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庄野潤三は、小説とはつくりものでなく、人生の断片だとする庄野のの小説観、また自然も人間のうちであり、人間も自然のうちだとする彼の人生観は、彼のずんぐりとした百姓のような手の形の上に、思想に似つかわしい身体的微表を見出すようだ。大認識の上に立てば、幸福は仮象であり、人生はかりそめである。「静物」はそいう認識をふまえながら、父親の眼から見た家庭の幸福が追求されていた。「夕べの雲」では、その認識はあずけられている。認識をあずけたところで、庄野は無心を目指した。幸福を追求するのはまだ足りない。幸福感そのものに身に任せることが大切だ。そうしてこの幸福感とは、庄野においては、自然と同化することとおなじであった。
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