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青春は短い、宝石の如くにしてそれを惜しめ。俗碑と凡雑と低吝とのいやしくもこれに入り込むことを拒み、その想いを偉いならしめ、その夢を清からしめよ。夢見ることを止めた時、その青春は終わるのである。
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2012年03月22日
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今日は倉田百三の《愛と認識との出発》を図書館から貸出しを受けた。久しぶりに倉田の本を読む。彼は書いている・・・「私は人心の頼みがたくして人生の寒冷なることを経験したるにもかかわらず、それは私をして白眼世に拗ねるごとき孤独に向かわしめなかった。私はかえって人と人との接触の核実の愛でなくてはならないことを感じた。私の愛を深めることによって他人と一歩接近した。私は切に与うるの愛を主張したい。愛は欠けたものの求むる心ではなく、あふるるものの包む感情である。人は愛せらるることを求めずして愛すべきである。人を求めむる生活ほど危ないものはない。その人がやがて自ら足りたる時我が側を離れ去るとも、その人のために祈る覚悟なくして愛するは初めより誤謬である。愛は独立自前なる人格の要求でなくてはならない」と云う。倉田の文章に・・・・・考えさせられた。倉田は「私は苦痛を訴えたり同情を求めたりする気はない中略・・・・・・・・。肉体とそのものの滅亡の不安−私の生命は内よりも外よりも危機に迫っている」という倉田百三の病との闘いも、自分自身の事として思った。今日から、
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『与える徳』を説きまた『夜の歌』の冒頭において
夜は来れり、今すべての逬ばしる泉はその声を高む
我が魂もまた迸ばしる泉なり
夜は来れり、今愛するもののすべての歌は始めて目醒む
我が魂もまた愛するものの歌なり。
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世界経済の中心が、欧米から中国やインドを中心とするアジアに再び戻ってきているのだ。実は、19世紀の中頃まで、歴史のほとんどの時代、世界の経済大国は中国とインドだった。アンガス・マディソンの推計によると、1820年の時点で中国の世界のGDPに占めるシェア−は28・7%インドのそれは16・0%だった。両国で44・7%。中国とインドで世界のGDPほぼ半分を占めていたのだ。
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「なせば成る なさねば成らぬ何事も
成らぬは人の なさぬなりけり」
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