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「万有引力とは/ひき合う孤独の力である」「宇宙はひずんでいる/それ故みんなはもとめ合う」。谷川俊太郎の第一詩集『二十億光年の孤独』は、宇宙とひとり向き合う少年の心を、みずみずしく表現した。詩語が新鮮で、透明な叙情がある。詩作60年を超える国民的詩人の原点といえる。
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宇宙に行きたくありませんか、とよく聞かれます。そんなに関心はありませんね。天文少年ではなかったし、星の名前もよく知りません。僕の場合、完全に想像力の中の宇宙なんです。二十億光年というのは、その頃観測できた最も遠い星雲までの距離です。
思春期になり、自分は何者なのか、どこにいるのかと悩みました。それを僕は社会的な文脈ではなく、宇宙的な文脈で考えました。一個の生き物として宇宙の中にいる。これが座標の基点です。この感覚は今もあります。
学校が嫌いで、高校は全日制から定時制に移って卒業しました。父(哲学者の谷川徹三)の手前、受験勉強をしている顔をして、東大の入試を受けたんです。白紙の答案を提出し、誰よりも早く試験場を出てきました。
詩を書き始めたのは16歳の時です。当時はラジオ作りに夢中でした。ラジオを組み立てるように、言葉で詩をつくる感覚があったのかもしれません。高校を出る前後は、毎日のようにノートに書きました。今ほど推敲(すいこう)も工夫もせず、自然と詩になりました。
将来を心配する父にノートを見せると、父は三好達治さんに届けました。驚いた三好さんからすぐ返事が来ると思っていたと、もらしたことがあります。親ばかでしょ。三好さんの推薦で6編が「文学界」に掲載され、1952年に『二十億光年の孤独』が出ました。20歳でした。きれいな詩集ができてうれしく、自転車の荷かごに入れ、母と記念写真を撮りました。
父が詩を採点したメモが残っています。A・A′・A″・B・B′・B″と6段階の評価をつけたり、「一考を要す」とか感想を書いたり。後になって正確な評価だなと思いました。衝撃的デビューと言われますが、そんな実感はなかったな。大岡信は同時代の詩をきちんと読み、違う詩を書こうとしたそうです。そんな意識は僕にはなく、詩で身を立てる気もありませんでした。
詩集の表題作の最後は、「二十億光年の孤独に/僕は思はずくしやみをした」です。なぜ、くしゃみしたんですか、とよく質問されます。工夫をこらしたり、何度も手直ししたりした記憶はなく、ごく自然に出てきたと思います。こういうオチを今でもよく詩の最後につけるのは、母の血を引いているんじゃないかな。ユーモアのセンスがあり、ちょっとシニカルな人でしたから。京都の淀に生まれ育ち、関西系の文化の洗練がありました。
詩「ネロ――愛された小さな犬に」のネロは、隣の飼い犬です。生け垣の隙間からうちへよく遊びに来ました。優しい犬なのに名前は暴君でした。
その後、新しい詩を書こうと努めていた時期に、代表作は『二十億光年の孤独』と言われると、ちょっと腹も立ちました。でも今は、10代の終わりに書いた詩が、若い人に読み継がれているのがありがたい。科学知識が進んだのに、不思議な気もします。
12月で80歳になります。ぼうぜんとしますね。80年も生きたんだという思いと、ちゃんと80歳の老人になれていないという思いで。昔の80歳ってもっと威厳がありました。死ぬのが嫌だとか、怖いとか、全然思いません。一種の好奇心があります。どんな世界へ行くのかな。(聞き手・白石明)
天才詩人である谷川俊太郎の詩が好きである。大病をして、政界を引退して、読書三昧しているけれども、今日の朝日新聞の対談も、谷川さんの若い頃に書いた詩について、今も多くの人に読まれているに、本物の詩人である思うのです。でも、谷川さんは・・・・・・天寿をまっとうして永久に詩を書く運命にある思う。
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2011年07月01日
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テレビも他のマスコミも、節電の宣伝マンである。そんなこより、原発を再稼動をさせるべきだ。中国、韓国、ベトナム、アジアの他の国も原発に熱心なのに、福島原発第一だけにこだわるな。菅総理が脱原発いうならば、ベトナム、トルコに原発輸出はどうなるのだ。原発稼動を急ぐべきだね。そのかわり、福島原発第一の自己の責任は徹底追及すべきだね。リハビリしているものしては、エスカレーター、エレベーターの停止、電気が暗くなること、電車が冷房がなくなったり、温度が高くなることが困るよ。それに、節電宣伝で街を歩く人、自転車の人もこせこせしているよ。怖くてリハビリで歩く者には嫌な時代である。
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ぼんやりしていたら、孤独になり寂しくなった。そしたら、何気なく、谷川俊太郎の《かなしみ》という詩を口ずさんだ。 「あの青い空の波の音聞こえるあたりに 何かとんでもないおとし物を僕はしてきてしまったらしい 透明な過去の駅で 遺失物係の前に立ったら 僕は余計に悲しくなってしまった」いうものだ。 |
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ハリール・ジブラーン(本名 Gibrān Khalīl Gibrān bin Mikhā'īl bin Sa'ad; アラビア語: جبران خليل جبران بن ميکائيل بن سعد)、シリア語ܓ̰ܒܪܢ ܚܠܝܠ ܓ̰ܒܪܢ Khalil Gibran、1883年1月6日 - 1931年4月10日)はレバノン出身の詩人、画家、彫刻家。英語読みからカリール・ジブランとも呼ばれる。キリスト教マロン派教徒。
世界的に著名な詩集は、1923年英語で発表された『The Prophet(預言者)』(最初の構想はアラビア語で練ったといわれる)。また、その続編ともいえる1933年の英語詩集『The Garden of the Prophet(預言者の庭)』の一節は、英国のジャーナリスト、ロバート・フィスクが現代レバノン政治について描いたノンフィクション "Pity the Nation"の題名ともなっている。
赤ん坊を抱いたひとりの女が言った。
どうぞ子どもたちの話をして下さい。
それで彼は言った。
あなたがたの子どもたちは
あなたがたのものではない。
彼らは生命そのものの
あこがれの息子や娘である。
彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども
あなたがたから生じたものではない、
彼らはあなたがたと共にあるけれども
あなたがたの所有物ではない。
あなたがたは彼らに愛情を与えうるが、 あなたがたの考えを与えることはできない、 なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。
あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが
彼らの魂を宿すことはできない、
なぜなら彼らの魂は明日の家に住んでおり、
あなたがたはその家を夢にさえ訪れられないから。
あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが、
彼らに自分のようにならせようとしてはならない。
なぜなら生命はうしろへ退くことはなく
いつまでも昨日のところに
うろうろ ぐずぐずしてはいないのだ。
あなたがたは弓のようなもの、
その弓からあなたがたの子どもたちは 生きた矢のように射られて 前へ放たれる。
射る者は永遠の道の上に的をみさだめて
力いっぱいあなたがたの身をしなわせ
その矢が速く遠くとび行くように力をつくす。
射る者の手によって
身をしなわせられるのをよろこびなさい。
射る者はとび行く矢を愛するのと同じように
じっとしている弓をも愛しているのだから。
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