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「天は自ら助ける者を助くという人の世の公理をもう一度思い起こすべきではないのか」という事を考えた。
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2012年04月16日
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立ちどまれ
生には与件が多すぎる
今こそぼくにはわかりはじめる
必要なのは眼そのものをぬりつぶすことだ
世界の上に見開くためには
苛酷に夢みる心こそ必要なのだと
未来を測ることはできない だがしかし
最後の朝こそ原始の朝だと
呟く静かな意志がある
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ランボオへ
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キオスクにランボオ
手にはマニラ
空は美しい
えゝ 血はみなパンだ
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詩人が御不在になると
千家族が一家で軋めく
またおいでになると
掟(おきて)に適つたことしかしない
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神様があいつを光らして、横にして下さるやうに!
それからあれが青や薔薇色の
パラソルを見ないやうに!
波の中は殉教者でうようよですよ
富永太郎さんの、この詩を詠みながら・・・小林秀雄のランボーについての言葉を思い出した。
人間は、憎悪し拒絶するものの為には苦しまない。本当の苦しみは愛するものからやって来る。
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「原発は、政治決定の問題ではない。今まで営々と築いてきた科学的知見に基づいて判断するべき問題。選挙や国民投票にはなじまない。人類が、進歩のために築いてきたものは何だったのか、ドイツの下には石炭がある。北欧は北海油田を持っている。日本の下には何もない。経済全体として考えていかなければならない」ということを知るべきですね。岩波書店の月刊世界2012・4に原発反対の方から引用したものです。
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「愛の反対は、邪悪ではない。無関心だ」ということだ。
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