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北海道大学名誉教授、拓殖大学客員教授・木村汎 時代から取り残される「ツァー」
12月4日のロシア下院選挙で、「ツァー」(ロシア皇帝)とも呼ばれる最高実力者、プーチン首相率いる「統一ロシア」は、議席を大幅に減らして事実上の敗北を喫した。しかも、その後、国内各都市では選挙不正に抗議するデモが繰り広げられ、「プーチンなきロシア!」コールすら声高に叫ばれている。今日のロシアで一体、なぜこんな事態になったのか。
≪国民輿望の体現者だったが…≫
プーチン首相と、今のロシア社会との間に拡大しつつある懸隔の拡大。一言でいうとこれが最も大きな理由だ、と私は考える。
プーチン氏が2000年に登場したとき、そうした乖離は存在しなかった。当時、大多数のロシア人は、旧ソ連末期にゴルバチョフ書記長(後に大統領)が現れて改革の旗を振り出して以来、国家と国民が未曽有の混乱と無秩序のただ中に投げ込まれたことに、やり場のない不満を募らせていた。彼らが求めたのは、規律、秩序、安定の回復であり、それを保証する「強い国家権力」であった。
ロシア大統領に就任したプーチン氏は、彼らの目に、まさしくその希求に応えて出現した指導者にほかならないように映った。プーチン氏の方も、そんな国民大衆の期待をくみ上げて、己の人気を高めようと懸命に試みた。チェチェン過激勢力に対する仮借なき武力攻撃は、その好例である。任期切れの大統領職にメドべージェフ氏を据え、自らは首相に回った“双頭体制”下のこの約3年半間も、プーチン氏とロシア社会の間にさして大きな溝は生じなかった。ひとつの理由は、相棒にメドベージェフ氏を選んだことに求められる。同氏は13歳年下で、若い世代に属する。趣味、関心、スタイルなど多くの点で、プーチン氏とは対照的だ。一例を挙げるだけでも、プーチン氏が一切のコンピューター操作を秘書任せにするのに対し、メドベージェフ氏は「フリーク」といっていいほど、インターネット好きである。
案の定、メドベージェフ大統領は非常に慎重な形をとりつつも、師匠であるプーチン前大統領の経済政策、「プーチノミックス」を補完し、修正する路線を打ち出した。平たく言えば、ロシア経済の「近代化」構想である。注目すべきは、プーチン首相が、弟子に当たるメドベージェフ大統領による新機軸の提唱を黙認して、許容する態度を示したことだった。
それは、なぜだったのか。
プーチン首相は、自身とメドベージェフ大統領の政策路線が相互補完的な関係にあり、お互いの間で一種の役割分担を行うことが結局、双頭体制の維持に貢献するとみなしたからである。例えば、両指導者がロシア社会内の異なるグループにアピールすることは、体制の支持層の拡大に役立つ。具体的にいうと、プーチン首相がターゲットとしたのは、次のような人々だった。公務員、年金生活者、中産・下層階級、共産主義、あるいはソ連時代の教育がまだ尾を引いている中・高卒者。地方在住者。テレビを主な情報源としていることから、「テレビ党」と彼らを名付ける学者もいる。
他方、メドベージェフ大統領が分担し、アピールしようとしたのは以下のような人々だった。20〜40歳代の働き盛り。自らの才覚で食べてゆける自営業者。都市部に居住し、外国旅行の機会にも恵まれ、海外事情に通じている。価値観形成の重要な時期に、ゴルバチョフ政権や後続のエリツィン政権の下で、ペレストロイカや「民主化」を経験し、個人の自由な発展を重視する。インターネットを主要な情報源とするため、「インターネット党」とも呼ばれる。
≪ポスト入れ替え公表は逆効果≫
ところが、である。プーチン氏は、既定路線としていた大統領返り咲きの意図を、下院選挙前の9月24日に表明した。おそらく同氏は、その時点で公にすればロシア国民を安堵(あんど)させて、急落中の「統一ロシア」の支持率の回復にも役立つ、と考えたのであろう。それは誤算だった。ロシアの有権者たちは予想以上に激しく反発した。彼らの多数、特に、若い世代にとり、1990年代のトラウマ(心的外傷)は今や、遠い過去の事柄である。彼らは、スローガン的な側面もあったとはいえ、双頭体制下でメドベージェフ大統領が提唱した「近代化」路線などの影響もあって、ロシアはもはや現状維持ではすまされない、変化しなければ、と痛感していた。
プーチン氏は、その必要性を説くメドベージェフ氏を2期目の任に当たらせず、首相職をあてがい、事実上彼を切ったのである。
権力を握ってからの約12年間にロシアの社会、とりわけ国民の意識に生じつつある変化を正確につかみ損なった。この点にこそ、この9〜12月にプーチン氏が犯した誤算の真因があるといえる。
プーチン氏は、自身と社会の間に生じた深い隔たりを埋めない限り、来春の大統領選挙へ向け、それは広がりこそすれ狭まりはせず、確実とみられる大統領復帰すら危うくなりかねないだろう。(きむら ひろし)
プーチンの時代は終わったのか。木村先生の論につい正しいと思う。露西亜帝国になれば、アジアからもヨーロッパからも賛同されないし、露西亜がウクライナ・グルジアでしたことは、もとのソ連から独立した多くの国と対立していることが国民から嫌気がされている。政治の自由化をしないと経済の自由な競争はできないと思う。 |
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2011年12月28日
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民主党に離党届を提出した内山晃元総務政務官(千葉7区、当選3回)ら9人は28日、国会内で記者会見し、「来年のしかるべき時期に新党を作る。野党として民主党が正しい方向に行くよう是々非々で対応する」と述べ、年明けに新党を結成する考えを表明した。野田政権が進める消費税増税や環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加などに反発したことが離党の理由だ。内山氏は「国民と約束したマニフェスト(2009年衆院選政権公約)をほごにしている」と野田首相を批判した。
民主党執行部は、年明けの役員会などで9人の離党を認める方針。党内の結束の乱れが集団離党に発展したことで、野田首相の政権運営への影響は避けられない情勢だ。
一方、仮釈放中の鈴木宗男元衆院議員は28日、東京都選挙管理委員会に新党「大地・真民主党」の設立を届け出た。
所属議員は、衆院議員が無所属の松木謙公(北海道12区、当選3回)、無所属の石川知裕(同11区、同2回)、新党大地の浅野貴博(比例北海道、同1回)の3氏。参院議員は、28日に民主党に離党届を提出した横峯良郎(比例、同1回)、無所属の平山誠(比例、同1回)の2氏だ。
(2011年12月28日20時48分 読売新聞)
もう、二大政党なんて大きな間違いだったし、小選挙区は小沢一郎さんの自民党潰しの方策だった。笑ってしまうのは、民主党の長老が小選挙区にしないと政治改革にならないと主張していた。今は中選挙区に戻せと集まりをしている。国民は彼らにデマゴギーにまどわされたのだ。金権選挙をして腐敗堕落した政治家達が今日の日本を堕落させたのだ。それにしても、小沢一郎さんは、これからどんな政治を目指すのか注目したい。民主党は自滅するよ。
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日本を代表する保守派の知識人でした。岩波書店の「世界」から分かれたオールドリベラリストの一人だと思います。「心」という雑誌を発行されたり、月刊「自由」に保守・自由主義知識人として発言をされました。「ビルマの竪琴」はあまりにも有名です。竹山道雄は「昭和の精神史」も書き進歩的文化人、マルクス主義の全盛時代に保守・自由・民主主義の思想を貫いたので。さきほど、インターネットで「竹山道雄」と検索したらためになるものがありました。
「竹山道雄氏は大阪に生まれ、大正一五年東大卒後、ドイツへ留学、昭和二四年に東大教養学部教授となり、同二六年退官。「失われた青春」「日本人と美」などの評論、ニーチェ、シュバイツアーの翻訳などがあるが、この人の名前はなんと言っても児童文学の傑作「ビルマの竪琴」で知られる。
一貫して自由主義を通した人である。「ビルマの竪琴」に見られる戦争批判と、浮わついた「進歩派知識人」批判とは矛盾なぞするものではない。「強い精神」が如何に時流に惑わされないかを示したものだ。戦争や軍部に迎合した者たちこそ、戦後、手のひらを返したように、米軍や「民主主義」に迎合したのである。卑怯な精神とはいつもそういうものだ。竹山氏のような強い精神を持った人に、僕は心底から尊敬と親愛の情を抱くものである。
僕は以前、映画「ビルマの竪琴」(日活、昭和三一年)を観たことがあるが、竹山氏の深い思想、人間観察、道徳観、正義感、太平洋戦争での軍部の愚かさ批判といった事どもが、童話の形に圧縮された見事なメッセージだった」。
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「年暮(くれ)ぬ笠きて草鞋(わらじ)はきながら」。
貞享元(1684)年の暮れ、松尾芭蕉40歳の句である。世の中は歳末で何かとせわしいが、私はただただ旅を続けるだけです。旅を友とし、漂泊に生きた芭蕉らしく、年の瀬にはいつもかみしめたくなる。産経
私も、この松尾芭蕉の句に年の瀬にかみしめたくなるという筆者の気持ちがわかるような感じです。
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