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哲学者適菜収氏の小池劇場批判を新潮45・7月号で読んでいる。
適菜収氏は、小池劇場を次のように書いている。小池百合子とは大衆社会が生み出した空虚な政治家である。誰も反論しょうもないことを大上段から諭すだけで、政治的信念も主張もゼロ。だが、それだからこそ人気を集める。小池劇場とは「大衆運動」なのである。
「政治哲学者のハンナ・アレンとは全体主義の本質は大衆運動であり、政策・
イデオロギーの一貫性はないと喝破した。つまり、構造がない。中心は空虚なのだそこでは責任の所在が曖昧になり、事実は目的のために捻じ曲げられる。権力と大衆は共犯関係にあり、運動の継続だけが重要になる。それで、責任を回避しながら、次々と新しい話題を打ち出すわけだ。」適菜収
小池劇場について、適菜収氏はアレンとの言葉で締めくくる。現代の悪は根源的なものではなく、陳腐で表層的なものとして現れる。そして悪意すらない人間、凡庸な人間により拡大していく。ワイドショーを見ているうちに、巨悪に加担してしまうのが今の時代だ。
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思想家
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