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天才音楽家中村八大、早稲田入学、ジャズ全盛時代、53年・・ピアニストから作曲家になった中村八大は桑島滉によれば、日本の音楽が大衆に残ることを希望した。中村八大ノート、中村八大は永遠に生きなければならない。そして、多くの友人に恵まれた。渡辺晋である。・・・中村八大は早稲田の後輩永六輔との出会いも大きな収穫だった。中村八大・・・桑島滉・・・水原弘・・黒い花びらの作詩で・第一回レコード大賞六八コンビなんていうのは、八六コンビなのです。
六八九コンビが1945年敗戦国の日本をマッカーサーが12歳の少年と軽蔑した。そんな時代に、安保闘争が起きたのである。永六輔は安保闘争敗北で挫折し・運動は停滞して言った。1961年上を向いて歩こうの作詩は安保闘争で本当に無念だった永六輔によって作詩された。永六輔は「少年が涙を我慢している顔が好きだったという」のだ。・・・・そこに敗戦後の混乱の中に明るいキャラクターの坂本九が出現したのである。坂本はエルビス・プレスリーが好きだった。ダニー飯田とパラダイスキングの一員にもなった。である。吉永小百合さんは、映画「上を向いて歩こう」飾らないやさしい笑顔がとても素敵だったと語っている。 唄坂本九 作曲家 中村八大 作詩永六輔 日本人の希望の唄 1961年夢であいましょうという番組が大きな力になったとも云われる。 六八九の若い 日本のポップスをつくりなおそう。「上を向いて歩こう」やっぱり全体に貧しくてそれを乗り越えて行く時代・・・・苦しみを乗り越えるものに・・悲しくてもにこやかに歌う・・・坂本九が東日げけ本大震災で混迷しているカオスの日本を天国から・・・・星になって励ましてくれていると吉永小百合さんは語った。
BSNHKの「上を向いて歩こう」は今生きる・・・私達も励ましてくれる唄だと思う。中村八大さん、坂本九さんありがとう。そして、永六輔さん、今後も日本人の皆と寄り添って生きてください。
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