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国会図書館から借りた「日本国憲法の批判的研究」を読む。久しぶりゆっくり議員会館にいるので、国会図書館の本で「憲法」を考えたいからである。この本は改憲論者である大石義雄先生、田上穣治、川西誠、田村幸策、神川彦松・等の論文である。昭和55年に発刊されたものである。
田村幸策は憲法前文と第九条について、次のように述べている。「米国憲法の前文には六個の国家目標が、簡潔にかかげられている。米国の連邦制をより完全に形成すること、正義を確立すること、国内の静謐を確保すること、共同の防衛を設備すること、一般的福祉を惻隠すること、われわれと子孫とに自由の恵沢を確保すること」がそれである。しかるに日本国憲法の前文には綿々と六百有余字を連ねた、どこの国の憲法にも発見されない、お説教的政治哲学が展開されている。主権は国民にあるとか、「人類普遍の原理」をかかげている。しかしわれらが、日本国憲法の「前文」を問題にしているのはそんな条文ではないのであって。ただ一つ「日本国民は平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した」との驚くべき重大な規定に外ならないのである。この規定ほど国際社会の現実を無視した。危険にして純然たる理想主義的空論を麗々しく羅列した憲法は。地球上いかなる独立国にも発見できないのである」と。
飯守重任は「憲法前文・九条の削除と改憲国防条項」で、私が法理論上日本国憲法無効論の立場を採っていることである。そうするとろ無効な憲法の改正を論ずることは一見無意味のように見える。私が現憲法を無効と見る理由は、その制定について米占領軍の著しい強制があり、制定について日本国民の自由意見を欠いたことである。従って将来自主的に、つまり国民の自由な意思で憲法を制定する場合には、帝国憲法の改正をして制定すべきもので、その際日本国憲法は無効宣言をすべきものと考える。とぃつて私は無効を主張する日本国憲法が、現実において憲法として機能していることは認める、その実質は憲法でなく占領基本法である」と。
私は日本国憲法をどんなことがあっても改正すべきであると思う。時代の推移とか、国際社会の展開に適応できなければ憲法そのものが死文化してしまうのである。日本国憲法は前向きの姿勢で改正して、世界の平和と人類福祉の向上のために日本国が貢献すべきである。安倍前総理の保守政治を継承して・・日本における真正保守の政治のためにも憲法改正に取り組まなければならない。
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