたりて・・・・・・・・・・しかし親父は晩年にはたしかに神を見てゐたと私はこの頃になって思ってゐるのです。」
涌谷はしばらだまった。杉原は何か問ひたげに涌谷はまたつづけた。
「親父は死ぬ前あたりから、ひとりごとを言ふくせが目立ちはじめましてね。それはひとりでゐる時、人と共にゐる時、家にゐる時、外にゐる時の区別なしになんです。しかしいつだって全くひとりになりきってはじまるのです。小さな声で何を言っているのかよくわからぬのですが、さういう時には眼が夢が見てゐる人のやうになって、―親父の眼は底翳で白いものがかかってゐながら薄く青みがかってゐるような眼でしたが、それが見ひらいたままぼーつとどこか遠くでも見てゐるかのやうに話してゐる。ー(中略)―あの親父のひとりごとといふものは、あれは親父と神と語ってゐたのだと、さう私はひとりぎめに考へ、信じてゐるのです。父は神を見てゐたのです。神は父の欲する時にその前にあらはれ、また神自身の方からもしばしばその前に現れ話かけられたのです。―この頃の私はさうかたく信じてゐるのです。―」
文芸評論家の新保祐司は島木健作についてこう書いている。島木健作とは、人間の究極に、あるいは人生の究極に
「神を見る」ということを置かなければやまない人であった。信仰ということを究極点に据えなければ、人間の結論人生の終止が完成しないような人であったのである。年譜を眺めただけで、何か息苦しくなるような島木の生涯とは、この「神見る」という究極点への道程であった。青年時代のマルクス主義も、転向も、「わづか10年」の作家生活も、それ自体で見るよりも、この道程の中で或る局面ととらえた方が正しい理解なのである。新保氏は、。関東学院大学教授である。今後のご活躍を期待したい。
島木 健作 (しまき けんさく、1903年9月7日 - 1945年8月17日)は、北海道札幌市生まれの小説家。本名は朝倉 菊雄(あさくら きくお)。高見順・中野重治・徳永直・林房雄らとともに、転向文学を代表する作家の1人。
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