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弔 辞
故加藤初枝さん、渡部篤であります。訃報に接し人生の無常を感じます。
今から三十六年前、遠い昔のことですが、私は学生の身分ながら八田貞義代議士の私設秘書になりました。私設秘書というより書生のようなことをしていました。その頃、八田先生を車の助手席に乗せて選挙区内をくまなく政治活動をしていたのが、旧姓・長谷川初枝さんでした。若さがほとばしり、八田先生のために献身的に活動されていたその姿は輝いていましたね。何もわからない私が事務所に入り、初枝さんにはいろいろご迷惑をおかけしました。
当時の政治が今と同じように「政治とカネ」の問題で批判されているときに、八田先生は真実一路、「政治は最高道徳」と胸をはって頑張っていました。つらいときも、苦しいときも、先生が落選してどうしようもなくなったときも…事務所のみんなで結束して、八田先生が再起することができたのであります。初枝さんはその先頭で頑張られたのであります。
また、初枝さんは良き家族に恵まれていました。先日も県立病院に初枝さんのお見舞いに行ったとき、旦那さんと子どもさんが、貴女のまわりにいてしっかりと看病をしていました。旦那さんと、子どもさんが看病されているその姿は、家族の絆・家族愛の風景でした。どんなものにも負けないような感じがしました。しかし、その看病の甲斐もむなしく、黄泉に旅立たれたことは本当に残念であります。
作家・井伏鱒二は「華に嵐のたとえもあるさサヨナラだけが人生さ」ということを言っています。今、遺影を前にお別れの言葉を述べることは、痛恨の極みであります。初枝さん、「篤君」と呼んでください。もう一度「あつし」と呼んでください。…もう、そんなことも不可能なのですね。「夢で会った人でも、目が覚めたならもはや会うことはできない。同様に、愛する人を亡くしてしまったら、もはや相見ることができない」これは現実なのだと実感させられます。
初枝さん…はっちゃん。もし天国で八田先生にお会いしたのならば「篤君も衆議院議員になり頑張っています」と伝えてください。私も一昨年体調を崩し、現在もリハビリ中ですが、私はもう少しこちらに残ります。私にはまだどうしてもやらなければならないことがあります。それは、会津の政治を保守の良識に戻すことです。その使命を果たすために、政治的恩師である八田貞義先生の御意志を受け継ぎ「いのちを燃やして」頑張ってまいる所存であります。
政治生活三十六年、実に多くの別れがありました。しかし、今日ほど辛い別れはありません。言葉になりません。
はっちゃん…心から加藤初枝さんのご冥福を祈ってお別れの言葉といたします。
平成二十一年三月二十日
衆議院議員 渡 部 篤
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