真正保守を訴える

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ベーシックインカム (basic income) は最低限所得保障の一種で、政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で定期的に支給するという構想[1][2][3][4]基礎所得保障基本所得保障国民配当[5]とも、また頭文字をとってBIともいう。フィリップ・ヴァン・パレースが代表的な提唱者であり、弁護者である。しかし少なくとも18世紀末に社会思想家のトマス・ペインが主張していたとされ[6]1970年代ヨーロッパで議論がはじまっており、2000年代になってからは「新自由主義者」を中心として、世界と日本でも話題にのぼるようになっった[7][8][9][10][11][12]。新自由主義者の意図は、ベーシック・インカムを導入するかわりに、生活保護・最低賃金制度・社会保障などの福祉政策や労働法制を「廃止」しようという考えである。
トリクルダウン理論(trickle-down theory)とは、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)する」とする政治思想である。「金持ちを儲けさせれば貧乏人もおこぼれに与れる」と主張することから、「おこぼれ経済」とも通称される。現状では、マクロレベルでのパイの拡大が、貧困層の経済状況を改善につながることを裏付ける有力な研究は存在しない。一方、この事への反論から理論的否定がなされ「トリクルダウン仮説」とも呼ばれる。
 ■明治天皇崩御から百年に思う
 7月30日は明治天皇が1912年に崩御されて百年にあたる。明治維新の前年に生まれた夏目漱石は、まさに明治の子として育った。崩御の報に感慨に打たれ、「明治天皇奉悼之辞」を『法学協会雑誌』に書いた。
 「過去四十五年間に発展せる最も光輝ある我が帝国の歴史と終始して忘るべからざる大行天皇崩ぜらる
 天皇御在位の頃学問を重んじ給ひ明治三十二年以降我が帝国大学の卒業式毎に行幸の事あり 日露戦役の折は特に時の文部大臣を召して軍国多事の際と雖も教育の事は忽にすべからず其局に当る者克く励精せよとの勅諚を賜はる
 御重患後臣民の祈願其効なく遂に崩御の告示に会ふ 我等臣民の一部分として籍を学界に置くもの顧みて
 天皇の徳を懐ひ 天皇の恩を憶ひ謹んで哀衷を巻首に展ぶ」
 ≪漱石が誇りとした時代に幕≫
 これは漱石の真情であり、当時の多くの人の気持だろう。執筆を依頼された漱石は、「暫く沈思した後これを承諾する旨を告げ、且自分は主義として外国語に訳することが出来ないやうな文字、例へば龍顔の如きは用ひないことを附言した」(山田三良『回顧録』)。
 これは、漱石が小宮豊隆に語った「自分は響きだけがあって意味のない、従って西洋の言葉には翻訳のできないやうな文字は一つも使はなかった、ただ卒直に誠実に、奉悼の意を表現した」と符合する。天皇が「学問」と題された歌を詠まれたのは日露開戦の明治37年である。
 事しげき世にたたぬまに人は皆まなびの道に励めとぞ思ふ
 天皇が出席された最後の公式行事は明治45年7月10日、東京帝大の卒業式である。
 漱石は明治の発展を「最も光輝ある我が帝国の歴史」と呼んだ。1853年、僅か4隻のペリー艦隊の前になす術を知らなかったわが国が、半世紀後にトラファルガー以来の勝利を博した。ロシア艦隊を撃滅した日本は非西洋の国として唯一つ、独立の地位を全うし得た。漱石が誇りに思ったのは当然だろう。その明治時代は、天皇の死と乃木大将の殉死で幕を閉じた。
 ≪乃木殉死を矮小化した芥川≫
 明治人の森鴎外は乃木大将の死に感動し、『興津弥五右衛門の遺書』を書いた。しかし、世間が元老大官、侍医頭に対し割腹殉死を勧告するなどの恐ろしい風潮が生じると、今度は、殉死の否定面を『阿部一族』に描いて、「皿に盛られた百虫の相啖ふ」様に譬(たと)えた。鴎外は自己の心中の相反する気持をともに作品に結晶化することを心得た人である。
 大正の作家芥川龍之介や志賀直哉は、乃木を小馬鹿にすることで登場した。『将軍』で乃木夫人のために那須野で憚(はばか)りの場所を競って捜す学習院生徒の姿を描いた芥川は、乃木の矮小(わいしょう)化に成功したが、そんな小手先細工を弄したことで、本人の矮小な人格もさらけだした。
 時代の流行で価値観は変動する。第二次大戦後は京都大学に行幸(ぎょうこう)した昭和天皇の車は学生のデモにこづかれた。「帝国」の名をとった東大の卒業式に行幸はない。「大学を卒業してそれが何だい」とうそぶいた私は、両親に、「安田講堂の父兄席は2階で階段が大変だから来なくていい」と言った。だが当日、友人たちが皆親に祝福されている姿を見て、「自分も親を招いて孝行しておけば良かった」と後悔した。
 ≪戦後民主主義世代の空虚さ≫
 私が卒業したのはペリー来航百年の1953年だ。明治百年の68年大学紛争の際は、「事しげき」世、学外に部屋を借り『神曲』講義を続けた。こうした時にこそ、「まなびの道に励め」と考えたのである。過激派学生が占拠した東大安田講堂は機動隊の導入で陥落した。そして、それから20年間、そこで卒業式はできなかった。
 それでも、大学院生の卒業式から再開し、主任の私も出席した。すると、紛争当時講堂を占拠した学生に「理解」を示した頭のいい方が、大学幹部となって壇上に座っている。いやな気がした。もっともあのころ騒いだ学生はいまや民主党の大幹部になっている。
 だが、その天下で日本は良くならない。連中が受けた歴史教育やかついだ思想が空虚だったからだろう。もっとも、連中は明治を良しとするこの平川の文章に対し旧弊と笑うに相違ない。しかし、天皇や乃木と聞くと条件反射的に否定する戦後民主主義世代には困ったものだ。だが、そんな迎合心理が流行することをすでに見通したかのように漱石は書いている。
 「昔は御上の御威光なら何でも出来た世の中なり。
 今は御上の御威光でも出来ぬ事は出来ぬ世の中なり。
 次には御上の御威光だから出来ぬと云ふ時代が来るべし」
 なお、この文章は、編集者の遠慮で、戦前の『漱石全集』には印刷されていなかった。(ひらかわ すけひろ)
「私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起こるべくして起こっているということだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはいない。ある役を演じなければならず、その役を投げれば、他に支障が生じ、時間が停滞する―ほしいのは、そういう実感だ」。

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