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死ぬるまで愛しあふ鳥 死を越えて愛しあふ鳥 白ふかきいづれ 水原紫苑
愛の最高潮で死んでしまいたい、と願うのは恋人たちの昔からの心だ。恋人と言ったが、人には限らない、けものも鳥も魚も本当は愛の果ての死を夢見ているのではないのか。それは何も肉体的な愛をの行為を指すわけではないのだ。二羽の鳥が、並んで、雲を分けながら飛んで行く、その時互いに通い合っている二つの魂は、このまま太陽に焼き尽くされてひとつになりたいと望んでいるのではないか。そうして、帰って来なかった鳥たちもいることだろう。そんな鳥たちの幸せを、私はうらやましく思う。
でも、死ののちにまたもひとつのいのちが持っているのだとしたら、物語は変わって来る。生まれかわり、死にかわり、チェ−ンのように延々とつづくいのちがあって、どの時にも同じ恋人(姿は鳥か雲かオレンジかフルートか、何に変身しているのかわからないのだが)にめぐり会って愛し合うことができるのだとしたら。
たとえこの世で無残な別れ方をしても、次の世ではまた、あなたにふられる。そう思うと、風の匂いが変わり、光がさざ波立つ。天をめざして去った鳥と、足を病むかして地に残された鳥―その二羽の距離がどれほど開き、互いに孤独な死を遂げたとしても、死の向こう側で抱き合える。そう信じる鳥たちのつばさの白と、共に死に向かって行く鳥たちのつばさの白とは、どちらが深いのか。
私はどちらの鳥だったのか。十代の初恋からついこの間までは、恋人と共に焼き尽くされるような愛を夢見ていた。あるいは今もそれ求めているかも知れないが、自分にささやきかける声は、ちがうちがうと告げてやまない。私は死の向こうの側の再会に望みをかけて飛ぶほかない鳥なのだ。相手のつばさが雲の彼方に見えなくなっても、涙を流さずにゆっくりはばたくほかはない。
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