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民主党税制調査会などの合同総会は29日、社会保障・税一体改革をめぐり、焦点となった消費税以外にも、所得税や相続税などの見直しの方向性を示した。
消費税部分とともに、政府・与党の一体改革の素案に盛り込まれる。所得の多い層に負担増を求める内容が多く、消費増税に対する不満をかわす狙いもあるとみられる。 ◆所得税・住民税 民主党税調は一体改革の原案で、個人の所得に対する税について「特に所得の高い富裕層に絞った形で一定の負担を求める方策を講ずる」と明記し、高所得層への課税を強化する方針を示した。 具体的には、所得税と個人住民税でサラリーマンの必要経費を概算して収入から差し引く「給与所得控除」への上限額の設定を盛り込んだ。政府が2011年度税制改正で盛り込んだが、野党の反対で法案が成立せず、引き続き検討することにしたものだ。 政府税制調査会は、一体改革で所得税の最高税率を45%に引き上げる方針だ。民主党も合同総会で最高税率の引き上げを了承しており、政府・与党としてまとめる一体改革大綱に明記する見通しだ。 毎年の個人住民税は、その前年の所得に対して課税され、現在の1年間の所得に課税される所得税より1年遅れている。これを所得税と同じ年にそろえ、その年の所得に応じた負担を求めやすくすることも検討する。 一方、民主党が09年衆院選のマニフェスト(政権公約)で打ち出した、専業主婦などを対象にした「配偶者控除」の見直しは、主婦層の反発が強いため、踏み込まず、検討を先送りした。 ◆相続税など 相続税は、政府税調の方針と同様に課税強化を盛り込んだ。最高税率の引き上げや、相続財産額から差し引いて税金を安くする「基礎控除」の縮小を図る。贈与税も、孫に対する贈与の税負担を下げ、若い世代への資産移転を促す。 石油石炭税への課税を強化する「地球温暖化対策税(環境税)」も12年度税制改正で導入するとした。増税分はガソリンなどの小売価格に転嫁され、値上げにつながる可能性が高い。 最終更新:12月30日(金)12時22分
民主党は、社会民主主義政党になったな。高額所得者に厳しいものになるのかな。民主党は所得の再分配を目指すのだろうか。野田政権の正体みたりですね。私は高額所得者の累進課税には賛成だ。
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2011年12月30日
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多事多難であった今年もあと2日となった。いずれの年も人の世は艱難(かんなん)の連続であるが、今年は就中(なかんずく)国難というべき年であった。
≪国難の中で国家意識した今年≫
東日本大震災とそれに伴う原発事故は、日本人が久しく忘れていた国難という言葉を思い出させたが、政治や経済の状況もまさに国難といっていいほどの惨状を呈している。災害からの復興は徐々になされていくとしても、政治や経済、そして国防や教育などに関係した国難は、日本人のこれらの難題に対して取る態度や行動によっては、来年以降、一層過酷なものとなるであろう。
今年の苦境の、唯一日本人にとって逆説的にいい意味があったのは、国難という事態を痛切に感じさせて、国家の存在を重く受け止めるようになったことである。国家意識がなく、市民運動のレベルで国の運営ができると高を括(くく)っている政治家の跋扈(ばっこ)は、これで抑えられるのではないか。
このような国家意識の希薄な平成の世に生きていると、明治という偉大な時代に思いを馳(は)せざるを得ない。司馬遼太郎は、『明治という国家』と題した本を著したが、まさに明治とは国家だからである。スペシャルドラマ「坂の上の雲」は、第1部、第2部に引き続き、12月に放送された第3部も感動して見た。この感動のよって来る源泉は、原作とかドラマの演出とかに関係なく、日露戦争そのものが私の心を打つからに他ならない。この戦争に近代日本の栄光と悲劇が現れているからである。小林秀雄は、映画「アラビアのロレンス」について、中村光夫と福田恆存との鼎談(ていだん)の中で「きれいだね」といい、「小説でも絵でも表現できないものがあると今更のように思うね」と絶賛した。そして、中村の「きれいだけれど、人間のドラマとしてはそれほどおもしろくないんじゃないですか」という問いに対して、「そうだけれど、感動するところがある。つまり見方というものだね。このごろしきりにそういうことを考えるね。こっちの見方が発達するとあんまり物はいらなくなる。見方で感動というものが違ってくるんだよ」と答えた。
≪「坂の上の雲」で明治に感動≫
「坂の上の雲」を見ていて、二〇三高地における日本兵の激闘の場面や戦死者の葬列が静かに進んでいく日本の田園風景が映されるだけで、私はもう「感動」する。「見方」というものは、明治という時代への愛情の深さ如何(いかん)で決まるのである。
国難ということでは、昨年の第2部で死んだ正岡子規の「歌よみに与ふる書」の中の一節を思い出す。この書で、子規が既存の和歌に苛烈な批判をしたことはよく知られているが、和歌は「日本文学の城壁とも謂ふべき国歌」であるという意見に触発されて「代々の勅撰集の如(ごと)き者が日本文学の城壁ならば実に頼み少き城壁にて此(こ)の如(ごと)き薄ッぺらな城壁は大砲一発にて滅茶滅茶に砕け可申候。生は国歌を破壊し尽すの考にては無之日本文学の城壁を今少し堅固に致し度外国の髯(ひげ)づらどもが大砲を発たうが地雷火を仕掛けうがびくとも致さぬ程の城壁に致し度心願有之」と書いた。子規が「日本文学の城壁」というとき、現実に「外国の髯づらども」の「大砲」や「地雷火」と戦った秋山好古や秋山真之と同じ時代精神を呼吸している。彼ら明治の精神の持ち主たちは、みな「日本の精神の城壁」を心の中に打ち立てていたのである。
≪日本人の無国籍人間化を憂う≫
翻って思うに、日本文化は最近とみに「外国」文化に浸食され、日本人はだんだん無国籍の人間になってきた。変な言い方だが、日本人の日本人度がますます低下していっている。日本の歴史に興味を持たない日本人、日本の古典を読んだこともない日本人が増殖している。日本が日本でなくなる臨界点に近づいているようである。
「坂の上の雲」で印象深かったのは「日本は、旅順でほろびるのではないかという暗い感じをたれしもがもった。幕末から維新にかけて日本は史上類のない苦悩をへて近代(19世紀的な意味での)国家をつくりあげたが、それがわずか37年でほろびるかもしれない、ということであった」という語りであった。今や日本は140年余でほろびるのではないかという危機感を「たれしも」が持つであろう。「城壁」は崩れかけている。
この国難に対して、日本人は精神の中に再び「城壁」を築いておかなければならない。国益や国土を守るのも、精神の中に城壁があればこそ、の話である。日本人とは何か、それは、例えば万葉集の中に愛誦歌を持っている人であり、藤田東湖の「正気の歌」に共振する魂の持ち主のことである。
年末年始には、日本の古典を1冊でも熟読し、自分の中に日本の精神の城壁を築く営為にとりかかるべきである。「世界はどう動くか、日本はどう変わるか」といった時事的な問題だけに心を占められるのではなく、日本人の歴史と古典に深く思いを致す正月にすべきであろう。(しんぽ ゆうじ)産経新聞 正論
「坂の上の雲」を私も見ました。神保さんが言うように、日本の古典をじっくり読みたいと思う。日本は無国籍にはならない。今上陛下が国難の時に、自らテレビで国民に東日本震災の被災民と寄り添って生きることを述べられました。天皇国日本があるかぎり日本は国難を克服できると思う。
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東京都庁など高層ビル街のはざまにある新宿中央公園。二十九日午後七時すぎ、市民団体「新宿連絡会」の炊き出しが始まると、白い息を吐きながら、ホームレスの人たちが列をつくった。
「仕事はしたい。でもどうすれば良いか分からない」。キムチチゲの「ぶっかけ飯」を受け取った徳島県鳴門市出身の男性(34)は話した。 今夏、正社員で勤めていた東京都内の建設会社が倒産。九月ごろから新宿で路上生活を始め、初めての年末を迎えた。「仕事さえ見つかれば元の生活に戻れると思ったが、それが見つからない。アスファルトに座っていると、腰から下の感覚がなくなるくらい冷えるなんてこの年で初めて知った。何でこんな生活しているんだろう」 炊き出しに並んだのは二百五十人ほど。たき火を囲んだり車座になったりして、ほおばっていた。 厚生労働省は、今年の年末年始に困窮者を支援しない理由を「通年で対策をとっており、住居喪失離職者も減っているため」と説明。しかし、今月の「つながる総合相談ネットワーク東京」の相談会には、前年比約二十件増の約二百八十件の声が寄せられた。 事務局の後閑(ごかん)一博さんは「ホームレス状態の人は減っていない。最近仕事を失った人もおおい」と話す。 同ネットワークは三十〜三十一日と来月二〜三日、都内の公園などで軽食の配布や相談を行う。三十日と二日は午前十一時から午後五時まで、0120(843)530で問い合わせを受ける。東京新聞
資本主義こそが世界の「幸福」になる。競争だ、市場が大切だという論理は破綻したのかな。格差社会は人類を不幸にしている。市場主義、投機・賭博資本主義は否定されるべきだ。年間所得200万以下の世帯が増えている時に消費税をしたら低所得者は逆進税で苦しむ。どうしても、消費税をしたいなら、民主党は福祉国家をめざすべきだ。そうすれば、国民は納得する。「高福祉・高負担」にして福祉国家をつくることを党綱領をすればいい。
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恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ。
若い人たちは同じことを知っていても、情熱の現実の生命力がそれを知らないが、大人はそうではない、情熱自体が知っている、恋は幻だということを。 年齢には年齢の花や果実があるのだから、恋は幻にすぎないという事実については、若い人々は、ただ、承った、ききおく、という程度でよろしいのだと私は思う。 ほんとうのことというものは、ほんとうすぎるから、私はきらいだ。死ねば白骨になるという。死んでしまえばそれまでだという。こういうあたりまえすぎることは、無意味であるにすぎないものだ。 教訓には二つあって、先人がそのために失敗したから後人はそれをしてはならぬ、という意味のものと、先人はそのために失敗し後人も失敗するにきまっているが、さればといって、だからするなとはいえない性質のものと、二つである。 恋愛は後者に属するもので、所詮幻であり、永遠の恋などは嘘の骨頂だとわかっていても、それをするな、といい得ない性質のものである。それをしなければ人生自体がなくなるようなものなのだから。つまりは、人間は死ぬ、どうせ死ぬものなら早く死んでしまえということが成り立たないのと同じだ。 私はいったいに万葉集、古今集の恋歌などを、真情が素朴純粋に吐露されているというので、高度の文学のように思う人々、そういう素朴な思想が嫌いである。 図書館で、瀬戸内寂聴が坂口安吾のことを、自分の師匠だと書いてあったような気がする。瀬戸内は坂口の「堕落論」を評価している。瀬戸内の天衣無縫の人生を生きてきたことを考えれば当然ですね。
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・人間は行きたいほうへ行くがよい。人間はしたいことをするがよい。
しかし人間は、自然がえがいている道へ、必ずまた戻ってくるに違いない。 ―「詩と真実」― ・「あいつらは党派を作って、けしからんことだ!もちろん、我々の党は別だが」
―詩「四季」― ・知者がすでに千年も前に答えている問題を、無知な人は改めてまた得意げに提出するのだ。
―「格言と反省」― ・人々は言う。”どうもこれは気に食わぬ。”それで片付いたと思っている。
―「警句的」― |





